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24 一方その頃ドンナは 4-4

 

 さてどうしたものか、と手すりにもたれかかった時、物音が鳴る。


「ん?」


 物音を聞いたドンナは手すりにもたれかかっていた体を起こす。


 警戒を怠っていたわけではないが、見渡す限り海しかない状況で足元からの音に気付くのが遅れてしまった。



 どうやら反対方向から船に何かがぶつかったようだった。


 衝突音と呼ぶには余りにも小さな音にぶつかった物の大きさはさほどでもなく、船に被害がないだろうということも分かる。そんな小さな音は一定間隔で鳴り続けていた。



 ドンナは確認のため、音のした船体側面へと移動し、身を乗り出して視線を落とす。


 するとそこには死体があった。物音の正体は波のリズムに合わせて死体が船体へとぶつかる音だったのだ。



「何の音?」


 音を聞きつけたラクルがメイディアナを引き連れて甲板へと上がって来ると、ドンナへと尋ねた。そしてドンナが答えるより早く、メイディアナが音の原因をつきとめる。


「マスター、こちらです」


 メイディアナは海面に浮かんだ死体を指差す。


 その表情に変化はなく、死体を見ても眉一つ動かす様子は無かった。


「お、何々? 引き上げて〜」


 ラクルは何を思ったのか、興味津々の笑顔で死体を引き上げろと指示を出す。


「かしこまりました」


 それに何の疑いも持たず、淡々と従うメイディアナ。


 二人は海に浮かぶ死体を引き上げようと躊躇なく動き出す。


 そこには一切の迷いがなく、ついさっきまで穏やかに昼食を取っていた者たちとは思えないほどの行動力を発揮する。


「おいおい……、悪趣味だな……」


 いくらなんでもそんな展開に発展するとは思っても見なかったドンナは一歩引きながらいやそうな顔をする。死体をいじる作業に参加したくなかったドンナは無意識の内に二人から距離を離して反対側の手すりにもたれかかっていた。



 二人の奇行にドンナがたじろぐ中、また船体に何かがぶつかる物音が聞こえてくる。


 聞こえた音は数秒前に聞こえた音に比べるとさらに小さいものだった。


「って、またか?」


 音が聞こえたのが背後だったため、首を回すようにして原因をつきとめようと船体を見おろすドンナ。



 ――するとそこには生首が浮いていた。


 首だけの状態ながらもうつ伏せになっているので顔は分からなかったが、間違いなくそれは人の頭部だった。ドンナが嫌そうな顔をする中、ラクルが音を聞きつけ側に寄って来る。


「何々〜? お、いいね! それも引き上げてよ!」


 ラクルは嬉々としてドンナに生首の引き上げを依頼する。



 が、ドンナはその言葉を聞いて、これでもかというほど嫌そうな顔をして抵抗を示す。


 なぜ自分が生首を引き上げねばならいのか。


 なぜ死体を触らねばならないのか。



 自分の仕事は護衛のはず。


 そういう雑事はあのメイドの領分だろうに、と思ってしまう。



「私がか? あいつにやらせればいいだろ?」


 ドンナはラクルの趣味の悪さにうんざりしながら、面倒事をメイディアナに押し付けようとする。あからさまに嫌そうな顔をしたドンナが指差した先ではメイディアナがはじめに見つけた死体を引き上げ中だった。


 体を折り曲げ、悪戦苦闘しながら死体に繋げたロープを引いている姿が目に入る。


 その姿を見る限り、残念ながら作業はしばらく時間がかかりそうで、首の引き上げまでは手が回らない様子だった。



「仕事だよ? 早く早く」


 しかし、ラクルはドンナの言葉を聞かず、雇用主という立場を利用し、強めの指示を出す。



 その言葉を聞いたドンナは顔をしかめた。


 正直、生首を拾い上げる作業などやりたくはない。


 しかし、雇用主の機嫌は損ねたくないし、指示には逆らえない。


 それにメイディアナが引き上げている体に比べれはこちらは首一つで大した労力も必要ない。



 ――やるしかないか、と嫌気でどっしりと重くなった体をもたれかかった手すりから引き離す。


「はいはい、わかったよ」


 諦めたドンナは渋々了承する。


 やる気無く、面倒臭そうに動きはじめたドンナはなぜか船にあった釣具のたも網を取り、海面に浮かぶ生首目がけて下ろす。そして、じゃぶじゃぶと力任せにたも網を動かし、雑に生首を拾い上げようとした。


