我は神の双眸
「お疲れ様です、アキト様。タオルとお水をお持ちしました」
アザミの厳しい講評を耳にしていると、癒しの声が鼓膜を撫でていく。
「ああ、ありがとう。あと、膝枕とかしてくれると嬉しいなあ」
先程までアザミに反論していたとは思えないほど腑抜けた声音でサラにお願いをする。そんな俺の言葉に、一切の躊躇いを示さずにサラは俺の頭を持ち上げて自らの太腿の上に寝かせてくれる。
「これでよろしいですか?」
元いた世界で使っていた本当の枕よりも柔らかく、マシュマロのようなその膝枕は、疲れた身体を芯から癒していく。これがあるからこそ、ここまで頑張ることができたと言っても過言ではない。
「じゃから、言っておろうが……。サラは性的な奉仕ロボではないと」
「ちょっと待て。膝枕のどこが性的なんだよ。これくらい別に普通だろうが」
多少元気を取り戻した俺は、エヴァの言葉に即座に反論する。膝枕を性的行為と言われるのは心外だ。これだから幼女は性へのハードルが高すぎて困る。
「サラも、嫌ならば嫌と言ってよいのじゃぞ」
俺への抗議を諦めて、エヴァはサラを説得しようと持ちかける。だが意外なことに、サラはエヴァの言葉を受け入れようとはしなかった。
「いえ、私はアキト様にご奉仕することがお仕事です。これくらいのこと、何て事はありませんよ」
サラは優し気な笑みを浮かべながら、俺のことを受け入れてくれるようなことを言ってくれる。
正直、このやり取りは既に何度か行われていたが、サラだけはエヴァよりも俺の言葉を優先してくれるようだ。もちろん、それは内容にもよるのだろうが、少なくともこのお願いは優先される。
俺はそんな彼女の器の大きさに甘えるように、思ったことはなるべくやってもらうようにしている。
というか、それで嫌われることないはずだが、彼女との距離を置かれることが怖いのだ。俺にとって彼女はこの世界の生活での癒しとなっているのだから。
人間に奉仕するメイドロボと言うだけあって、声音や仕草も人間の心を落ち着かせるようなプログラミングがされているらしく、アザミのような違和感を覚えることはほとんど無い。むしろ、生身の人間よりも話しやすい印象すらあるくらいだ。
そんなこんなで、俺は色々とサラには甘えることにしている。この癒しを楽しみに、アザミとの厳しい特訓を乗り越える。何かご褒美があると思えば、苦しいことだってやり切ることができる。恐らくサラは、俺が特訓を途中で投げ出しても優しくしてくれるのだろうが、それに甘えるのは何か違う気がするのだ。
「まあ、動けなくなるまで特訓をやったのじゃから、これくらいは許してやるとするか」
どうやら、今日もエヴァは折れてくれたらしく、仕方ないというような笑みを浮かべながら俺の元を離れていく。
それにしても、そんな俺たちがやり取りをしている視界の片隅でアザミはいつも通り、愛玩人形を抱えていた。この一週間なんとなくそのことに触れるのを避けてきたのだが、今日という今日は聞いてみよう。
俺は多少癒えた身体を起こしてサラに礼を言うと、アザミの元へと歩み寄った。
「なあ、アザミ。いっつも抱えてるそれは何なんだ?」
俺が、彼女の抱える愛玩人形を指差しながら尋ねると、アザミは無表情のまま答える。その口調が、どこか怒っていたように感じたのは、きっと俺の思い込みなのだろう。
「『それ』ではありません。彼女はノエルです」
どうやら名前まで付けてあるらしい。アザミには感情は無いはずなのだが、何かを愛でることはあるのだろうかと疑問を呈する。
「悪い、悪い。その、ノエルを何でいつも抱えてるんだ?」
「ノエルを抱くことに理由が必要なのですか?」
やっぱり怒っているような気がするのですが、気のせいですか……。と俺が思っていると、アザミはそのまま言葉を続ける。
「強いて言うならば、私は小さい物を見るとそれに触れなければいけない、と思ってしまうのです。それが何故かは私にもわかりません」
そうはっきり『わからない』と言われてしまうと、俺もこれ以上尋ねる気にはならない。それに、なんとなくの予想はつく。
例えば『クロス』のように、感情が無いにも関わらずキザな態度を取るということは、恐らく彼を作った科学者がそのようにキャラ付けを施したのだろう。恐らく、感情を植え付けることのできない彼らに、少しでも人間味を持たせるために。
