4 初〇〇
翌朝少し遅めに起床し、市場に向かう。
今回の散策で宿の料金を先に払ってしまうか、高額の買い物をするか決めるつもりだ。
ダンジョンの探索が楽になるような物があれば宿代を後回しにして購入を検討したい。
昨日までならひたすら安くて腹の膨れる食い物を目を皿にして探し回っていただろうが今は違う。
臨時収入様々だ。
今日は初日だし見るのを優先し、買いたい物、買うべき物を頭の中にリストアップしていくつもりでじっくり市場を回っていく。
何かないかと店を回っていると、それが目に留まった。
「おおおおおおお!? く、ください! それ買います!」
俺は店員に異常な速度で近寄り、両肩を掴んで揺さぶりながら頼んだ。
即決で購入を決める。
ドン引きしながらも対応してくれる店員をよそに俺はこれからすることを考えて上の空だった。それを行うにあたって必要なものも店を回って買い揃えてしまう。
今、俺の動きと思考はとても素早い。
今日は市場の買い物が済めばそのままダンジョンへ行くつもりだったが、予定を変更して一旦宿に戻る。
ここは戻らなければならない理由がある。
「……買っちまったぜ」
今日の市場での戦果をテーブルの上に置き、確認する。
片手鍋とフライパンだ。
といってもこれらがメインではない。この二つを買う理由になったものがある。
俺はそれを発見し何も考えずに購入を決意した。
そう、それは……。
厚揚げと油揚げ、そして醤油だ。後、青ネギも買った。
「これは、買っちゃうだろう。いやそんなことより早く食おう」
抑えきれない気持ちが俺を限界までそわそわさせる。
はやる気持ちに身を委ね、浮き足立ったままキッチンに獲物を運ぶ。
まさか、厚揚げや醤油があるとは思ってもみなかった。
異世界に来て数ヶ月、ずっと極限状態に近かったので食事に関しては諦めている部分もあった。
だが、俺は元の世界では毎日米と醤油を適量摂取しなければ禁断症状が出るほどの米醤油中毒だった。
ここのところ少し余裕が出て、食事に気がまわるようになってくると凄まじい禁断症状が俺を襲っていたのだ。
何度、卵かけご飯、納豆ご飯、明太子ご飯、塩辛ご飯、梅干しご飯などを貪る夢を見たか……。
生憎米は見つけられなかったが、醤油を見つけた。
これは食うしかない!
「ダンジョンなんかに行ってる場合じゃねぇ!」
俺はそう叫びつつ、おもむろに魔導コンロのスイッチを入れた。
火をおこしフライパンをのせる。この街に来て驚いたのは魔道具の豊富さだ。
この部屋だけでもコンロ、冷蔵庫、水道、トイレ、風呂、暖房、照明と揃っている。
スーラムにいたときの感覚だと豪華に感じるが、この街ではこの宿が標準で魔道具も一般的なものだというのだから驚きだ。
フライパンが温まってきたら、醤油を引き、小さく切った油揚げを投入する。
軽くかき混ぜながら水分を飛ばして醤油をなじませていく。
醤油と油揚げの焦げ付く匂いが部屋一杯に充満してくる。カリッカリになったところでテーブルの上に置いた皿に移す。
次に厚揚げをフライパンに乗せ弱火でじっくり焼く。表面が軽く焦げ中までしっかり火が通ったらこれも別の皿に移す。
そして細かく切った青ネギを散らし醤油を回すようにしてかける。
「出来た……」
厚揚げと油揚げを焼いて醤油をかけただけのものだ。だが、俺は知っている。
これがうまい事を。
椅子に座り、枝を削って作った自作の箸を持つ。
「まずは、油揚げからいくか」
油揚げを箸で摘む。
カリッカリになっているので摘み易い。
そして水分が飛んでいるので軽い。口の側まで持っていくと、部屋の中を満たしていた油と醤油が焦げた香ばしい香りが強烈に鼻腔を刺激する。
一口かじるとサクッと良い音を立てて小気味良い歯ごたえと共に口の中一杯に醤油の風味が広がる。
「うまい……」
シンプルな、醤油と油揚げだけの味なのに、なぜこんなにうまく感じるのだろうか。
「次はこっちだな」
次は厚揚げに行く。
青ネギを掻き分け、箸を差し込む。表面にはしっかりとした抵抗があったが中まで入るとあっというまに箸が皿まで届く。
箸で一口サイズに切り分け、青ネギを少し絡めて口に運ぶ。
表面のしっかりした歯ごたえとは裏腹に中はふわっと豆腐独特の柔らかさが口内を包み込む。
厚揚げだけなら淡白な味になってしまうところに青ネギと醤油がしっかりとしたアクセントになって調和する。
「米が……米さえあれば」
ここに米さえあれば完璧だった。ここで白飯をかき込むまでが一連の動作といえるのに、最後のフィニッシュができず非常にもどかしい。
しかし、ここにはないので代わりにルーフから貰った酒を出す。
まだ午前中だ。
だが、それがどうした。
酒を木のコップに注ぎ、一口飲む。
「よし!」
俺の中で何かのスイッチが入った。
入ってしまった。
酒のペースにあわせてチビチビ食べる。
「うっめぇ〜」
…………
気がつくと夕方だった。
「行くか! ダンジョン!」
上機嫌だった。
「今から入るのか?」
千鳥足で到着したダンジョンの入り口で職員に真顔で聞かれる。
「はい!」
上機嫌だった。
「知っているとは思うがダンジョンは九時になると閉館になるので気をつけろよ」
「了解です! ケチョンケチョンにしてやりますよ!」
