2 目覚め
◆
「おい、いつまで寝ているんだ。さっさと起きろ」
男のぶっきらぼうな声が室内に響く。
「気持ちよく寝ている女性にかける言葉としては減点ですね」
エルザはまぶたを開くと、開口一番に闇医者の男に毒づく。
自身が横たわるその部屋は、不衛生な歯科を彷彿とさせる内装だった。
換気を行っていないのか、妙な息苦しさを感じる。
べっとりとした生温い空気は消毒液の匂いに混じって、ヤニ臭さが鼻をつく。
ヤニのせいか、日に焼けたのか、元々は清潔さを主張していたであろう白い壁は、見る影も無く茶ばんでまだら模様になっていた。
部屋の壁際には天井まで届きそうな棚がいくつもあった。その中には、よく分からない薬瓶や本が埃をかぶって雑多に置かれている。
多分、これを管理している本人でも一目でどこに何があるのか分からないだろう。
部屋の中央には、レバーで傾斜を調整できるタイプのベッドが設置されていた。
ベッドは劣化のせいか、側面から中身がはみ出してだらりとぶら下がっている。
その周囲には大きめの照明、医療器具らしきものが置かれた机、何やらよく分からない巨大な器具群がベッドに寝た者を逃げ出せないようにするかのように取り囲んでいた。
その汚らしいベッドの上に横たわっていたエルザは、ゆっくりと体を起こす。
短くした茶髪が揺れ、片目にした眼帯にかかる。
エルザは髪をかき上げつつ、ベッドの縁に腰掛けた。
「手術は無事終了した。確認してみろ」
闇医者の男は無事に手術が終了したことを告げ、ぶっきらぼうに顎で処置部分を指す。
エルザはその言葉を受けて、自分の失った片手と片足あった場所に目を向けた。
そこには義手と義足がはめられていた。
外観はまるで細身の西洋甲冑を思わせる。
義手は指先に当たる部分が獣の爪でも伸ばしたかのよう鋭利に尖っていて、義足は素足を薄い金属で覆ったかのように滑らかで、関節部分以外は元の足の形と違わない。
意識を向けると、義手の五指がギギッと軽い音を立てて動き出す。
義手は金属がすれるような独特の音がするものの、人間の手と変わらぬ軽快な動きを見せる。
「問題ないようですね」
義手と義足の具合を確かめ、満足げに頷く。
エルザは少し前に足を負傷し、闇医者が経営するこの医院に担ぎ込まれた。
怪我を負った当時、負傷の度合いが酷く、自力での移動は不可能だった。なんとか生還できたはいいが、とても医者の下まで辿り着ける状態ではなかったのだ。
たまたま、当日接触予定だった取引相手に発見され、救助されたのだった。
そしてこの医院を利用したのは、治療以外に目的があったためだ。
それが今、自身の足と腕にはめられた物。特別製の義手と義足だ。
「あんたの注文通り、ちゃんと魔法都市から取り寄せたぜ」
義手と義足は特別製で、この辺りでは手に入らない。
そのため、遠方からわざわざ取り寄せたものだった。
闇医者は入手できたのが余程嬉しかったのか、自慢げな表情を見せる。
「何よりです。依頼しておいた機能もついていますか?」
「問題ない。無茶な注文だったから、それなりに費用はかかったがな」
「アッハ、それは素晴らしいですね」
全て問題なくいったことにご満悦のエルザ。話す言葉も普段より弾んでしまう。
だが、その話し相手の闇医者は、エルザとは対照的に不機嫌そのものだった。
「それより金だ。前金はもらっているが、残りの金がまだだ。さっさと払え」
全ての処置費用が高くついたのか、金に対して凄まじい執着をみせる。
「ええ、もちろん。ですが、その前にちゃんと機能するのか、試してみないといけませんねぇ」
笑顔で返事をしたエルザはベッドから降り、義手を開いたり閉じたりしながら闇医者へとゆっくり近づく。
そして義手の指先をぴったり揃えた状態で、闇医者の腹へ向けて突き出した。
杭のように鋭利な指先は、闇医者の体をいとも容易く貫く。
