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異世界転生は突然に


 ジリリリリ……。

 蝉の鳴き声がまるで海のように辺りを包み込む暑い夏の日。俺は戦場のど真ん中の頂点で、夏の焼けるような日差しを浴びながら、目の前の仲間の次の指示を待っていた。

 戦場なんて大げさに言ってみたが、別に戦争をしている訳でも何でもない。

 ただ、戦争でなくても、俺にとってここは戦場だった。たった一度の行動で、俺の今までの努力が死んでしまうかもしれないのだ。これを戦場と言わず何という。

 それにしても今日は暑い……。いくら夏と言えど、今日の暑さは異常だ。そう言えば朝のニュースで今日は今年で一番暑い日になる、みたいなことを言っていた覚えがある。

 どうにも集中できていないらしい。こんな余計なことばかり考えていては、勝てる戦いも勝てなくなる。

額を流れる汗が目に入りそうになって鬱陶しい。集中しなければ、と思えば思う程余計なことを考えてしまう。

 たったの一球でいいのだ。それさえ決めてしまえば、この戦いは俺たちの勝ちで幕を閉じることができる。

 しかし、その一球があまりにも遠すぎる。目の前の敵は、まるで陽炎のように姿が揺らいでいる。

 視界が定まらないのは何故だ。俺がこんな暑さに負ける訳がない。これまでどれだけ練習してきたと思っているのだ。

 そういえば、今日はあんまり水分を取っていなかったかもしれない。もしかしてこの視界の悪さはそれが原因か。なら、早く終わらせて水分を取らなければ。

 ダメだ……。たった一球にどれだけ思考を巡らせれば気が済むんだ。

 もういい……。この指先から、この白球を放ってしまえさえすれば、この苦しみから解放されるのだ。もう考えたって何も変わらないのなら、さっさと終わらせてしまおう。

 ゆっくりと脚を上げていく。これは本当に自分の脚なのかわからなくなるほど脚が重い。

 脚を踏み出し、弓のように胸を張りながら身体が勢いを伴って前進する。白球を握りしめた腕が身体を追うようにして勢いよくしなりながら前に出る。

 何度も擦り切れて、すっかり固くなった俺の指先から白球が凄まじい勢いで放たれる。視線の先の回転する白球は、赤く染まった縫い目が四本。

 あの白球が仲間の胸に届いたとき、この戦いは終わる。これまでの努力の全てが報われる。もう十分だ。あとは遊びながらゆっくり大学生活を謳歌しよう。大学まで続けるなんて、よく頑張った方だ。

 夏の陽射しを浴びて白光を放つ金属の棒が、白球に襲い掛かるように振り下ろされる。

 マスクの裏に覗く仲間の表情が、青ざめるように血の気が引いていく。その表情の意味を俺は理解できないまま、それでもこの先に何が起こるのかだけは、遠ざかりそうな意識の中でも理解していた。

 俺が放った白球は、白い板のど真ん中を通り抜けようとする寸でのところで、甲高い金属音を発てながら金属の棒に襲われた。


「あっ…………」


 俺は呆けたような声を漏らしながら、その光景をまるで客間から舞台の上でも眺めるような客観的な感覚で眺めていた。

 白球は、見る見るうちに大きくなっていく。白球の大きさなんて変わるはずないのに、どうして大きくなっていくのか、そんなことを思いながら、俺はその光景を呆然と眺め続けた。

