4 来いよ!
「いや、何ていうか……」
俺は余りの事に言葉が出てこず、声を詰まらせる。
「何ていうか?」
汚らしく口元を歪める男は調子付いて俺の方へ顔を寄せながら先を促してくる。
「何ていうか、こんな展開に遭遇するなんて絶対ないと思ってたから嬉しくて!」
俺はガバッと勢い良く顔を上げると満面の笑みでそう答えた。
こんな展開……、全く持って予想外だ。
「は? 何言ってるんだこいつ」
近づけた顔を曇らせる男。
俺が話した言葉の意味が理解できなかったのだろうか。
ならばもう少し言葉を付け加えて詳しく説明せねばなるまい。
「これはあれだろ? 全員やっちゃっていいやつだろ? いいんだよな?」
俺だってこの手の振りくらい理解している。
エンターテイメントの鉄板って奴だ。
これはあれだ、殴っていいよ、半殺しも覚悟の上だよ、って言うボディランゲージであり、強烈なドMアピールだ。俺、知ってる。もちろん熟知していますとも。
「な、何言ってるんだこいつ……」
サッと顔から血の気が引き、後退る男。
「おいおい、それでいいのか!? もっと色々挑発して来いよ! 後あれだ、バタフライナイフとか抜いて振り回した方がいいんじゃないか? テーブルとか椅子もバンバン蹴った方がいいぞ!? 俺が邪魔か? 少し移動しようか?」
などとアドバイスし、気を利かせて少し席を移動する。
「よし、いいぞ!」
俺は男へサムズアップしながらウィンクする。
体重が乗ってるとテーブルや椅子は蹴っても音があまり出ないし、こういう配慮は重要だろう。
「……あ?」
しかし、俺の意図を察せず固まる男。
「む、これだけじゃだめか……、ならこんな感じか? ほら! いいぞ!」
俺は床に両膝を立てて仰向けに寝そべると両手で男を手招きする。
来いよ!
「薄気味悪ぃ野郎だぜ……。い、行くぞ!」
だが、俺の言葉を聞いて一番前にいた男は踵を返して店の出口へと向かい出す。
「お、おう」
「ま、待ってくれよ!」
それに反応して残りの二人も俺から離れていくのだった。
「え、ちょっと! ちょっと待ってくれよ! ここからだろ! もっとこう足引っかけたり、殴りかかろうとしてこいよ! なあ!」
色んな暴力を颯爽とかわし、反撃を加える。
そういうの憧れる。
男の子は誰だって中学生時代に教室にテロリストが乱入して来たのを一人でこてんぱんにする様を妄想するのは必然であり、通過儀礼。
こちらの世界に来たばかりの頃ならそういう状況を忌避したが、今の俺ならあの程度の暴漢相手なら割となんとかなる。
つまり中学生時代のドリームが叶う千載一遇のチャンスであったのだ。
無用な争いは避けるべきだろうが、ここまでのテンプレパターンに遭遇してしまっては、ファンタジー主人公にありがちな名シーンを体験してみたいという衝動に抗えるはずもないのである。
というか街に来てから散々だった上に、ここまでコケにされてすごすご下がるとかありえない。溜まったうっぷんを晴らすためにも少しは暴れたかった。
――今のはそういう場面だったはずなのだ。
なのにあいつらときたら何もせずに行ってしまいやがった。とんだチキン野郎だ。
もう少し諦めずに頑張ってほしかった、俺のために。
普通なら“野郎! やってやらぁっ!”と銃なんか捨てて血気盛んに突っ込んでくるところなはずだったのに。
「な、何言ってるんだあいつ……」
「やべぇよ。まじやべぇよ」
「もう関わらないようにしようぜ」
他の客席からもそんなざわめきが聞こえてくる。
一拍おいて、客の話し声もまるで波紋が広がるようにして静まり、無音になる店内。
気がつけば俺の周りには誰もいなくなっていた。
そして床には飯と酒が飛び散り、まるで俺一人がかんしゃくを起こして暴れまわったような雰囲気になってしまっていた。
そんな中で一人床に寝そべる俺。
(あれれ〜、おかしいぞぉ?)
