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逆転劇のその先へ


「野球はな、九回の裏ツーアウトからだって逆転できるんだよ。こんな試合が始まったばっかのところで、そのど真ん中に立っていた俺が諦める訳がないだろ」


 俺は腕を振りかぶり、左足を高く上げる。


「何を言っているのか理解に苦しみます。その格好に何の意味があるのですか」


 そのままゆっくりと左足を前に踏み出し、両手を精一杯に引き絞る。


「理解しなくて結構。ただ、その眼に焼き付けやがれ。これが、俺の生き様だ」


 踏み出した勢いに乗せて体重移動し、弓を張るように精一杯胸を張り、その胸を一気に収縮させて、勢いよく右腕を振り抜いた。

 右の拳に握られていた俺の血液はそこから勢いよく放たれ、自分が投げたとは思えない程の速度を伴って、アザミの左腕へと襲い掛かった。


「へっ?」


 自分でも予想だにしなかった、まるで弾丸のような速度を伴った血液に、最早お約束の声を漏らし、止めるにも止められない光景をただ呆然と眺めていた。

 俺の放った血液は、そのままアザミの左腕を抉り取り、アザミの後ろにあった廃墟に巨大な穴を穿って消え去った。あとに残ったのは片腕を失ったアザミと、突如として空いた巨大な穴のせいで、自重に耐えることができずに激しい音を発てて崩れ去った廃墟だった。


「本当に……、嘘だろ……」


 ただ呆然と眺めていることしかできなかった。俺が放ったのは、あくまでも直径にして二センチにも満たない小さな血液の塊だった。それが人の、いや機械の腕をもぎ取り、あまつさえ建物を全壊させるなどと誰が思うだろうか。投げたというよりも、腕を振っただけと言うのが正直な感想だ。


「ご、ごめん……アザミ。まさか、こ、こんなことになるなんて……」


 アザミの左腕の付け根の部分から、太陽の光を浴びて銀色に鈍く輝く金属が顔を覗かせ、小さな青い火花が静電気のような刺激音を伴いながら散っていた。そんな彼女の姿は、彼女が自分とは根本的に違う生き物なのだということを改めて突き付けてくる。

 俺は謝って取り返しのつくようなことではないと思いながらも、しかし、今は謝ることくらいしかできなかった。だが、彼女はそんなこと意にも介さない様子で、平然と立ち尽くす。


「何を謝ることがあるのか理解に苦しみます。あなたは、与えられたことを成し遂げる為に力を使った。そこに謝る意味があるとは到底思えません」


 腕を引っこ抜かれているというのに、まだ修業がどうとかいうつもりなのか。そんなアザミに、俺が驚きと共に畏怖を覚えていると、まるで俺の考えを読むかのように、更に言葉を続ける。


「それでは、修行の続きを始めましょう。もちろん、その力はいくら使っていただいても結構です」


 アザミは残された片腕だけで構えを取る。どうやら本当に、このまま修行を続けるらしい。片腕が無くなろうが、戦場では誰も待ってなどくれない。彼女はそう言いたいのだろうか。

 確かに彼女は機械で、痛みなど微塵も感じていないのかもしれない。だからと言って、女の子の腕が無くなって平気でいられるほど、俺は無神経な男ではない。


「今日はもう止めよう。その腕だって、エヴァに頼めば直してもらえるんだろ。それなら、それからでも……」


 俺が彼女に修行の中止を促そうとしたその瞬間、彼女は気付いた時には俺の目と鼻の先まで迫っていた。そして、俺の言葉を最後まで聞くことなく、俺を再び廃墟の壁へと吹き飛ばした。


「な……、何で……」


 俺が蹴られた腹部を抑えながら、意識が飛びそうな痛みを我慢し、歯を食い縛りながら彼女へと問い掛ける。


「私の腕が一本無くなったからどうしたというのですか?私の心配をするなら、まずはこの修行を成し遂げてからにしてもらえませんか?腕が一本無くなったところで、あなたが私の身体に触れられないという事実は変わりません」


 心配して彼女に掛けようとした言葉を拒絶されたことに、プツンと何かが切れた音を感じた俺は、先程までの申し訳ないと思っていた気持ちなど放り投げて、ひしひしと込み上げてくる怒りをゆっくりと言葉にして吐き出していた。