 あまりの暑さに、もう考える頭など残っていなかった。遠ざかる意識の中で、仲間の悲鳴のような叫び声だけが耳にこびりつくように聞こえていた。

 俺は凄まじい鈍痛と共に、真っ暗な海の中へと沈んでいった…………。





「……っつう…………」


 俺は頭を抑えながら目を覚ます。布で覆われた金属の塊に頭を打ち抜かれた記憶から頭を抑えてみたのだが、どうにも痛みを感じることはない。

 あれはやはり夢だったのかと思いつつも、ふと周りを見渡すとそこは真っ暗で何もない、所謂『無』の世界だった。


「はっ…………?」


 あまりの衝撃に突っ込みどころかリアクションを取ることすらできなかった。


「俺はさっきまでマウンドの上に立っていたよな……。なんだこれ?夢か?」


 というかこれが夢じゃなければなんだというのだ。こんな『無』の世界がこの世にあるなんて俺は知らない。

 一先ず、恐る恐る周りに手を伸ばしながら何かないものかと確認してみるが、何度手を伸ばしてみても、空を掴むだけで何も得ることはできない。

 夢というにはあまりにも意識がはっきりとしすぎている。けれど、この現状を現実と言うにはあまりにも現実味がなさすぎる。


「もしかして、俺死んだのか……」


 色々と思考を巡らせれば巡らせるほど、そういう結論に至ってしまう。

 野球は十分に楽しんだし、これからは野球以外のことに取り組みながら楽しく人生を謳歌していこうと思っていた矢先に、まるで野球が離れることを許さないように、俺の命は奪われてしまった。


「ふっざけんなよ。残りの大学生活は、色々と趣味に没頭したりしながら、合コンしたりして彼女を作って、それなりの企業に就職して、楽しく過ぎていくはずの俺の人生計画がああぁぁ……」


 俺は頭を抱えながら、悲鳴にも似た叫び声を上げる。こんなところで終わるなんてあんまりではないか……。

 まだ彼女の一人も作ったことがないのに、まるでヤンデレ彼女の『野球ちゃん』を振ったら、そのまま鈍器で頭を殴られて死んでしまった、みたいなヤンデレ死亡ルート。


「まだ終わってないゲームとか、続きが気になるマンガとかいっぱいあったっていうのによぉ」


 俺は野球をする傍ら、野球を忘れたいときや休日のゆっくりしたいときには、そう言った娯楽に興じていた。

 そんな訳で、まだ確定した訳ではないが、恐らく俺はこんな未練タラタラのまま死んでしまったらしい。いずれはマウンドの上に化けて出てやらねばならない。


「それにしても、死んだら地獄か天国があるんじゃなかったのか……。なんだここは……?」


 独り言だとわかっていても、声を発していなければ心細くて仕方がない。自分でも無意識の内に声量が大きくなっている気がする。

 俺は仕方なく一歩踏み出し、辺りを探索することにする。ここで留まっていたところで、事態が好転することは無さそうだし……。しかし、もしかすると、この状況がこれから無限に続いていくのかもしれない。そう考えると、あまりの寒気に身震いすら感じる。

 一歩を踏み出すが、自らの足音すら聞こえない。波すら感じられない無の世界。もしかすると、声も実は出ていないのかもしれない。ただ生前の記憶が、こうすればこういう音が聞こえると、勝手に認識しているだけなのかもしれない。

 本当に何もない『無』の世界。温度を感じることも、音を聞くこともできない。歩けば歩くほど、自分が独りしかいないという事実を突きつけられているようで、心細さが増していく。


「おい……、誰かいないのか……。いるなら返事してくれ……。だれかぁ……」


 今にも泣き出しそうな気弱な声を漏らしながら、歩みを進める。だが、歩くほどに自分がやっていることの無意味さを思い知り、その歩幅が着実に狭まっていく。


「頼むよ……、誰かいるんだろ。お願いだ、返事をしてくれ……」


 孤独というのがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。普段から野球をしない時は、家に引き籠って独りの時間を謳歌していたから、孤独はむしろ好きな方だと思っていたが、『無』の中の孤独はあまりにも苦し過ぎた。

 涙は出るのに目頭に熱を感じない。涙を拭ってみても温度は感じず、ただそこに流体が存在するということしか感じることはできなかった。

 もう心が押し潰されそうになり、全てを投げ出してしまおうかと諦めかけたその時、俺の前に一筋の光が差した。その光には、まるで無の世界から自分を引きずり出してくれたような暖かさがある。

 俺はその一筋の希望に向けて、すがりつくように掌を伸ばす。その光が差しこむ先に、人の形をしたシルエットが浮かび上がり、どこからともなく声が響き渡る。


「目覚めなさい、迷える子羊よ」


 そんな慈悲深いお言葉とは裏腹に、まるでアニメ声のような高くて幼げのある声が耳を撫でていく。鼓膜が震えるその感覚に懐かしさすら感じる。

 光の先に視線を向けるとそこには、白い衣を身に纏った美少女がいた。桃色の髪は少し低い位置で、左右に結わえられており、顔は幼さを残した少しだけふっくらとした頬に大きな瞳。

