強くなるために
「うおおおおお!!あんな可愛い女の子と握手しちゃったんだよな。いや、確かに機械だけど、手の感触とかめちゃくちゃ柔らかかったし」
俺は着替えるために、一人廃ビルの影に隠れていた。きっとその必要はなかったのだろうが、他人の眼があるのはやはり落ち着かない。一人になった途端、得も言われぬ嬉しさが込み上げ、思わず声を上げて喜んでしまう。
アザミは見た目に関してはかなりの美少女なのだ。あの感情の色の無い声がなければ、俺はたぶん、彼女に一瞬で惚れていたと思う。
「それにしても、なんかエヴァに乗せられっぱなしな気がするけど、本当に大丈夫なのか……。敵と戦う前に殺されたりしないだろうか……?」
俺は肌に張り付くようなピチピチのパワードスーツを身に纏いながら、数日前の光景を思い出す。
彼女はまるで海を泳ぐように空を舞い、虫でも潰すかのような勢いで敵を薙ぎ倒していった。
そんな彼女を相手に特訓するなんて、自殺行為も甚だしい。正直、このスーツを着てどこかに逃げたいというのが正直なところだ。
「まあ、逃げても死因が変わるだけだろうな……」
逃げたいという思いとは裏腹に、ここを出ても生きていける気がしないという気持ちもある。どちらにしろ死んでしまうなら、覚悟を決めたことに全力で立ち向かって死んだ方がマシだ。
「覚悟を決めろ五十嵐 亜希斗。これまで野球で鍛えてきた往生際の悪さを、今活かさないでいつ活かすってんだ」
俺は自らの両の掌で頬を叩きながら気合いを入れ直す。足掻いて、足掻いて、それでも駄目だったらそのときに考える。そう、自分の心に誓ったから。
「待たせたな!!」
俺はしっかりとスーツを着こなして、彼女たちの前に姿を表す。彼女たちは、相変わらず何の感情もなくこちらを眺めていた。まあ、エヴァに関しては、必死に笑いを堪えているように見えたが。
俺は、期待一割くらいで出ていったつもりだったが、やはりこの反応は心を抉られる。
「では、戦闘訓練を始めます」
アザミが一歩前に出て俺に地獄への導きを告げる。
その瞬間に俺の表情筋が一気に引き締まるのを感じる。表情筋だけではない。身体中の筋肉という筋肉が俺の意思とは無関係に、目の前の美少女に怯え、硬直する。
「ああ……」
なんとか絞り出せたのは、言葉とも言えない相槌のような返事だけ。目の前の美少女を凝視しながら、俺の身体は無意識の内に震え始める。この先に待ち受けるであろう地獄に対して。
「では、まずはその掌で、私の身体のどこでもいいので触れてみて下さい」
「へっ?」
俺の緊張など知る由もなく、告げられたのはただ美少女の身体を触るという内容のものだった。なんかこれだけ聞いたら、卑猥な妄想しかできないような……。
「ですから、どこでも構いませんので、貴方の掌で私の身体に触れてみて下さい。遠慮はいりません」
俺の顔が一気に熱を帯びて火照るのを感じる。やっぱり機械だから羞恥心というものがないのだろうか。
しかし、それならば好都合だ。相手の了承のもと、男の欲望を叶えられるとは。
俺は拳を強く握りしめると、アザミを真っ直ぐに見据える。そして、ビシッと効果音が聞こえてきそうなほど、真っ直ぐに突き立てられた人差し指をアザミへと向ける。
「言ったからな。どこに触ろうが、文句言うんじゃねえぞ」
何とも大人気ないというか、節操がない。視界の端で、エヴァが深い溜め息をついているのが 見えたが、気がつかない振りをして俺はアザミを凝視し続けた。
「はい、構いません。では、始めます。どこからでも掛かって来て下さい」
アザミは構えようとすらしない。直立したままの格好で、俺から動くのを待っている。
何だか舐められているような気がして、多少腹が立ってきた。少し考えれば、相手はアンドロイドなのだから、男とか女とかいう性別は見た目だけで、中身は何も変わらないはずなのに、俺は馬鹿みたいなことを口走っていた。
「男を舐めるなよ!!」
俺は思いきり地面を蹴って、凄まじい速度で加速し、一気にアザミに接近する。パワードスーツの補助もあり、というかほぼパワードスーツのお陰で、俺では制御できないほどの速度で加速した。
一瞬その速度に驚きはしたものの、これまでに鍛えられた俺の運動神経が、必死にその速度に追いつこうとする。
これならば行ける、と俺は独りでに確信していた。俺の身体は人間の反応速度を余裕で越えるほどの加速をしていた。そんな動きに身体が耐えられるのも、このスーツのお陰なのだろう。
俺は真っ直ぐに手を伸ばし、もはや周囲の視線などは一切無視して、 欲望のままにある一点へと掌を突きだした。
恐らく俺の掌には柔らかい感触があるはずだった。俺の下卑た欲望が満たされているはずだった。
だが、俺に与えられたのは、欲望満たした充足感などではなく、そんな欲望が吹き飛んでしまうほどの激痛だった。
