12 先生、お願いします!
(かわせない!?)
衝突までに残された時間では衝撃に備えて力むぐらいしかやれることはなかった。
転瞬、木箱に接触する。
木箱が壊れる音がどこか遠くで聞こえるような気がして現実感が湧かない。
粉々になった木片がスローモーションで見える中、一瞬妙な浮遊感を味わった後、頭部と背中に木箱に衝突した衝撃が遅れて訪れる。
次いで同じ箇所に床へ激突する痛みが走り、同時に張り付いたままだった男が上からのしかかってくる。
「グアッ」
堪らず肺の中に溜まった空気を残らず吐き出す。
ホッケーマスクの男は背後の俺の事など構わず、仰向けの姿勢から膝を抱え込むように曲げて反動をつけると跳んで一気に立ち上がる。
「ア゛アアアアアアッッ!!」
そして獣のように咆える。
そんな咆哮が目覚まし代わりとなり、混濁していた意識がはっきりとしてくる。
ぼやけた焦点がじわじわと収束し、周囲がはっきりと見えるようになる。
と、ミックがこちらへ向けて飛んでいるのがわかった。
「頭を引っ込めろ」
――そう聞こえた気がしたので、身を縮めるようにして体を丸める。
ザンッ!
俺の頭の少し上で巨大なかぼちゃでも一息に切ったかのような重みと切れ味を感じる音が聞こえる。
恐る恐る顔を上げると、ホッケーマスクの男の頭部が撥ね飛んでおり、手刀の残心姿勢のミックと目があった。
「いつまで抱きついているんだ? 人の趣味にとやかく言うつもりはないが、男の首なし死体はさすがにどうかと思うぞ」
「とやかく言ってるじゃねえか。……さすがにもう動かないよな」
俺が張り付いた男の背から放れるのと、首なし死体が崩れ落ちるのが同時となる。
「体は止まったみたいだが、首の方が動くかもな」
男の死体を見下ろしながら、ミックが呟く。
「実例を知っているから、そういうことは言わないでほしい」
ミックの言葉に楽しい船旅の思い出が甦り、身震いする俺。
――ア゛ア゛ア゛ア゛
聞こえた声に“まさか……”と思いながらビクリと顔を上げると、部屋の奥から火達磨となった工員たちがゾンビのような鳴き声を上げながら、ゆっくり歩いてくるのが見えた。どうやら生首が動いたわけではなさそうだ。
火達磨となった工員たちは、おぼつかない足取りながらも剣を構えてこちらへと向かって来る。
あいつらもホッケーマスクの男同様、痛みを感じていないのかもしれない。
だが、炎に焼かれた影響は絶大で、足をするようにして歩くのが精一杯のようだった。
あれではこちらに辿り着く前に灰になるのが関の山だろう。
そんな状況を確認し、ミックが口を開く。
「後は放っておいても大丈夫だろ。煙がやばい、さっさと出るぞ」
「ゴホッゴホッ……、了解だ」
長居しすぎたせいか充満しつつある煙に閉口しながら俺たちは外を目指した。
…………
工場を後にした俺たちは本邸を目指し坂を上る。
本邸は工場や畑を見下ろせる小高い丘の上にあった。
そのため、周囲に隠れられる場所がなく、普通に道を歩く事となってしまう。
「洒落になってなかった……」
正面突破、もうやりたくない。
そう言いつつも隠れられる場所もなく、道の真ん中を堂々と歩く俺。
これは最低でも後一回は正面突破しちゃいそうだな、などと考えてしまう。
そんな事を考えていると背後で大きな音が聞こえてくる。びくりとしながら振り返ると炎に包まれた工場の屋根が崩落しているのが見えた。
「まあそういう事もあるって、気を落とすなよ」
俺が倒壊した工場を見下ろしているとミックが調子の良いことを言ってくる。
「なぜ俺が励まされる展開に……、お前の計画がずさんすぎるんだろうが!」
「どこがだ? 大成功じゃないか」
肩をすくめ、やれやれといった仕草をしながらガスマスクを脱ぎ捨てて歩を進めるミック。
まあ、客観的事実だけ並べると大成功という表現も間違ってはいない気もする。
だが、こんなやり方では次も上手くいくという保証はない。
できれば本邸への襲撃はもう少しスマートに行きたいところだ。
などと考えながら前を進むミックの背を半眼で睨む。
「お前まさか……、ここも正面から行くって言うんじゃないだろうな?」
さっきは工場の設備を破壊するために魔道具を使っていたが今回の狙いは人のみ。
なんか、今の工場襲撃で件の魔道具を全弾使いきってそうな気がした俺は少しでも不安を払拭しようとミックに質問を投げ掛ける。
が、俺の言葉を聞いたミックはなぜか走り出した。
「ぇ……、おい!?」
そして――。
ドオンッッ!!