 まるで、二次元の美少女を体現したような姿がそこにはあった。しかしこのときの俺は、身なりがどう考えてもおかしいことに、あまりの安堵から気付くことができなかった。

 自分以外の誰かがいたというあまりの嬉しさに、その美少女を女神でも見るような恍惚とした視線を送りながら見つめていると、少女は少し苦い顔をしながらこちらへと歩み寄る。


「何をそんなに呆けた顔でこっちを眺めとるんじゃ。そんなに寂しかったのか?」


 美少女の割に、話し方は以外とおっさんみたいだな、という失礼な感想を抱きながら、膝をついて涙目で少女を見つめていた。そんな少女は俺の目の前まで辿り着くと、腕を組んで見下ろすような位置を陣取る。


「あんた、何者なんだ?」


 感情をようやく抑えることに成功した俺は、ひとつの疑問を投げ掛ける。

 少女はなんだか偉そうな笑みを浮かべると、少しもったいなさげに間を置いてから、ようやくその可愛らしい小さな口を開いた。


「わしは女神じゃ!!死んでしまった主を、別の世界へと送り込むためにここへ来たのじゃ」


 それにしてもこの話し方だと、女神の威厳みたいなのが欠片もないな。女神らしかった登場シーンは一体……?


「そのしゃべり方で女神って、なんか俺の女神像がぶち壊しなんだけど……」


 少し不貞腐れたような態度を取りながらそこまで言ったところで、俺はあることに気がついた。

 死後の世界に女神……。まさか、これは……。夢にまでみた、あの展開では無いのか……。


「もしかして、異世界転生か……。あれって本当に起こるもんなのか?ただの妄想の産物じゃなかったのか?」


 そんな感じで、今度は興奮し始めた俺を、少女は少し引き気味な表情で眺めながら、面倒臭そうに応える。


「ああ、それそれ。異世界転生じゃったか?そんな感じじゃ……」


 あまりにも投げやりな態度に、少しだけ心が痛む。そういうものを知っている者からすれば、これほどに盛り上がる展開はないのだ。

 俺がそんな少女の態度に少しだけ腹を立てていると、少女がボソッと小言を漏らす。


「もっと立ち直れなくなるまで放っておいた方がよかったかの?どうにもこういうのは面倒で嫌いじゃ」


 放っておいた方が……、それを耳にしてしまった俺は、もう口を出さずにはいられない。まさか、あの状態の俺を、あろうことかどこかで眺めていたとでもいうのか?


「お前、どこから見てたんだ?」


 立ち上がった俺は鬼気迫る表情で、今度は少女を見下ろすように睨み付ける。少女は『しまった』と言わんばかりの苦い表情を浮かべると、気まずそうに人差し指で頬を掻きながら、貼り付けたような笑みを浮かべて応えた。


