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◆
「ここか」
目的の店を見つけたジェフリーはひとり呟く。
高架下にあるその店は軽食を扱う店のようだった。
看板にはナイフとフォークが描かれ、扉の前にはメニューを記したボードが置かれている。
調べた時は店の名前しか分からなかったため、現地に着くまで何の店か知らなかったのだ。
(いくぞ)
ジェフリーは意を決して扉を開ける。すると中は縦長の狭い空間となっていた。
薄暗い照明が灯る店内はカウンター席がメインで、テーブル席は二つ。
カウンターには男性の店員が二人立っていた。入店してきたジェフリーに気をとめるでもなく、ひたすら料理を作っている。個人でやっている小さい店のせいか、接客も適当なのだろう。
ジェフリーは店の人間が適当なのをいいことに、入口に立ち止まったまま店内に視線を巡らせる。
奥のテーブルには眼鏡をかけたスーツ姿の女性客が一人。
カウンターにはグラスに入った酒をチビチビとけち臭い呑み方をしている男が一人。
ジェフリーは奥にいる女性客を品定めでもするように凝視する。
(あれは、ないな……)
いかにも仕事が出来るといった雰囲気をかもし出しているが、真っ当な感じがする。
自分の探す人物はいかにも犯罪者といった外見をしているはず。
多分、単にこの店の常連客か何かなのだろう。
となると、残された客は一人。今もグラスに入った酒をなるべく一気に飲み干さないように気を使って口を付けている男だけだ。
(あんな男がそうなのか……?)
余りにイメージと違う、とジェフリーは思った。
もっと近づくのも憚られるような鋭い気配の持ち主を想像していただけに拍子抜けだ。
だが、ジェフリーが捜している人物であるなら要注意だ。彼はごくりと唾を飲み込むと男の方へ近づき、声をかける。
「あ、あんたがケンタウロスか?」
「ブッ」
男はジェフリーの問いかけに飲みかけていた酒を噴き出した。
「おい……、どうなんだ?」
ジェフリーは男の態度や表情に不信感を抱きながらも確認を取る。
「あ〜……、え〜っと、そうかも?」
「なんだ、はっきりしないな……。ああ、そうか、そういうことか」
結局、男から返ってきた言葉はなんとも曖昧なものだった。
しかし、そこで気づく、男はわざと言葉を濁しているのだと。
(こんな場所で名前で呼びかけるのはマナーに反するのか)
いくら人が少ないとはいえ、店の中で後ろ暗い仕事を生業としている者の名を呼ぶのはまずかったのだ。男を捜し出し、仕事を依頼することで頭が一杯だったジェフリーにはそこまで気を回すことが出来なかった。
「すまない。私もこういった事ははじめてで」
「え? いや、いいけど」
ジェフリーの謝罪を男はあっさりと受け入れてくれる。
「なら、話は早い。仕事の依頼をしたいんだが、場所を変えた方がいいのか?」
やはりこういった場所で具体的な話をするのはまずいのかと思い、移動するべきか男に問いかける。
「お、ここでいいよ。で、内容は?」
「いいのか? その……、場所を変えなくても本当に大丈夫か?」
「ん、問題ないけど。そっちに問題があるなら変えるけど?」
などと言いながら男は余裕を見せつけるようにグラスを傾ける。
(試されているのか……?)