返事は返ってこなかったが、ミックが本邸の正面玄関の扉を蹴り破る音が代わりに聞こえてきた。返答を聞かずとも真意ははっきりと伝わって来る、これがきっと以心伝心ってやつなんだろう。
「うおおおいッッ!?」
俺は我を忘れ、扉が壊れる音に負けず劣らずの大声でつい突っ込んでしまう。
もはや侵入という気配は微塵もなく、騒がしい二人が賑やかにお宅訪問と表現した方がしっくりくる展開である。
「何やってるんだ、置いていくぞ〜」
扉をぶち破ったミックはこちらを向いて手をひらひらと振ってくる。
ちょっと、屋敷に背を向けるのは俺の心臓に悪いからやめて欲しい。
ミックの余りに無防備すぎる振る舞いに俺は慌てて玄関へ走る。
「いくらなんでもまずいだろうが! って、あれ?」
妙なところで心労が祟り、息を荒らげてミックに突っ込む。
そして、違和感に気づく。
これだけ騒がしくしても人の気配がまるっきりしないのだ。
扉を破壊したうえに、これだけ大声で話せば人が駆けつけてくるはずなのにそれが一切ない。
俺が違和感の正体をつきとめようと玄関から屋内を覗き込むと、大量の死体が転がっているのが目に入った。
「これ、お前がやったの?」
ミックが転がる死体を指差し、俺に尋ねてくる。
「どうやってだよ!? 今まで一緒に行動してただろうが!」
「それもそうか。どうやら親切な人が俺たちの代わりに片付けておいてくれたらしいな」
ミックは俺の突っ込みをさらっとかわし、ズンズンと上がりこんでいく。
俺はその後に続きながらも死体へ目を落とす。
数ある死体の死因はどれも刃物によるものだということが傷跡や床に広がる血溜まりで分かる。
どう見ても殺されたのは最長でも数時間以内。数日前に殺されて放置されていたといった感じではない。
そう思わせるフレッシュさが死体の色味や血の乾き具合、匂いから感じ取れる。
つまり、この凶行を行った者がまだこの屋敷の中にいる可能性があるということだ。
しかもその人数がはっきりと分からないときている。
「ミックの仲間じゃないのか?」
一番可能性が高そうなのは増援だと思った俺はミックに問いかける。
「いや? それはないな」
が、あっさり否定されてしまう。
真顔なので冗談ではないのだろう。
「じゃあやばいだろ。一旦出直した方がよくないか?」
突入した先で対象が死んでいて、その原因が不明。
不測の事態だし、仕切り直した方がいい気がする。
「それはだめだなぁ。全員死んでるって確認とれたわけじゃないし、ターゲットに逃げられてたら追いかけることになるぞ?」
残念ながら俺の仕切り直し案はミックに却下されてしまう。
確かにメインターゲットであるここのボスの生死が確認できていない。
この場で凶行が行われてからさほど時間が経過していない今なら、ボスが生存していたとしても逃げられる可能性は低い。よしんば逃げていたとしても、追跡が可能。
ただし、仕事を達成できる可能性が高まる代わりに、不確定な危険がつきまとうこととなってしまうことになるが……。
「ならせめて慎重に進んでくれ」
「おう、任せろ。得意だ」
そう言いながら通路の真ん中を堂々とずんずん歩いていくミック。
得意という発言を裏付けるほど自信に満ち溢れた歩き方であったが、それが慎重という言葉に見合う振る舞いなのかは疑問が残る。
「お前が鉄のハートの持ち主だってことはよく分かった」
炭酸飲料を買う時は逆噴射を恐れて缶は買わずにキャップで締めれるペットボトルのみというほど慎重派な俺はミックとは対照的に壁に背を預けながら静かに進む。
「おい変質者、早く来いよ」
「的確な表現なら何を言っても許されると思うのは傲慢だぞ」
壁に背を預けて横歩きで進むガスマスクを被った俺の心にミックが容赦ないストレートを打ち込んでくる。