俺は職員に敬礼してダンジョンに入っていった。
道具屋で時計も売っていたが当然俺は持っていない。
ぶっちゃけ九時とか言われてもわからん。
「勘だな!」
なんとかなるだろう。一切深く考えずにダンジョンの探索を開始した。
その後は遅れて入った時間を取り戻すかのように無心でゴブリンを狩りまくった。
しばらくゴブリンを狩りまくっていると前方に二人倒れているのを発見する。
慌てて駆け寄ってみたがすでに事切れていた。
死体には全身に打撲痕があった。多分ゴブリンに囲まれてしまい、対応できなかったのだろう。
俺も気をつけなければいつこうなってしまうかわからない。
それにしても……。
人の死体を見たのは初めてだが意外に何ともない。
正直もっとうろたえたり、気持ち悪くなるかと思っていた。
しかし、吐き気も催すことなく、平然としていた。
ここまで何ともないのは、多分人型のゴブリンを殺しまくったせいではないだろうか。
散々頭部を陥没させ、耳を剥ぎ取ってきた。
その度に手は体液や血で汚れたし、死体特有の匂いも体や服に染み込むほど嗅いできた。
長期間にわたって異常な数をこなしたので、きっと慣れてしまったのだ。
多少の相違なら生き物の死体として心の距離を置いて見れるまでになってしまったのだろう。
改めて二人の死体を見る。
このまま放置するとダンジョンに喰われてしまうがどうしたものか……。
講習ではこういう状況は説明されていなかった。
(持って帰って聞くか)
そう決めると、俺は二人をアイテムボックスにしまった。
担いで運ぶとなると時間がかかりすぎるので仕方ない。
バレないように少し手前でアイテムボックスから出して運んできたように見せかければいいだろう。
今日の探索はここまでにして入り口に戻ることにする。
俺は来た道を戻り、入口が近くなったところでアイテムボックスから死体を取り出す。
(ここまで呼んでくればいいか……)
そう考え、ダンジョンの出入り口に待機している職員のもとへ向かった。
「すいません。探索中に他の冒険者の死体を見つけて運んできたんですけど、どうしたらいいですか?」
入り口の職員に尋ねてみる。
「ここまで運んできたのか?」
「はい。講習で対応を聞いてなかったのでどうしたらいいかわからず、とりあえず運んで来ました」
「そうか、ご苦労様。死体を見せてもらえるか?」
「こっちです」
「ふむ、見る限りゴブリンに囲まれて殴り殺されたようだな。今日このダンジョンに来たのは君とそこの二人だけだし、君ではなくモンスターにやられたとみて間違いないようだね」
床で動かない二人を指差し職員は言う。しかし一日で三人しか来ないとはこのダンジョンは相当人気がないようだ。
しかも、今の言い方だと俺が殺したか疑われていたような気がする。
「ちょちょ、俺なんもやってないっしゅよ?」
つい挙動不審になってしまう。小心者の俺らしい反応だ。こういうとき冷静にズバッと話せる人に憧れる。
「ああ、わかっているよ。気を悪くしないでくれ。だが、そういう奴らもいるんだ。人気の初心者用ダンジョンや中級者用ダンジョンでよくあるんだが、新人狩りといって人数の少ないパーティーを襲って金品を奪う奴らがいるんだ。犯行現場さえ見られなければモンスターに襲われたと判断されるし、死体はしばらくするとダンジョンに喰われてなくなってしまうからな。ダンジョンに入るときにカードをチェックするので探索者が少ないダンジョンでは誰が襲ったかすぐわかってしまうので、ここみたいなところではまずないから安心してくれっ……て、冒険者の君ならこんなこと知っているか」
説明しながら職員は苦笑いを浮かべていた。
だが俺はそんなこと初耳なわけで。
なるほど、強盗みたいなのがいるんだな、などと納得してしまう。
自身の安全のためにもギルドでもう少し詳しく聞いてみた方がいいかもしれない。
「ちなみに冒険者の死体を見つけたときは今回みたいに入り口まで持ってこないとだめですか?」
「いや、その場に放置で構わない。ダンジョンから出る際に我々に教えてくれるだけで問題ないよ。死体を引きずって帰る途中にモンスターに襲われたらそれこそ二次被害になってしまうからね」
「わかりました。ありがとうございます」
大体の事が分かった俺は職員との会話を切り上げ、ギルドに向かった。
えっちらおっちらとダンジョンからギルドへ向けて歩いて帰る。
ちょっと遠い道のりなのに酒が残っているせいか、のんびりとした歩調が妙に楽しい。
そうこうしている内にギルドへ到着し、受付で手続きを済ませ報酬を受け取る。
「こちらが今回の報酬となります。お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
新人狩りについてどう聞こうか考えていると、俺が帰らないのを見て受付のお姉さんが気を利かせて尋ねてくれる。
「他にご用はありますか?」
「あ、すいません。新人狩りについて教えて欲しいんですけど」
「……え?」
受付のお姉さんはきょとんとした表情でこちらを見た。
「今日初めて存在を知ったのですが、できれば会わないようにしたいので避ける方法があれば知っておきたいなと思いまして」
「……ケンタさん」
受付のお姉さんの口調がどこか重苦しい。