「グアッ、貴様ぁ……」
闇医者は貫かれた腹から盛大に血を流しながら、エルザの肩を鷲掴みにする。
怒りに彩られたその目は血走り、大きく見開かれていた。
「アッハ、強度も申し分ないようですね」
エルザは闇医者の言葉など聞こえていないかのように刺した腹から無造作に義手を引き抜き、具合を確認する。
当然、はじめから金など払うつもりなどなかった。
腕を突き刺したのも、腹の風通しをよくしてやるためではない。
エルザは呻く闇医者には目もくれず、部屋の中を物色しはじめる。
「グッ、我々を……敵に回して、タダで……済むと思っているのか」
腹部を押さえながら崩れ落ちた闇医者は、うめき声を上げながらエルザに怨嗟を吐く。
開いた口と手で押さえた腹からは、止め処なく血が流れ落ちていた。
「タダで済まないとどうなるんですかねぇ? まあ、あなたは私がタダで済まないところを見られそうにありませんけどね」
エルザは苦悶の声を上げながらも脅しをかけてくる闇医者に背を向けたまま何食わぬ顔で金目のものを漁ってはひとまとめにしていく。
次に手術のために着ていた簡素な服を脱ぎ、手荷物の中から自前の服を取り出して着替えていく。
「……お前はここから……出ることす……らできずに……死ぬ」
闇医者は言葉を弱々しく途切れさせながらヨロヨロと力なく進み、側にあったボタンを最後の力で倒れこむようにして押した。ボタンを押した闇医者はそのままズルズルと床へ倒れ、事切れる。
途端、室内に警報がけたたましく鳴り響いた。
「おっと、面倒なことをしてくれましたね……」
エルザは舌打ちしつつも、闇医者が息を引き取ったことなど意に介さず、マイペースで作業を続ける。漁った金目のものを袋にしまい込み、メスなどを適当に拾い集める。
そんな中、激しくなる警報の音にまぎれて足音が近づいてきた。
「おい、どうした!?」
そんな声と共に警報を聞きつけたであろう人物が慌てた様子で手術室に駆け込んできた。
闇医者とはいえ、設備が充実している施設なので警備の人間もいたのだろう。
「申し訳ありませんが、今二人でお楽しみ中なので外して頂けませんかね」
エルザは適当な言葉を吐きながら、入り口に立つ男に向けて素早くメスを投げつけた。
「ガッ」
メスは吸い込まれるように男の額に命中する。
男はそのままメスに押し倒されるかのようにして、バタリと仰向けに倒れて動かなくなった。
「フフッ、投擲にも問題なさそうです。注文の機構の方はどうなのでしょう」
義手と義足の感覚を試しつつ、追加機能の動作を確認しようとペタペタ触って確かめる。
「なるほど、ここに填めるようにして使うのですね……」
色々と試し、追加の機構を理解したエルザは付属のパーツが必要と察する。
パーツを探すため、必要のない物は投げ捨て、室内を荒らすようにして目的の物を探す。
「ありました。これですね?」
部屋の隅から目的の物を見つけ出し嬉々とするエルザ。
それは短い金属の円柱。見た目はビスケットの缶にも酷似していた。
缶状のそれらを鷲掴みにし、袋へしまっていく。
「そこで何をやっている!」
エルザが盗みを働いていると、新たな男が手術室に現れ、部屋の惨状に声を上げる。
「アッハ!」
エルザは声が聞こえた方へ顔も向けず、慣れた手つきでメスを投げつけた。
投擲したメスは男の眉間に突き刺さり、次の発言の機会を与える間もなく絶命させる。
「そろそろ潮時でしょうか」
室内の物色を終えたエルザは倒れた男達からメスを引き抜くと、手の上でまわして遊びながら口角を釣り上げる。
そして、軽い足取りで外へ向かって歩みはじめた。
…………
「アッハ、本当にタダでは済みませんでしたねぇ。ですが、こんなに頂いてしまっては少し申し訳ないですね。……さて、どうしますか」
