38 イハタクは静かに怒る 二
「ぐうぅっ! しつこい奴らだっ!」
女の鞄を奪った船員は後ろを振り返り、追いすがってくる二人を見て毒づく。
そして後ろを振り返って正面を見るのがおろそかになった瞬間、丁度側面から人が飛び出してきた。
「うおっ!」
船員は慌ててかわそうとするも間に合わない。
「あわっ!」
飛び出してきた方も相当急いでいたらしく、驚く声が響く。
船員は結局飛び出してきた者とぶつかってしまった。
しかも飛び出してきた者の体重と力が強かったらしく、跳ね飛ばされるようにして倒れる。そして飛び出してきた男の方はぶつかったはずなのに衝撃を受けてもその場から一歩も動くことはなかった。
「ごめん、大丈夫かい?」
そしてぶつかった男は謝りながら倒れた船員へ手を指し伸ばす。
その姿はどう贔屓目に見てもマスクを被った中年太りの変質者だった。
「あ、ああ……」
男の外見に気圧しながらも手を握り返し立ち上がろうとする船員。
その時、背後から追ってきていた二人がすぐそこにまで迫っていた。
船員はその事に気付き、手を振り払って逃げようとする――。
「泥棒だ! そいつを放すなっ!」
「頼むっ! そいつを捕まえてくれえぇっ!」
盗人の船員を追う男女の必死な声が木霊する。
「くそがっ!」
それを聞いてあせった船員は男の手を振りほどくと走り出した。
だが、そんな船員の前に二人のマスクをした者が立ちふさがった。
慌てて方向転換しようとするも、背後にはさっきまで手を握っていた中年太りのマスクマンが立ちふさがる形となる。
「どけえッ!!!」
盗人の船員は人数が少ない中年太りのマスクマンへ向けて威嚇する。
二人より一人で道を塞いでいる方が突破し易いだろうと考えての事だった。
「だめだよ。そういう火事場泥棒みたいな行為は感心しないな」
言うが否や、中年太りのマスクマンは船員の腕を捻り上げ、床へと押し倒す。
「ぐあっ!!」
「大人しくしなさい。盗った物を返すんだ」
中年太りのマスクマンは船員の腕をギリギリと締め上げながら淡々と盗品の返却を要求するのだった。
◆
「本当にありがとう……。ありがとうございますっ!!」
イハタクは心の底から感謝の言葉を紡ぎ出し、マスクを被った三人組に深々と頭を下げた。
そんなイハタクの胸には取り返してもらったトランクが大事そうに抱え込まれていた。
「うん、取り返せて良かったね」
「まさか船員が悪事を働くとは……」
「他の船員に引き渡したいところですが、今は非常時ですしここに縛り付けておきますか」
イハタクの礼を受けてマスクマン達が順に返事をしてくる。
盗品を取り返してくれた者達に多大な感謝の念を抱くイハタクだったが、失礼を承知で三人の外見を表現してしまうと明らかに変人だった。
三人はバケツを引っくり返したかのようなフルフェイスマスクを被り、前面にはべったりとど派手なマークがついているのだ。これを変人と表現しなくて何と言おう。
そしてそんな特徴的な外見には覚えがあった。
乗船時、マスクを取らずに船員と一悶着起こしていたのが眼前の三人組だったのだ。
あの時は怒りに任せてつい怒鳴ってしまったが、そんな三人組に助けられてしまった事に数奇な運命を感じてしまう。
しかも盗みを働いた船員を足止めし、取り押さえてくれたのは中年太りの男。
この男とは女を捜している時にも遭遇し、邪険な態度を取ってしまった。
だが、そんな男のお陰でトランクを取り返せてしまったのだ。
こうやって見てみると未来のことなど何が起こるか全く予測できないものだ。
イハタクはあの時怒鳴ってしまったことの謝罪も含めて誠心誠意礼を言うのだった。
「私からも礼を言わせてくれ、本当に有り難う。盗んだのはその男だが盗まれた彼には酷い思いをさせてしまったんだ。本当に助かったよ」
と、ここまで同行した女も三人組へ向けて礼を言う。
結局こいつは何の役にも立たなかったな、とは思ってしまうも協力的な姿勢を示してくれたし良しとする。なんにせよトランクが無事手元に戻ったのだから、それ以外はどうだっていいのだ。
「ん、気にしなくていいよ。じゃあ僕たちは先を急ぐから」
