2 バードゥは観察する
「ん〜」
バードゥは自分の番が来るのを待ちながら、乗船に並ぶ客をじっくりと一人ずつ慎重に観察していた。
そんな乗客へと熱い視線を振りまく彼女自身は褐色の肌が露わになる露出度の高い服に身を包み、少し青みがかった白髪が印象的だった。
旅慣れているのか手荷物は少なかったせいもあり、背にかけた長い金属の棒のような物が妙に目立つ。
出るところが出て引っ込むところは引っ込み、しっかりと引き締まった身体は周囲の男の目を不必要に買っていた。
だがバードゥはそんな視線など意に介さず、ひたすら乗客の観察を続ける。
順番に目を這わせていくと丁度入船手続きをしようとしていた者達が船員に止められているのが目に留まる。どうやらその者達が着用していた仮面を頑なに脱ごうとしないために船員と揉めているのがここからでも分かる。
何度注意しても仮面を外そうとしないので、船員から不審者と疑われているようだった。
だが、バードゥの眼にはその三人がかなりのてだれに見えた。
特に一番前で熱弁を振るっている中年太りの男はその外見から想像できないほどの何かを感じる。
そんなトラブルを起こしている仮面の者たちをじっくり見ていると大声を張り上げて苦情を叫ぶ者が現れた。
男はトランクを大事そうに抱え込みながら、まだ入れないのかと怒鳴り声を上げている。その声はかなり大きく、他に待っている者達の気持ちを代弁しているかのようだった。
だがバードゥの見立てでは男の実力は大したことはない。
バードゥは声の大きさには興味が無かったので、視線を少し後ろへと移動させる。
そこには老婆と長身猫背の男が話しこんでいるのが見えた。
バードゥは老婆の姿を捉えた途端、軽い寒気を感じてしまう。
あれは強い。
強いを通り越して異常だ、と直感する。
そして隣に立つ長身猫背の男もおかしい。
まるで覇気がない佇まいなのに妙な圧迫感を感じる。これも間違いなく強いだろう。
そうやってバードゥが列に並ぶ者達の観察を終える頃には自分の番が回ってくる。
滞りなく手続きを終え、丁度船に乗り込んだところでガタイのいい男達が眼前を通り過ぎるのが見えた。
そんな男達の前に足取りがおぼつかないローブ姿の女も見える。
バードゥの勘ではどちらも大した実力はないと思える存在だった。
男達はふらつく女が邪魔だったのか押しのけて前へと進み出た。
ローブの女は突然払われてしまいヨタヨタと倒れそうになる。
そこへまた別の男が通りがかり、それを避けようとした。
だが男は咄嗟のことで避けきれず、ローブの女と少し接触してしまう。
それに苛立った男はフードの女を押し返した。
軽く押しただけのように見えたが、フードの女は体力がないのか押されるままに勢いよく倒れてしまった。避け切れずに押し返した男は予想外の結果に驚いたのかフードの女を起こすこともなく、その場から逃げてしまう。
そしてそこへ黒髪で黒ずくめの男が通りかかり、ローブの女を抱き起こして介抱していた。
一連の出来事を観察していたバードゥは、そこで黒ずくめの男に目を奪われてしまう。
どうにも男が気になり、凝視してしまう。
船に乗り込んではじめに見たガタイの良い男達はそこそこの腕ではあったが、乗船前に見た者達に比べれば赤子のような存在だった。
次にローブの女。これは問題外。
そして避け損ねた男、これも戦闘などの経験はなさそうだった。
最後に見た黒ずくめの男、これは強い。
ただ乗船前に見た者達の方が実力ははるかに上なのは確かだ。
だが、この黒ずくめの男には何か感じるものがある。
バードゥが今まで見てきたお気に入りと同じ気配がするのだ。
だが、まだ乗船して間もない。
他にもっと良い“お気に入り”になれる存在がいるかもしれない。
まだ早い、もっとじっくり吟味しなくてはと気持ちを抑え、近づく事をやめる。
バードゥは黒ずくめの男の顔を眼に焼き付けると一旦その場を離れた。
◆
「もうすぐ……、もうすぐです……」
ミゴはふらつく体で客室を目指そうとラウンジをよたよたと歩いていた。
その足取りは重く。うまく前に進めないほどだ。
こんな時は毛足が長くてふかふかする豪華な絨毯が憎い。
ミゴは地面につくほど長いローブにつまずきそうになりながらも懸命に歩く。
まっすぐ進んでいるようで斜めに、直立しているようで振り子のようにと、とても危うい前進を続ける。
ミゴがそんな状態なのは誰もが納得できるだけの理由があった。
その理由とは交信のために三日間不眠不休で全身全霊を込めた祈祷を行ったからである。そして更に祈祷中は精神を鋭敏にするため、断食を行っていたのだ。
