48 ケンタは拒否する
「あの女……、やりやがった…………」
俺が地面に伏せた姿勢から立ち上がりながら視線を前方に向けると、そこには広大な船首部分に乗り上げた黒光りするクルーザーの姿があった。
どうやら回避に成功し、クルーザーは俺の頭上を通過していってくれたようだ。
あれが不時着した際に船上で何かに衝突したような気がしたが、それどころではない。
俺の視線は黒船に釘付けになっていた。
黒船は衝突しても傷一つなくピカピカだった。
妙にツヤツヤしていて光沢があるせいか、日の光をこれでもかって位反射している。
だが、これはラッキーだったかもしれない。
なぜならあいつは船だ。ブラッククルーザー・エルザだ。
海の上なら自在に動けるかもしれないが、ここは船の上。
いくら巨大でも足のない今のあいつは完全に身動きが取れないはず。
表立った損傷が見あたらないので側に接近すれば多分攻撃してくるだろうが、要は近付かなければいいだけの話。
あいつがここで身動きがとれない間に俺は救命ボートでさっさとオサラバしてしまえばいいのだ。
俺は余裕の表情で立ち上がり、服についたホコリを払うと背を向けてその場を立ち去ろうとした。
だが次の瞬間、妙な悪寒が全身を駆け抜ける。
まるでバケツ一杯の毛虫を頭からかけられたような嫌悪感が頭のてっぺんから爪先まで通り過ぎたのだ。
俺は油が切れた機械のように悪寒のする後方へとぎこちなく首を回す。
――ギャギャギャッ! ガシャッガシャッ! ガシャンンンッッ!
そこには異世界ファンタジーで決して出してはいけない、……まるで飛行機や自動車が人型ロボに変形するような音を発しながら形を変えていくブラッククルーザー・エルザがいた。
恐る恐る振り向く俺がその対象へ視線を固定する頃にはブラッククルーザー・エルザの変形は滞りなく速やかに完了してしまう。
その姿は――。
「……ぇ、なんでそのチョイス?」
俺の目の前で金属が打ち鳴らす独特の音と駆動音を響かせて変形を遂げたエルザは巨大なカニになっていた。
どこからどう見てもカニになっていたのだった。
黒い巨大タラバガニと化したエルザが俺の眼前で日の光を反射しギラリと輝く。
巨大な鋏をふりかざし、上端には二つの目のような何かがあり、脚は六本。
タラバガニのように表面にトゲトゲはなく、色も黒いがシルエットは通販番組で見た茹でたてそのもの。まるっきりカニである。
そんな黒カニの腹の上部にはこちらを見下ろすおなじみの顔があった。
その頭部の位置関係、なんていうか特撮のパロディーで出てきそうな出来の悪い怪人を連想してしまう。
こう、着ぐるみの中央にぽっこり穴が開いていて、そこから顔を出し、四肢の関節部の作りが甘いせいで腕とか曲げれない系の奴だ。
そんなパロディー怪人ならかわいげがあったが、俺の眼前にいる黒カニの作りこみは半端なかった。
ビース○ウォーズの最終回に端役で出ても気付かないレベルだ。
それにしても巨大タラバガニのくせに身は全く詰まって無さそうだし、いい出汁も出なさそうではある。
そんなブラックキャンサー・エルザが倒れるようにして全ての足を地に着けると蜘蛛のようにしてこちらへと前進してきた。
「カニなら横歩きで追ってこいよっ!」
慌てた俺は元来た道を戻るようにして走って逃げる。
(どうすんだよコレ!?)
