絶望を押し除けて
「百体もいながらこの有り様とは、どういうことですか?久しぶりの戦闘に、身体が錆びついていたのではないですか?まあ、所詮は使い捨ての駒に過ぎませんが」
耳慣れない声を響かせながら、新たな敵の増援が現れる。その姿は明らかに、これまでの汎用型の機体とは異なる様相を呈しており、目の前の敵が特殊型であるということは言われるまでもないだろう。
鋼色のスーツに翼型の二枚の巨大なブースター。白髪を掻き揚げながら、赤色に鈍く光らせる瞳がこちらを捕える。そこにあるのは、感情が無いにも関わらず浮かべられた、嘲りが滲み出た笑み。
「統一政府軍、第三区画管轄部隊長、マニューテ・ブリリアント大尉」
俺はその姿を知っている。彼とは過去に何度か顔を合わせている。そして恐らく彼も、俺のことを知っている。なぜなら……。
「これは、これは。裏切り者のヴィンセント・フルメタル大尉ではありませんか。お久しぶりです。元気になさっていましたか?」
そう、俺は元々、彼と同じ時を過ごしていたことがあるのだ。だからこそ、お互いにお互いの力を知っている。彼の能力は『磁力』。金属でできた俺たちにとって、これ以上ない脅威となる存在。
「それにしても、私が大尉になったことを知っていてくれたことはとても嬉しいです。今では、貴方と同じ階級なんですよ。ああ、でも貴方にはもう、階級なんてものはありませんでしたね」
あはははは……、とマニューテはこちらを嘲笑するように高笑いする。感情がない俺たちのような存在でも、ある一つの感情ならば体現することができる。
その機体は何があろうと、その感情に忠実に行動する。例えばサラの『母性』のように。人間が見れば、それも一つの感情のように見えるのだろうか……。
敵が与えられた唯一の感情に任せて、あのように振る舞っていることは理解している。それでも、得も言われぬ怒りが、胸の辺りから喉を焦がすような熱となって、更には頭部へと侵食していく。
「私たちに与えられている命令は、とある機体の奪取のみです。今回はそれさえ手に入れば、別に貴方たちを潰す必要はないそうです。なので、この機体を引き渡していただけませんか?」
そう言ってマニューテが右手を前に差し出すと、そこから何本もの光が空中に線を描き、とある人物のホログラムが完成する。
そこにあったのは紛れもなく、アキトの姿だった。
やはりアキトの存在は既に露見している。だが彼はその姿を知っていてなお、機体と称した。ということは、彼の本質を知っているのは本当の上層部だけ。何故彼が捕縛対象になっているか、その理由までは知らされていないのだろう。
だが、敵の情報網がどうなっていようと、俺たちが出す答えはたった一つだけだ。
「それはできない。彼は我々にとって大切な仲間だ。お前たち統一政府に明け渡すことなど、断じてありはしない」
そして、どんな答えが返ってこようと、彼が浮かべる表情はたった一つだけ。
「なら、交渉決裂ですね。貴方たちレジスタンスを潰して、その上でこの機体を捕縛させていただきます」
相手の目的がこの区画に存在する基地の壊滅だったのだとしたら、最終手段はアキトをレジスタンスの他の支部へ移せばいいと思っていた。だが、狙いがアキト本人だと言うのなら話は別だ。俺たちがマニューテに勝たなければ、アキトは捕縛され、俺たちの唯一の希望は失われる。
「アキトは死んでも渡さん。我々機械は所詮歯車にしかなり得なくとも、歯車には歯車なりの意地がある。悪いが、その意地、圧し通させてもらう」
俺は超電磁砲をマニューテに向けて構える。銃身が蒼い雷を纏いながら弾丸を打ち出す準備を始める。
「どうして上層部がそんなにもあの機体を欲しがるのか?そして、貴方がそこまでして護りたがるのか。その理由は気にならないでもありませんが、まあそんなことはどうでもいいです。今は戦いに集中するとしますか」
マニューテの薄ら笑いは止まらない。彼に与えられた唯一の、そして偽りの感情が生み出す、無感情の嘲笑。だがここまで来ると、まるで彼の本心のようにも見えてしまう。
「その余裕、あの世で後悔しても知らんぞ」
銃身を覆う蒼い雷がバチバチと刺激音を発て始め、ようやく準備が整う。見知らぬ顔ではないが、躊躇っている余裕などこちらには無い。
それに、俺は統一政府を抜け出したあの日、全てを敵に回すと決めたのだ。今更ここで立ち止まる訳がない。
