2 新たな門出
朝、目を覚ますと荷物が全てなくなっていた。
「ウソだろ……」
あわてて部屋を出て、声が大きくなるのも気にせずおばちゃんを呼ぶ。
「すいません! 荷物を盗まれてしまったみたいなのですが!」
俺の声を聞いて奥から出てきたおばちゃんは雑談でもするかのように笑顔で口を開く。
「あら〜あんたついてないねぇ。たまにあるんだよ」
残念だったね、といった表情のおばちゃん。
まるでおみくじで凶を引いたかのようなリアクション。
深刻さの欠片もなく、その程度の雰囲気だった。
「な、なんとかなりませんか? 犯人を捕まえるとか?」
リュックの方は大したものが入っていなかったが、高額だった剣が返ってこないのは痛い。
「一応、屯所に行けば相談にのってもらえるだろうけど、荷物が返ってくるのは望み薄だねぇ」
「そうですか……」
元の世界の感覚からすれば店に責任を問えそうな気がするが、おばちゃんの感じからいって荷物の管理は自己責任というのがこの世界の常識臭い。
口論になってもこちらの分が悪そうだ。
荷物は取り返せなくても屯所っていうところに行って相談してみるか?
これからどうするか思案していると、おばちゃんが今閃きましたといわんばかりの顔で声をワンオクターブ上げながら話しかけてくる。
「そうだ! あたしの知り合いに金貸しがいるから紹介しようか?」
(ん?)
「あたしの知り合いだって言えば、利息は安くしてくれるよ! どうだい?」
(んん?)
なぜ急に借金の話になるのだろうか。
これがこの世界では普通なのだろうか。
親切で言ってくれているのかもしれないが、話の流れに不自然さが漂う。
「先週もお客さんが荷物盗まれちゃって大変だったんだよ! その時のこともあるから話も通りやすいよ! どうだい?」
(グイグイ来るな)
いや、でもおせっかいな性格とか困っている人を見たら放っておけないタイプの人かもしれない。
盗みがあったとなれば店の信頼にも関わるし客へのフォローは大事なことだ。
「その前の週は家族でやられた人がいてねぇ、あれは悲惨だったよ。あたしの話を断ったせいで身売りの話まで出てたから……ねえ! どうだい?」
(週一で物盗りが来るのか? それにそのエピソード……。断ったら酷い目にあうって暗に言ってるような……)
いや、いやいやいや、治安が……。この辺りの治安が悪いのかもしれない。
まだだ。まだグレーでギリギリ収まる範囲だ。
「金貸しが信用できないのかい? なら安心だよ! なんたってあたしの旦那だからね!」
(さっきは知り合いって言ってましたよね?)
そう言いながらおばちゃんは親指で後方を指す。
そこには壁から半身だけ出した厳ついおっさんがじっとこちらを見ていた。
「……金が要りようか?」
厳ついおっさんは壁際から一切動かず、最低限の言葉しか発しなかった。
口の動きや音声では、"お金を貸そうか"と言っているように聞こえるが、その絡みつくようにじっとりとした目はどう見ても"骨までしゃぶりつくす"と言っているようにしか見えない。
おっさんのギラギラした視線が俺の首に絡みつき、締め上げる。
その目は獲物は逃がさないと口の代わりに言っているも同然。厳ついおっさんの目はネガティブな方向に饒舌だった。
そんな宿屋の夫婦を眼前にして、俺の頭の中では一つの画像がイメージされていた。
それは子供向けにデフォルメして描かれたリサイクルのポスターだ。
新聞紙が回収され、工場で再生紙になって、トイレットペーパーに加工されてお店に並ぶ図だ。
それぞれのリサイクル工程の絵が別のものに入れ替わって再イメージされていく。
新聞紙を回収する絵柄が荷物を盗む泥棒。再生紙工場が宿屋のおばちゃん。
トイレットペーパーのお店が金貸しの主人に変わる。そしてそれぞれが矢印で繋がると俺の頭の中でグルグル回りはじめる。
(グルなんじゃね?)
そう思っちゃう。
「うちの旦那だから信用していいよ! どうだい?」
おばちゃんが顔に笑顔を張り付かせたまま、おっさんと挟み撃ちにしようとゆっくりと俺の背後に回りこもうとしてくる。
「あっいえ! ダイジョウブデス! ナントカナリマスンデ!」
おばちゃんが側面まで回り込んで来たとき、俺はなんとか声を絞り出して早足で宿を出た。
宿を出た後は、小走りで一気に離れる。
十分距離を離した後、大きくため息を吐き、肩を落としとぼとぼ歩く。
(逃げれただけでよしとするべきかなぁ……)
宿の事を屯所に相談しに行くべきか悩むとどうしてもギルドのおばちゃんの態度が思い出される。
面倒事と判断されたら丸め込まれて帰されそうな気がしてならない。
屯所に行くか迷いながら歩いていると、突然通りの奥から悲鳴が聞こえてくる。
「ひっ、ひぃぃぃ!」
悲鳴が聞こえた方を覗き込むと、ひょろいおっさんがいかにもチンピラといった感じの男達に囲まれているのが見えた。
(おいおい、俺、力2しかないんですけど……。無理無理、助けられないよ?)
ビビった俺は隠れて事の行方を見守っていると、丁度その場に憲兵が通りかかった。
それを見た俺は良かったと心から安堵する。が、その先の光景は目を疑うものだった。
チンピラたちが頭を下げながら憲兵に金を渡していたのだ。
その金を受け取った憲兵は満足そうに頷くとひょろいおっさんを放置してそのまま通り過ぎて行ってしまう。
結局、おっさんはチンピラたちに金を巻き上げられ、殴り倒されていた。
俺が物陰で事の全てを見終える中、チンピラたちは戦利品の財布を手の平の上で遊ばせながら悠々とその場を去っていく……。
おっさんを助けたいが何もできない。今まで散々一般人をやってきた俺に複数のチンピラと渡り合う力なんてない。せめて金でも渡せたらよかったが、絶賛無一文の上に泥棒にあった直後ときている。
「おい、大丈夫か?」
「うるさいッ!」
「いてっ……」
せめて介抱でもしようかと近づけばグーパンを喰らう始末。
俺が呆然とする中、おっさんはあっという間に走り去っていった。
(屯所はなしだな……)
チンピラに金を貰って強盗の現場をスルーする憲兵を目撃した今となっては、なるべく近づきたくない場所のベストスリーにランクインしそうだ。
諦めた俺は町の出口へ向かって歩を進める。
ここまでの事を考えると街で何かしようとするのは避け、モンスター討伐に望みを賭けた方がいいと判断する。
今の俺の手持ちは事前にアイテムボックスに入れておいた物だけ。
包丁用にと買ったナイフと干し肉が少々……。
これでなんとかするしかない。