14.ディナータイム
そのままベッドの上でじっとしたまま、しばらく様子を伺う。
静寂が室内に充満しているだけで、特に変わった様子はない。
寝ぼけてただけかな…?
のそのそとベッドから降りて鏡の前に立ち、ぼさぼさの髪を手で撫でつける。
窓の外はすっかり暗くなっていて、街の灯りが煌めいていた。
デスクの上を見ると時計は6時半過ぎだ。
そして次の瞬間、時計の横にあった電話が鳴った。
その電子音に体がビクッと揺れる。
「は、はい…?」
「私です」
ドギマギして出ると、リアンの声だった。
「オーウェンさんが夕食をサービスしてくれるそうなんです。いかがですか?」
「そうなんですか?」
現金なものでそう聞くとお腹が空いてきた。
「いただきたいです」
「ではレストランで待っています。レストランの番号は0822です。鏡の横のパネルを押して、鏡を通ってきてください」
「わかりました」
「では後ほど」
電話は切れ、わたしは再び鏡の前に移動して、数字の並ぶパネルに顔を近づける。
言われた通りに、人差し指で0822、と順番に押す。
数字部分が赤く光り、鏡が水面の様に波打ち始めた。
通り抜けるのは2回目だけど、やっぱり微妙に緊張する。
姿見に右足を入れると足先がすぅっと向こう側へ消えた。
そのまま目をつぶって足を踏み出し、前へ進む。
靴にフワッとした感触がして目を開けると、わたしは赤い絨毯がひいてある廊下に立っていた。
背後には銀の装飾が施された長方形の鏡がある。
どうやら、この鏡からやって来たらしい。
左側にレストランを示す看板があり、そちらに進んで中を覗く。
白い清潔なテーブルクロスに包まれた席が並んでいて、幾つかは食事中の方たちで埋まっていた。
「アリス」
呼ばれた方を見ると、窓側の席にリアンが座っていた。
珍しく帽子を被っていなくて、ボサボサのヘアスタイルだ。
「少しは休めましたか?色々あって疲れたでしょう」
「ちょっとうたた寝しました」
席につくと黒い猫の耳を持ったウェイトレスさんが料理を運んで来てくれた。
今まで見たことがない、ハートの形をした緑の野菜が入ったサラダ(しゃきしゃきした歯ざわりだった)、パステルブルーのスープ(ポタージュのような感じで、水色のジャガイモに似た野菜が使われてるそうだ)。
メインは鳥肉のソテーに酸味のある果物のソースがかかっていた。
「鶏の味に似てますけど、鶏ではないんですよね?」
「そうです。コーフィという鳥の肉ですね。ソースはキリュという果物です」
リアンに教えられ、改めて良く噛みしめる。
ジューシィで少し弾力が強めのお肉だ。
キリュの酸味はパイナップルに似てる。
「もちろん初めて食べるものばかりですけど…美味しいですね」
「本当に。こちらの世界の食べ物が虫とかゲテモノじゃなくて良かったと思います」
そんな話をしながらお皿を空にしていると、食後のデザートとコーヒーを持ってオーウェンさんがやってきた。
「食事はお口にあいましたか?」
「ええ、とても。ご馳走してくださってありがとうございます」
「とても美味しかったです」
わたしたちがお礼を言うと、爪が尖った大きな手で、器用にケーキのお皿を置いてくれた。
「喜んでいただけて良かった。こちらも召し上がってください」
「あれ、これはもしかしてデイジーの…」
赤いクリームで彩られた小さなケーキを見て、リアンが口を開いたとたん。
「そおおなんですよ!」
オーウェンさんが巨体をよじった。
「3ヶ月前にうちのレストランで出すデザートのレシピを募集したんです。それに応募してきてくれたのが僕らの出逢いでした…」
そう言って窓際に立ち、遠くを眺める。
「アリス、これ美味しいんですよ。赤いクリームはパコという木の実からできています」
「あ、は、はい」
リアンはそんな彼を置いといて、ケーキを勧めてくる。
「美しい白い耳にナイスバディ。弾ける笑顔。情熱を秘めた真っ赤なケーキ…。僕はすっかり恋に落ちましてね」
オーウェンさんはふぅっとため息をついてる。
一口ケーキを食べると、表面の赤いクリームはベリー系の味で、その中はチョコレート風味のスポンジだった。
「美味しいです」
「美味しいですよね」
思い出話を邪魔しない様に、小声で感想を言い合う。
「いつかデイジーの店と、このホテルを1つにしたいと思ってるんです。一階がデイジーのショップで、レストランでデザートも出して。素敵だと思いません?アリスさん!」
「は、はい!素敵です!」
急にふられて、フォークをくわえながら返事をする。
「夫婦で経営…いいと思うんだよなぁ」
オーウェンさんはうっとりとした表情…
こんなに愛されると幸せなんだろうなぁ。
ついつい、そんな風に思ってしまう。
デイジーには重たいのかも知れないけど…。
「あの、そういえば」
話の流れを変えたい気持ちもあって、わたしは切り出した。
「さっき、地震みたいな揺れ…感じませんでした?ビリビリっとくるような、重低音?みたいな」
リアンは首を傾げた。
「あぁ、あれは大きな魔法がどこかで使われたんですね。その衝撃波みたいなものです」
「魔法の衝撃波…ですか?」
緩んでいた頬をキリリと引き締めて、オーウェンさんが答えてくれた。
「あの感じだとかなり力のある魔法士ですね。ひょっとしたらレヴィ様かも知れない」
その後、オーウェンさんが席を離れていった後、リアンがゆっくり微笑んだ。
「私には全く感じませんでした。魔法の衝撃波」
「え…」
「多分、ここの世界の者ではないからだと思うんですけど」
わたしの中の《女神》の血が反応したんだろうか?
魔法が溢れるこの世界で、濃度が増したとか?
なんて答えたらいいのかわからなくて、目をパチパチさせていたら、
「…貴女は不思議な人ですねぇ」
リアンは品良くコーヒーカップを薄い唇に運んだ。