アザミは接近した俺の前腕を平手打ちで叩き落とした。彼女は脚部強化と聞いていたので、脚だけに注意を払っていたのだが、彼女は何の躊躇いもなく掌で俺の腕を叩き落としたのだ。
「いっでええええええええ!!」
俺はあまりの激痛に地面を転げ回る。正直、腕の骨が折れていてもおかしくないほどの痛みだった。
俺をこんな状態にした張本人であるアザミは、俺を見下ろしながら告げる。
「たった一度防がれただけでもう終わりですか?早く立ち上がって下さい」
俺はその言葉を受け入れることができず、思わず反発するような口調で言い返す。
「あれで防いだだけだってのか?ふざけんなよ!!どう考えたって、攻撃だろうがこんなの。こんなので、訓練なんかになるかよ」
大人気ないというよりも、弱音を吐き散らしているだけの格好悪い男だった。けれど俺もまだ、色々と飲み込めないところがあって、感情が未だにグチャグチャと渦巻いているのだ。
「私はただ、あなたの腕を軽く払っただけですよ。脚を使っていれば、その肘から先は既にありませんよ」
俺の背中に電光石火のような勢いで悪寒が駆け抜ける。自分では見えなくとも、俺の表情が真っ青になっていることがわかる。そんな青白い表情のまま、俺はまだ繋がっている自らの前腕を凝視する。
その瞬間、視界がぐらつき、真っ赤に染まった前腕が地面に落ちている幻想が俺を襲った。俺は思わず口許を抑え、胸から喉に這い上がる吐気を無理矢理に押し戻して嗚咽だけに留める。
背後からエヴァが近づいていることにも気がつかず、俺は嗚咽を抑えるのに必死になっていた。
「人間の常識で考えるでない。主が相手にしようとしているのは、人間ではないのじゃぞ」
嗚咽を必死に抑えながら、それでもどうしようもない俺のプライドが言い返さずにはいられずに、エヴァに向かって喰って掛かっていた。
「いきなり機械の世界で戦えって言われて、そのうえ人間の常識で考えるなって言われたって、理解できる訳ねえだろ」
俺は狂犬のように、ギャンギャンと吠え立てるような人間だっただろうか。元の世界にいた頃は、どれだけ大変な練習でも、黙って必死にこなしていたのではなかったか。
「主がこれから戦う世界は人間の世界ではない。じゃから、今まで持っていた常識は捨ててくれと言っておるのじゃ。そうでなければ、主が死ぬ。それだけは、わしも避けたい」
彼女が本気で心配してくれている、というのは直感で理解できる。俺のことを気に掛けてくれている時の彼女の表情は、どこかいつもと違う気がするのだ。
自分が独りで空回りしていることに、俺は少しだけ恥ずかしくなって彼女から視線を外す。それでもここで終われるような諦めの良さなど持ち合わせていない俺は、ゆっくりと立ち上がりながら彼女に告げる。
「悪い……。まだ心が落ち着いてないんだ。感情の起伏が自分でも抑えられてないんだと思う」
こんなに弱音を吐くのは、全然いつもの俺なんかじゃない。もっと平常心を保たなければ……。
俺は心を落ち着かせるために深呼吸をすると、パワードスーツが耳の裏辺りまで覆い被せるようになっていることを思い出す。
「なあエヴァ、このスーツがここまで伸びているのって、何か意味があるのか?」
俺は痛みが残った右手で耳裏辺りを抑えながらエヴァに尋ねる。
「本当は訓練の中で、自分で気付いて欲しかったのじゃが……、まあ、そこまで気付いたのなら教えてやらんでもない」
そう勿体ぶりながらエヴァは佇まいを直すと、俺が抑えていた部分と同じ場所を、指でトントンと叩いてみせる。
「このスーツがここまで伸びているのは、ここで脳の電気信号を読み取るためじゃ。そこから主の脳波を読み取り、思考だけでスーツを自らの身体であるかのように動かすことができるのじゃ。色んなところにギミックを用意してあるから、後は自分で見つけてみるがよい」
伝えることは伝え終えたというように、彼女は白衣のポケットに手を突っ込むと、それ以上口を開こうとはしなかった。
「そんな勿体ぶっている暇、今はないだろうが」
生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、そう思うのは当然だ。しかしエヴァは小さく首を左右に振るだけだった。
「時間がないからこそじゃ。他人から教えられて得た知識など、本番では百パーセントの力を発揮することなど出来はせん。だからこそ、その力を自力で見つけ、その上で実戦に活かす必要がある。わかるじゃろ?」
これまでスポーツで散々同じような経験をしてきたからこそ、彼女が言わんとしていることはなんとなくわかる。他人から与えられた知識というのは、理解した気になっているだけで、ほとんどの場合はその本質を理解できずに、自らのモノとして応用することができない。
俺は少しだけ沈黙を保った後、ゆっくりとエヴァに賛同を告げる。
「わかったよ……。だったら、こうしている時間が勿体ねえ。こうなったら、どんどんいってやる」
