23 猛獣火片
◆
島を出て数日後、ドンナは街へと戻ってきていた。
「ふぅ……」
島でスーツの男に大敗してからそれなりに時間が経ったが、気持ちが晴れることはなく、深いため息をついてしまう。
「どうしたんだい?」
「ご気分が優れないようですが大丈夫ですか?」
かけられた二つの声に振り向くと、そこには少年とメイド姿の女が立っていた。
二人は心配するような言葉をかけてきた割に表情はとても穏やかなものだった。
「捜してた相手と違う奴とやることになったんだが、ボコボコにされちまったんだよ……」
ドンナはそこそこ打ち解けていた二人に事情を簡潔に話す。
その表情には陰りがあり、言葉に覇気はなかった。
「ふ〜ん、その人に勝ちたいんだ?」
少年は興味深そうにドンナに尋ねる。
「ああ、やられたらやりかえしたいよな……。だが勝てるイメージが湧かないんだ、相手の方が一枚上手な気がする」
鬱々とした表情のままポツポツと語る内容はここ数日での自分なりの分析があった。
力の強さでいえば互角かドンナの方が上かもしれない位拮抗したものだったが、技術に差があると感じたのだ。それは一朝一夕で埋まるようなものではないと確信できるものであり、そのことがドンナの気分を延々と重くする。
「なら、コレをあげるよ」
少年がそう言ってドンナの方へと手を差し出す。
その掌の上にはマッチ箱ほどの大きさのピルケースが乗っていた。
青く半透明なピルケースの中には白い錠剤が五錠入っているのが見える。
「なんだそりゃ?」
差し出された物を見て首を傾げるドンナ。
「これはね、失敗作なんだ」
コロコロとした無邪気な笑顔で少年はそう答える。
「は?」
益々わけが分からなくなり、発する言葉数も減っていくドンナ。
「これを飲むと一時的にその人物の適正に合った最上位職になれるんだ。だけど失敗作だからこの薬を使えば使うほど最上位職になっていられる時間は短くなる。そして一番の問題は薬が強力過ぎて飲める限界が三錠までってことなんだ。それ以上飲むと命に危険が及んでしまうんだよね」
口数が減ったドンナとは対照的に自身の作品を饒舌に語り出す少年。
その顔はとても楽しそうで満点の答案を見せる子供のようだった。
「三錠以上飲めないんだったら、なんで五錠もくれるんだよ?」
ドンナは少年の掌の上からピルケースをつまみとると太陽にすかして見るように持ち上げつつ尋ねる。
「ん〜、無事に飲めるのは二錠までかな、三錠目は副作用がきつくなると思うよ。まあ、一杯あったほうが無くしたとき助かるでしょ? 余ったら他の人にあげてもいいんだよ?」
相変わらず楽しそうな表情でそう語る少年。
無邪気な表情からは思惑も他意も感じられない。
「じゃあ遠慮なく貰っておくぜ。ありがとうよ」
そう言って上着のポケットにピルケースをしまいこむドンナ。
その表情には再び獣のような表情が復活していた。
これを飲めば技術の差を力で埋められる。
それが分かった瞬間から顔全体に獰猛さがじわじわと滲み出す。
「また行くのかい?」
ドンナの表情が明るくなったことに満足した少年が尋ねる。
「……いや、相手が今どこにいるか分からん。しばらくはまた同行させてくれないか?」
これがあれば戦えると考えたところで居場所が分からないことに気付く。数日経過した今となっては、あの島にケンタや自身を負かした男がいるとは考えづらい。
教えてもらった三箇所で行っていない場所がまだ一つ残っているが島の惨状を見る限り、今さら行っても無駄な気がする。
こうなってくるとドンナ一人で行方を追うのは難しい状況だ。
そこまで考えたところでドンナはあることを思い出す。
ケンタの場所を教えてくれた妙な男のことを。
あの全身黒ずくめの男に会えれば、また居場所が分かるかもしれないと考えたドンナは少年達と行動を共にすることができないかと聞く。
あの妙な男は少年の足取りを追っていたため、このまま同行していれば再度会える可能性があると考えたのだ。
完敗した男の方は名前も知らないし再会するのは望み薄だが、ケンタの方ならなんとかなるかもしれない。
「構わないよ。じゃあよろしく!」
「よろしくお願い致します」
快諾する少年とメイド姿の女。
「ああ、よろしく頼むぜ」
ドンナはニヤリと口元を歪めると二人の後に続いて雑踏の中へと消えていった。
◆
その日、ヘザーは自身の仕事部屋で最後の紅茶を楽しんでいた。
無事退職願が受理され、今日でこの場所ともお別れだなと片付いた部屋を見渡す。