「知っているかもしれないが今は非常事態だ。皆避難場所へと向かっている。君たちもそちらへ向かうといい」
「我々は他に暴れている者がいないか確認してから戻るので先に行っておいてくれ。では」
マスクを被っているので声音で判断するしかないが、中年男性、女の子らしき者、色男の順にこちらへと声をかけてくる。
その内容はどれもイハタク達の身を案じるものだった。
外見は本当に酷いのにとても出来た人達だな、とイハタクは心の中で感心する。
そして、三人はこちらへ注意を促すと颯爽とその場を去って行くのだった。
「ありがとう」
「気をつけて」
イハタクと女の言葉を背に受け駆け出す三人組。
不思議な三人組を見送ったイハタクは避難場所とは逆方向、救命ボートがある場所へと駆け出した。
――イハタクはこの数分ずっと考えていた。
このままこの船に乗り続けていているべきかを。
そして悩んだ挙げ句、脱出を決意する。
思い返してみてもこの船に乗ってからは散々だった。
それはただ単に運が悪かったのかもしれない。
だが、全ての原因は回りに人がいることだ。
人がいる限り、不測の事態が起こってしまう。
ならばこの船から出るべきだと。
一人で救命ボートに乗って脱出してしまえば問題ないと結論を下す。
「おいっ、聞いてなかったのか!? 皆避難場所へ向かっているそうだぞ!」
そんなイハタクの奇行を見て女が声を荒らげる。
「悪いが俺は救命ボートでこの船を出る。どうもこの船に乗ってからついていない。これ以上トラブルは御免だからな」
イハタクは女に言葉を返しながら船から救命ボートを降ろす装置を作動させる。
トランクを奪った船員が途中まで操作を行っていたせいか、素人のイハタクでもスムーズに作業が進んで行く。
「そんな勝手が許されるわけないだろう! 救命ボートにも限りがある、一人で一艇使用するなんて許されると思っているのか!」
救命ボートは非常に大きく、一艇に七十人は余裕で乗れる構造をしていた。
ちょっとした遊覧船顔負けの大きさなのである。
そんな代物を一人で独占すれば他の乗客に迷惑がかかると女は苦言を呈する。
「うるさい! 黙れ! お前はさっさと避難場所にでも何でも行けばいいだろうが! だが俺の邪魔はするな! ここまでこじれたのはお前のせいでもあるんだからな!」
女の言葉を聞いても精神的に追い詰められたイハタクが作業を止めるはずもなかった。
むしろ逆に女の責任を追及し、邪魔をするなと叫ぶ。
「……くっ、いいだろう……。救命ボートのことは黙認する。だが作業は手伝わん、貴様一人でやり遂げるんだな!」
女はトランクを取り違えた事に後ろめたさを感じていたのか、イハタクの行動を無視する事にしたようだった。だが積極的に関わろうとはせず、その場を去ることを告げる。
「ああ! やってやるさ! こんなところから一秒でも早く出て行ってやる!」
「勝手にしろ……」
女はイハタクに背を向けるとその場を去った。
きっとその足が向かう先は三人組に教えられた避難場所なのだろう。
女は自分のトランクを大事そうに抱えながらイハタクに捨て台詞を吐くと階段を降りていった。
「俺は出るんだ……。こんな所にいてたまるか……」
自棄を起こしたイハタクは救命ボートを固定しているアームの操作に手こずりながらも作業を進めていく。
そしてしばらくするとアームの操作を成功させる。
装置を作動させると船体からアームが伸び、救命ボートが切り離されて落下した。
軽い水しぶきを上げながら救命ボートが海に浮かぶ。
それと同時に救命ボートへと通じる縄梯子がアームから伸びた。
「よし……!」
イハタクは縄梯子を伝い、救命ボートへと乗り込んだ。
縄梯子を切り離すと操舵席に移動し、発進させる。
イハタクが乗り込んだ救命ボートは静かな駆動音を出しながらゴウカキャクセイン号からじわじわと離れていく。
「ハハッ、やってやったぞ、ざまあみろっ!」
イハタクの操縦する救命ボートは日の光を一杯に浴びながら大海を突き進みはじめた。
◆
「愚かな……」
走り去る救命ボートを見つめながらヘザーは呟いた。