顔を隠して人に気づかれないように侵入している俺のスタイルが正解だと思うのだが、心に深刻なダメージを負ったのはこちらの方だった。解せぬ。
と、いうような感じで俺とミックは終始かみ合わないままに屋敷の奥へと進むこととなったが、擦れ違ったのはどれも死体だけだった。
「どうなってるんだ」
俺は予想だにしない展開に呟きを漏らす。
「楽が出来ていいじゃねえか、気楽に考えろって。ほらあれだよ、寝てる間に小人が仕事を手伝ってくれる的な?」
「その小人、サイコパス臭が半端ないな」
人が寝静まった深夜に殺人を行う小人。
俺の常識から言えば間違いなくサイコパス確定案件である。
「まあ、俺達の用事はここの主だし、そいつの部屋まで行くうちに何か分かるだろ」
「場所が分かるのか?」
「ちゃんと見取り図はもらってるからな? 工場のもあるぜ、見るか?」
などと言いながら懐から紙切れを二枚取り出すミック。
「それ、もう少し前に見たかったわ。具体的には工場に入る前な?」
あったんだ、と思うも今さらいらないなとも思ってしまう。
きっと、情報収集が専門のフォグがあらかじめ用意してくれていた物なんだろう。
さすがフォグ。そしてさすがミックといったところである。
「ちゃんと案内できてるだろ? 文句言うなって」
ミックはニヤリとしつつ紙切れを紙吹雪に変えて見せると、周囲の事などお構いなしに大股歩きで階段を上り、どんどこ進んでいく。
「ミツヒキチ島のときはもうちょっと説明してくれたのに今回はほんとに雑だな」
以前の仕事の時は結構綿密に色々やってた気がするが、今回は荒っぽすぎる。
「あれと今回を比較されてもなぁ。ミツヒキチ島はターゲットのみを狙ったもの。今回は時間つぶしの意味合いが濃いから質が違うんだよ、質が」
「時間つぶしってどういうことだよ……」
ミックの口からよく分からない回答を得て、再度聞き返すはめになってしまう。
「言ったろ? デザートがあるって。デザートが出来上がるまで時間がかかるから、その間に相手に嫌がらせの一つでもしておこうっていうのがこの仕事なんだよ。片手間でやろうとしてるから雑で当然、荒っぽくて必然ってこった」
「なるほど……」
と、頷くしかなかった。
「まあ、そういう事だ。気楽に行こうぜ?」
「だとしてももう少し俺の心臓に優しい行動を切望するぜ。料理するときの繊細さはどこに行ったんだよ……」
俺は溜息を漏らしつつ、今朝食べた美麗かつ美味なミックの逸品を思い出す。
時間をかけるところにはたっぷりと時間をかけ、細やかな技が光り、食べる人のことを考えて作られた品々だった。
あれだけの物を手早く作ろうと思えば緻密な計画を繊細にこなすことが必然となるはずだ。
「ああ、それなら先にターゲットの部屋へ行って待ってると思うぜ?」
「そうかよ。で、ここは注意するような事はあるのか?」
俺は諦め半分に屋敷についての注意事項を尋ねる。
工場では事前に何一つ聞けないという失態を犯したので、今回はちゃんと聞こうと思ったら、即行で特攻しやがったのでこんな奥まったところで尋ねるはめになってしまった。
「そうだなぁ。何かフォグに聞いた気がするが忘れた。まあ、ターゲットの部屋に辿り着くころには思い出すと思うわ」
「早くボスの部屋行ってお前の繊細さと合流したいわ」
などと会話している内に通路の突き当たりに一際大きな扉が見えてきた。
どうやら終着駅が見えてきたようだ。
どうだ、思い出したか? とミックに視線を送る。
するとミックは顎に手を当て、眉間に皺が寄るほど強くまぶたを閉じて、うんうん唸り出す。
しばらくして頭部に電球が発光した幻覚が見えるほど明るい表情で目を開くと、ぽんと手を打って口を開く。
「あ〜、思い出した。ここの街の出の奴らは大したことはない。だが、金に物を言わせて用心棒を雇っているらしい」