巨大な黒カニは俺目掛けて凄まじい速度で追ってくる。
だが、打開策のない俺はひたすら逃げるしかなかった。
今、爆弾は使い切って手持ちがない。
となると、多分あのボディに致命的なダメージを与えられる武器がない。
見た限り柔らかそうで急所っぽいのは頭部のみ。
だが、その頭部はあの巨体からみるとかなり小さい。
攻撃するとなると針穴に糸を通すレベルだ。
(とりあえずあの巨体では入れない場所へ行くしかないか……)
俺は船体外周の遊歩通路を走りながら、どこかで船内に入ろうと目をせわしなく動かす。
すると前方から見回りを続けていたであろう船員が現れた。
船員は音がするこちらへと顔を向けて固まる。
「あ? えっ!?」
ダッシュしてくる俺を見て驚き、視線をその後ろへ向けて更に驚く。
――まあ、驚くよね。
「止まるな! 走れっ!」
俺は立ち止まって呆然とする船員へ声をかけつつ逃げる。
船員はそこでようやく事態を把握し走り出した。
「ど、どうなってるんだ!?」
驚きを隠せない船員は追いついてきた俺に問いかけてくる。
「ぇ、……さぁ?」
並走する船員にブラックキャンサー・エルザについて聞かれるもバカ正直に俺を狙ってきた可能性が大ですとお答えするわけにもいかず、ごにょごにょ言うしかなかった。
あんなもん予想して行動できる奴なんていないし俺は悪くないっ! と思いたい。
しばらくすると屋内へと通じる階段が見えてくる。
俺達はすかさずそちらへ飛び込んだ。
するとブラックキャンサー・エルザはその巨体のせいで俺を追って来れなくなり、立ち止まる。
「出てらっしゃい……。ほら……早く……、ハヤクゥゥゥウ」
外周から船内へと入る入口附近で俺を誘うような掠れた艶っぽい声が耳に届く。
それと同時にそんな声音には似つかわしくないガギャガギャッ! と入口を無理矢理巨大な鋏で押し開くような不気味な音が連続して聞こえてくる。
そんな声と音はしばらくすると聞こえなくなり、静寂が戻った。
どうやら、しばらく入り口付近で色々やっていたようだったが途中で諦め、船尾の方へと移動していったようだ。
俺はブラックキャンサー・エルザがいないことを確認すると階段を降りて床に座り込んだ。
それを見た船員もどかっと隣に腰を下ろして息を吐く。
(まさか変形するとは……)
ブラックキャンサー・エルザはあの巨体だし、船の内部までは入ってこれないだろう。
だが、いつまでもここでじっとしているわけにもいかない。
なぜなら今ごろ反対側面では乗客が救命ボートへ乗り込む作業をしているはずだからだ。
船内に入れないとなると、あいつはいずれ外周を回ってそこへ辿り着いてしまうだろう。俺を見失った状態が続き、そんなところで救命ボートに出くわせば何をするか分かったもんじゃない。
「お、おい。あれってモンスターだろ?」
座ったまま荒い呼吸を繰り返す船員が俺に聞いてくる。
船員的には海の魔物と判断したのかもしれない。
「どうだろうな?」
執念はモンスター級だと思うが、判定はグレーだ。
「あ、あんた冒険者だろ? なんとかしてくれよ!」
「悪い、専門外だ」
船員にモンスター討伐を依頼されるも即答で断った。
冒険者ならなんでも退治できると思ったら大間違いだ。
あれはモンスターでもないし、俺が得意とする専門分野でもない。
いや、むしろ専門は俺以外いないのかもしれないが……。
「く、くそっ……、よりにもよってなんでこんな時に……。あんなの反則だろ……」
「奇遇だな、俺もそう思う。とにかくこのことを他の船員や救命ボート乗り場にいる人達に伝えてくれ。その間俺がなんとかひきつけるから、さっさと脱出するよう促してくれ」
俺も逃げたいが野放しにしているのはまずいし、やるしかないだろう。
引く手数多の凄腕冒険者である俺があのカニを引きつけてうまく逃げている間に脱出してもらうしかない。
その後は俺も逃げ出したいが、そうするともれなく黒いクルーザーがオプションで付いてくる気がする。……さて、どうしたものか。
「あ、あんた……。分かった! 生きて帰って来いよ!」
「あれの機嫌次第だな……。まあ、機嫌が良くても悪くても俺に良い事なさそうな気もするけど……」
俺の言葉を聞いて、船員は深く頷くと駆け出した。
「最低でも救命ボートが全て発進するまではひきつけて逃げ回らないとだめってことだよな……」
脱力するように壁へもたれかかった俺は深くため息を吐いた。
◆
「「…………」」
あまりの出来事を前にしてオリンとロッソは一言も発することができずにただ立ち尽くしていた。




