23 一方その頃ドンナは 4-3
「丁度、試したいと思っていたところだ」
ドンナは錠剤を口の中へ放り込むと、ガリッとかみ砕く。
かみ砕いた錠剤を嚥下すると、数秒と立たない内に全身に激痛が走った。
「グアッ」
痛みにたまらず声を漏らすのと同時に、心臓が破裂するかと思うほど鼓動が激しくなる。
続いて血液が沸騰したかと思うほど熱くなり、暴走した土石流のように全身を駆け巡りはじめた。激しい熱さが全身へと広がり、立っているのもままならなくなる。
意識が朦朧とし、四肢が震える。
(なんだこりゃ……、毒……じゃ……ねえか)
ドンナは痛みと熱さに耐えながら必死で踏ん張り、倒れないようにこらえる。
しかしドンナが抵抗する間も血液は容赦なく熱くなり続け、まるで溶岩が全身を流れているかのような激痛が襲う。
「グウゥ……」
高温によって無理やり血管を押し広げられるような痛みにふらつくドンナの眼前では、風船のように膨らんだ男がしぼんで元の姿へと戻っていくところだった。男が復活する姿が目に留まるも、何も手を打つことができずに呻くだけとなってしまう。
「ハハハッ! 全力を出し切って疲労したのか? フラフラじゃないか!」
復活を遂げた男は高笑いを上げながら薬と格闘するドンナへ向けて歩み出す。
(どうなっている……)
意識が朦朧とし、立っているのがやっとのドンナに男の言葉は届いていなかった。溶岩と化した血液が血管を突き破って噴き出そうとするような痛みを必死で堪えるので精一杯だったのだ。
が、熱さと傷みに耐える内に全身が鉄のように硬くなっていくのを感じ取る。
はじめは心臓、そこから体の端へ向かって徐々に硬くなっていく。
四肢の付け根から手足の指先に向けて硬くなり、最後は首から頭部、そして眼球までもが硬くなっていくのが分かる。
それと同時にじわじわと痛みが和らいでいく。
熱さが収まることはなかったが、それを押さえ込むために全身が鋭利に研ぎ澄まされていくかのようだった。
「な、んだ……、その体は……」
復活を遂げた男がドンナの姿を見て呻く。
「あ?」
意識がはっきりとしたドンナは男の言葉を聞いて自身の体の変化が外見にもあらわれているのではと察した。
しかし、両手は【鉄腕】を発動した時と同様、赤黒く染まっているだけで変化はない。他の場所を確認しようにもスーツを着用しているため、分からない。
自分の身に何かが起きたことはわかっていたが己の姿を確認することができず、首をかしげてしまう。
そんな中、ラクルの軽く弾むような声が聞こえてくる。
「さあ、やっちゃえー! 核を取り出すんだ」
緊迫した状況に見合わないラクルの軽快な声がドンナの背を押す。
(熱い……。だが、力を感じる)
ドンナは拳を開閉し、感じを掴む。
掌を見ていると熱で周囲の景色が歪んで見えるような錯覚を覚える。
燃えるような力の塊が身体の内側で湧き出し続け、気を抜けば全身が発火してしまいそうだった。このまま止まっていれば体を傷付けてしまう。少しでも動いて体外に力を放出しないと、どうにかなってしまいそうなほどに体内で熱が荒れ狂う。
「く……、それが何だというんだッ!」
ドンナの姿に気圧された男は先手必勝といわんばかりに駆け出し、拳を振るった。
掌を見つめて立ち尽くすドンナの顔面に男の拳が突き刺さる。
男の拳は確かにドンナの顔面を捉えた。
しかし、お互いの時間が静止したかのように二人は動かない。
あれだけの勢いで拳を受けたなら、悲鳴を上げながら吹き飛んでもおかしくないはずなのに微動だにしない。
不思議な時間が経過する中、先に声を上げたのは男の方だった。
「グアッ!」
ドンナを殴った拳を引いてうずくまる。
男の拳は軽い火傷を負ったように赤く腫れていた。
そして、男の拳が目覚まし代わりになったのか、ドンナがゆっくりと口を開く。
「もうじっとしてらんねぇ……」
言うや否や、男へ殴りかかるドンナ。
「そんなパンチ……」
ドンナの拳に反応し、素早く防御する男。
放たれた打撃はとても単調なものだったため、男は簡単に防御に成功する。
しかし、ガードの意味はなかった。
命中した拳は、防御姿勢の男をそのまま数メートル先まで吹っ飛ばしてしまう。
「なぁぁああにぃいいいいいいいいいッ!?」
瓦礫の上を無様に転がりながら驚愕の声を上げる男。
「ハハッ……、力だ……。チカラダアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
男を吹き飛ばした結果に満足したドンナは叫ぶ。
叫ぶと同時に飛び出す。ふらふらと立ち上がろうとする男目がけて駆け出す。
「ッラアアアアアアアッ!」
怒声と共に男へ再度拳を見舞う。未だ立ち上がろうとする男にドンナの拳を防ぐ手立てはなく、綺麗に突き刺さる。先ほどとは違い、きっちりと威力を乗せることを意識したドンナの拳は男の頭部を水風船のように弾き飛ばした。
頭部を失った男の体は衝撃で宙を舞う。
そんな男の体へ追いついたドンナは連撃を繰り出す。
「ガアアアアアアアアアアアアアッッ!」
獣のような咆哮と共に繰り出す拳。
大砲の集中砲火を浴びたかのように拳を受けるたびに千切れ跳んでいく男の体。
そして粉々に弾けとんだ肉片の中から鈍い光を放つ宝石のような物が飛び出す。
それを目ざとく見つけたドンナは素早く掴み取ると急停止し、ラクルの方へ振り返った。
「これを潰せばいいのか?」
と、握る力を強め、宝石を潰そうとする。
