26.塔
「ありがとうございました!」
わたしは席を離れるご夫婦に声をかけ、テーブルの上の空のお皿に手を伸ばす。
身につけているのは白い襟がついた、黒いワンピース。
オーウェンさんのホテルで働く従業員の制服だ。
お世話になってる代わりに働きたいとお願いして、レストランでの仕事やベットメイキング、掃除などをさせて貰っている。
鏡魔法士であるオーウェンさんは特別な存在なので、鏡で逃げて行ったわたしを探しに、コウモリたちがここにやってくる事はないと言っていた。
「聖域なんです」とイタズラっぽく片目を閉じながら。
リアンの事を思い出すと胸が締めつけられ、あれ以来会っていないデイジーを思うと心がざわめくけれど。
今、わたしにできる事は目の前の仕事をきっちりとこなすことだ。
「アリスちゃん、お疲れ様〜」
「お疲れ様です!」
ここで働くスタッフはわたしが異世界の者だと知ってるけれど、普通に接してくれている。
いろんな訳ありのお客さんたちを見ているからかも知れない。
今日の分の仕事を終え、休憩室で夕食の賄いを食べていたら、オーウェンさんが顔を出した。
「アリスさん、お疲れ様」
「お疲れ様です、オーウェンさん」
「ご飯を食べたら、ちょっといいかな。話があります」
声のトーンが抑えめで、わたしはハッとした。
「もしかして何かわかったんですか?」
「休憩室を出たら、左の突き当たりにあるドアを開けて。そこにある鏡を通ってきて下さい。アリスさんが通れる様にしておきます」
オーウェンさんは質問には答えず、それだけ指示すると休憩室を出て行った。
わたしはフォークを握り直し、賄いを口に運んでいく。
味はもう何も感じなかった。
食事を終えて左の突き当たりに進むと、白い壁に同化するように白いドアがあった。
普段使用する事もないし、意識したこともなかった。
銀色のドアノブを回すとするりと空き、いつもは鍵がかかってるのかも?と思った。
その先は狭く、暗い空間になっていて、白い縁のついた鏡だけが壁にかかっていた。
わたしは鏡の移動にすっかり慣れていたので、自然にその中へと進んでいく。
ついた先は会議室のような部屋だった。
長いテーブルに沢山のイスがあり、スクリーンのような白い布が天井から垂れている。
そしてオーウェンさんが大きな体を曲げて、小さなイスに座っていた。
「お待たせしてすみません」
「いえいえ。早速ですが、見てもらいたいものがあるのです」
挨拶もそこそこに、オーウェンさんは席をたつと部屋の明かりを消した。
すると白いスクリーンに映像が浮かび上がってきた。
平面ではなく、手で触れそうな立体的な映像だ。
青い海に囲まれた小さな島。
島の真ん中には灰色の石で作られた高い塔が建っている。
そして、光を採り入れる窓の様なものが所々に見える。
緑が生い茂る島の中、その灰色の建物は重苦しい、不吉なオーラを放っていた。
「ここが、そうなんですか?」
「はい。以前話した、犯罪者たちが収容される塔の映像です。コウモリたちは持っているファイルから、こちらへ転移させてるらしいのです」
「この塔の中にリアンが…?」
「ええ。異世界の者もここに収容されたという情報を聞きました。この映像もその話をしてくれた方から借りたものです。自家用クルートから撮影したものだとか」
あの卵型の飛行船、クルート。
それを使って上空を旋回しながら撮った映像のようだ。
「その方は、お屋敷でうちの鏡を使って下さってるんです。自家用クルートで空の旅をしてる時に、海の中の島にあるこの塔を見つけたそうで」
「海の中の島ですか…」
「塔は魔法の結界が張られてるようですが、あくまでも中の人が逃げるのを防ぐためです。侵入しようとするもの好きはそうはいませんから、」
オーウェンさんはわたしに向かって微笑み、
「侵入を防ぐタイプの結界ではない。チャンスはあります」
と続けた。
「ですが、侵入方法、救出方法、脱出方法、それらを考えなくてはいけない」
わたしは唇を噛み締め、頷く。
「1つ、僕は初めてのものを作ってみました。今まで沢山の鏡を作ってきましたが、これは初めてです。でもやり甲斐はありました」
オーウェンさんはそう言いながら、ネイビーのジャケットの内ポケットを探った。