 ドンナが生首と戯れる中、先に作業に取り掛かっていたメイディアナは死体の引き上げを完了したようで、ラクルの方を向いて口を開いた。


「マスター、引き上げ完了いたしました」


 報告を終えたメイディアナの足元には海水を多分に含んだ女の死体が横たわっていた。



 好奇心を隠し切れず、落ち着きの無いラクルは死体へと素早く駆け寄り、簡易的な検分をはじめる。そして数秒と立たない内に目を見開き、喜々として死体の状態を話しはじめた。



「ふむふむ……、これは中々面白いね! この死体、かなり体をいじくったせいで死亡してから数日たっているのに全く腐敗していない。それどころか生きていたときとさほど変わってないね」


 感心した表情で死体を探りながらブツブツと呟き続けるラクル。



 引き上げた死体には首がなく、死後数日経過しているようだった。


 にもかかわらず、死体には劣化の痕跡が見られなかったのだ。



 瑞々しい肌を保つ死体は女性だった。


 首回りが大きく露出した戦闘服を着ており、鎖骨部分には大きな角の入れ墨が見られる。


 褐色肌の女性の遺体はまるで生前と変わらぬ新鮮さを保っており、普通ではありえないことが不気味さを際立たせていた。


 そんな女の死体にラクルが釘付けとなっていたころ、ドンナはブツブツと愚痴りながらたも網を動かしていた。


「チッ、なんで私がこんなことを……、って、こいつは!?」



 ラクルとメイディアナが死体の見聞を続ける中、生首と格闘中だったドンナはとうとう目的のそれを引き上げることに成功する。が、たも網から取り出してその顔を見た瞬間、驚愕の表情になってしまう。