そしてアザミに与えられたキャラは、恐らく『小さいモノ好き』だったのだと思う。だから、今抱えているノエルのような愛玩人形を見ると、愛でずにはいられないのだろう。
俺もこの世界に少しずつ慣れてきたので、こういう思考ができるようになってきた。この世界のことをなんとなくわかり始めてきた証拠だろう。
「たぶんそれは『好き』ってことだぞ」
だから、そういう感情を知らないアザミに教えてやる。それが、どういう感情なのかを。
「『好き』ですか?」
「そう。それを見たくて堪らない。それを見たら触れたくて堪らない。いつだってそいつのことを考えてしまうし、そいつのことを忘れられない。そういう感情を『好き』って言うんだ」
彼女はわからないだけなのだ。わかればきっと、この無色な表情や声音は、キャンパスに絵具を振りまいたように鮮やかな色を見せるようになるはずだ。
だから俺は彼女に与えてやろうと決めた。俺は彼女に与えられてばかりで、俺からは何も返せていないから、これは俺の勝手なエゴなのかもしれないけれど、その恩返しなのだ。
「これが『好き』……。やっぱり私にはわかりかねます」
まあ、そう簡単にわかってくれるとは思っていない。それができるのなら、俺よりも余程頭の良い先人がとっくにそうしているはずだから。
だから俺はそういう科学的なアプローチではなく、もっと長い目で、もっと感情を剥き出しにして身体でぶつかっていこうと決めた。俺の感情が、彼女に伝わるように。
「いいんだよ、すぐにわからなくたって。俺がこれから、時間を掛けて教えてやるから」
時間は掛かるかもしれない。それでもきっと、俺は彼女に、笑顔という名の花を咲かせてみせる。
「先程から聞いておれば、妾の許可なく、妾の使途に禁断の果実でも口にさせるつもりか?」
どこからともなく聞こえる、子どのような甲高い声音に、何故だか心の奥底をくすぐられているようなむず痒い口調。俺は思わず辺りを見回したが、その声の主はどこにも見当たらない。
この近くにいるのはアザミただ一人なのだが、どう考えてもアザミが発した声ではない。そもそも、アザミとは視線を合わせていたが、彼女の口許は一切動いた様子がなかった。
「悪魔に網膜を焼かれ、妾の姿を視認することができなくなったか?」
しかし、その声はアザミのいる方向から聞こえてくる。先程は不意に声を掛けられて方向に戸惑ったが、今回は神経を尖らせていたから間違いない。
そして俺はあることに気が付き、視線をアザミからゆっくり下ろしていく。そこには、アザミに抱かれた愛玩人形が、ふてぶてしい表情を浮かべながらこちらを睨むように見ていた。
「まさかとは思うが、お前じゃないよな……?」
これまで一言も声を発することは無かったし、動いているのも見たことがない。俺の視界に入っているときはいつもアザミに抱かれていたこの人形が、まさか喋るのか。
「お前とは無礼な。妾は『ノエル・シャルテリア』。神の信徒にして、この世界の全てを見通す神の双眸」
何だろう、ものすごく面倒な設定のキャラが現れた気がする。これはあれだ、紛うことなき『厨二病』だ。この世界にもこんなものを好む先人がいたのか。
「『厨二病』とは何か知らんが、とてつもなく不快な響きを感じる。神の裁きを受けたくなければ、その言葉を今すぐ貴様の記憶から消し去るがいい」
俺は思わずノエルの顔をマジマジと凝視する。どうやら『厨二病』という言葉を知らないにも関わらず、俺が想像した言葉を読み取ったように、その言葉を口にした。それは単なる偶然なのか、それとも……。
「ふっ、何を困惑しておる。妾の心眼に恐れおののいておるのか?」
俺は思わずノエルから視線を逸らす。本当に心の中を見透かされているようで、視線を合わせていることに恐怖を覚える。本当に心を読んでいるかはわからないが、少なくとも出鱈目を言っている訳ではなさそうだ。
「視線を逸らせば心を読まれないとでも思ったか?甘いな魔の眷属よ。言ったであろう。妾は神の双眸。妾の心眼に映らぬモノなどこの世にはない」
どうにも嘘を吐いているようには見えない。あの口調のせいでふざけているように聞こえるが、彼女に能力があるのは本当だろう。彼女は何かしらの能力を持った特殊型なのだ。だとすれば、これ以上厄介な能力はない。
