17 遅すぎた目覚め
転瞬、体が痙攣し、のど下にあった引っ掛かりがなくなる。
それと同時に頭の中にあったモヤが取れてすっきりし、記憶の隅々まで見渡せるようになる。
(私は……一体……何を……)
途端――、エルザを中心に熱波が発生し、周囲に突風が吹き荒れた。
「な、なんだ!?」
「どうなってる!?」
兵士たちが驚く眼前で、エルザはゆっくりと立ち上がる。
それと同時に、鎖骨辺りにあった角の刺青が立体映像のように浮き上がると服を破って突出し、首に巻きついた。
「……中々、……楽しい毎日を送っていたようですね」
記憶を取り戻すも現状に実感が湧かないエルザは、どこかうつろに呟きながら縄で引き上げられたかのようにしてゆらりと佇む。
「くそ、どうなってる!?」
エルザを刺そうとしていた兵士が急転する事態に驚き、後退る。
「…………」
エルザは切り落とされた右腕があった方の肩を兵士たちへと向けた。
「何をやっている?」
「怯むな! やれ!」
ただ、切れた断面を見せびらかしているだけではないことは兵士たちも察していたが、それがどういった意味を持つかまでは理解が及ばないようだった。
エルザの行動にいぶかしむも攻撃を仕掛けようとする兵士たち。
しかし、兵士たちが攻撃するよりも早くエルザが掲げた肩の周囲に複数の炎の矢が発生する。
「な、魔法!?」
「数が!」
「いかん、かわせ!」
大量に発生する炎の矢を目撃し、攻撃を止めて身構える兵士たち。
「……フレイムアロー」
そんな兵士たちへ向けて魔法を放とうと魔法名を告げるエルザ。
呟くように発せられた呪文を合図に五本の炎の矢が周囲の兵士へ向けて射出された。
「ぐあああっっ!!」
発射された炎の矢は狙いたがわず、五人の兵士の胸元へと突き刺さり全身を燃え上がらされる。
「ひ、ひぃいいいっ!」
炎の矢が命中し、全身火達磨となって悲鳴を上げる兵士たち。
「アッハ……。アーーーーーッハッハッハッハッハッ!!!」
炎に包まれてのた打ち回る兵士たちを見下ろし、自然と笑いがこみ上げてくるエルザ。
そんな笑うエルザの周囲には数十本の炎の矢が全方位に向けて発射準備を整え、合図を待っていた。
「う、うそだろ……」
「に、逃げろっ」
「あんなのかわせるわけないだろ!?」
凄まじい数の炎の矢が自分達へ向けて狙いを定めている事を悟り、慌てふためく兵士たち。ここまで生き残った兵士たちはエルザの魔法に怯え、我先にと背を向けて逃げ出そうとする。
「フレィイムアロォオオオオオッッ!」
途端、発射される複数の炎の矢。
矢は凄まじい速度で逃げ惑う兵士たちの背を捕らえ、その事如くを燃え上がらせた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!」
全身に炎を纏い苦しみもがく兵士たち。
「アッハ、ちょっと暖かくなりましたね……」
炎の海で戯れる兵士たちを前にエルザの目が自然と細まる。
気が付けば、無意識に放った魔法により、周囲を囲んでいた兵士を全滅させる事に成功していた。
「これで少しすっきりしましたね。……ッ!?」
そして敵対勢力がいなくなったことに実感が湧くと、途端、身体の力が抜ける。
いや、力が抜けるというより入らなくなる。
何事かと自身の体を見やれば、全身傷だらけだったことを思い出す。
本来ならば大立ち回りを演じることなど出来るはずのない状態。
それをやってのけたのは感情のなせる業なのか、記憶を取り戻すきっかけとなった新たな力の影響なのか、エルザには分からなかった。
通路で人が燃え盛る匂いが充満する中、力尽きそうになったエルザの視線が捉えたのは横たわるメイディアナの姿だった。
「……ハァハァ、くっ」
兵士達を全滅させたエルザは息も絶え絶えにメイディアナの遺体へと近づこうとする。