ミックが頑張って思い出した情報によると元からいる構成員の実力は大したことはなく、専用に雇った用心棒がいるとのこと。確かに夜の森や工場での戦闘を思い返すと構成員の強さは一部例外を除けば、それほどでもなかった。それだけに用心棒の強さが気になる。
「あ〜、知ってる知ってる。先生、お願いしますってやつだろ」
用心棒、つまり越後屋とかがよく雇ってる奴だ、などと一人納得する。
「女教師か……。そういう事もあったな……」
「俺とお前で先生に対する認識に大きな違いがあるのはよく分かった。で、用心棒の情報は?」
ミックが女教師と発言していることから俺が用心棒を先生と表現したのとは別の意味で使っていると捉えるべきだろう。なぜ今の会話の流れで女教師に行き着くのか……。
心の中でうなだれつつも、有用な情報がないか尋ねる試みを粘り強く続ける。
「確か名前はリオンって奴と、ブライアンって奴だったかな。女じゃないからちょっとうろ覚えだが許せ」
「名前を知ってもしょうがないだろ。それより顔の特徴と何が得意な先生なのか教えてくれよ」
ミックの発言から用心棒の性別が多分男という事が判明する。できればもう少し情報が欲しいので頑張って思い出してくれという願いをぶつける。
「あ〜、リオンは戦士。ブライアンはサムライ……だったかなぁ」
「そこ大事、超大事。間違いないよな?」
なんとか粘りに粘ってミックから用心棒の情報を聞き出す。
どうやら戦士とサムライのコンビらしいことが分かる。
俺、頑張った。
「合ってるって」
「ほんとかよ。で、そいつらは全員ボスの護衛をやってるのか? 見回りとかしてたらばったり会いそうなくらい正面から堂々と進んでるわけだけど」
と、ボスの部屋前で今さらしてもしょうがないような話を展開する。
でも見回りに外を出歩いていて、俺たちが突入後に挟撃されたらたまったもんじゃないので確認はしておくべきだろう。
「護衛だな。まあ心配ないって、多分ボスと一緒にこの中だ。行くぞ」
ミックは俺との会話に飽きたのか大きい扉に手をかけ、豪快に開け放つ。
「あ、おい! せめて準備させてくれ!」
俺の懇願はワンテンポ遅く、扉は大きな音を立ててダイナミックに開いてしまう。
正面突破についてはもう諦めていたが、せめて弓に矢を番えさせるくらいはさせてほしかったものだ。
などと考えつつも片手剣を抜いて部屋の中へ入ろうとする。
が――
「なんだこりゃ……」
――ボスの部屋の扉が開け放たれ、室内がはっきり見えた際の俺の第一声がこれだ。
「小人様様だな」
軽く口笛を噴きながらリラックスした感じでミックが呟く。
俺たちの視界に入ってきたのは血の海だった。
といっても驚きは少なかった。
なぜならここまで辿り着く過程で死体は散々見てきたのである程度予想はついたからだ。
ボスの部屋らしく広大な室内は争った形跡が至る所にあり、扉周辺にはここを死守しようとしたためか一際死体の量が多かった。
そして今も争いは続いているのか部屋の奥では物音が聞こえる。
しかし、ぱっと見人影はない。
多分、部屋の奥にある巨大な執務机の陰で、折り重なるようにして戦っているのではないだろうか。
「ヒィィッ!」
と、思った瞬間、机の陰から男が一人飛び出し、机の後ろにある巨大な窓にもたれかかった。
男の視線は俺たちから死角になっている机の陰に釘付けとなっていて、こちらに気づいた様子はない。
「で、あれはリオンとブライアンのどっちだ?」
俺は窓にもたれかかって怯える男を顎で指し、ミックに問いかける。
「残念、あれはターゲットのデイブだ」
「マジかよ。生きてたな」
「ああ。逃げてもいなかったな」
扉の周囲に死体が大量にあり、室内へと入れず立ち尽くしたままの俺たちはデイブをぼんやり見ながらターゲットが逃走していなかった事に喜びを分かち合う。