それにしても、これまでエヴァから聞いていた特殊型とは少々異なるような気がする。
「あまりアキトくんを苛めないであげて下さい。特訓が終わって疲れているのです」
おお、まさかアザミが俺のことを気遣ってくれる日が来ようとは……。俺は、目の前に感情が駄々漏れになっている相手がいることも忘れて、アザミをジッと見つめながら独りでに感動の眼差しを向ける。
「我が使徒よ、こやつの甘言に踊らされておるのではなかろうな?奴は漆黒の闇より現れし魔の眷属。我々とは相反する存在。我が使徒を欺けようとも、我が心眼を欺くことはできん」
そろそろ頭が痛くなってきた。こいつが言いたいことが、ある程度理解できてしまう自分が憎い。いっそのこと、理解できない方が適当に聞き流せて楽だっただろう。
「あまり我が儘を言うと、構ってあげませんよ」
アザミがまるで子供を叱るような口調で、ノエルに向かって諭すように告げると、意外なことにノエルからは、表情に出さないまでも苦いものを口に入れたような渋い声音が返ってくる。
「なっ……、今ですら魔の眷属の企みにより、我が使徒との契約の時間が失われつつあるというのに、これ以上は……。くっ……、これこそ魔の眷属の企みか……」
どうやらノエルは相当にちょろいらしい。何だかんだ言って、アザミに抱いてもらえるのが嬉しいのだ。なんだか相手の弱点を握れた気がして、少しだけ悪い笑みが漏れてしまう。唯一厄介なのはあの『能力』だが、その本質を尋ねるように、アザミに向けて疑問の眼差しを向けてみる。
「ノエルの能力は『透視』です。もちろん物体を透かして見ることが主な力なのですが、ある程度なら相手の思考を読むことも可能です」
どうやら俺の思いがアザミに伝わったようで、アザミは俺の要望に応えてノエルの説明をしてくれる。
ノエルのように、戦闘向きではない補助的な『能力』を持った特殊型も存在するようだ。ノエルの能力があれば、作戦の幅は大きく広がる。
多少性格に難はあるが、彼女もこの組織に欠かせない存在なのだろう。愛玩人形などと思ったことは素直に謝罪するべきなのかもしれない。
「ふっ、ようやく妾の偉大さを理解することができたか。よいのだぞ、妾の前で跪き頭を垂れ、許しを乞うても」
どうやらまた、俺の思考を『透視』しやがったらしい。どうにも俺の思考は読まれやすいようだ。
どうせ思考が読まれてしまうなら、こちらも包み隠さず、素直な気持ちを告げてやる。
「見てろよ。その内、そのでかい口を叩けないくらいまで、強くなってお前を俺の前に跪かせてやる」
恐らく高飛車お嬢様は喰って掛かってくると思ったのだが、意外なことにその後に言葉を口にしたのはアザミだった。
「それは楽しみですね。アキトくんがそうなってくれるまで、期待して待っていますよ」
俺は言葉を失った。そんな優しげな言葉をアザミから掛けてもらえるなんて思いもしなかったから。きっと俺の幻聴に過ぎないのだろうが、それでも俺には先程の言葉だけは、彼女にも感情の色が芽生えているように感じた。
「それはともかく、魔の眷属よ。貴様が来てからというもの、気になって夜も十時間くらいしか眠れておらんのじゃが……」
滅茶苦茶しっかり寝てんじゃねえか。ってか、もしかして普段はそれ以上に寝てるのか。
「人間というのは、たった一日の間に、成長したり、退化したりする部位があるのか?」
不意に尋ねられたその質問に、俺が首を傾げていると、ノエルは更に詳細な具体例を挙げ始める。
「いや、例えば冥土の番人に寵愛(膝枕)を受けておる時や、我が使徒との始まりの修練(訓練初日)の刻なのじゃが、それは一体どういう……」
もがもがとノエルが言葉を最後まで告げることなく悶えはじめる。俺がその質問の答えに勘付き、思わずノエルの口を自らの手で思いっきり抑え込んだのだ。戦闘型ではないノエルの口は抵抗空しく、容易に抑えることができた。のはずなのに、焦っているのは間違いなく俺の方で……。
「頼むから、それ以上そのことについて言及するなあ」
なんだか、逆に弱みを握られた気分だった。俺はいったいどんな表情をしていたのだろうか。
その日は、サラとアザミと視線を交わすことはできなかった。