いくら兵士を全滅させたとはいえ、それと引き換えに負った傷は小さくなく、身体は中々思うように前に進んでくれない。
メイディアナの側に着くころには全身の力が抜けたようになり、膝から崩れ落ちてしまう。
それと同時に首に巻き付いていた角が収縮し、元あった鎖骨の入れ墨へと戻っていく。
「からだが……」
数秒前の俊敏さが嘘のように、今は身体が全く思うように動かなかった。
無理に動かそうとすれば全身に重りを巻きつけられたかのようにゆっくりとしか動かせない。
そんな重い体を動かしスカートの端を引き千切って切断された腕の部分を縛りつけ止血する。
止血を終えたエルザはぼんやりとメイディアナを見下ろしていた。
「なぜ私を置いて逃げなかったのですかね。私ならそうします」
返事は返ってこない。
返って来るはずもない。
記憶を取り戻した本来の自分と今までの記憶を失っていた時の自分との統合に齟齬が生じていたエルザは身体が重いこともあり、ただひたすらにぼんやりとしていた。
どうにもうまく頭が回らないのだ。
だが、時間が経つにつれ、パズルのピースが埋まるように、歯車がかみあうように、全てが一つになっていく。
――記憶を失っていた時のことははっきりと憶えている。
都合良く新旧の記憶が入れ替わったりなどしなかった。
思い出すだけで鳥肌がたつ己の言動や行動。
しかし、当時の心中はとても穏やかで満たされていた。
それは記憶を失っていた頃の自分の気持ちが記憶として残っていることからはっきりと分かる。
なぜ、そこまで心が安らいでいたかといえば、メイディアナという存在が自信を包み込んでくれていたからだ。
――だが、あれは私であって私ではない。
このまま記憶を失って行動していたときの気持ちや思考に振り回されるのは御免だ。
それでは本当の自分が偽りの自分に振り回されるようなもの。
眼下に横たわるメイディアナの遺体を見つめながらかがみ込み、服装の乱れを直していく。
本当は服装を直すだけでなく、遺体を運び出したいところだが大きく負傷し、片腕の無い今の自分では不可能な事だった。
(敵討ちではありませんね……、私の柄でもありませんし)
仇を討つ、とは違う。
その言葉では、どうにもしっくり来ない。
これは自分が自分に左右されないために必要な道。
区切りをつける。
このまま記憶を失ったときと取り戻した今とを地続きで繋げないために必要なのは境界線。
本来の自分が偽りの自分に影響を受けないために必要な明確な線引き。
「確か、プルウブルーとオーハイ……でしたか」
メイディアナを傷つけ殺した二人。
あの二人にはその境界線となってもらう必要がある。
記憶を失う前の自分に今の自分が影響を受けないためにも、彼と彼女にはその楔となってもらいたい。
決してメイディアナのことを忘れるわけではない。
しかし、これから本来の自分として生きていくうえでの思考や判断に彼女との思い出は雑音となってしまい、自身を鈍らせる。きっちりと切り取り、周囲への影響をカットする。
自分が自分でいるために必要な事。
「確か……サイヨウ国でしたね」
二人の会話を思い出し、新たな目的地を定めたエルザは息絶えたメイディアナの髪を静かに撫でると立ち上がった。
とその瞬間、眼前の壁が崩壊し見知った人影が飛び込んで来る。
「あなたは……」
突如壁を破ってエルザの眼前に現れたのはドンナだった。
顔が赤黒く染まっていたが、その状態にも見覚えがある。
確か錠剤を飲むと全身が赤黒く染まり、力が増すと言っていたのを思い出す。
(ここまで来たという事は……)
ラクルを助けに来た、ということなのだろう。
そして皆が攫われる前に見せたドンナの行動を思い出す限り、その救助の対象にはラクルだけでなく、自分も含まれているであろうことは明白。
自分の恥ずかしい姿を散々見られたが、それと同時に無力な自分を守ってもらった相手でもある。
