6 オリンは眼光で黙らせる
「前来た時と変わらずやっぱり禄でもない国だったよ……」
「そうですねぇ〜、まあこの船に乗れたのは良かったじゃないですか」
乗船手続きを終えた老婆と長身猫背の男は客室へと向かおうとラウンジから客室へと向かっていた。
猫背とはいえ、ひと目を引くほど整った顔立ちの男と孫ほど歳の離れた上に異常なまでの殺気を放つ老婆という不思議な組み合わせは、周りから視線を買っていたが二人がそれを気にする事はなかった。
「次はもうちょっとマシな国だといいんだけどね」
老婆はそう呟きながら歩を進める。
全身を和装に包み、二本の刀を腰に差した老婆の名前はオリン。
遠い異国で名を馳せた凄腕の剣士だ。
引退して余生を送っていたが、夫の死をきっかけに冒険者へと復帰した。
その理由は単純で、息子夫婦との同居が嫌だったためである。
地元ではかなりの有名人であったオリンは近隣で活動すればすぐに居場所が知れて連れ戻されると考え、有り金全部使う勢いで限界まで遠くに離れた。
それは功を奏して今のところ息子夫婦が接触してくることはない。
ただ誤算もあった。
それは限界まで腕が落ちていたことだ。
長い隠居生活のせいで鈍りきった腕では最弱と名高いゴブリン相手に一刀を入れるのが精一杯の有様。全盛期なら砂に出来た相手にそんな様だったことに大きな衝撃を受けてしまう。
そんな状態で高齢な上に冒険者ランクだけは高いため、他の冒険者からすればとても扱いの難しい存在となっていたのだ。
満足にパーティも組めず、簡単な依頼をこなすのにも四苦八苦していたが、そんな事を繰り返す度に体に染み付いた記憶が呼び起こされ、動きに切れが戻ってくる。
気が付けば全盛期とまではいかずとも、化物じみた強さがその手足に帰って来ている事を実感できるほどにはなっていた。
充分な力が戻った今は特に目的もなく、自由気ままに旅を続ける毎日を過ごしているのだった。
「この国から出れらる最短距離でしか乗船券は買っていないので、駄目だったらまた移動でしょうね」
そんなオリンの言葉に隣で佇む男が返事をする。
男は長い赤髪を緩く三つ編みにし、仕立ての良い服に身を包んでいた。
少し猫背のせいで長身という印象は薄く、その目はどこかぼんやりとしている。
そんな長身猫背の男の名はロッソ。勇者である。
彼は一時、赤の勇者と呼ばれ故郷の国ではそこそこ名の知れた存在だった。
だが力は強くとも立場が弱かった男の回りは死人が絶えなかった。
そしてロッソの力を利用しようとする者達の陰謀に何度も巻き込まれ、大事な人を失い自棄になる。今度は助ける、そんな想いで邁進するも一人でできることには限りがあり、両手ですくい上げた水が掌からこぼれ落ちるように結局うまくいかない。
そんな出来事が数え切れないほどその身に降りかかり、ロッソの心を削り取り続けた。
そして最後は誰も近づけないよう、一人になることを選んだ。
一人になり、街で自警団の真似事をはじめる。
その成果は上がり、街の治安は上昇した。だが、それだけだった。
心に開いた穴が塞がることはなく、なんのために行動しているのか自問する日々が続く。
そして旅に出ることを決める。
大した理由もなかったが、何かを得られるのではという淡い期待を胸に。
だが、ロッソの人を助けたい、守りたいという気持ちはもはや強迫感に近く、自身での制御は難しい。
虚ろな目で遠くを見つめるロッソはひょんなことから同行することになったオリンと共に、今日も助けを求める人がいないかと取り憑かれたように嗅覚を研ぎ澄ます。
だがその嗅覚はなぜか女性にのみ敏感に反応し、新たなトラブルの種を引き込むのに一役買っていた。
「アタシゃ海が嫌いなんだけどねぇ」
ブツブツと小言を繰り返すオリン。
「そうなんですか?」
オリンが愚痴っぽい性格なのを熟知しているロッソは特に気にせず聞き返す。
「戦いにくいんだよ。アンタなら分かるだろ?」
「まあ、周りは水ばかりですからねぇ」
どうやらオリンは船上戦闘での立ち回りにくさが気に食わない様子。
だが旅客船に乗ってそんな事で愚痴るのはオリンくらいだろう。
旅客船ですから大丈夫ですよと、反論するわけでもなく穏やかに同意するロッソ。
「そういうこった。さっさと陸地に上がりたいよ」
「それはしばらく無理ですね。まあ我々が目指す一番近い国まででしたら四日程で着くらしいですし、あと少しの辛抱ですよ」
「まだ出航したばかりじゃないかい!」
「あはは、そうでしたね」
愚痴るオリンをなだめつつ、二人は客室へと向かおうと歩を進めていた。
が、しばらくすると前方に人だかりができており、前へ進めない状態となっていた。