「おいおい、人の思いやりってもんは、素直に受け止めるもんだぜ」


「私は思いやりという言葉を知りません。それに、私たちに必要なのは思いやりなどではなく、その場で如何に最善の判断をできるかどうかです」


 今の俺には、彼女の言葉を聞く耳などありはしない。今はこのやり場のない怒りを爆発させるのを何とか抑えるのに必死だった。


「だったら、お前の言う通り遠慮なんて一切しない」


 俺はゆっくりと立ち上がると、これまでは絶対にむけなかった敵意の視線を彼女へと向ける。流石の彼女も俺の姿を見て、咄嗟に臨戦態勢を取る。


「女だろうが関係ねえ。絶対に泣かす」


 恐らく機械の彼女に『泣く』という機能は備えられていないだろうが、今の俺にそんなことを考えられる余裕がある訳もなく、血の味で染まった唾液を地面に吐き出すと、先程と同じように球状の血液を、自らの身体の周りに浮遊させる。


「俺を怒らせたこと、後悔させてやる」


 俺は拳を握りながらそんな言葉を吐き捨てると、ビシッという効果音が聞こえてきそうなほど真っ直ぐに突き立てた指でアザミを指差す。


「でもな、俺は絶対にお前のことをこれ以上傷付けねえ」


 これは俺の中の誓い。相手がどれだけ強かろうと、相手が例え機械であっても、俺はこんな訓練なんかで女の子を傷つける気はない。


「目的達成のために、相手の戦力を削ぐのは定石かと思いますが。しかも、その手段があるにも関わらずそれを行わないのは、非効率も甚だしいと思いますが」


 そう、きっと彼女には伝わらない。俺がどうしてそうしたいかなんて。俺だって論理立てて説明しろと言われたらできる気なんてしない。


「効率なんてどうでもいいんだよ。お前を傷付けたら、俺の目的が達成できないって話だ。まあ、既に左腕を一本吹き飛ばしてしまった訳だが……」


 視界にチラつく先が無くなった彼女の左肩に、言葉が尻すぼみになっていってしまうが、それでも彼女の平然とした態度が、俺の心苦しい気持ちを多少は和らげてくれる。


「いくぞっ!!覚悟しろよ」


 俺は相も変わらずアザミの元に突っ込んでいく。どうせ遠回りなやり方をしたところで、俺の勝率が上がる訳もない。ならば正々堂々、相手の隙が見えるまでぶつかっていくだけだ。

 アザミも最早脚を使うことに何の躊躇もない。だが、俺の動体視力は何とか、アザミの脚の軌道をその眼に捉えてくれる。彼女の軌道に合わせて、俺は自らの脚を彼女の脚にぶつける。

 凄まじい衝撃波に、生身の身体で受けていたらと考えると身震いがする。だが俺は、アザミとの接触部に自らの血液を纏っていた。この世界で、どんな物質よりも硬い物質を。

 アザミの脚を止めた俺は、すぐさま右手で彼女の肩へと手を伸ばす。とにかく、隙を見つけて手を伸ばすほか道はない。


「もらったあああああああ!!」


 だが、そんな簡単に行くならば苦労はしない。彼女は右手で、俺が伸ばした腕の上腕を弾き返し、更に身体を捩じりながら、止められたもう片方の脚で、俺を蹴り飛ばした。

 腹部を激しい衝撃が襲う。だが、先程までのような、すぐに動けない程のものでは無い。脚に付着させていたものを、今度は腹部へと移動させていた。


「反応は悪くねえ」


 細部の調整はできなくとも、移動速度の速さは悪くないらしい。これなら少量でも様々な部分の防御が可能になる。


「よし、スーツの方もしっかりと試させてもらわねえと」


 先程から、せっかくのスーツの力をほとんど使えていない。

 俺は筋肉を膨張させるように、身体の全身に力を入れる。すると、スーツがまるで俺の身体の一部となったように、一本一本の繊維が千切れるのではないかと思うくらいに引き絞られる。

 その場から思いっきり地面を蹴ると、数十メートル近くあったはずのアザミとの距離が、一秒も満たない内に失われる。

 もう、このまま抱き着いてしまうのではないかと言う勢いで彼女に接近した俺だったが、彼女はそんな俺の速度をものともせず、俺の伸ばした右腕を一本だけ残った右手で掴み取る。