何の問題もなく闇医者の医院を壊滅させたエルザは出入り口まで辿り着き、持ち出した荷物を地面に置く。そして、軽く伸びをしてから腕組みをすると、思案にふける。
傷は治った。
体の不自由は取り除かれた。
残るは心のわだかまり。
今の自分があるのは、あの男のお陰。
殺したくてしょうがない、憎い憎いあの男……。
ならば……。
「やはりここはお礼をしなくてはなりませんね」
ギギッと金属がこすれる音をたてながら義手の拳を握り締める。
(ですが、このまま戦っても返り討ちにあってしまいそうなのも確か)
以前、エルザがその男と敵対したときは、手も足もでなかった。
今のままでは相手を見つけ出せたとしても、勝てる見込みは少ない。
(何か良い方法はないでしょうか……)
エルザは自身の状態を確認しようとステータスを開く。
エルザ LV11 ニンジャ
ニンジャスキル
LV1 【手裏剣術】
魔法使いスキル
LV1 【生活魔法】
エルザは強いわけではない。
強さに興味がなかったため、そういった方面の研鑽に時間を割いてこなかったためだ。
自身の強みを活かせるのは戦闘ではないと、早々に見切りをつけ、盗みや詐術の腕を磨いてきた。
といっても、その辺の冒険者相手なら力勝負で十分に渡り合える自信はある。
ただ、純粋な力勝負になるモンスター相手だと敵わない個体の方が多いだろう。
小さい頃は魔法の素養があると、その手の学校に通っていたが、そこに一年も通わないうちに家族が強盗にあって死別。
結果、学費を払えず退学となってしまい、身につけることができたのは初歩の生活魔法のみ。
生活の基盤を失った後は、あらゆることに手を染めてここまで生きてきた。
金を盗る際、足がつかないように変装したり、部屋に忍び込むのに鍵を破ったりしていたら、いつの間にか上位職のニンジャ、その下位職に当たるサムライが選択できるようになっていた。
大して興味はなかったが、その時の気分でニンジャを選択し今に至る。
モンスターを倒すこともせず、ひたすら金品を盗み、奪い取ることを重ねてきた。
奪い取る際に必要に迫られれば人も殺した。
そのせいで多少レベルも上がった。
だが熱心にレベル上げやスキルレベル上げをしたわけではないため、ただただ惰性で上がったものしかない。
強くなろうと思えば時間がかかる。
今でこそ安定してきているが、一人となった時にはそのようなことに時間をかけている暇などなかった。
生き残るために最短距離の方法を取るしかなかったのだ。
日々の飢えをしのぐことに精一杯で、強くなる事に意味が見出せていなかった。
だが、今は違う。
自身の恨みを晴らすためにも、力が欲しい。
(気は進みませんが、もう少しレベルとスキルを上げる必要がありそうですね)
エルザは思案した結果、しばらくはレベルなどを上げることに注力しなければならないと結論付ける。……気は進まないが、止むを得ないだろう。
「面倒ですね。お金で買えませんかね……」
だが、そのやる気は限りなく低い。
(とりあえず、サムライになっておきますか)
職業を選択するだけでスキルが一つ増えることを思い出し、エルザは下位職のサムライを選択した。
職業がサムライになり、問題なくスキル【居合い術】を習得する。
「さて、どうしたものでしょうか」
エルザはこれからどうするか行動を決めかね、立ち尽くしていた。
転瞬、後頭部に鋭い痛みが走り、地面へ倒れてしまう。
「……う」
呻き声を上げながら顔を上げると、カタギとは思えない風貌の男たちがロープを広げながら倒れる自身へ近づく姿が目に映った。
「持ち物や服はどうする? はいで捨てていくか?」
「……解放している風を装って移動する。全てそのままでいい」
「分かった」
男たちの会話が耳に届くも、朦朧とする意識でははっきりと聞き取ることが出来なかった。
◆
「おい、あれ……」
俺たちが道を進んでいると、レガシーが三匹のオークを発見する。