俺はアザミに向けて臨戦態勢を取る。まだ右腕は重い痛みが残っている。だが、こんなものを気にしていたら、戦場で生き残ることはまず不可能だろう。
「いつでもどうぞ。私の準備はできています」
相変わらずの無機質な声。しかし、そんな声音を変えてやろうと思っている自分がいる。
ヴィンセントは言っていた。彼らの感情は戦いの中で生まれると。ならば、俺がアザミを追い詰めることができれば、彼女の感情の仮面を剥ぎ取ることができるかもしれない。
「見てろよ。絶対に剥ぎ取ってやるからな!!」
俺の言葉を理解することができなかった(下手をすれば誤解している)アザミは、不思議そうなのか、はたまた不満そうなのかわからない表情を浮かべるが、俺から視線を外そうとはしなかった。
今度は何の掛け声もなく、先程と同じようにアザミに向かって突っ込む。
いつの間にか、俺の中の欲望は消えていた。いや、消えていたというよりも、新しい欲望が全てを飲み込んだと言った方が正しいのかもしれない。
「また、先程と同じですか?」
俺は一気に身体を屈めて、片足を軽く畳みながら脚から滑り込む。
「そんな訳ねえだろ」
これまで何度もやってきたスライディング。相手の身体に触れるだけなら、これ以上速度を出せる体勢はない。それに、彼女の言い分だと脚を使う気はないだろう。それはこちらへの思いやりなのかもしれないが、そこを気にしていては今の俺に勝ち目などない。
「もらったああああああああ!!」
俺は彼女の横を颯爽と滑り込みながら腕を伸ばし、棒立ちになった彼女の脚に触れようとした。
だが、俺の手が彼女の脚に触れることはなかった。
一瞬で俺の視界から彼女の脚は消え、気が付いた時には、スライディングをしていた時よりも、はるかに速い速度で景色が流れていた。
「へっ?」
この世界に来て何度目かの気の抜けた声が漏れる。そして、自らの置かれた状況を理解する間もなく、俺の身体は激しい衝撃と共に、乾いた砂ぼこりの中に埋もれていた。
「がはっ……」
口の中に金属を舐めたような苦味が込み上げる。感じたことのない痛みを背中に感じながら、俺は息をすることもままならずに身悶える。
「あ……、脚は……、使わない……、じゃ……」
あまりの衝撃に、肺がつぶれるような圧迫感に襲われ、まともに声を出すことすらできない。正直何をされたのか視認する余裕はなかったが、状況からアザミに蹴られたことは間違いない。
「別に脚を使わない、と言った覚えはありません。こちらもかなり手加減、ならぬ脚加減はさせて頂きましたので、身体が分断される心配はありません」
先程の蹴りが本気だったとすれば、今頃俺の身体は真二つに切断されていたらしい。想像しただけでも血の気が引いていく。
俺は恨めしい視線をエヴァに送るが、彼女は特に何の反応も示さない。どうやら、これくらいのことは我慢しなければならないらしい。
「本当に……、やってらんねえ……、な……」
未だに呼吸が戻らない中、俺は地面に掌を付きながらゆっくりと立ち上がる。地面に唾を吐き捨てると、波紋のようにじんわりと赤が拡がっていく。
俺はその赤い唾液を見て、ふと思い出す。そう言えば、俺は血を操る能力を使えるのではなかったか……。
俺はゆっくりとその唾液に向けて掌を差し出し『動け、動け』と念じてみる。
皆が俺の様子を、黙ったままジッと見つめている。現実世界なら、完全に痛い奴に見られているだろう。けれど、今目の前にいるのは機械たちだ。
俺は彼女たちの視線を受けたまま、ただジッとエヴァの言葉を信じて念じ続ける。すると、唾液ならぬ血液がゆっくりと球状に形を為し、俺の掌に向けて浮き上がってきたのだ。
「やっぱり、俺は能力に目覚めたんだな……」
俺は自らの掌をジッと見つめたまま、身体の奥底から震えが湧き上がってくるのを感じる。はっきりとした実感はまだないが、異能のような力を手に入れたことに、ようやく異世界転生したことに対して嬉しさが込み上げてくる。
「主ではなく、暴血細菌の力じゃがな」
俺はそんな冷やかしの言葉には耳を傾けることもなく、ただジッと浮き上がる血液の球を見つめ、その血液の球に自らのイメージを送り込む。
すると、俺がイメージしたのとおおよそ同じように血液の球は俺の周りを旋回した。どうやら、まだ細かい動きを操ることはできないようだが、ある程度自分の思う通りに動かすことはできるようだ。
「これがあれば、少しは戦える」
俺は覚悟を決めるように、自らの胸の前で血液を握りしめ、その拳をアザミの方向へと突き出す。
「まだまだこれからだ。覚悟しやがれ」
これくらいで弱気になるような生き方はしていない。俺は負けず嫌いで、往生際が悪いのだ。それくらいの性格をしていないと、エースなんて役割を続けることはできない。
「野球はな、九回の裏ツーアウトからだって逆転できるんだよ。こんな試合が始まったばっかのところで、そのど真ん中に立っていた俺が諦める訳がないだろ」