全ての準備も終わったし、紅茶を飲み終えたらここを出てミツヒキチ島へと向かうつもりだ。島で依頼達成の報酬を貰ったあとは偶然チケットが取れた豪華客船での船旅を楽しむ予定となっていた。その船で国を出て自由な生活を手に入れる。
もうここには戻ってくるつもりはない。
ヘザーはカップを持ったまま席を立ち、側にある窓へと近付いた。
三等市民が居住しているエリアは脱獄を懸念して窓に鉄格子がはめこまれているが、職員の部屋はそういった心配がないため何もないところもある。
二階にあるヘザーの仕事部屋もその一つで窓に鉄格子はなく、周囲の景色が一望できた。
改めて窓から外を見るも灰色の雲に覆われた赤茶けた荒野が延々と続いているだけで何の感慨も湧いてこない。真下を見下ろせば悲壮な顔で地面を見つめる三等市民の後頭部がそこかしこに散見できた。
(やっとここから出られる……)
ヘザーはほっと一息つき、手に持つカップを傾けて香りを楽しみながら唇を湿らせる。
そしてゆっくりと目を閉じてしみじみと今までのことを思い出す。
二等市民であるヘザーはあらゆる手段を用いて一等市民へと成り上がろうとした。
だが、それは叶わなかった。
一等市民へ上がるにはコネ、金、血筋と様々なものが求められるからだ。
結局、仕事ができるだけでは実現不可能な話だったのだ。
それに気付いた後は国を出ることに腐心するようになった。
国を出た後にその日暮らしを続けるのならすぐにでも実行すればよかったが、完璧主義で融通の利かない性格のヘザーはそういう考えには至らなかった。
ひたすら金を貯め、何の伝手も無くても国外で身一つで充分やっていけるだけの金額に到達したら一刻も早く国を出る。その思いで仕事にまい進したが、あるとき気付く。
このままでは目標金額に到達するまでに時間がかかりすぎると……。
そこからはきつくても払いの良い仕事へかわっていくことになる。
しかしそこでも行き詰る。
まっとうな方法でまじめに仕事を続ける限り、絶妙なさじ加減で税が上昇し貯蓄がなかなか増えないのだ。
そこでヘザーは最後の決断を下す。
発覚すれば逮捕される犯罪行為へ手を出したのだ。
それを決断するきっかけとなったのは国境警備中に麻薬の密輸入を行っている者を捕らえたときだ。
ヘザーはその時、国境付近での分散警戒に当たっており、単独行動中だった。
捕らえられた男はヘザーが一人だと気付くと金品を渡し見逃してくれと懇願してきた。
それでも頑として首を縦に振らないヘザーの態度に痺れを切らした男は持ち込もうとしていた麻薬も差し出したのだ。
男の力説する取引価格に心を奪われたヘザーは麻薬を受け取り、男を逃がしてしまう。
そして苦労して買い手を見つけ、大量の現金を手に入れた時、体の震えが止まらなくなる。
これならなんとかなる、と。
半ば諦め、不可能だと思っていたことが叶う、と。
もはや自ら天秤にかけているものが変異し、歪んできていることすら気付かずに喜びに打ち震える。
そこからは坂道を転げ落ちるように悪事に手を染めていく。
それは長期的にやるより、短期的に一気にやった方が捕まりにくいと判断したためだった。
単独で行動し、麻薬の密輸入者を見つけては襲って全てを奪い、殺す。
そして売りさばく。
だが、それが裏目に出て行き詰ってしまう。
やりすぎたため、局所的に麻薬が蔓延しすぎて国境の警備が強化されてしまったのだ。
金額としてはかなり貯まっていたし、もうこのまま国を出ようかと迷っていた矢先、更に不運が訪れる。
あまりに派手に動きすぎたため、取引相手にも目を付けられ脅迫されてしまったのだ。
お前が犯罪行為に手を染めていることをバラされたくなければタダ同然の価格で取引しろと。脅されたヘザーは止む無く取引相手も手に掛けてしまう。
不運は続くもので、その現場を偶然別の取引に来た男達に目撃されてしまったのだ。
ヘザーはその男達も消そうとするが逆に返り討ちにあってしまう。
男達はヘザーを組み伏せながら、ある取引を持ちかけた。こちらの提示する依頼をこなせば何も見なかったことにすると。依頼についても無償ではなく、ちゃんと金を払うと。
それは聞くからに怪しげな依頼だった。
男達が指示する場所へ職権を使って傭兵を送り、あるものを偶然見つけたように仕向けてほしいといった内容のものだったのだ。
報酬は払うと言っているが危険な上に職務の失敗と判断されかねない。