 そして驚きのあまり、無意識に投げ捨ててしまった。


 首が海へ着水すると同時にちゃぽんという音が辺りに妙に響き渡り、ラクルとメイディアナの視線が音の方へと修正される。


「あ」


 ドンナは生首を放り投げてから、今までの自分の労力が全て無駄になってしまったことに気づく。


「ああっ!? こらっ! 何してるんだよぉ!」


 首が海へと落ちる音を聞きつけ、どういう事態か理解したラクルが珍しく怒声を上げる。



「悪ぃ……。ちょっと見たくない顔だったんだよ」


 ラクルに攻められ、ばつの悪そうな顔で呟くように謝るドンナ。


 実際、言い訳どおりに見たくない顔だったのだからしょうがない。



 しかし、無意識に放り捨ててしまうほど嫌だったとは自覚していなかったようで、そんな自分自身に驚いてしまう。


 ラクルとドンナの間に微妙な空気が流れる中、メイディアナが素早く移動し、再度首を拾い上げようとたも網を落とす。


 そして――


「マスター、確保しました」


 ――首を拾い直し掲げてみせる。


 メイディアナが髪をひっ掴んで掲げた生首はショートヘアの茶髪に眼帯という見た目の女だった。


 そう、それは以前、ドンナの腹に風穴を開けてくれたエルザという女の首だったのだ。メイディアが掲げる首を見てうへぇと苦虫をかみつぶしたような顔をするドンナ。


 そんなドンナを置いてけぼりにして話は進んで行く。


「お、ご苦労! そこに置いて」


「はい」


 ラクルの指示に従い、首を先ほど調べた死体のそばへと下ろすメイディアナ。


 するとラクルが首へと近づき、調べはじめる。


 そしてその表情が一瞬で驚愕のものへと変わっていく。


「何これ!? 首だけなのに生きてるよ! ……でも死にかけだね」


 なんと生首は生きていたのだ。


 おそらく首の付け根についている装置が生命を維持していたのだろう。


 が、その装置による生命維持も限界が近いらしく、虫の息ということも分かる。


「なあ……。潰していいか? それ」


 生首エルザに嫌な思い出があり、腹部の古傷が痛み出したドンナは気分が悪そうな顔でラクルに尋ねた。


 今なら足で踏むだけで挽き肉にできるし、そうしたい。こういうしぶとい奴はさっさとすり潰しておくべきだとドンナは心中で一人頷く。


「ダメに決まってるだろ!? こんな貴重なもの滅多に手に入らないんだからね」


 その言葉を聞いたラクルはぷっくりと頬を膨らまし、ドンナに走り寄ってぽかぽかとお腹を叩きはじめた。


 ドンナの鍛え抜かれた体には無意味な攻撃だったが、腹を叩かれるたびに興がそがれていくのを感じる。


 しばらくするとやれやれといった気分と表情になってしまい、まあ、潰さなくてもいいかとすら思えてしまう。それはラクル仕草がどうにも子供っぽいからだろうか。


「わ、わかった。だけど、それを私になるべく見せないでくれ……」


 参ったドンナは死体から距離を置き、一息つく。


 ドンナの反応によし、と満足げに頷いたラクルは死体へと向き直り、腕組みする。



「ふ〜ん、首の無い体と、生きた首かぁ……。ふ〜ん……」


「マスター?」


 真剣な表情で悩むラクルに問いかけるメイディアナ。


「よし、繋げよう! メイディアナ! 準備して」


 ポンと手を打ち、快活な笑顔で死体の接合を決断するラクル。


 すかさずメイディアナへ準備をすすめるように指示を出す。


「かしこまりました」


 ラクルの言葉を受けたメイディアナは大仰に頭を下げると死体を担いで船内へと戻っていった。


「おいおいおい! 正気か!?」


 話を聞いていたドンナが驚いた様子で聞き返す。


「首だけの状態で生きていられるなら観察したいところだけど、あのままじゃ死んじゃうからね」


 ふふん、と笑顔で鼻を鳴らし人差し指をピンと立てて得意気に話すラクル。



「冗談を言ってるわけじゃないのは分かった……」


「じゃあ、震動対策に船を浮かせるよ。僕とメイディアナはオペ室に入るから後のことはよろしく!」


 と、ドンナへ話すと、ラクルも船内へと戻っていく。



「わかったよ……。仕事じゃなけりゃ踏み潰してるところなんだけどな……」


「そんな事、僕が絶対許さないからね! こんな面白い物、早々見つからないんだから!」


「はいはい……。まあ、失敗する……、よな?」


 ラクルの背を見送りながらドンナは無意識に呟いてしまう。


 願望が込められた想いだったが、冷静に客観視しても別人の首と胴体を繋げる治療とは呼べない行為が成功するとも思えない。


「僕を誰だと思っているんだい?」


 ドンナの呟きを耳ざとく拾ったラクルが背を向けたまま返す。


 その声音はいつもと同様、とても軽やかでこれから大事に向かうものとは思えないものだった。



 そんなラクルの普段どおりの振る舞いを見ていると、これから行う事が難易度も低く、いとも容易くこなせてしまいそうなことに思えてしまう。



 ラクルの姿が船内へと消える頃、それと同時に船が浮上しはじめる。


 波の影響を受けない状態へと移行した船は施術するにも問題ない環境へと変化を遂げていた。



 …………



 ラクル達がオペ室に入って数時間が経過し、日が傾きはじめていた。



 ドンナが夕日の眩しさに目を細めていると船内からラクルとメイディアナが上がってくるのが見えた。


 ラクルと目があったドンナは片手を上げて労をねぎらう。


「お、終わったのか?」

「まあね」


 にっこり微笑むラクル。


 集中して作業をしていたせいか夕日が差し込んだ顔に多少疲労の色が窺える。


「で、上手くいったのか?」


 ドンナの目からラクルの表情を読み取る限り、失敗したとは思えなかったがつい聞いてしまう。


「オペは完璧です。後は意識が戻るのを待つのみですね」


 するとメイディアナがラクルの代わりに答えてくれる。