俺は少年探偵がベテラン刑事にアドバイスするような心の呟きを残しながら現状に疑問を感じてしまうのだった。
周囲を見れば腫れ物を扱うような視線が俺を射殺す勢いで殺到していた。辛い。
「出るか……」
こんな状況で頭から酒臭い匂いを発しながら食事をしても旨くはない。
というかこの店、いやこの街で食事が続行できるとも思えない。
色々と諦めた俺はすっと立ち上がると、食っていない飯の勘定を済ませるためにカウンターへ向かう。
(とりあえず店を出てこれからどうするか決めるか)
結局、この街とは相性が悪かったという事なんだろう。
支払いを済ませた俺はがっくりとうなだれながら店の扉をくぐった。
◆
「なんだったんだあいつ……」
男は後ろを振り返りながら扉を開けて店内に戻る。
今し方、街の中でも限られた者しか利用しないこの店によそ者が現れた。
そのよそ者はこの街でのルールを知らないらしく、普通に注文を済ませ飯を食おうとした。
が、ここは街を取り仕切る者のみが利用を許される店。店員は新しく加入したメンバーと勘違いして招き入れたようだったが、そのことに気づいた男が追い出そうと近づいたのだ。
男が散々挑発してからかうと、よそ者は俯いてしゃべらなくなった。
きっと怯えて声も出ないのだと思っていたが、しばらくして全く逆の反応を見せる。
よそ者は嬉々として挑発を受け入れ、こちらとやりあう姿勢を示したのだ。
男もそういう状況は幾度と無く経験しているし、大概はそういった挑発をお互いに重ね、ケンカへ発展する。しかし、そのよそ者の仕草はケンカや勝負をするというよりは一切の抵抗を示さず暴力を受け入れるといったものに見えた。
そのため、男はたじろいだ。
気持ち悪い、と。
このまま挑発に乗って事を進めればどんな事態へ発展するか全く予測できず、気味悪さを覚えた男は一旦店外へと移動し、そのよそ者をやりすごすことにしたのだった。
そして連れと一緒に外に出て物陰に隠れ、よそ者が退店するのを待って店に戻ったというわけである。
男は店内へと戻り、自分の席目指して歩き出す。
それに続いて二人の男が後に続く。
「よそ者には違いねえけど気味が悪かったな」
「ああ、あんな奴に関わるのは御免だぜ」
後に続いた二人も前にいる男同様、少し前に会ったよそ者のことを思い出して身震いする。
ドン引きである。
「どうした?」
三人がそれぞれカウンターの席に着き、気味の悪い思い出を酒で吹き飛ばそうとした瞬間、店の奥から一人の男が現れた。
店の奥から現れた青髪の男は鋭い目つきが印象的でその場に現れると同時に店内を静まり返らせる。
「へ、へえ。変な奴が来たんで追い返したところでさぁ。どうもこの街に冒険者として来たみたいで……」
三人の内の一人が前に進み出て事情を説明する。
追い返したと話したのは見栄を張りたかったせいかもしれない。
「一人でか?」
男の話を聞き、青髪の男は再度聞き返す。
「へえ、多分旅人なんじゃないですかね。この街にも通りかかっただけだと思いやす」
青髪の男にへこへこと頭を下げて気持ちの悪い愛想笑いを浮かべながら自身の予想を語る男。
そんな男へ向けて青髪の男は拳を振りかぶるとおもむろに顔を殴った。
「グアッ」
男は青髪の男の拳をまともに受け、その場に倒れこむ。
「冒険者なのにパーティではなく一人で行動。しかもこの辺りに大して旨味のあるモンスターがいるわけでもない。ここから先に街らしい街なんてない。そんなところに単独活動している旅人の冒険者が来ると思うのか?」
青髪の男は拳を打ちすえて倒れた男へじっと睨みを利かせながら淡々と尋ねる。
「そ、それは……」
殴られて腫れ上がった頬を押さえながら立ち上がった男は青髪の男の言葉を聞き、酒場に来た冒険者がどれだけおかしな存在だったかを悟り、言葉を詰まらせる。
「探りを入れにきた間者かもしれん。殺せ」
青髪の男は短く言い放つ。
「さすがにそれは……」
殺すという選択肢に躊躇した男は言いよどみながらも抵抗の姿勢を示す。
だが、顔には怯えの色が見え、膝は隠しようがないほど震えていた。
「一人なんだろ? 自称冒険者が一人くらい行方不明になってもなんとでもなる。さっさとやれ。それより、ここの情報が外に洩れるほうがまずい」
殺しても問題ないと説明し、店にいた他の連中にも目配せしながら話す青髪の男。
その言葉にはどうしようもないほどの強制力があるのか店の空気が一変する。
「わ、わかりやした」
その言葉を聞き、腹を括る男。
青髪の男の言葉は絶対であり、これ以上の反論は許されない。
そう店の中の雰囲気が物語っていた。
店の中に居た男達は誰からというわけでもなく、自然と席を立ち、出口へと向かいはじめる。
賑やかな喧騒が途絶えた静かな店内で男達の床板を踏む音だけが淡々と響く。
外へ向かう男達の顔は無駄な表情が削げ落ち、冷たい覚悟が見てとれる。
どんな種類の覚悟かといえば勿論――。
◆
店から出た俺は腕組みしながら目的もなく歩いていた。
「ちょっと整理してみるか……」
軽く目を閉じ、この街に到着してからの事を思い出してみる。
まず、ギルドで更新手続きができなかった。
次に宿屋で宿泊拒否されまくった。
そして飯屋でからまれ、飯が食えなかった。
(ん、これって最悪なんじゃないか?)