普通に持ち掛けられれば断った話だろうが、弱みを握られた現状では受けざるを得なかった。選択肢が無かったヘザーはその依頼を受けることになってしまう。
無事依頼をこなすと確かに高額な報酬が支払われた。
今までの自分なら信じられないが報酬が高かったことより、これで縁が切れることに安堵してしまう。しかし、これで終わりかと胸を撫で下ろしていると次の依頼が言い渡された。
脅迫される身としては断ることも出来ず、止む無く受ける。
そんな状態がズルズルと続き、ヘザーの精神に負荷をかけつづけた。
耐え切れなくなり、こうなったら逃げてしまおうと考えていた矢先、向こうから今回で最後だと言い渡される。
一安心し最後の依頼もこなし、全てが片付いた。
色々とあったが、とうとうこの部屋を出れば全てが終わる
ヘザーは気分を一新させようとカップに残った紅茶を一気に口に含む。
この紅茶は上質な芯芽が多く含まれる春摘みの高級茶葉で淹れたもので、大きな仕事をこなすときはその前後に飲んで自らを奮い立たせたものだ。
今日はこの国で飲む最後の日と考え、準備にたっぷり時間をかけて茶を淹れた。
水色、温度、香り、味、どれも申し分ない。
本来の飲み方ではないが、気を引き締めるときや気持ちを入れ替えるときは少量をゆっくり楽しんだ後は儀式のように一気に飲むのが自分流となっていた。
当然今日という旅立ちの日も同じように儀式をして居住まいを正す。
ヘザーはカップを大きく傾け、残りの紅茶を一気に口内へ含んだ。
全ての紅茶が口の中へと侵入し、嚥下しようとした瞬間――。
――ドアがノックされる。
控えめで乾いた音が聞こえるとゆっくり扉が開き、二人の男が室内へと入ってきた。こんなときになんて無粋な邪魔が入ったものだと思い、入室してきた男達を無意識に睨んでしまう。
一人はノッポで痩せ気味の男、一人はチビで小太りの男だ。
見覚えがなかったヘザーは二人の姿を見ていぶかしむ。
「二等市民、ヘザーだな」
「お前を職務違反、機密情報漏洩、麻薬密売、殺人、死体遺棄、内乱、外患誘致等の容疑で逮捕する」
ブーーーーーーッ!
歓迎できない訪問者の唐突な発言により、驚愕したヘザーは口内にあった紅茶を意図せず一気に全て噴き出してしまう。
「ぐ、ぐあっ、目に……」
「あ、熱っ! な、何を!?」
噴き出された熱々の液体は眼前の男達へと容赦なく降りかかった。
そう、ヘザーは猫舌ではなかったのだ!
「紅茶飲んでる場合じゃねーッッ!」
慌てたヘザーは普段なら絶対使わない言葉遣いで叫びながら、出立の準備を整えて側に置いていたトランクを抱え込むと、窓を割って二階から飛び降りた。
きらめく硝子の破片を纏い、転がるようにして地面に着地すると、脱兎のごとく駆け出す。
数分後、脱走者を知らせる警報が高々と鳴り響くも、その頃には施設内にヘザーの姿はなかった。
◆
『ん〜でもなぁ、大体その船はどこに向かうんだ?』
『色々と回るが俺のチケットは近隣のカッペイナ国までだ。のどかでいいところだぞ』
『そうか……』
『行って来いって。レガシーにも行き先は伝えといてやるから』
『わかった』
――ガチャッ。
『ん〜でもなぁ、大体その船はどこに向かうんだ?』
『色々と回るが俺のチケットは近隣のカッペイナ国までだ。のどかでいいところだぞ』
『そうか……』
『行って来いって。レガシーにも行き先は伝えといてやるから』
『わかっ――
――ガチャッ。
『ん〜でもなぁ、大体その船はどこに向かうんだ?』
『色々と回るが俺のチケットは近隣のカッペイナ国までだ。のどかでいいとこ……………
まるで録音したものを再生したように元の声から少しくぐもった音になった会話が空間内に何度も大音響で響く。
そこは明かりがなく、暗闇に包まれた広大な空間。
周囲を覆う壁や天井は舗装されたものではなく、自然の岩肌がむき出しになっていた。
そんな自然の壁面を補強するようにして鉄骨がはめこまれている。
暗闇ではっきりとはしないが大量の機械群があることもおぼろげながら見て取れた。
地面は海水に満たされ、潮の香りがつんと鼻をつく。
そんな空間で集音した結果に満足し、口元を歪める者がいた。
「…………聞こえたぞ」
その者の小さな呟きと共に空間内に轟音が響く。
それと同時に壁面の一箇所がせり上がる。
壁が上昇すると共に月明かりが差し込み、空間内が薄明るく照らされた。
夜空に浮ぶ月は崖下から這い出すそれを見下ろし、怯えるように雲でその姿を隠した。