 やはり何も問題なく終了してしまったようだ。



 それを聞いたドンナは複雑な表情になってしまう。


「よくもまあこんな状況であんなもんを使って完璧にこなすよな……」


 海上、死体、首、接合。


 どの言葉を拾い上げても、よくできたものだと感嘆の言葉しか出てこない。



「僕なら当然さ!」


 小さな体を目一杯そらして得意気な表情をするラクル。


 子供が遊びの腕を自慢するかのような仕草だったが、やったことは大人も顔負け。いや、大人にも実現不可能な事だった。


 そんな自慢げに佇むラクルの後ろでメイディアナが言う。


「マスター、個体の拘束はしなくてよかったのでしょうか?」

「あ! 起きて動いたらまずいね!」


 ふと思い出したかのようなメイディアナの指摘に、ラクルがうっかりしていたといわんばかりに驚く。


 そんな事を忘れるなんて普段ではありえないし、元気そうにみえてもやはり疲労が蓄積しているのだろう。


「あ〜、なら私がやってくるよ。ベッドについたベルトを締めてくりゃいいんだろ?」


 オペ室の中も見たことがあったドンナは二人の会話から何が必要かを察した。



 確か施術用のベッドには患者を固定するベルトがあったはずだと。


 船の浮上を解けば波の影響を受けるし、患者の眼が醒めれば動き出してしまうかもしれない。その両方の影響を抑えるためにも、患者の固定をしておいた方がいいのだろう。


 二人とも疲れているだろうし、その位のことなら自分がやっておくと名乗りを上げる。


「いいの? 助かるよ!」

「ああ、お前らは大人しく休んでな」


 喜ぶラクルに軽く頷いて応えるドンナ。


 ベルトで締めるのを忘れてしまうほど集中し、消耗したのだろうとドンナは考え、作業を買って出る。



「よろしく〜」

「ありがとうございます」


 ラクルとメイディアナの二人はドンナへ礼を言うと休憩するため、部屋へと帰っていった。


「ああ、任せとけ」


 ドンナは軽く手を振り返して二人を見送ると、自身も船内へと入り、オペ室を目指す。



(殺っちまうか?)


 ドンナは階段を下りながら一人考える。


 今なら生きた生首と二人きりの状況になれるし、殺している現場を見咎められることはない。


「いや……、やめとくか……」


 ドンナは苦笑しながら首を横に振る。



 ラクルはその手のことには聡い。逆に自分は大雑把で力任せ。


 こちらが上手くやったと思っていても、必ず痕跡を見つけてしまうだろう。



 人にはそれぞれ得手不得手があるが自分にはそういった陰でコソコソするタイプの行動は向かない。慣れないことをやっても見抜かれるだけだと諦める。


 そんな事を考えながら歩いているうちにオペ室へと到着し、中へ入る。



 ツンと消毒液の匂いが漂う室内はどんな作業が行われていたのか全く分からないほど綺麗に清掃された後だった。


 そんな室内にある施術台に元は二人の女だったものが、一つとなって横たわっていた。



 頭部は見知った者だが、そこから下は見知らぬ者。


 果たしてこの者をどう呼ぶべきかとドンナは顔しかめる。



 ドンナは自然と湧き上がった殴り飛ばしたいという衝動を抑えながら、施術台のベルトで患者の体を固定していく。



「これで全部か……」


 両手、両足。胴と全てのベルトを固定し終えて、患者の顔を覗きこむ。


 頭部、胴体、共に少し前まで死体モドキだったとは思えないほど生気を感じ取れる。凝視すると、かすかな呼吸に合わせて胸が上下しているのも分かった。


 すると患者のまぶたがピクリと動く。


「…………ぁ…………ぅ」


 途端、患者が小さな声を漏らす。


「お?」


 こんなにも早く意識を回復するとは思ってもみなかったドンナは小さく驚く。


 この回復速度からして、単に外科的処置を施しただけではないのだろう。


 きっとあのラクルのことだから、とんでもないことをしているに違いないと思ってしまう。


「こ……こ……は……?」


 目覚めた患者は意識が混濁しているのか、声を発することにも四苦八苦しているようだった。



 そんな言葉を発している女の姿を見るとこの女はどこの誰とも知れぬ患者などではなく、エルザで間違いないなとドンナは心の中で納得する。



「心配すんな、って私が言っても説得力ないか? お前の怪我を私の雇い主が治療したんだよ。嫌かもしれんが、体が落ち着くまではそこでじっとしていることになる。お前もよく分かってると思うが、大怪我なんだから動くなよ?」


 色々なことに折り合いをつけようと一度深呼吸したドンナは気持ちを切り替え、不本意ながら相手を安心させるような言葉をかけた。


 これは仕事、と言い聞かせニッコリ笑ってみせる。この位こちらから歩み寄れば相手も多少は警戒を解いてくれるだろうという予測のもとに行ったとっておきの笑顔だった。



 しかし、返ってきた言葉は――


「どこのどなたか……存じませんが、ありがとうございます。ところで………………私は誰でしょう?」


 ――ドンナの予想をはるかに超えるものだった。



「あ?」


 面食らったドンナは返す言葉が咄嗟に思いつかず、いつもの調子で威嚇するように聞き返してしまう。


「い、いえ……、ご、ごめんな……さい!」


 すると子供のように怯えた表情になるエルザ。以前見た狡猾さを微塵も感じさせない純粋な恐怖と狼狽の表情だった。



「どうなってるんだこりゃ……」


 予想外すぎる展開にドンナは呆気にとられて口を半開きにすることしかできなかった。


 今までに一度も受けたことのないタイプの衝撃に襲われたドンナは、エルザが向けてくる無垢な視線にも気づかず、ただ呆然と立ち尽くしていた。




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