俺に対する扱いが余りに酷いことに今さらながらに気づく。
そして理解する。
「この街に滞在する意味はなさそうだな」
と、導き出された結論を呟く。
せめて次の街の情報を手に入れてから移動したかったが、こうまでよそ者に厳しい街だとそれも難しいだろう。
まあ、ある意味仲間意識が強い街ではある。
きっと身内には激甘な街に違いない。
(寝る場所も確保できなかったわけだし外へ出るか……)
このまま街の中で野宿すれば飯屋の一件のように絡まれる可能性がある。
なら街の外に出て野営した方がましだろう。
そう考えた俺はさっさと街の外へ向かうのだった。
(そりゃ、栄えた街から離れていて人が多いところとなれば結束も強くなるし、身内びいきも激しくなるわな……)
俺の選択が全て正しくてここにいる人間が悪いに違いないと結論付けるのは簡単だが、そんな考え方ではまた同じ結果を招いてしまう。
これから先も人の住まう地に訪れる場合、どう考えても俺の方が部外者であり、異物。
今回のように弾かれつまみ出される可能性が消える事はない。
確かにこの街はちょっと程度が酷い気もするが、いい勉強になったと思うべきだろう。
次は俺のような人間にも受容がある街を探すべきということだ。
(と、いうことは女だけの街を探せばいいってことだな)
間違いない。
そこには間違いなく俺の受容が存在する。
が、そんな街はどこにもないだろう。
それでもリアルな路線へ近づけるなら直近で戦争が起きて若い男が駆り出され、年寄りと女子供しかいなくなった街とかならそういった可能性もあるかもしれない。しかしそんな戦争の影響下にある街にはこっちが行きたくない。
「まあ、普通に冒険者の利用が多い街を探せってことだよな」
モンスターが多いところやダンジョンがあれば自然と冒険者の需要もあるだろう。
そういう街の中で俺の好みに合うものを探せということだ。
腕組みしながらうんうんと頷き、これからの方針が固まったことに一人納得した俺は街の外を目指して歩き続けた。
…………
「ん〜、ここで連絡を取ろうと思ってたんだけどなぁ……」
次に目指す場所のイメージは固まったが、この街でやろうとしていたことができなくなってしまった。――それはミックとの連絡だ。
向こうの返事を待ちたい以上、数日は同じ場所に留まりたい。
しかし、このルルカテの街でそれは叶いそうもない。
「どうしたもんかな……」
そんな呟きを漏らす俺の目の前には自作のかまどがあり、上には金網がセットされていた。
かまどの中では丁寧に組んだ薪が煌々と燃えている。
(まあ、飯食ってる内に何かアイデアが浮かぶかもな)
と、自分に言い聞かせた俺はアイテムボックスから冷えたビールと腸詰を取り出す。
それらはこの国へ泳ぎ着いたときに港町で購入したものだ。
さっき飯屋で食いそびれたし、ものすごくソーセージが食いたい気分が高まっていたのでここでリベンジと洒落こむことにする。
いわゆる、後で食べようと楽しみにとっておいた物を不慮の事故によって誰かに食べられてしまうと買った時以上に無性に食べたくなってしまう症候群を絶賛発症中なのである。
この病は冷蔵庫にしまう頻度が高いプリンやアイス、シュークリームなどでよく発症する傾向がある。
発症の予防法としてポピュラーなのは名前を書くことだが、今回はそれらが一切通用しない状況での特異なパターンと呼べるだろう。
もし、発症してしまった場合は即座にコンビニに行くのが回復手段として有効である。
食べた相手を攻めても気が晴れないんだよね。
などと考えながら俺は熱せられた金網の上にソーセージを並べるとビールがなみなみと注がれたジョッキを月に向かって掲げる。
「ここに一人ソーセージ祭りの開催を宣言する!」
俺はビールを一杯一気に空けると夜の闇を打ち払うかのように叫んだ。
焼きまくるぜ。
…………
「うめぇ……」
ほどよく焼けた腸詰に舌鼓を打ち、ちょっと調子が乗ってきた俺は気持ち良くなって独り言を呟く。
――キュアアアアッッ!