「喰らえ!!」
超電磁砲から放たれた小さな弾丸は、しかし先端から離れた瞬間に、突如としてその大きさを変える。その弾丸が凄まじい速度を保ちながら、マニューテに風穴を空けようとしたその間際、弾丸はマニューテの目の前で、まるで時が止まったのかのように静止した。
「どういうことだ……」
戦闘に身を置き、多少の感情が表面に出ている俺は、思わず驚愕の表情を浮かべ、流れもしない冷や汗のようなざわつく感覚を額に感じていた。
「少し考えたらわかりませんか?超電磁砲が、何の力を借りて撃ち出しているモノか知らない訳でもないでしょうに」
そう、超電磁砲は磁力の力を利用して撃ち出す弾丸。そして目の前の敵は、その磁力を司る者。少し考えたら、こちらの攻撃が通らないことなど直ぐにわかったはずだ。その計算すらもできない程、今の俺は焦っているというのか。
俺の思考が驚愕で一時的に停止してしまったことに、マニューテは口角を吊り上げて煽るような笑みを浮かべると、目の前で静止した弾丸を指で軽く弾いた。
すると、その弾丸は、俺が放った弾丸と同じ速度を保ったままこちらへと舞い戻ってきた。
俺は咄嗟に防壁を生み出し、何とか弾丸の軌道を逸らすことに成功するが、その反動だけで約百メートルというとんでもない距離を吹き飛ばされた上に廃ビルに突撃する。その衝撃で崩れた廃ビルの瓦礫が、まるで豪雨のように凄まじい勢いで降り注いだ。
視界は突如として暗転する。痛みなどは感じない。だが、目の前が見えない程暗いことを認識しているのは、まだ壊れていない証拠だ。
「壊れていなければまだやれる。自分ができる最善を尽くせ」
まるで自分に言い聞かせるように、そんなことが機械の自分には無駄なことだとわかっていても、自然とそんな言葉が口をついて出る。
張り巡らされた回路が凄まじい負荷を受けて、身体中がまるで焼けるような熱を帯び始める。自分を押し潰そうとする瓦礫の山を力づくで押し除けると、負荷に耐えきれなくなった部分から煙が噴き出す。
ようやく開けた視界の先では、自分を吹き飛ばした張本人がいつもと変わらぬ表情を浮かべながらこちらを見据えている。身体中が滾る様に熱くなり、噴き上がる煙が止まらない。
「私の超電磁砲をあれだけ真正面から受けて無事に立っていられるとは、流石は元大尉です」
敵の言葉などどうでもいい。今自分が尽くせる最善が見つからない。力で相手に劣っているのだ。力が劣っているならば、最善を尽くしてもやれることは限られている。
「あっ、そういえば、言うのを忘れていましたが、こちらはあくまでも陽動部隊だということを忘れないで頂けると助かります。まあ、今の貴方たちがそれを知って、向こう側に救援に向かう余裕があればの話ですけど……」
それを予想していなかった訳ではない。それを予想してなお、こちらの相手の数が『特殊型』を含め百を超えていたことから、敵の数はこれだけだと高をくくってしまった。そうでなければ、数で余りにも劣るこちらに勝ち目がなかったからだ。
「不味……、……の別動隊……」
ノエルから、雑音でほとんど聞こえないような通信が入るが、最早どうすることもできない。
含み笑いを浮かべながら、嘲りの言葉を呼吸をするように吐き出していく目の前の敵に、感じるはずの無い感情が滾るような幻想を抱くが、今は冷静に次の手を考えなければならない。
俺は覚悟を決めながら、ゆっくりと自らの耳元に手をやりサラに繋ぐ。
『サラ、聞こえるか……。俺だ……』
声を出す必要などない。相手との通信を繋げば、読み取った思考をダイレクトに伝えてくれる。だが、繋がったサラから返って来たのは、判然としないバラバラに砕けたような言葉だった。
「ま…………、そっ……い…………」
こんな大事な時に何をしているというのだ。怒りがどこからともなく込み上げてくる。焦りと怒りが混濁し、感情を知らない自らの人工知能が悲鳴を上げている。
「何をやっているのですか?そちらから来ないのであれば、こちらから行かせてもらいますよ」
サラの言葉が伝わらなくとも、敵は待ってなどくれはしない。そこら中に転がる破壊された機体が、次々とマニューテの元に集まり、突如として巨大な腕を模した金属の塊が完成した。
「クソっ!!」
俺は暴言を吐き捨てながら、サラとの連絡を途絶する。最早、彼女の返事を待っている余裕などない。俺は目の前の敵に照準を合わせて臨戦態勢を取る。
