決意の朝に
「俺は、元の世界に戻れるのか?」
俺の真っ直ぐな眼差しを受けて、エヴァは苦虫を噛み締めたような表情を浮かべると、俺のその眼差しから逃げるように視線を逸らした。
「今のところ、その答えはノーじゃ。時空軸を戻してやるだけなら、エネルギーさえ貯めることができれば可能じゃ。じゃが、お前を元の世界に戻すということは、時空軸だけでなく時間軸も動かす必要がある」
「時空軸?」
「この世界にはx軸、y軸、z軸と呼ばれる三次元に加えて、時空軸、世界軸、時間軸という三次元があるのじゃ。前者を『縮三次元』、後者を『拡三次元』と呼んでおる。要は微視的な次元と、巨視的な次元という訳じゃ。時間軸という縦軸に交わる様に、時空軸と世界軸という軸が存在する」
時空軸や時間軸をはっきりと理解できた訳ではないが、彼女の言葉を聞いて俺も何となく察する。
「そうか……、俺は向こうでは死んでるから……」
エヴァは未だに俺とは視線を合わせようとしないまま、ゆっくりと頷いてみせる。
「そう、死んだ世界に時空軸を合わせれば、主の肉体は恐らく死ぬじゃろう。原理はハッキリとはわからんが、世界の摂理が死んだ者が元の世界に戻ることを許さん。だから、もし主を戻すのじゃとすれば、時間ごと死ぬ前に送り届ける必要がある」
俺は本来ならば、この時点で死んでしまっている。異世界転生とはそういうものなのだ。死んだ人間が、他の世界へと生まれ変わる。生き返れると望むこと自体が間違っている。
「じゃが、時空軸を動かすことができるのなら、必ずや時間軸を動かす方法もあるはずじゃ。じゃから約束をしてはくれぬか?」
エヴァはスッと右腕を上げると、その掌をこちらに向けて差し出す。
「わしは必ずおぬしの帰る道を見つけてみせる。じゃから、お前は、この世界を救ってはくれぬか?」
この手を取れば、俺の退路は完全に絶たれる。そんな簡単に決められることではない。だからこそ彼女も、俺の心が揺れ動いている今、俺の退路を断ちに来たのだ。ここで、彼女の約束に答えなければ、そんな奴は男ではない。
俺は一歩前に踏み出すと、自らの右腕をゆっくりと上げ、自らの掌をエヴァの掌に重ねる。
改めてみると、やはりその容姿は幼女のそれでしかない。けれど表情は容姿とは噛み合わないほどに大人びている。正直、この容姿に貼り付けられるのは無邪気な笑顔くらいのものだろう。
俺はゆっくりとその掌に力を入れて、彼女の掌を握りしめる。
「これでわしらは、お互いのためにお互いの命を懸ける運命共同体、といったところか……」
エヴァは機械とは思えないような、慈悲深く優しげな笑みを吐息混じりに浮かべる。こんな世界で、こんな笑みを浮かべられれば、何故か全てから許されたような気持ちになりそうだった。
「俺の未来はお前に託した。だからお前の未来は俺が切り開いてやる」
俺もその笑みに答えるように、少しだけぎこちない強気な笑みを浮かべる。言葉だけの契約だったとしても、他人の命を預かるということの重みに、意外と負けそうになってしまっている。
俺のぎこちなさに気付いたのか、エヴァはようやくその容姿に似合った無邪気な笑みを浮かべる。
「ああ、よろしく頼む」
「特殊型とか汎用型って何なんだよ?」
数日後、俺はエヴァと共にレジスタンスのアジトから少し離れた場所に訪れていた。エヴァは俺に渡したい物があるらしく、さらにそれの試行も兼ねるために、廃墟となったビル郡のある荒れ地へと足を運んでいた。
「わしらはオーディニウムという金属で形作られておる。この世界で最も素晴らしい特性を持つ金属で、我々アンドロイドが人間のように振る舞えるための強度と重量を備えておるのじゃ」
エヴァは持ってきたアタッシュケースのような頑丈な箱を開いて、何やら作業をしながら俺の質問に答える。
「そして、その金属にはそれだけには留まらず、素晴らしい特性を備えておったのじゃ」
勿体振るように語るエヴァの機嫌を損ねないように、俺は素直にエヴァに問い掛けることにする。
「どんな?」
エヴァは少しだけ嬉しそうに口端を吊り上げると、作業の手を止めることなく語り始める。
「オーディニウムは他の金属と合金化することで、特別な力を秘めることが判明しとる。例えば、飛躍的に強度が上がることはもちろん、熱を自在に操ることや、磁力を発生するものなど、その種類は多岐にわたる」
現在エヴァの指は両手合わせて二十本になっている。一本の指が二本ずつに別れると、現代のパソコンのキーボードのようなものを凄まじい速度で打ち込んでいく。こういう姿を見るとエヴァが機械なのだと思わざるを得ない。