「えっと……、主が目覚めて辺りをうろうろとしていた辺りから……」


「って、最初っからじゃねーか!!」


 もう突っ込まずにはいられなかった。たぶん、食い気味で突っ込んでいたと思う。女神のようなとか言っていたけど撤回だ。この女ただの無慈悲で非道な人でなしだ。


「しょーがないじゃろ、面白かったんじゃから」


「なんもしょーがなくねーよ!!こっちは心細くて、そのまま死んじまうかと思ったんだぞ!!」


「主はうさぎか!!寂しくて死ぬ人間など、聞いたこともないわ。だいたい、この世界では死という概念など存在せぬわ」


 その言葉に時が止まったかのように俺と少女が向き合う。

 勢いよく突っ込んでいた俺も、この言葉には一呼吸置かずにはいられなかった。


「死の概念が存在しないって、どういうことだよ?」


 少女は俺が多少落ち着きを取り戻したことを確認すると、背を向けて少しだけ離れていく。


「死というのは肉体があって始めて成立する概念じゃ。けれど、今の主にはその肉体がない」


 そんなことを言われて、俺は慌てて自分の身体を確認するが、そこにあるのはこれまで二十年以上を共にしてきた四肢だ。


「肉体が無いって?なら、ここにある俺の身体は一体何なんだよ?」


 彼女は首だけをこちらに向けて応える。


「それは主の記憶が魅せている幻じゃ。わしには主の姿など見えておらん。ただ、ふわふわと飛び交う光の球が見えているだけじゃ」


「ええええええええぇぇぇぇぇぇぇ……」


 驚きのあまりに叫ぶしかなかった。それにしても、そんな状態になっても声だけは聞こえているらしい。さっきから会話は成り立っているのだから、それは間違いない。


「主の意識は、時空の狭間に迷い込んでおるのじゃ。だからそんな主を、わしが救いに来てやったのじゃ。主が望むのならば、その時空のズレを直して、肉体のある身体に戻してやる。どうじゃ、悪い話ではないじゃろ?」


 まあ、正直何を言っているのかさっぱりわからなかったが、異世界転生をさせてくれると言うのなら、願ったり叶ったりな話だ。

 中世ヨーロッパ風の街並みの中に、ダンジョンがあったりしながら、モンスターに襲われている女の子を助けて、いずれはハーレム生活になり……。

 想像するだけでテンションが上がる。異世界転生をさせてくれると言うのなら、これから先の楽しい人生を投げ捨ててでも行く価値はある。


「わかった。俺を異世界に連れていってくれ!!」


 俺は彼女の誘いに乗ることにした。どうせ死んだ身体なのだ。ここで彼女の誘いを断れば、この無の世界でこれから無限に過ごさなければならないかもしれない。そんなの真っ平ごめんだ。


「ふっ……、そう言ってくれると思っとったぞ。よし、ならば善は急げじゃ。早速意識の定着を始めようではないか」


 本当に彼女が何を言っているのかわからない。俺はここから魔法陣とかが出て来て、魔法で異世界へと飛ばされるのかと思ったが、そんな様子は欠片もない。

 彼女は白い衣に付いていたポケットを漁り始めると、そこから何やらスイッチのようなものを取り出す。そういえば、先程から白い衣とか思っていたが、落ち着いて彼女を観察すると、確かに白い衣ではあるが、あれは……。


「では、あとは残り短い旅路を楽しむがよい」


 彼女はポケットから取り出したスイッチを押すと、俺の身体は急激な浮遊感に襲われ、身体の自由が効かなくなる。

 やがて、何かに吸い込まれるように身体が浮かび上がり、彼女が俺の脚先よりも下になる。

 そんなことよりも、彼女が身に纏っているものを俺は知っている。あれは女神なんかが着るものではない。確かに白い衣だが、あれは白衣だ。いや、漢字で書くと本当にわからないが……。


「お前、絶対女神とかじゃねーだろ!!」


 俺は遠ざかっていく彼女にどうしても、一言言ってやらないと気が済まなかったのでそう叫ぶと、彼女は含みのある笑みを浮かべながらこう言った。


「さあな?わしが何であるかなど些細なことじゃ」


 なんだか急激にこれから先に本当に俺が想像しているような世界に行けるのか心配になってきたが、最早考えたところで後の祭りだ。

 俺は光の渦の中に吸い込まれ、身体がまるで無くなっていくかのように、光の中に溶け込んでいく。


「騙したら、容赦しねえからな、この似非女神!!」


 最後に負け犬のような捨て台詞を残しながら、俺の身体は光と同化し、俺の意識は無に還った。

 ぼんやりとした意識の中、まるで心の中に語りかけるようなある声を聞いていた。


『どうか彼らを救ってやってくれ……』


この作品では初めまして。わにたろうです。今回は少しいつもと様子を変えて、SFファンタジーに挑戦してみました。まあ、物語の構成とか台詞回しはそうそう変わるものではないので、自分のスタイルはよくも悪くもそのままだと思いますが、暖かい気持ちで読んで頂ければ幸いです。これも元々新人賞用に書き下ろした物語ですので、15万字、30部程度で完結になると思われます。物語は出来上がっているので、早いペースで更新していきます。気が向いたら一気読みとかでもいいので、覗いて行って下さいね。

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