次の日の夜、俺はサラにマッサージを施してもらった後、何の気なしに夜風に当たりたくなった。そして外へと向かう道中で、俺はとある人物とすれ違う。
声を掛けるかどうか迷ったが、ここでわざわざ声を掛けて、自分から面倒ごとに巻き込まれるのも馬鹿げていると思い、俺はそのままその場を通り過ぎようとした。だが、背後から掛けられた声に、脚を止めざるを得なくなる。
「そんなに身体をボロボロにして、何か意味があるのか?貴様が戦うことなどありはしない。戦場に出られても、ただの足手纏いだ」
久しぶりに聞いた嫌味な言葉に俺は噛み付くように後ろを振り返る。
「そんなの、俺の勝手だろ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「勝手だと?それで戦場を掻き回されれば、我々の勝率が低くなるのは言うまでもない。そんなこともわからないお前は、実にクールでない」
無駄にクールに拘るこいつは、言うまでもなく『クロス・ニールヴェルク』だ。こいつと絡むとろくなことがないのは解りきっていたから通り過ぎようとしたのだが……。
「自分の無力さを理解して、それに協力してくれる奴等がいるんだ。だったら、俺は悪足掻きだろうが自分を鍛え上げる」
クロスは俺に背中を向けたままだ。だから、彼がどんな表情をしているのかはわからない。彼は第一世代だから少しは人間のことを知っている。あの日、俺に憤怒の視線を向けてきたように。
「人間は自分の利益しか考えていない。俺はそんな人間たちの黒い部分を、嫌というほどこの目に焼き付けてきた。お前が自分の利益のために、俺たちを裏切るようなことがあれば、俺はお前を真っ先に切り刻む」
背中に悪寒を感じて、俺は一瞬肩を震わせる。感情のないはずの彼の言葉は、しかしアザミに慣れて敏感になった今の俺には、十分に人間らしい怒りや憎しみの感情を感じることができた。
「忘れるな……。俺はお前を信用などしていない。お前を斬る準備は、いつでもできているということを……」
俺の前から少しずつ離れていく背中。そこで緊張がほぐれたのか、俺は無意識の内に噛み締めていた奥歯と、握りしめていた拳を解いた。それだけ、彼が与えてきた圧力が大きかったということだ。
彼の言葉には、嘘も冗談も混じってなどいない。向けられていたのは、明確な殺意。だが俺も、それくらいでは怖じ気づかないくらいにはなっていた。
「殺れるもんなら、殺ってみろよ。俺はお前なんかに負ける気は無いし、そもそも裏切るつもりもない」
その言葉は誰の耳に届くこともなく、開かれた扉の向こうの乾いた風に奪われていくように、風の音に掻き消された。
外に出ると冷たい夜風が肌を撫でていく。夜風に吹かれた肌が日中の痛みを未だに残し、神経を刺激する。しかし、その痛みこそ今日を全力で生きた証であるような気がして、悪い気はしなかった。
暗黒に染まった空の海には、まるで魚が泳ぎ回るように星々が幾重にも輝いている。そんな夜空だけが元の世界と変わらない景色で、俺は夜になるとこうやって外に出て夜空を眺める。
夜空に身を預けるように、腕を左右に大きく開いて深呼吸する。少し冷えた夜の空気が、喉を通って身体の中を冷やしていく。
元の世界と変わらない景色に身を投げ出すと、向こう側の記憶が鮮明に甦り、俺の心はそこに安らぎを求めて、瞼を開くことを無意識の内に拒む。
少しずつこの世界に馴れてきたとしても、こういう元の世界と変わらない景色には甘えたくなってしまう。この景色を心の拠り所にすることで、心の平静を保っているのかもしれない。
「こうやって外を見るのも、いつかしなくなるのかな……」
それは自分がこの世界に順応し、この世界の色に染まってしまったことを意味するのだろう。今は色濃く残った元の世界の記憶も、この世界の記憶の上澄みに少しずつ覆い被せられ、沈殿し消えていく。
人間とは、自らのおかれた環境に知らず知らずに適応していくものである。もしかすると、俺は色のない彼女たちを、いつかは受け入れてしまう日が来るのかもしれない。そう思うと、夜風が余計に冷たく感じる。
「それじゃ、きっとダメなんだよな。俺は、あいつらと違うからこの世界に呼ばれた。なら、俺は俺のままでいるべきなんだ」
元の世界と変わることなく輝く夜空を眺めながら、俺は変わらない決意を胸に刻み込んだ。