「なっ?」


 こんな化け物じみた速度を出しているにもかかわらず、平然と追いつくアザミへの驚きと、今度は何をされるのかという恐怖とが入り混じった声が漏れる。

 アザミは俺の勢いを往なすことなく、勢いに任せて俺を反対側へと投げ飛ばした。


「待て、待て、待て、待て……」


 俺は頭から廃墟の中に突っ込んでいく。このままいけば、頭がトマトのように赤い液体を撒き散らしながら潰れてお陀仏だ。

 だが、何とかそうはならずに、俺は廃墟の壁を何枚も突き破りながら廃墟の向こう側まで飛び出して地面に転がり込む。

 俺は咄嗟に頭を血液で保護し、そのまま廃墟へと突っ込んでいった。そのお陰で、あれだけの壁を突き破ったにも関わらず、ほぼ無傷のまま俺は廃墟の反対側へと抜け出たのだ。

 だが、当の廃墟はというと、大穴を壁何枚も隔てて空けられた訳で、そんな欠陥だらけで自重に耐えられなくなった廃墟は、俺が抜け出した瞬間に激しい揺れと音を轟かせながら倒壊した。


「途中で勢いが死んでたら、俺はもうこの世にはいなかったな」


 俺は背筋に走る悪寒と共に安堵の溜め息を吐きながら、額には大量の冷や汗を浮かべていた。あそこの下に埋もれていたらと思うと、それ以上は考えたくもない。

 廃墟は凄まじい程の砂埃を巻き上げながら、アザミたちを俺の視界から奪っていく。まあ、これだけ乾いた土地に、あれだけの衝撃が加われば、煙幕に近い砂埃が起こってもおかしくない。


「あっ……」


 俺はその様子を見ながら思いつく。アザミとの特訓を切り抜けられるかもしれない方法を。


「まあ、思いついたもんは全部試すしかないか」


 目の前を覆う自然の煙幕を利用するなら今しかない。俺は飛ばされた方向に向けて地面を蹴ると、砂埃の海の中に一直線に突き進む。不意打ちはそんなに好きではないが、そんなことを言っている暇はない。

 茶色い視界が一気に晴れると、そこには俺を視界に捉えたアザミが待ち構えていた。


「やっぱり、そう簡単には触らせてくれねえよな」


 聞き方によっては、ものすごく卑猥な言葉に聞こえなくもないが、そんなことを気にしている余裕は今の俺には無い。


「でもな……」


 アザミが今までと同じように右手を伸ばすのを視界に捉えた俺は、アザミの前で足を思いっきり踏み込んで急ブレーキを掛けると、握りしめていた血液を地面へと投げつけた。


「これでも、喰いやがれええええ!!」


 アザミの腕をもぎ取った速度で放たれた血液の球は、今度は視界を奪う程の凄まじい砂煙を巻き上げた。流石のアザミも、突然視界を奪われたことで、すぐに行動を起こすことができずに一瞬、動作不良を起こす。

 俺はその一瞬の隙を見逃さず、先程までアザミが見えていた方向に思いっきり腕を伸ばし、倒れ込んだ。最早、恥も外聞も捨てて、格好悪くても構わないと思いながら必死に腕を伸ばした。

 そして、ようやく俺は何物かに触れた。砂煙のせいでどこに触れたのかはわからない。だが、今この砂煙の中にいたのは、俺とアザミだけだ。ならばこの柔らかい感触は間違いなくアザミのはず。

 風に吹かれてゆっくりと砂埃は晴れていく。俺は逃げられないように、その感触を感じたまま、視界が晴れるのを待った。そしてようやく視界が晴れた俺の眼に飛び込んできたのは、なかなかにひどい光景だった。

 俺の掌がしっかりと握りしめていたのは、彼女が二つ持っている山の内の一つ。

 やましい気持ちは一切なかったが、そう言えば俺はこの訓練を始める前に、散々なことを言ったような、と一気に冷や汗が溢れ出る。


「えっと、あの、これは……」


 俺は必死に弁解しようとするが、この状況に弁解する言葉などあるはずもなく。そして、悪い事に、俺は訓練の達成を誤魔化されないようにと、必死にそれを掴んでいた訳で……。

 突如襲い掛かる凄まじい衝撃と共に、俺は再び廃墟の壁へと叩きつけられた。何度目かの衝撃で、身体も脳も限界が来ていたのか、今回に限っては意識が朦朧としていく。

 それでも、これだけは最後に言わずにいられなかった俺は、風前の灯火となった意識の中で必死にその言葉を絞り出した。


「どうせなら、恥ずかしい表情でも見せてくれないと、ただの蹴られ損じゃないか……」


 そんな最後の最後まで欲望を垂れ流した言葉と共にガクッと全身の力が抜けて、俺の意識は暗闇の渦の中へと消えていった。

 最後に残った俺の視界には、表情を一切変えることなく、平然と立ち尽くす彼女の姿が映し出されていた。


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