表情からはそれほど力を込めているようには見えなかったが、宝石の方は小さくない音と共に無数のヒビが入っていく。
「あ、待って〜」
そこへ慌てた表情でラクルが駆けつける。
「なんだ? これが核なんだろう」
握り締めた宝石をラクルの方へ向ける。
ひび割れた宝石は怪しげな黒煙を上げ、自分が核だといわんばかりに存在感を示す。
「うん。でも潰したくらいだと、しばらくするとまた元に戻っちゃうんだよね」
「しぶとい奴だな。で、どうするんだ?」
「メイディアナ、あれ持ってきて」
ドンナを制止したラクルはメイディアナに呼びかけた。
「はい、こちらに」
するとメイディアナが鞄から小瓶を取り出し、ラクルへと渡す。
ラクルが受け取った小瓶の中には無色の液体が入っているのが見えた。
満足げに頷いたラクルが小瓶の封を開ける。するとポンと軽く気が抜けたような音と共に薄っすらと白煙が上がった。
「ありがとう。じゃあ、その核貰っていいかな」
小瓶を持つラクルがドンナに空いた手を差し出し、核の受け渡しを求める。
「大丈夫か? 気をつけろよ」
護衛対象を気遣ったドンナは恐る恐るといった体で核をラクルに手渡す。
ドンナから核を受け取ったラクルはそのまま地面へ置き、小瓶の液体を振り掛けた。
「この薬品をかければ、もう復活できないと思うよ」
液体が核に降り注ぐと同時に輝きが失われ、黒煙も消失する。
輝きを失い、黒ずんだ石ころと化した核はじわじわと溶け、地面に黒いシミをつくって消えてしまった。
「それで終わりか」
未だ戦闘の興奮が冷めやらないドンナは今までのしぶとさが嘘のような呆気ない男の最後を目撃し、つい尋ねてしまう。
「うん。じゃあ行こうか」
「かしこまりました」
ラクルは頷いてみせると、踵を返す。
それに付き従うようにメイディアナもその場を後にしようとする。
ミツヒキチ島唯一の生存者が消失し、もはやこの場に留まる理由はない。
二人がその場を去ろうとするのも当然。
しかし、ドンナは二人の後についていくことができなかった。
薬の影響で体が思うように動かなかったのだ。
じっとしているだけで体内の熱が膨れ上がり、今にも破裂しそうな錯覚に襲われてしまう。
「悪いが先に行っていてくれ……。私は……」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ、先行してほしい旨を伝える。
「そうだね。薬の効果が切れるには、もうしばらくかかるから船で待ってるよ」
全てを察したラクルは背を向けたまま船で待つことを告げ、そのまま歩み出す。
「すまんな」
今のドンナの燃えるような体では短く返すのが背一杯だった。
…………
「結局無駄骨ってことか……」
ドンナは船の甲板で周囲の景色を眺めながら呟いた。
爽やかな潮風を受け、短く切った色素の薄い金髪が柔らかくそよぐ。
薬の効果が切れた今は体の具合も快調で、景色を愉しむ余裕さえある。
数刻前までの燃えるような激痛が嘘のようであった。
しかし、わざわざ出向いた場所は廃墟で、全裸の男が問答無用で襲い掛かってきただけ。結局、何の成果も得られないままに、あの場を去ることになってしまった。なんともお粗末な結果である。
「一つ飲んじまったな」
手すりにもたれかかりながら遠くを見つめ、数刻前の戦闘を思い出す。
しぶとい男との戦いでラクルから貰った薬を一錠飲んでしまった。
三錠飲むと命の危険にかかわるという代物。飲める回数は後二回。
(まあ、こいつの凄さが分かっただけでもいいか)
と、懐からピルケースを取り出し、中の錠剤を眺める。
実際、薬の力は凄まじいものだった。
圧倒的な力と呼ぶに相応しく、技術の差など意味がなくなる。
これならどこかの冒険者に卑怯な手段で不意打ちされてもなんとでもなるし、どこかのスーツの男との間に戦闘技術の開きがあったとしてもなんとかなる。
今回の一件ではそう実感できた事が一番の収穫であった。
ピルケースを見つめる顔も自然とほころんでしまう。ドンナはそんな笑顔の源であるピルケースを大事そうに懐にしまいこむと見張りの仕事を再開した。
現在、ドンナが乗った船はカッペイナ国へ向かって走行中だった。
戦闘後、岸に停めてあったラクル特製の中型船へと戻った一向は一路次の目的地であるカッペイナ国を目指すこととなった。
カッペイナ国にはラクルの持つ隠れ家があり、そこで一息つく予定らしい。
また、その国にも件の組織の施設がいくつかあるので、休息した後に再度接触を図るつもりであるのも聞かされた。
ドンナとしてはフェイスガードをつけた男に会える可能性があるので、休みなど取らずさっさと行動してほしいところだったが、雇用主に逆らうわけにもいかない。
(少しぐらい待てばいいさ)
そう遠くないうちにケンタか縫い傷の男のどちらかの情報が手に入るかもしれないと思うと、どうにも落ち着きがなくなってしまう自分にそう言い聞かせ、水平線を見つめた。
…………
その後、しばらく何事も無い航海が続くうちに昼食時となり、一旦停船して休むこととなった。
ドンナは周囲の警戒のため外に出て見張りを行い、その間にラクルとメイディアナの二人が先に食事を取る事となる。
といっても見晴らしも良く危険の少ない海の上でドンナができることはなく、小休憩のようなものだった。
さほど大きい船ではないので、外周を周るのもすぐ済んでしまう。
かといって犬のようにぐるぐる周るのはまっぴら御免だ。
さてどうしたものか、と手すりにもたれかかった時、物音が鳴る。