そんなドンナが倒れた姿勢から起き上がろうとしながら横たわって動かなくなったメイディアナと腕を失った自分へと視線を移動させて眉根を寄せる。
「……チッ、遅かったか。おい、ケガは大丈夫か? とにかく上に上がるぞ」
ドンナは強力な力に吹き飛ばされたかのような姿勢から立ち上がると、こちらの惨状を見て施設からの脱出を促してきた。
「いえ、上には私一人で上がれます。私のことよりラクルさんを見つけてあげてください」
エルザはドンナの側にラクルがいないことに気付き、自分のことは放っておいても構わないと告げた。
実際、記憶を取り戻した今なら、この程度の問題は自力で対処できる自信があった。
そうなると救助の優先順位は自分よりドンナの本来の護衛対象であるラクルが上。
こんな危険な場所からは一刻も早く救助すべきである。
「ッ!? テメエ、もしかして記憶が……」
ドンナはここまでの少ない会話中にエルザの言葉遣いや態度を見て記憶を取り戻した事を察知したようで目を見開いて驚く。
「ええ、今まで散々ご迷惑をお掛けしてしまいましたね。お恥ずかしい姿をお見せしてしまいましたが、今はもう大丈夫です。貴女には以前かなりの傷を負わせてしまったのに色々とありがとうございました」
以前、ドンナとは殺しあったことがあるというのに、ラクルに保護された後はそれを水に流した上に、か弱い我が身を守ってもらった。エルザはその事に対して謝罪と礼を述べると深く頭を下げた。
「記憶が戻ったってのにそんな殊勝な態度とられると調子が狂うな。まあ、ラクルはもう逃がした、安心しな。メイディアナのことは……悪かったな」
ドンナは記憶を取り戻したにもかかわらず柔らかな対応を続けるエルザに違和感を覚えたかのような表情を見せるも、残された救助の対象はエルザだけだと告げ、メイディアナの救出に間に合わなかった事を詫びた。
「貴女が謝ることではありません。むしろこの状況を作ったのは私が無力だったためでもあります。攫われたときも無力でしたし、メイディアナさんが殺されたときも無力でした。ですが貴女は私たちを守ろうとし、その後は助け出そうとここまで来た。私とは雲泥の差ですよ」
そもそもラクル達が攫われる原因となったのはフェイスガードの男が連れた集団に自分が人質に取られてこちらの身動きが取れなくなったからである。
過ぎてしまったことはしょうがないが、あの時、自身の記憶が戻っていれば遅れを取る事もなかっただろう。
そしてエルザ達が攫われた際、ドンナはその場に置き去りにされた。
それなのにこの場を突き止め、助けに来た。それだけでも終始現場に居合わせたのに何も出来なかった自分とは大きく違う。こればかりはどんな言葉で取り繕おうと揺るぎない事実。
(ずっと守られているのは心地良かったと覚えているが、結局ここまで何もできていない)
エルザは今まで自分が何もできなかったことに少なからず苛立ちを覚えていた。
以前ならそんな感情が芽生えるはずもなかったが、今は記憶を失っていた時の感情に左右されるせいか、どうにも精彩を欠く。
「お前、本当に記憶が戻ったんだよな?」
記憶が失う前の姿を覚えているドンナは現在のエルザ姿に納得できなかったのか、怪訝な顔で尋ねてくる。
「アッハ、刃を向けたほうが納得しますか?」
そんなドンナの拍子抜けしたような表情を前にエルザはニヤリと唇を歪ませ、刀の柄を握ってみせる。
「いや、いい。悪いが薬の類は持ってない。その状態で上まで上がれるか?」
「問題ありません。むしろ今の状態で貴女の側にいれば迷惑をかけるだけでしょう。それに貴女の護衛対象はラクルさんのはずです、私の事はもう放っておいて構いませんので、早急に合流してください」
手当てできるものがないと告げるドンナにエルザは自分のことは構わないからラクルの護衛を続けて欲しいと頼んだ。