と、そんな盛り上がりに水を差すように甲高い鳥の鳴き声が木霊した。
途端、鳥が数羽、木から飛び立つ。
バサバサッと羽音を立て、夜の闇の中でも怪しく光る月を目指して羽ばたいていく。
こんな夜中に鳥が飛ぶなんてなんとも不気味な光景だ。
風にあおられた木々がざわざわと揺れ、得体の知れない動物の鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。
大体鳥って暗闇で目が見えないんじゃなかったっけ……。
などという考えを廻らせるもどうにも落ち着かない。
普段ならなんということのない出来事だったのだが、どうにも気味が悪い。
そう感じてしまう理由は分かっていた。
暗闇に薄気味悪さを感じてしまう理由、それはこの辺りの景色が和風っぽいところとギルドで聞いたおばちゃんの話が原因だ。
おばちゃんは幽霊が出たから退治してくれと受付の男に泣き付いていた。
幽霊……、まあ、いないとは思うのだが頭の端に引っかかって中々外れてくれない。
そんな事を思い出してしまうと、普段見慣れている景色もどこかおどろおどろしいものに見えてしまうから困ったものだ。
なんていうかホラー映画や心霊特番を観た夜中にトイレに行けなくなったり、風呂場で髪を洗っているとき背後が妙に気になるのと一緒の気分である。
寝ようと思って天井の木目を見たら人の顔に見えちゃったりする例のアレである。
普段気にならない家鳴りにもビクビクしちゃう小心ぶりをこの場で発揮してしまう俺。
こう見えて、この世界に来てから結構グロ耐性はついたと思うのだが、こういうよく分からないタイプの怖さにはまだまだ敏感だという事に今気付く。気付いてしまう。
「まあ、おばちゃんの見間違いだよな……」
受付の男は怖がっていたから何かを幽霊に見間違えただけだとおばちゃんを諭していた。
幽霊の正体見たり枯れ尾花というわけだ。
今の俺もそれと同じ状態なのは重々わかっている。
だが分かったからといってこの気持ちを制御できるかどうかは別問題なのである。
臆病風に吹かれた俺は周囲を警戒し、何事も無いことを再確認しようとする。
「うぉっ!」
しかし、再確認に失敗し、奇声を上げてしまう。
それは何となしに視線を送った先に気味の悪い顔が見えた気がしたからだ。
よくよく凝視すれば木の後ろに木があっただけだった。
その木のうろが妙に人の顔っぽかっただけなのだった。
「勘弁してくれよな……」
ふぅと胸を撫で下ろすように息を吐き、一杯酒をあおる。
木を見てビビる男。
恥ずかしい事この上ない。
こんなところ知り合いに見られなくて本当に良かったと安堵する。
と――
「どうかしましたか?」
――背後から声をかけられる。
「うぉぇあ!?」
落ち着いた瞬間を狙ったテクニカルな呼びかけに思わず奇声を発する俺。
こんな誰もいない森の中で夜中に声をかけられるなんてあり得ない、まさか……。
あり得ない可能性に思い至った俺は恐る恐る、油が切れた機械のようにギギギと軋むような音を立てながら声がした方へぎこちなく首を回して振り向く。
するとそこには、一切血の気が無く真っ青になった不気味な男の顔がこちらを見ていた。