「そんなことができるんなら、全員その合金化されたオーディニウムだっけか……、それを使って製造ればいいんじゃないのか?」
俺の質問にエヴァは指の動きを止めることなく、頭だけを左右に振る。二十本の指を動かしながら平然と他の動きをするなど、どんな脳の動きをしているのか、凡人の俺には全く理解ができない。いや、彼女の場合、脳ではなく人工知能だったか。
「じゃが、オーディニウム合金にはひとつの問題点があるのじゃ」
わざわざ勿体振るように、一度唇の動きを止めてこちらを一瞥するので、俺は期待通りに困った表情を浮かべてやる。
「オーディニウム合金には、人工知能からの電気信号との適合性が存在するのじゃ。ちなみに言っておくが、全く同じ人工知能は製造不可能じゃぞ。人工知能は人間と同じように個性が存在する。どの器官がその要素を司っているのか、それすらも明らかにはされておらんが、奴らを見れば個性が存在することは納得できるじゃろ?」
先程まであれほど欲しがっていたくせに、急に自分から質問項目を減らしにきたエヴァに、質問を準備していた俺は少したじろぎながらエヴァの次の言葉を待つ。
「じゃから、オーディニウム合金を組み込めるアンドロイドのことを『特殊型』、そしてオーディニウムのみで構成されたアンドロイドを『汎用型』と呼んでおるのじゃ」
その言葉と共に、少しだけ強いクリック音を発てて、キーボードの打ち込みを終えると、「よしっ」と満足そうな表情を浮かべながら、エヴァの指が十本へと戻っていく。
「例えば、ヴィンセントは『拡大・縮小』の能力を持ったオーディニウム合金で製造られておるし、アザミは『脚部強化』のオーディニウム合金で製造られておる。まあ、アザミはかなり一般的な特殊型じゃな」
一般的な特殊型という、矛盾混じりの言葉に釈然としない表情を浮かべながら、俺は数日前の戦闘を思い出す。
確かにアザミはすべての攻撃を脚部で行っていた。唯の蹴りで、まるで刃物で首を切り裂いたかのように、相手の首を吹き飛ばし、敵を蹂躙していた。
そしてヴィンセントもまた、腕の部分から突如重火器を産み出して攻撃していた。あれは、縮小されて収納されていた重火器を拡大していたのだろう。
「じゃあ、もし適合性のないオーディニウム合金を組み込むとどうなるんだよ」
エヴァは開いていた箱をそそくさと片付け始め、俺には目もくれずに唇を開く。
「動かんに決まっとるじゃろ。そこにあるのはアンドロイドではなく、ただの人形じゃ。オーディニウム合金に対して適合しない人工知能を使用しても、電気信号が途中で遮断されてしまうのじゃよ」
今回の質問はあまりお気に召さなかったらしい。感情の色が見えるのは嬉しいが、エヴァはあまりにも感情が見えすぎる気がする。まあ、回りとのギャップに敏感になりすぎているだけかもしれないが。
「よしっ、完成じゃ」
そう言って立ち上がり両手で広げたのは、漆黒の全身タイツのようなもので、所々に電子部品の淡い発光が見られる衣服だった。よく見ると様々なところに、麺類を束ねたような、繊維を纏めた部分が目立つ。
肩の部分を掴んで拡げられた、恐らくパワードスーツなるものは、足の部分が完全に地面に垂れていた。しかし、そんなことはお構い無しという風に、エヴァは俺にそれを見せつけるように付き出してくる。
「どうじゃ、カッコよいじゃろ?主がアンドロイドと戦うためにはこういうものが必須じゃからな」
こうやってはしゃいだ表情を浮かべていると、見た目の年相応に見えるのだが、目の前にいるこの幼女は、本当は幼女でもなんでもなく、自分よりも千歳くらい年上のアンドロイドなのだ。
「でも、なんかコスプレみたいだよな……。本当に俺がそれを着るのか?」
相手が年相応に見えると、どうしても少しだけ意地悪をしたくなってしまう。だが、素直に受け取ろうとしない俺に対して、エヴァの表情は一気に幼さを失い、パワードスーツを畳もうとし始める。
「そうか、ならこの話は……」
「ちょっと待ったああああああ!!着るから、俺が悪かったから」
俺はエヴァの言葉を最後まで聞くことなく、かなり食いぎみにエヴァの行動を止めにかかった。本当は凄く着てみたかったです。
漆黒のパワードスーツとか、俺の厨二心をくすぐらない訳がないし、だいたいエヴァが言ったように、この世界で生き残るなら絶対にこういうのが必要になるに決まっている。
俺が半分泣きそうな顔になりながらエヴァに懇願すると、エヴァは勝ち誇ったような顔を浮かべながら、俺に向けてパワードスーツを差し出してくれる。
「まあ、そこまでお願いされれば仕方がないかのう」