そこまですれば体力も限界まで落ちるし、眠気も異常に増幅されてしまうのは当然のことだった。もはや直立して歩いているのが不思議なくらいの状態なのに執念のようなものに背を押されてゆらりと前へと進む。
ただ、そんな状態でもミゴの表情はどこか晴れやかで笑顔が絶えない。
体は限界まで不調になってしまったが、その甲斐あって満足のいく結果を得ることができた。そのため、ミゴはまだ出航していない船の上で波に揺られるように歩きながらも上機嫌だった。
だが乗客が頻繁に通る場所でそんなおぼつかない足取りで歩いていては往来の邪魔になるのは必至。当然目を付けられてしまう。
「どけ! 邪魔だ!」
「端を歩け!」
丁度側を通りかかったガタイの良い男達に押しのけられてしまう。
体力の有り余った男達からすれば羽虫を払う程度の力しか込めていなかったのだろうが、限界まで体力の落ちたミゴには致命打となってしまう。
「……あっ」
ミゴは押されたことにも数瞬気付かず、しばらくしてから間の抜けた声を上げつつバランスを崩す。
「おいっ! 危ないだろうが!」
そんなふらつくミゴに接触した男から苦情が上がる。
男は苦情を言うだけでは満足しなかったのか、倒れ掛かったミゴを押し返した。
「……ぁ」
踏ん張る力など残っていないミゴは強風にあおられる細枝のように右へ左へと大きくかしぐ。
そしてそのまま地面へと勢いよく倒れた。
「お、お前が悪いんだからな!」
押し返した男はまさか倒れるとは思っていなかったようで、バツの悪そうな顔をしたままミゴを引き起こそうともせず、逃げるようにその場を去った。
「ハァハァ……」
倒れたミゴはなんとか立ち上がろうとするも、限界まで落ちた体力では自身の細腕で体を起こすことにも苦戦する始末。息を切らせながら起き上がろうとしていると、不意に声をかけられる。
「大丈夫ですか?」
その声と同時に腕を握られ、さっと引き起こされてしまう。
ミゴが重い頭を引き上げて、腕を握った主を確認すると黒髪の男がこちらへ笑顔を向けていた。男は髪だけでなく服装も黒、全身黒ずくめだった。
男はミゴを支えながらどこかひょうきんさを感じさせる笑顔を向けてくる。
「……ぁりがとぅ、ございます」
落ちた体力では長く話すことも大変なミゴはなんとか声を絞り出して精一杯のお礼を言う。
「顔色が悪いですけど歩けますか?」
男は心配そうな視線を向けながら、ミゴの体をしっかりと支えてくれる。
「な、なんとか……」
ミゴは親切な者がいたものだと、心中で感謝しつつも厚意に甘えるわけにはいかないと気丈に振る舞う。
だがその振る舞いに声や体がついていくことはなかった。
意志とは裏腹に体が悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちそうになる。
すると男がすかさず支える力を強めて庇ってくれる。
「っと、ちょっとまずそうですね。医務室か部屋までお送りしますよ」
男は笑顔でそう告げつつ、ミゴの腕を自身の肩に回した。
「それには及びません。私の連れがご迷惑をおかけしたようで」
男がミゴの移動を手伝おうと持ちかけたタイミングで背後から声が聞こえる。
振り向けば見知った顔が支えてくれる男に笑顔を向けていた。
笑顔を向けていたのは運命を共にする同胞の一人だった。
「お、連れの方ですか? 良かった。どうも体調を崩されたみたいです」
ミゴを担いだ男は同胞へ向けて言葉をかける。
「それはいけない。すぐ部屋で休んでもらうことにしますよ」
「それがいいと思います。じゃあ俺はこれで」
「どうもありがとうございました」
「いえいえ、んじゃ」
男はミゴを同胞に引き渡すと、その場を去った。
「大丈夫ですか?」
同胞がミゴを気遣って声をかけてくる。
「……問題ありません」
ミゴはか細い声で同胞に答えつつ肩を貸してもらう。
「もし、体調が優れないようでしたら日程を遅らせますか?」
「今日一日休めば大丈夫です。ご心配をおかけしましたね」
「いえ、ミゴ様に何かあっては我々もただでは済みませんから」
「大丈夫ですよ。神はいつも我々を見守って下さっています」
ミゴは心配そうな声をかけてくる同胞を安心させようと励まし、暗に予定の変更がないことを告げる。
「おおっ! ではっ!」
「予定通り三日後で」
「わかりました。それでは部屋までご案内します」
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしてしまって」
「ははっ、こんなお役目なら大歓迎ですよ」
そんな会話を続けるミゴは同胞の肩を借りてゆっくりと客室へと移動していくのだった。
◆
「おー、デケえ部屋だな……」
俺はそんな呟きを自然と漏らしてしまう。




