40.水面
「…まったく。あの花火を見ていたら、なんだか急に胸騒ぎがしたんです。嫌な予感というのか」
コナーは乱れた金茶色の髪の毛を右手で撫で付けた。
「それで急いでここに向かったわけなんですけど…予感は当たってた様ですね」
そして、黒縁眼鏡を人差し指で押し上げるとニッコリ微笑む。
「…有能な方なんですねぇ」
リアンがのんびりした調子で言うと、すぐさま笑顔を引っ込めて鋭い眼差しを向ける。
そして足元を見やり、
「凄い量の水ですね。誰が掃除すると思ってるんだか」
と片足で水面を蹴る様にして音を立てた。
「お嬢さん、わざわざ彼を助けに来たんですか?泣かせますね、そういうの」
全く心がこもってない台詞を彼はつぶやく。
「ハワード氏のところにいれば、私たちも手出し出来なかったのに。それでもこうやって1人で乗り込んでくる。男冥利につきますね?」
「そうですね」
リアンは涼しい顔で答え、コナーは片方の眉毛を上げる。
張り詰めた空気にわたしは呼吸するのも苦しくなった。
オーウェンさんからいただいたコンパクトをぎゅっと握りしめる。
「…貴女をあの時、一緒に拘束しておけば良かったかも知れませんね。少々乱暴になりますが、こんな風に」
言うが早いか、コナーは指先をわたしに向けた。
指先から電撃のようなジグザグした光が向かってくる!
「!?」
バチン!!
その光はわたしのすぐそばで、大きな音をたてて消滅した。
「…え?」
わたしは目を丸くし。
「…なんだ?」
コナーも驚いて自分の指先を見つめている。
その表情はいつもより子供っぽく見えた。
「アリス。今の瞬間、瞳の色が紫に戻りました」
「え!」
リアンに指摘され、コンパクトを見ると確かにいつもの薄紫の瞳に戻っていた。
コナーの魔法を弾いたのは青い瞳の力…?
あぁ、考えるのは後だ!
わたしはコンパクトの鏡を水面に向けた。
水面の一部がスポットライトを浴びたように丸く光った。
あの場所から帰るんだ!
「リアン!」
リアンもすぐ察したようだった。
わたしたちは丸い光へジャンプする。
床があった筈なのに、わたしたちの体は沈み込む。
「くそっ!」
コナーの悔しそうな声が遠くに聞こえた。
そして。
わたしたち2人は不思議な空間に降りたった。
前後左右、上下。
揺らめく薄い水色の膜に囲まれた世界だった。
「鏡での移動は一瞬ですけど…水を使った形だとそうはいかないみたいですね」
声が少しエコーがかかったように響く。
なんだか方向感覚がおかしくなってしまいそうだけど、このまま進んでいいのかな…。
「アリス、コンパクトを開いて下さい」
リアンに言われるまま開くと、白い光が前へと一筋に伸びていく。
「この光の通りに進むといいみたいですね」
「どうしてわかったんですか?」
「勘です」
リアンは楽しそうに笑う。
「いずれ皆のところへ着くでしょう。それまでお散歩ですね」
わたしは頷き、これまでの事を話した。
オーウェンさんとドム爺さんに凄くお世話になったこと、デイジーと意見が別れてしまったけれど、最終的には力を貸してくれたこと。
リアンがマフィンをあげて、力を貸してくれたカレブ、元・窃盗犯のブルーノさん。
そして、マダム・グレース…。
リアンは興味深そうに、そして恐縮しながらその話を聞いていた。
「リアンは今までどうやって?」
「ファイルに吸い込まれ、あの部屋に送られてからは、ただひたすら時間を重ねていました。食事時にそれを運んでくる人と顔を合わす以外はずっと1人で。
本が何冊か置いてあったので、それを読んだり。後は、アリス、貴女の事を考えたり」
え?
本当に驚いた時は声なんかでないものだ。
わたしはぐっと息を飲んだだけだった。