できれば自分もドンナと同行し、ラクルとの合流を図りたいところだが、大きく負傷した今となっては足手まといになるのは確実。ならば、ドンナだけでもラクルの元へ向かうべきだと考えたのだ。
「それなんだが……、悪いがお前がラクルと合流してくれ。私はしばらく上がれそうにない。ちょっと厄介なのに目をつけられててな」
しかし、エルザの言葉を聞いたドンナは面倒臭そうな表情で頭を掻きながら自分は当分この場から離れられないと言う。
それを聞いたエルザはそういえばとドンナが眼前に現れたときのことを思い出す。
あの時ドンナは何かに跳ね飛ばされたかのように壁を破壊しながら吹き飛ばされてきた。
当時の事を思い出すと、きっと自分と遭遇したのは偶然で本来は戦闘の最中だったのだろう。
つまりドンナを吹き飛ばした相手は今も健在で、こちらの行方を捜していると考えた方が自然である。
そうなってくるとドンナの身動きが取れないという意味も理解できる。
残念な話だが五体満足なドンナが手こずる相手に重傷を負った今の自分に出来ることなど何もない。いや、直接的に加勢することは出来ないが間接的に出来ることならばある。
それは邪魔にならないよう早急にこの場を去り、ドンナの憂いであるラクルの保護を引き継ぐ事だろう。
「そうですか、分かりました。彼を逃がすのは私が引き継ぎましょう」
エルザはドンナが身動きできないことを察し、ラクルの護衛を引き受けると申し出た。
「悪いな、仕事を途中で放り出す形になっちまうがラクルの方は任せた。こっちもお前がいないほうが思う存分やれる」
「いえ、今までのことを考えると、この程度のことでは吊り合いませんよ」
ドンナの言葉にエルザは苦笑で返す。
実際、殺し合いをした経緯を考えると、身動きが取れない治療中にドンナに殺されていてもおかしくなかった。記憶を失っていた時もドンナが護衛してくれていなければ他の者に殺されていた可能性もある。当時の自分は完全に命運をドンナに握られていた状態だったのだ。
「なら、早く行け。もうすぐ奴が来る」
ドンナは顎をしゃくって施設の外に出ろと促す。
「残念、もう来てるんだよね」
しかし、そんなドンナの言葉を遮るようにして青年の声が聞こえてくる。
エルザと向き合ったドンナの背後にはいつの間にか一人の青年が佇んでいた。
「ッ!?」
不意に背後からかけられた言葉に驚き、振り返るドンナ。
「ああ、これはまずい、まずいなぁ。君を捕らえてしっかりと証言してもらわないと僕が一杯叱られちゃいそうだよ」
ドンナの背後に立つ金髪の青年は周囲の状況を見渡して大量の死者が出ていることを確認するとエルザの方に向き直り、拘束すると宣言した。
「早く行けッ!」
と、ここでドンナが青年の肩を掴んで押さえ込む。
「ご武運を」
加勢しようにも負傷した状態では足手まといになると判断したエルザはその場を去ることを決め、ドンナに一言残すと重い体を引きずって駆け出す。
「あー、待って……」
「それ以上考えるのは私の相手が済んでからにしたらどうだ? でないと死んじまうぞ」
青年は走り去るエルザに視線を向けていたが、そこへドンナが手刀を放つ。
「そうだね。よそ見してたら首が飛びそうだ」
手刀が青年の首を撥ねる寸前で片手剣が割り込み、鍔迫り合いとなる。
「うるせぇ……、さっさと死んでろ」
「残念だけど、それはできないな。それに負けるのは君の方だよ」
ドンナが手刀をグイグイと押し込んでいくも金髪の青年は爽やかな表情を崩さずしっかりと剣で受け止め続ける。
二人の戦闘は一度中断するも、未だ終結が見えない状態が続いていた。
◆
発射場へと到着し、SHBの破壊へと向かおうとした俺たちの前に突然現れたフェイスガードの男こと、ブラックタイガー。
俺とミックはSHBを眼前にしてブラックタイガーに行く手をはばまれる状態となっていた。




