5.閃きと逃走
「なんでしょう?」
見上げると、口髭のある細面の男は、ヘタクソな作り笑いを見せた。
「美味しいお菓子屋について、何か知らないかな?」
「美味しいベーカリーショップなら知ってますけど。良く行くんです」
「お菓子屋は?お菓子屋は知らないかい?女の子は甘いものが好きだろう?」
男性はするりと馬から降りた。
「お菓子屋さんですか…?」
なんでこの男性はこんなに顔に汗をかいてるんだろう?
声もわずかに震えている。
「噂を耳にしたことはあるだろう?不思議なお菓子で領主さまの娘さんの病気が治ったと」
「噂は確かに聞いたことがありますけど…わたしにはよくわかりません。ごめんなさい。失礼します」
わたしは頭を軽く下げると歩き出した。
「待ってくれ。これから《女神》の屋敷で少し話を聞かせてもらおう」
男はわたしの腕をギュッとつかんだ。
「何するんですか!離してください!」
振り払おうと腕を上下に動かしても、男の手はぴったりと付いてくる。
「…実は屋敷を出る前に《女神》に視てもらったんだ。ここで出会う少女が大事な鍵を握ってるって」
そうか、予言通りにわたしが現れたから興奮してるんだ。
「さあ、馬に乗りなさい!」
男は無理やりわたしを抱きかかえ、持ち上げようとする。
なんとかしなきゃ!
わたしは抵抗しながら、頭をフル回転させる。
「そういえば!」
そして、急いで大きな声を出した。
「思い出したことがあります!」
「何?」
男の手が緩む。
「偶然入ったお菓子屋がありました。そこで、キャンディをいただいたんです。ポケットに確か…」
わたしは男の腕から離れ、白いエプロンのポケットを探る。
「すっかり忘れてしまって…でも面白いんですよ」
わたしは男よりもずっと上手に微笑みを作り、ブルーのキャンディを取り出した。
「なんでも…不思議な力が湧いてくるキャンディだとか」
「それは本当か!」
「お試しになってみません?」
わたしは髭に隠れた口に素早くキャンディを押し込んだ。
男は目を丸くして…そしてそのギョロッとした目から涙が滝のように溢れ出してきた。
「な…?こ、これは…?」
今がチャンスだ。
わたしは弾かれるように走り出した。
気持ちだけが前に進んで、足が絡まりそう。
舗装されている道から脇道にそれて、また草や木々の間をかき分けて行く。
どこへ行こう?
どこへ行ったらいい?
お菓子屋さん!!
「おーい、アリスさぁん」
泣きそうになっていたわたしに緊張感のない呼びかけがあった。
「アリスさん、こちらですよ」
左側の木々から、黒い帽子がひょっこり顔を出した。
「お菓子屋さん!どうしてここに!」
わたしは彼に駆け寄った。
ホッとしたこともあって、その右腕を両手で強くつかんでしまう。
「アリスさんの忠告もあったので、しばらく店を離れて仕入れの旅に出ようと思ったんです。なんだか大騒ぎですよねぇ」
そののんびりした言い方にわたしの方が焦ってくる。
「わたしも逃げなくちゃ。《女神》の屋敷に連れて行かれちゃう!わたし、わたし、あのキャンディも使ってしまって…」
予言通りに現れた少女が変なお菓子を使って逃走したとなれば、大問題だ。
そして屋敷に連れて行かれて、わたしが駆け落ちしていなくなったライラの娘だとバレたら…?
ダイアナさまはどう出るだろう…?
父の立場はどうなるんだろう…?
逃げるのに必死で、その後の事は何も考えてなかった。
馬鹿だ…!最悪だ…!
店主は右腕をつかんでいるわたしの手に自分の左手を重ねた。
「では、アリスさん。アルバイトとして私の仕入れを手伝ってくれませんか?」