26 レジスは息を呑む
「ハァハァ……、クソっ、なんであいつらが……」
命からがら店を飛び出したレジスは全力で走りながら毒づいた。
少し気持ちが緩み、軽い気持ちで食事に行ったら強盗が入った上に奴らが現れた。
撒いたと思っていた相手がこの船まで追って来ていたのだ。
ついさっき賊から自分を助けてくれた三人組にはシュッラーノ国内で何度か捕まりそうになったのでよく覚えている。
凄まじい身体能力を誇る三人だったがどこか抜けているところがあり、なんとか相手を出し抜いてここまで逃げ切ったが、まさか船の中にまでいるとは思ってもみなかった。
いや、実際はその可能性がずっと頭の片隅から離れなかった。
だから部屋からなるべく出ないようにしていたのだ。
それがよりにもよってあんな再会を果たすとは……。
(くそっ、悪い予感に限って当たってしまう……)
レジスは狼狽しながらも必死で逃げた。
(ここまで来れば大丈夫か? 追って来てないだろうな……)
人ごみに紛れながら逃走したレジスは息を切らせながら後ろを振り返る。
レジスの期待通り、後ろに追って来る者の姿はなかった。
(賊の退治にいったのか……)
レジスが見つかった時、店内には賊が大量にいた。
妙な正義感を振りかざすあの三人なら何の罪もない乗客が襲われる様を黙って見過ごすわけが無い。そう確信したレジスは足を止め、壁にもたれかかって息を整えようとした。
(運が良かった……)
乱れる息を少しでも整えようとレジスはゆっくりとした呼吸を意識する。
賊に襲われかけたときは最悪だと思ったがそのお陰で追っ手を撒けた。
自分も中々悪運が強いなと皮肉げな笑みを作る。
(部屋に戻るべきか……)
落ち着きを取り戻しつつあったレジスはここで迷いが生じてしまう。
このまま自室に戻って閉じこもるべきかどうかを。
部屋に入れば一応隠れることはできる。
だが部屋には出入り口が一つしかない。
つまり自分の部屋が三人組にバレた場合、逃げ道はなくなってしまうのだ。
しかもややこしい事についさっき賊が出た。
こうなると沈静化したあとに船員が安全確認や潜伏している犯人の捜索に室内のチェックに来る可能性がある。
そしてその場に最大の功労者であるあの三人組が同行しないとも限らない。
(完全に落ち着くまでは外をうろついていた方が懸命かもしれんな……)
迷ったあげく、レジスはそう判断する。
(移動するなら相手の接近に気づけるように見晴らしがよくて強盗事件と関わりにくい場所がいいだろうな……)
人通りが多く見晴らしが良いところなら、こちらの身を隠しつつ遠くから様子が窺える。
そして強盗事件が拡大したとしても被害に巻き込まれない場所。
この二つが合致する場所を選びたかった。
(上に上がるか……。強盗は逃げるなら下に下りるだろうしな)
そう考えたレジスはプールとスパエリアのある十三階へと向かうことにする。
その階なら金目の物はないし、周囲の見晴らしも良いだろうと考えての事だ。
「なんだ? 雨でも降っているのか?」
早足でエレベーターへ向かう途中にレジスは何度かフードを被った者とすれ違う。
もしかして雨が降っているのかと不安になりながら十三階のプールエリアに出るとさんさんと輝く太陽が出迎えてくれた。
(なんだったんだ……)
すれ違ったフードの者が少し気になったが、今は見晴らしが良くて見つかりにくい場所を探すのが先決と気持ちを切り替える。
十三階のプール部分はかなり広い空間が取ってあり、ビーチなどで見かける簡易ベッドがパラソル付きで等間隔に置かれていた。
レジスは辺りを見渡し、空いているパラソルの下へと向かった。
その辺り一帯はそこそこ人通りがある上にパラソルが作る陰によって船内からはこちらが判別しにくい。
レジスはこの場所が最適だろうと考え、利用することを決める。
パラソルの下に置かれた簡易ベッドの上に寝そべると思い切り体を伸ばす。
時間を潰すために従業員に飲み物を頼み、しばらく海を眺める。
(ん、停まっているのか?)
