64.見晴らしの良い場所
「マリー、貴女が連れてきたの?お母様は絶対安静…」
「申し訳ありません。ですが、ソフィアさまもこの場に必要だと判断しまして」
ダイアナの尖った声に、マリーさんは慌てて頭を下げる。
「マリーの判断は正しかった。私はこの場に必要だわ」
ソフィアさまは穏やかに、だけどキッパリと言った。
「元々私たちの先祖は魔法使い。この世界のどこか、この世界以外のどこかに様々な魔法が散らばっていても不思議はないでしょう。…魔法のお菓子なんて面白いわね」
そして、少女のように笑う。
その様子はレヴィ様を思わせた。
「えぇと、お嬢さん。お名前はなんと言ったかしら?」
「アリスです。アリス・エヴァンズです!」
名前を尋ねられ、背筋が伸びる。
「アリス」
ソフィアさまは頷き、
「ライラは抱えてる力が重すぎて、不自由な暮らしをしていました。時折尋ねてくるエヴァンズ先生が彼女の唯一の光だったと私は気づいていたの。エヴァンズ先生がライラを幸せにしてくれると、視えていた。だから駆け落ちは成功したし、2人を探すことはしなかった」
…そうだったんだ。
ダイアナはこの話は初耳だったらしく、目を見開いた。
「お母さまは知っていたんですか?」
「そうよ。知ってて行かせた。自由になったあの子は幸せに暮らせたのね。アリス、貴女の姿を見たらそうであることがわかります」
「…」
じんわりと涙が滲んでくる。
わたしの肩に置いたリアンの手からも暖かさが伝わってきた。
「ダイアナ。貴女には苦労させたと思ってます」
ソフィアさまは次にダイアナを真っ直ぐに見つめた。
「ライラがいなくなり、私が老いて、貴女は1人で《運命の女神》を背負うことになった。肩に力を入れて、《運命の女神》を守ろうとしている。…でもそんなに頑張らなくていいのよ。私たちは《女神》なんかじゃなくて、街の相談役、それでいいの。本当は」
「…お母さま…私は…!」
ダイアナはそれだけ言うと、泣き出す一歩前の表情で唇を噛み、感情をこらえた。
「さあ、ここからは母娘でこの先の事を相談するわ。貴女たちはここを去り、自由に生きていきなさい。アリス、お菓子屋さん、会えて良かった」
「ソフィアさま…。わたしも会えて良かったです」
「…あのぉ、1ついいですか」
胸がいっぱいになってると、リアンが片手を上げた。
「魔法が効き過ぎてしまって…実は水位が上がってます」
「えっ?」
本当だ!
いつの間にか水は私のお尻まで上がってきている。
「申し訳ないですが、屋敷の窓や扉を開けて、水を外に出して下さい」
「あら大変。ダイアナ、マリー、手配を」
すぐさま屋敷の者たちがバタバタと動きだす。
「あっ!」
元々体の調子が良くないわたしは、足の力が抜け、バシャンと水の中に沈んでしまった。
「アリス!」
リアンが掴んでくれて顔を水面に出すことはできたけど、わたしたちの体は水に流され、ホールを出て、廊下まで流れていく。
この水、どうなってるの?
デイジーの魔法が凄いのか、この世界との相性でこうなってるのか。
そして固く閉ざされた玄関のドアまで流されてきてしまった。
ドアよ、開いて!
強く念じると自動扉のようにするりと開き、わたしたちは水ごと屋敷の芝生に投げ出された。
ぐしゃっ、どしゃっ、そんな音がした。
振り返ると出てきた扉や窓から水が出ていっている。その水量はどんどん減り、勢いがなくなっていったので、屋敷内沈没は防げたようだ。
「はぁ…はぁ…」
ホッとしたこともあって、わたしの体の力も抜けていく。
「アリス、大丈夫ですか?もうその力も解いた方が…」
「ううん、もっと遠くに移動できるまで。もし…何かあったら自分とリアンを守れない」
「私が自分とアリスを守りますよ」
リアンは私に背中を向けた。
「さあ、乗って。見晴らしいいですよ」
「え…わたし、でも、ずぶ濡れですよ?」
「私も一緒です」
迷ったけど、自分の足で歩くのも大変だ。
わたしは広い背中に体を預け、子供のようにおぶさった。
リアンが言うより、見晴らしが良い。
世界が違って見える。
そして屋敷内の庭を横断していると。
「…はぁ、やっと見つけたぞ」
わたしたちの前に男の人が現れた。
カーキ色のパンツに筋肉ではち切れそうな白いTシャツ。
それに不似合いな黒のシルクハット。
な、なんだろ、このマッチョな男性は…??