「なんだい? 騒がしいね」
「ああ〜、ケンカですかね」
人垣から漏れ出る声を聞きながら迷惑そうな顔をする二人。
人の間を縫って騒ぎの中心を覗き込めば、大柄な男達が小さな女の子を挑発している姿が目に留まった。
しばらくするとその女の子の仲間であろう中年男が激高し、剣を抜こうとする。
それを止めようともう一人の仲間が羽交い絞めにし、一触即発の状態となっていたのだ。
「全く……、なっちゃいないね」
見るに見かねたオリンが争いの場へと踏み出す。
争う者達の中心へと入りこむと、挑発を重ねる男達の方へと顔を向けた。
「……止めな」
オリンが全身に殺気をまとわせ睨みつける。
男達はケンカの仲裁が現れたことにはじめは驚いたが、それが老婆だと分かると同じ調子で挑発しようと睨み返す。
――だが。
「なんだ! テメぇ…………ぇ」
「俺達の実力を知って……知って」
数秒前まで活きが良かった二人だったが、オリンの強烈な殺気に当てられ満足に呼吸ができなくなる
怒りを口にしようとするも息が詰まり、満足にしゃべることもままならない。
「ァァッ……」
「ゥゥアッ……」
オリンの殺気は留まるところを知らず、二人を限界まで震え上がらせる。
「黙りな。往来の邪魔になるから他所でやんな」
オリンは男二人への殺気を解き、あごをしゃくって去れと言う。
すると男二人はまるで金縛りから解けたように脱力し、膝を突いた。
男達は顔から恐怖が滲み出るのが止まらず、後退る。
「チッ、行くぞ」
「あ、ああ」
未だ震えが取れない二人は言葉少なくその場を去った。
「助かりました!」
オリンの背後に居たため、殺気の影響が少なかった小さな女の子が快活にお礼を告げてくる。
「なんだい、その妙ちくりんな恰好は。そんな恰好してるから舐められるんだよ」
振り向いたオリンは背後にいた小さな女の子の恰好をまじまじと見つめ、ため息を吐いた。
女の子は服装こそ普通の範疇でおさまる恰好をしていたが、なぜか頭部の装備だけが異彩を放っていた。
女の子が装備していた兜は口元だけ露わになったフルフェイスヘルムで、前面にYを思わせる金属のプレートがべっちょりと付いていたのだ。
そんな異常なデザインの兜は首から下の普通さとあいまって白いシーツの上に落とされた一滴の黒点のように悪目立ちする状況となっていた。
「これは正義の象徴なのです!」
が、女の子の方はそんな事など意に介さず、ふんぞり返るようにして兜をアピールする。
「そうかい。そいつは素晴らしいね」
全く興味のないオリンはそんな恰好を半眼で見つめ、心のこもっていない相づちを打つ。
「まあ、大事にならずに済んで良かったですね。じゃあ、行きましょうか」
そしてタイミングを見計らったように背後からロッソが現れ移動を促す。
そんなロッソの提案にオリンも目で頷き返し、その場を去ろうとしたがそこでふと気になることがあり、立ち止まる。
「そうだね。そういや、ご立派なリーダーさんはどうしたんだい? さっきからだんまりだけど正義のリーダーさんは礼の一つも言えないのかい?」
気になったこととは女の子達三人組のリーダー格に当たる男の事だった。
その中年男性はオリンが仲裁に入るまではかなり騒がしくしていたのだったが、途中からぴたりと声を聞かなくなったのだ。
物凄く興味があったわけではない。だが何となく、ふと気になったという程度だった。
その程度の気持ちで女の子の後ろに立っていたリーダー格の男へと視線を向ける。
男はオリンと視線が合うと――
「あ、ああああああああああ! ありがとうございまっしたっっっ!!!」
――まるで全身に高圧電流を流されたかの如く震え上がる。
そして両手をピッタリと体側に付け、深々と頭を何度も何度も下げた。
あんなおもちゃがあったな、などとオリンがぼんやりと見ていると、リーダー格の男は逃げ出すように全力疾走でその場を去ってしまう。
「ぇ? ま、待って下さいリーダー!」
一瞬の出来事に呆気に取られるも自身が取り残されたことに気付き、急いで後を追いかけえる女の子。
揉め事の原因が立ち去ったその場は少しずつ時間をかけて人だかりが散っていく。
暴力沙汰一歩手前までいっていたため、妙な静けさがあったその場は再び行き交う客が増え、喧騒さを取り戻していった。
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自分を巻き込んで発生した口論に仲裁が入り、無事何事も無く解決して皆が散り散りになっていく中、ジャスティスマスクZは仲間の二人が駆け出していくのをぼんやり眺めてしまっていた。