そこで寝そべっていたレジスは海を見て異変に気づく。
景色が進んでおらず、完全に静止していたのだ。
その事から、もしかして船が止まっているのではと考えを巡らせる。
「お待たせいたしました。どうぞごゆっくり」
「あ、ああ」
が、そんな思考を遮るように注文の飲み物が届いてしまう。
冷たい果実のジュースを口にし、一息ついたレジスは緊張が解けたのか少しウトウトとしてしまい、慌てて頭を左右に振る。しかし、駄目だと分かっていても睡魔には逆らえず、浅い睡眠を迎え入れてしまった。
(ッ! いかん、眠ってしまったか……?)
しばらくして目を覚ましたレジスは簡易ベッドから起き上がり、腰をかけた。
慌てて周囲を見渡すも三人組が側にいる様子はなかった。
(危なかった……)
ほっと胸を撫で下ろした瞬間、はて、と再度周囲を見渡す。
はじめは違和感を覚えてゆっくり、そして最後は違和感の正体に気づいて首が千切れる程の速度で視界を巡らせる。
「ど、どうなっているんだ!?」
目覚めたレジスが辺りを見ると周囲の景色が異様なものに一変していた。
プールエリアには寝てしまう前同様、沢山の人がいた。
だがその全ての者がうつ伏せに横たわり、息絶えていた。
客も従業員も等しく背中から血を流して倒れていたのだ。
「な、何が……」
レジスは呆然としながらも脚の踏み場もないほど散乱する死体を縫うようにかわして船首方向にあるバルコニーを目指す。
バルコニーから下を見下ろせばある程度下層全体の様子が分かるだろうと考えての行動だった。レジスはバルコニーまで辿り着くと手すりを掴んで身を乗り出すようにして下方を覗き込む。
「…………は?」
それ以上の言葉を発することができなかった。
下方を見下ろした結果、視界に入る全ては大混乱に陥っていた。
ここからチラチラと見える各フロアの様子は混乱して行き先を見失った蟻の群れかと見間違うほどだ。
目を凝らすとフードを被った者が逃げ惑う乗客に襲いかかっていることが分かる。
(あれは……一体なんだ……)
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図のような中でも特に異彩を放っている場所があった。
それは船首部分である。
上甲板から八階上にあるここからだと本当によく見える。
船首部分にはフードを被った者たちが大量にいた。
その者達は、綺麗な円形に陣取って膝立ちになっていたのだ。
そんな膝立ちの者達が作る巨大な円の中心には一人の女がおり、必死の形相で祈りを捧げているのが目に映る。
――異様な光景。
そんな異様な光景に拍車をかけるようにフードを被った者達が淡い桃色の光に包まれていく。
レジスには理解できない異常な状態に我を忘れてその場を凝視してしまう。
「んぐぁッッ!?」
そんなレジスの背中に激痛が走った。
痛みに耐えながら何ごとかと振り向けば、そこにはフードを被った男がいた。
フードの男がレジスの背に刃物を突きたてていたのだ。
「グッ……、ハァハァ……」
わけも分からない状況に苦痛の呻きを漏らす。
そしてそこで気付く、自身を刺すフードの男の後ろの光景に……。
あの大量の死体は誰がこさえたものだったのかに今さらながらに気づいてしまう。
「どういうこ……となん……だ……」
レジスは最後の力を振り絞り、今自分の頭の中で一番占めている思考を口にした。
だがそれに答える者はおらず、また答える者がいたとしてももはやレジスはその言葉を聞くことができなかった。
◆
――少し時間を遡りケンタが食堂で昼食をとっていた同刻――