なんだか幼女にしてやられた気分で、多少腹立たしいところはあるが、ここは黙って従っておくに限る。本当にこれを没収されてしまっては、俺の命に関わってくるかもしれないのだから。
俺は涙目でエヴァからパワードスーツを受けとると、マンガなんかでよく見たフォルムに、心の奥底から熱い何かが込み上げてくる。これを着て戦えるのなら、少しは異世界転生をされた甲斐があったかもしれない。
俺がパワードスーツに見とれていると、背後の少し遠いところから、どこかで聞いたような声が鼓膜を震わせる。
「エヴァ博士、お待たせしました」
俺が咄嗟に振り替えると、そこにいたのはアザミと見たことのないお姉さんだった。それにしても、アザミが何かを抱えているのだが、あれは一体何なのだろう。
アザミが抱えていたのは、アザミの半分くらいの身長しかなく、けれど、それはしっかりと人間の形を模っていた。現代のゴスロリと呼ばれるような服装に身を包んでおり、遠目で見たそれは愛玩人形にしか見えない。
「おう、わざわざ時間をとらせて済まんの」
エヴァは手を挙げながら、アザミたちのことを迎え入れると、今度は俺へと視線を移す。
「こやつに戦闘の基礎を叩き込んでほしいのじゃ。このままでは、せっかくの力が宝の持ち腐れじゃからな」
俺と話していたときとはどこかが異なる、言ってしまえば用件だけを端的に伝えるような会話が繰り広げられる。これが、アンドロイド同士の会話なのだろう。
そういえば、俺がどうしてこんな廃墟に来ているかと言えば、先程エヴァがアザミに頼んだように、俺の戦闘訓練を行うためだった。そのときに、特殊型のアンドロイドに頼んだ、という話が出たので、俺とエヴァはああいった会話をしていた訳だ。
「わかりました。程度はどのくらいに設定しますか?」
俺はまた、無意識のうちに拳を握りしめていた。自分が考えすぎていることはわかっているが、それでも違和感を簡単に受け入れられるほど、人間は便利にできていない。
「数日で戦場に立てる程度にしてくれ。元々の基礎体力はそれなりにあるはずじゃから、死なない程度にやってくれて構わん」
アザミをジッと見つめながら二人の話を聞いていたせいで、思わず聞き逃しそうになったが、なんだかエヴァが物騒な言葉を口にしたような……。
「ちょっと待て……。何物騒なこと言ってんだお前。俺だって初心者なんだからそれくらい……」
「なら、本当に死ぬか?」
「うっ……」
俺の言葉を最後まで待たずして、エヴァは俺に問い掛ける。現実と言う名の刃を突きつける。そこには冗談もふざけた様子も微塵も感じられない。
俺は言葉を失い絶句したまま、苦虫を噛み締めたような表情を浮かべてエヴァの真っ直ぐな眼差しを見据える。
何も冗談で言っている訳ではない。ここはそういう場所なのだ。命など容易に失われる。そういう世界に他ならないのだ。
静寂の時間が流れていく。誰も言葉を発しようとはしない。いや、皆が俺の答えを待っている。それが、彼らが出した最善の策なのだ。
口で言うのは簡単だ。言葉にするだけなら、誰だってできる。しかし今は、口にした全てが自らの責任として返ってくる。ここで「頼む」といえば、俺が現実世界で行っていた野球の練習などとは比べ物にならない訓練をさせられるのだろう。
けれど、エヴァの言うことだって嘘ではない。それくらいのことができなければ、戦場では一瞬で死んでしまうのだろう。それくらいの想像力は俺にもある。
俺は歯を食い縛りながら俊巡する。その答えに全ての責任を掲げて……。
「わかった……。俺を数日の間に戦えるだけの身体に鍛え上げてくれ」
俺の答えは前に進むことだ。これは俺の身体だけに限ったことではない。先日決心したところなのだ。簡単に諦めず、足掻いてみようと……。
「……だそうじゃ、やってくれるな?」
エヴァはその姿に似合わない優しげな笑みを浮かべながら、アザミへと振り向き様に念を押す。アザミは答えなど決まっているというように、表情を一切変えることなく「はい」と返事をする。
相変わらず無表情なアザミに未だ拭いきれない違和感を覚えながらも、俺はアザミへの前へと立ちはだかり手を差し伸べる。
「よろしく」
向き合うと、立ち向かうと決めたのだ。これくらいのことができなくてどうする。相手は確かに機械かもしれない。それでも、彼らも必死に生きる『生物』に他ならない。
自らの意思を持ち、何かに抗うことができるものである彼らを『生物』と呼ばずしてなんと呼ぶ。彼らは、俺たちと変わらない生物なのだ。
アザミは一瞬の間を経た後に、俺の手を握り返した。どうやら、握手という行為は人工知能の中にプログラミングされていたらしい。
「よろしくお願いします」
そして、俺の地獄の特訓が始まった。