ジェフリーは男のあっさりとした受け答えに違和感を覚えた。
話は長くなるだろうし、詳細を話すことも出てくるだろう。
――そうなると他の人間に聞かれるのはまずい。
もしかしたら店員には話が通っているのかもしれないが、客は別だろう。
こんな狭い店内では声をひそめても、きっと聞こえてしまう。
だが、男はそういったことに関して何の問題もないように振る舞っていた。
となると答えは一つ。自分が本当の客であるかどうかを見定めようとしているのだろう。
試されている。ここで嘘をついたり、遠回しな表現をするべきではない。
きっと今までの男の反応や会話もテストの一環だったのだろう。
こちらが弱気な態度を示したり、迷っているような素振りを見せれば断られる。
途中で心変わりしたり、妙な良心が働いて逃げ出そうとするような人間から仕事を請ければ、危険な目に会うのは男の方だ。
だから、わざと色々な行動をして、こちらを品定めしている。
そうに違いないと考えたジェフリーは覚悟を決めた。
「いや、こちらは構わない。では、改めて。こいつを殺して欲しい」
腹を括ったジェフリーは懐から写真を取り出し、男に見えるようにテーブルの上に置いた。
「ぶっ」
すると、またしても男が酒を噴き出す。
「おい、さっきからなんだ……」
――いくらなんでもおかしい。
こちらが全てをさらけ出したというのに、返ってきた男の反応は不自然極まりなかった。
今までの言動は自分を試していたのではなかったのだろうか。
「いや……、殺しって言うからびっくりして」
と、男は愛想笑いを浮かべながら頭をかく。
「そうやって人を試しているのか? まあいい。あんたに依頼する際に払う報酬金額と条件は聞いている。これが前払いの金になる。そして、条件に関しては問題ないとだけ言っておこう」
ジェフリーは机の上に置いた写真の側に前払い分の報酬が入った封筒を置くと、話を進めていく。
「え? 条件?」
が、男がまたこちらの興をそぐような表情で、とぼけたことを言ってくる。
「とぼけなくてもいい。殺し屋ケンタウロスは変質的かつ執着的に痕跡を残すことを嫌う。だから、ターゲットの血族はもちろんのこと、知人も皆殺し。死人に口なしを強迫的に実行する男だと聞いている」
ジェフリーは自身が調べ上げた情報を口にする。
目の前に居る頼りない風貌の男はこう見えて殺しのプロ。
その仕事振りは徹底しており、素人が口を挟む余地などない。
一見残虐にも見えるその行為は、確実に証拠を隠滅するためのものであるとジェフリーは理解していた。
その事を話し、男に間違いないだろう、と確認をとる。
「悪い、人違いだわ。俺、ケンタウロスじゃないから。ごめんね?」
が、男はどうにも締まりのないヘラヘラとした表情で愛想笑いを浮かべながら人違いだと言ってきた。
――これはきっとテストに落ちたんだ。
男の反応を見て、ジェフリーは即座に察した。
こちらの覚悟が足りない、そう思われてしまったのだろう。
殺しが行われた後、良心の呵責に耐え切れずに怯え出す。そう見られてしまったのかもしれない。
「はあ? なんだそれは! ここまで話しておいてそんなことがありえるか! こっちはちゃんと調べてここまで来たんだぞ!? この店に非合法な依頼なら何でも引き受ける殺し屋のケンタウロスがいるとな! 俺だって相当の覚悟でここに来たんだ! それを人違いのひと言で済ませられると思っているのか!」
こちらも相応の覚悟を持ってこの場を訪れた。
後で迷って裏切るようなことは絶対ない。
ジェフリーは激しい気持ちを吐き出すように声を上げて思いの丈を男にぶつけた。
「いや、でも……」
それでも男は煮え切らない言葉を返すだけだった。
これでもだめなのか……、とジェフリーがうなだれていると、背後から肩を叩かれる。
振り返ると店員の一人がカウンターから出て、後ろに立っていた。
「悪い悪い。いたずらが過ぎたな。俺がケンタウロスだ。話を聞こう」
店員はそう言うと空いているテーブル席に腰掛け、手招きをしてくる。
「あ、あんたが? 店員だったのか……。道理で話が通じないわけだ」
なんと、ケンタウロスは店員だったのだ。つまり今まで話していたこの客は何の関係もなかったということになる。
ジェフリーは驚きを隠せないと言った様子で言葉を詰まらせながらも、無関係な男に渡そうとしてしまった前払い料金の入った封筒を素早く回収する。そして、本物のケンタウロスである店員の向かいに座った。
「ちょっ! おい! 何言ってるんだよ!」
が、ここで客の男が店員へ向けてわめき出す。
この男は一体なんなんだ。ジェフリーはいぶかしみの視線を向けながら、邪魔だな、と思った。