マニューテが作りだした巨人の腕は、慈悲もなく俺に向かって振り下ろされる。あの掌に押し潰されればただでは済まない。廃ビルの瓦礫に押し潰されるのとは訳が違う。
俺は六枚羽を全力で噴射し、間一髪で巨大な掌を避ける。掌は周囲に嵐のような砂埃を撒き起こし、その方向を変えて、今度は横薙ぎで易々と廃ビルを崩しながらこちらへと襲い掛かってくる。
「さあ、いつまで持ちますかねえ」
六枚羽を全力で噴射し、凄まじい勢いで上空へと飛び上がる。こんなことを続けていれば、直に六枚羽がオーバヒートを起こしてしまう。だが、今はそうすることしか避ける手段がない。
必死に敵の攻撃を避け続ける俺の視界に、敵の側部から接近する影が映る。
アザミが凄まじい勢いで敵への接近を試みていたのだ。俺が命令する余裕がなくなったとみて、単独行動を決行したのだろう。
だが、同時に映ったマニューテの表情を見て、俺は通信を使うことも忘れて思わず大声を上げる。
「アザミ、下がれっ!!」
「私が気付いて無いとでも思いましたか!?」
金属を纏っていないマニューテの左腕が蒼い稲妻を纏い、落ちていた小さな金属の球が浮き上がる。それをアザミに向かって指で弾くと、凄まじい勢いを伴って稲妻を纏った金属の球がアザミへと襲い掛かった。
アザミはその勢いに任せて、俺と同じように廃ビルへと突き飛ばされ、瓦礫の山の下敷きとなる。だが、俺とは違ってアザミには護るための防壁などありはしない。最悪の結果を考えるのであれば、今の一撃でアザミは破壊されたと考えるべきだ。
アザミの安否を確認したかったが、それは更なる仲間の介入により妨げられる。
「前に出るな、クロス。今の奴にお前が攻撃しても無駄だ」
自然と口調が高圧的になる。それだけ自分も焦っているようだ。こんな焦りはまやかしに過ぎない。だと言うのに、機械の自分が感じるはずなど無いと理解していても、身体の熱が更に焦りを増長させる。
俺の命令を耳にしたクロスは敵の攻撃に襲われる前に戦線を離脱する。だが、その表情は納得のいかない悔しさが薄らと浮かんでいたように思えた。
「ほら、他人に気を遣っている余裕があるなら、自分の身を心配したらどうですか?」
マニューテから次々と攻撃の応酬が降りかかる。俺はそれを必死に避けることしかできず、このままではオーバヒートで動けなくなることがわかっていても、それ以外の道は残されていなかった。
そして無情にも、その時は訪れる。
何度目かの敵の攻撃を避けた瞬間、負荷に耐えられなくなった六枚羽の一部が小さな爆発と共に煙を噴き上げた。
その小さな爆発をマニューテが見逃すはずもなく、彼の口角がこれまでのどの嘲笑よりも吊り上げられた。
「さあ、もう限界の様ですね。これで終わりにしてあげますよ。自らの元部下たちの死骸に無様に埋もれて、粉々に砕けて死んでください」
冷たい嘲笑と共に投げ掛けられたその言葉に、俺は感じるはずの無い怒りを噛みしめて、喉の回路が焼き切れる程の勢いで叫び声を上げた。
「俺が死のうとも、俺の意志は皆に引き継がれる。勝つのは我々だ。全てがお前らの思い通りになると思うなよ。この、腐れ統一政府があああああああああ」
俺は自らの死を受け入れようと、迫りくる金属の塊をただジッと見据えていた。瞼は閉じないと、そう決めていた。
自分が見ている世界の流れが速度を失っていく。死を受け入れた世界は穏やかな川の様に緩やかに流れ、ようやく受け入れた死を手放せと焦らしているようにすら感じた。
「やればできるじゃねえか」
そして世界は無慈悲にも、ようやく受け入れた死を根こそぎ奪っていく。
迫りくる金属の塊をジッと見据えていた俺の肩に、一瞬温もりを感じると、黒い影が俺と巨大な金属の腕の間に割り込む。その巨大な腕に向かって、掴めば簡単に折れてしまいそうな細い腕を横薙ぎに振り抜いた。
金属の塊は磁力を失い、切り離された巨大な掌はバラバラに砕けて、雨のように辺りに降り注ぐ。
「どうして……!?」
俺の思考回路が処理落ちを起こす。自分が機械であるにも関わらず、目の前で起こっていることを即座に理解することができない。
「やっと聞けたぜ、お前の心の声を……。何故だろうな?今なら何でもできる気がするよ」
そこには俺たちの希望が、いつもよりも大きく見える背中をこちらに向けて立ちはだかっていた。