「はいはい、ケンタウロスじゃない人は黙っていて下さいね〜。あ、お酒のおかわり入れたげて」
「はい、お待ち!」
「頼んでないから! ふざけんじゃねえぞ!」
ジェフリーの前に座った店員がカウンターに残った店員に指示を出す。
するとカウンターの店員がすかさず客の男に新しい酒を振る舞っていた。
男は店員に暴言を吐きつつも、大人しく酒をちびちびと飲みはじめる。
きっと酒をおごってもらおうとしてあんなに大騒ぎをしたに違いない。
ジェフリーは、男が美味しそうに酒を飲む様を見て確信した。
「騒がしくしてすまなかったな」
「いや、問題ない」
店員がジェフリーに謝罪している間にカウンターにいたもう一人の店員が料理が盛られた皿を持ってこちらのテーブルへとやってくる。
そしてジェフリーの前に皿を置くと、カウンターへと戻っていった。
「試すようなことをして悪かったな。これは侘びの品だ。良かったら食ってくれ」
「べ、別に、問題ない」
ここで食べないと心証が悪くなるかもしれないと考えたジェフリーは目の前の料理に手をつけた。口に入れたそれはどうやら肉料理のようだった。
正直、何を材料に使っているか分からない料理で、旨そうな見た目ではなかったが、味の方は問題なかった。いや、むしろかなり旨いと言える。最近食べた外食の中では間違いなく一番の味と言わざるを得なかった。
切り分けた料理を口に運ぶ手が止まらず、つい全てを食べ尽くしてしまう。
「旨いか?」
「ああ、旨いよ。ここに来ると決心してから何も食ってなかったから、つい全部食べてしまった。逆に待たせることになってすまない」
ずっと気が張った状態が続いていたせいもあって、ここ数日は食欲が湧かなかった。
昨日に至っては緊張から何も食べられなかったのだ。
そういったこともあって、出された料理を綺麗に平らげてしまう。
「いいって。そんだけ旨そうに食ってもらえたら、こちらも本望だ。で、依頼ということだが、この男を殺せばいいのか?」
店員はテーブルの上にある写真を指さしながら確認を取ってくる。
「そうだ、こいつは……、こいつは……、俺の事を……」
「おっと、ストップだ。仕事に影響するから、そういう事情は聞かないことにしてるんだ、悪いな」
「そうか、さすがプロだな」
ジェフリーは店員の言葉に感嘆の声を漏らす。
対象を客観的かつ冷静に仕留めるには私情を挟まない。
当然といえば当然の話であったが、はじめに誤解して話しかけた客の対応があまりにお粗末だったのもあり、店員の言葉のひとつひとつに感心してしまう。
この店員、よく見れば服の上からでも身体が鍛え抜かれていることが分かる。
顔も縫い傷だらけだし、これぞまさしく殺し屋といった外見だ。
なぜ自分ははじめにあんな貧弱な男を殺し屋と勘違いしてしまったのだろうか……。
どう見ても目の前にいるこの店員こそが冷酷無比な殺し屋、ケンタウロスに間違いない。
店員の容姿を見て心の底から納得したジェフリーは深く頷いた。
「当然だ。で、依頼料の方は問題ないようだが、条件については知っているか?」
「あ、ああ。関係者を皆殺しにするんだろ?」
店員に殺しの条件について問われたジェフリーは事前に得ていた情報を元に答えた。
「微妙に違うな」
店員はジェフリーの顔をじっと見つめたまま言った。
「そ、そうなのか? 俺としてはどんな条件も呑むつもりで来たんだが……」
店員の反応を見たジェフリーは相手の気分を害してしまったのかとうろたえつつも、どんなやり方だろうと大丈夫だと告げる。
「それは良かった。じゃあ確認させてもらおう」
「あ、ああ」
ふむ、と小さく頷いた店員は続ける。
「まず、ターゲットの知人は殺す。そして血族も殺す。周囲にいる者全て殺す」
ジェフリーの前で指を一本立てた店員は関係者の皆殺しを告げた。
「おいっ!」
するとなぜかカウンター席にいる例の客が酒を噴き出しつつ怒鳴った。
「も、問題ない」
ジェフリーは客のことは無視し、店員の言葉に強く首肯する。
店員はジェフリーの返事を聞くと、二本目の指を立てて続ける。
「そして、そいつらを全員犯す」
「は?」
いきなり話がわけの分からない方向に飛び、困惑するジェフリー。
何かの隠語なのだろうかと考えるも、男の表情からは言葉通りに受け取っていいという空気しか伝わってこない。
「老若男女問わず、全てだ。間違えないでほしいのは殺したあとで犯すという点だ。ここが非常に重要なんだ。この俺、殺し屋ケンタウロスは死体を犯すことにしか興味のない真性のド変態なんだ。そんな俺、殺し屋ケンタウロスが唯一癒しを覚える行為が大量の人間を殺し終え、エクスタシーの頂点で更にエクスタシーを貪るために行うのが、その行為なんだ。ここまでは大丈夫か?」
真顔の店員はジェフリーの困惑に答えるように、かみ砕いて丁寧に説明してくれた。
「大丈夫なわけないだろうが! 何言ってるんだお前!」
と、そこでジェフリーの気持ちを代弁するかのようにカウンターの客が吠える。
しかし、ジェフリーにはそんな暴れる客に構う余裕はなくなっていた。
相手は殺し屋。ここまで来て相手を刺激するような返答は避けるべきだ。
自分で真性のド変態と断言するような男の機嫌を損ねては何をされるか予想もつかない。
ここに来るまでに何度も考えて、結論を出し、覚悟を決めたことだ。
店に入った後も散々腹を括ったことを自分で自分に言い聞かせてきたはずだった。
今更、この程度のことで引き返すわけにはいかない。
「あ、ああ。も、問題は……ない」
ここで後に引くことはできない、そう考えたジェフリーは肯定の意味をこめて首を縦に何度も振る。
「いいぞ、その調子だ。じゃあ、次の段階の説明に入る。やはり、死体はかさばる。だからバラす。四肢を切断するってレベルじゃないぞ? この俺、殺し屋ケンタウロスは何をやるのも徹底している。だから死体を分解する時も限界まで細かくするんだ、分かるな? 関節単位で切断し、全てを容器に詰める。容器に詰めるのは鮮度を保つためだ。ここも非常に重要な工程なんだ。この俺、殺し屋ケンタウロスはどんなことにも手を抜かない。なぜならプロフェッショナルだからだ」
ジェフリーの首肯に頷き返した店員は三本目の指を立てると、更に説明を追加した。
「何のプロフェッショナルだよ!? 容器に詰めるプロか!?」
と、ここでカウンター席の客がまたしても大声を張り上げて店員に怒鳴り散らす。
おいおい、酔っ払っているのか? とジェフリーは客の身を案じてしまう。
相手は何をするか分からない殺し屋だ。だが、きっとこの客はそのことを知らずに酔っ払った勢いに任せて暴言を吐いているのだろう。
しかし、自分がこの場で客に殺し屋ケンタウロスについて説明する事はできないし、酔っ払いに黙ってくれと言うのも無駄なことである。
ジェフリーは頼むから静かにしていてくれと、これ以上相手を刺激しないでくれと心中で必死に願った。
「あ、あんたのやり方に口出しはしない。好きなようにやってくれ」
ジェフリーは店員の目を見据え、全て任せると告げる。
「よし、じゃあ次だ。次にその死体を全部食う。証拠を一切残さないためというのは口実で、実は人の肉が大の好物なんだ。これが一番重要で欠かせない点だ。殺し屋ケンタウロスは死体を犯した後に調理して食う。それがこの俺、殺し屋ケンタウロスの特技であり、生き様だ。素晴らしき殺し屋であるこの俺、ケンタウロスの力の源は人肉料理なんだ。だから毎日欠かすことなく肉を貪る。今日のメニューにも採用されているしな。旨かったろ?」
店員は四本目の指を立てながらとんでもないことを言い出した。
「うおおおおおおおおおおおおい!? どういうことだよ! 何考えてるんだお前!?」
「おいおい、お客様。あんまりうるさいと出入り禁止にしますよ?」
カウンターの客がとうとう暴れ出した。
こちらへ向かって来そうになるところをカウンターにいた顔に角の刺青のあるもう一人の店員が男の背後から近寄り、羽交い絞めにして押さえ込む。
そんな中、ジェフリーはパニックになっていた。
今、店員の男はなんと言ったのか。
――そう、彼は死体を食うと言ったのだ。
だが、重要なのはそこではない。その後に続いた言葉だ。
目の前に座るこの男はこう言ったのだ。
“今日のメニューにも採用されているしな。旨かったろ?”と。
確かに見た目で何が材料に使われているか分からなかった――。
だが、味は肉料理だった――。
自分は一体何を食べたのだ?
「ひ、ひぃ……。うぷっ……」
店員の言葉から、何を食べたのかを察したジェフリーは呻き声を上げながら吐き気に抗うように口元を押さえた。
「おい、顔色が悪いが大丈夫か? 良かったら店の奥で休んでいくか? この俺、殺し屋ケンタウロスの店の奥には未だ未調理の材料が大量にあるが、寝る場所には困らない。どうだ、一休みしていくか?」
ジェフリーの様子を心配した店員が厚意から奥の部屋で休むかと声をかけてくる。
だが、その言葉で連想されたのは精肉店の保存庫のような場所。
ジェフリーの顔色はみるみるうちに白くなり、体の震えが止まらなくなる。
「う、うわあああああああああああああああああッッッ!」
心の均衡を保つことができなくなったジェフリーは悲鳴を上げると、一目散に店を飛び出した。
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