１４ 何なんだ
◆
「うあぅううう」
ローンクの命令を受け、赤肌の男の一人が言葉になっていない音を発しながらミックへと無造作に接近する。
「シュッシュ」
ミックは軽く踏み込むと、男の顔目掛けて素早く左拳を振るう。
左拳は威力より速度を重視し、赤肌の男の顔を捉えつつ視界を遮った。
最速で放った左拳が構えに戻る前に、スムーズな体重移動を経て繰り出された鋭い右拳が怯んだ赤肌の男の顔へと突き刺さる。
もしこの世界にボクシングを知っている者が居ればミックの一連の動作は左ジャブからの右ストレート。いわゆるワンツーに近い動きだと分かっただろう。
ミックの拳をモロに受けて赤肌の男はふらつき、前かがみになる。
「フッ」
そこへミックの渾身の一撃が体を前に傾け無造作に晒された後頭部へ向けて振り下ろされた。鈍器で殴られたように後頭部が陥没した赤肌の男はそのまま地べたへと這いつくばり、二度と動かなくなった。
「あああぅあッ！」
倒した感慨に浸る間もなく、二人目の赤肌の男がミックの眼前に現れる。
男はミックへ向けて無造作に剣を振り下ろした。
「シュッ」
ミックは自分へ向けられた剣の軌道を遮るようにして右手を素早く前に出した。
そして、剣の平に触れるかのように自然に腕を伸ばすと、軽くはたくようにして素手で剣を弾いてしまう。剣を弾かれた男はバランスを崩し、ふらつくようにして一歩前へ踏み出す。
「フッ」
剣をそらされ、無防備な上半身を晒す赤肌の男めがけてミックが左拳を振るう。
肘を曲げ、腰から上半身を回転させるように放たれた左拳は男の側頭部に突き刺さる。
最大限に遠心力が乗った拳を受け、体を大きく傾ける男。相手の攻撃を弾く動作、いわゆるパーリングからの左フックだ。
「シュッ！」
そして頭部のダメージからふらつく男へミックの渾身の右拳が頭頂部へと振り下ろされた。ごん、と鈍器で殴打されたような鈍い音と赤肌の男が力を失って地面へと倒れる音が続けさまに響く。
「おおおおぁおおおおおッ！」
二人目が倒れる頃に新たな赤肌の男が獣のような声を上げながらミックへと突きかかる。
「っと」
男の突きを見てミックは何を思ったのか咄嗟に右肩を突き出した。
刺突がミックの肩に突き刺さる――。
ように見えたが赤肌の男が力任せに放った突きはミックの肩に触れると完全に静止した。
剣が肩を貫くことはなかったのだ。
「フッ、シュッシュッ」
ミックは何事もなかったように刺突を受け止めた右肩を引くようにして素早い左拳を放つ。
速度を重視した左拳は前回と同じように男の顔を遮る。
左拳の影響で顔に注意が向けられたところへ狙い済ました右拳が男の腹へと突き刺さった。ミックの放った右拳が男の腹の骨で覆われていない部分に深々とめり込み、内蔵をえぐる。ショルダーブロックからの左ジャブ、右ボディが男の身体に突き刺さる。
内蔵をえぐられ深刻なダメージを負った男は体を折り曲げるようにして身を屈めた。
「フッ！」
ミックは男が上体を下げてあらわになった後頭部めがけて左拳を容赦なく振り下ろす。後頭部に打撃を受け、そのまま地面へと叩き付けられた男はぴくりとも動かなかった。
「ウォーミングアップとしては上々だったな」
赤肌の男達の加勢が途絶え、動かなくなった者達を見下ろし、ぽつりと呟くミック。
そんな呟きをかき消すかのように派手な奇声が木霊する。
「ヒャヒャッ、行きますよ！」
パトリシアは標的と見定めた男達へと凄まじい速度で走り寄る。
「ヒャッヒャッヒャーーーッ！」
奇声を上げたパトリシアは前傾姿勢で男達の間を一気に駆け抜けた。
駆け抜け様に大振りなナイフを振るい、的確に急所を裂いていく。
狂気を孕んだ笑みを振りまきながらパトリシアが男達の間をすり抜けると同時に切り裂いた傷から鮮血がまるで噴水のように盛大に飛び散る。血を噴き出した男達はガクガクと膝を震わせながらその場に倒れていった。
「……な、何なんだお前たちは！」
手下たちが事も無げに倒されていく様を見て目を見開くローンク。
「お前を殺しに来た男だ」
拳で数度空を打って構えを取るミック。
「ケンタを殺しに来た女です」
大振りなナイフを自身の眼前で怪しげに揺らすパトリシア。
「何それ、締まらねえなぁ」
「事実ですし。ヒャヒャ」
軽口を叩き合う余裕を見せるミックとパトリシア。
だがその目は笑っていなかった。
周囲への警戒は怠っていない様子。
「く、来るなぁああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアッ！」
予想外の展開に慌てたローンクは怯え混じりに絶叫する。
その叫びが辺りに響くと同時にローンクの肌の色が紫へと変わる。
そして服の隙間から見えていた首にある角の模様の刺青が光り出す。
刺青は光ると同時に立体化し、服を突き破って首に巻きついた。
「死ねぇええええええええッッッ！」
肌が紫に変色し首から光る角を生やしたローンクは叫び声を上げると同時に、大量の炎の矢を形成した。独特の構えを取るローンクの背後に朱色に輝く炎の矢がまるで孔雀が羽を開げたかのように展開される。
「フレイムアロォオオー！」
両手をかざしたローンクが魔法名を叫ぶと、背後で待機していた全ての炎の矢が射出される。
「多いね……」
ミックはぼやきながらも腕をコンパクトに畳み、体を屈めるとその姿勢のまま大量の炎の矢に向かって走り出した。
「ヒャヒャッ、綺麗ですね」
パトリシアはそんなミックの行動など気にも留めず、大量の炎の矢を前にお祭りの飾りつけでも見るかのように呆けた表情で呟く。
確かに無数の炎の矢が宙を舞う光景ははじめて見た者の心を奪ってしまうほど幻想的な美しさを秘めていた。
「これでお前たちも終わりだあああぁッッ！ 死ぬがいいィッッ！」
ローンクの言葉を裏付けるかのように室内を埋め尽くした凄まじい数の炎の矢がミックとパトリシアへと殺到する。
「そいつはどうかな？」
身を屈めたまま全力疾走し、迫り来る炎の矢をかわし続けるミック。
だが、炎の矢の数は尋常ではなく、くぐり抜けられる隙間には限界があった。
進行を諦め、立ち止まるミックにかわせない間隔で密集した炎の矢が迫る。
――落ち着いた表情を見せるミックはそんな炎の矢へ拳を放った。
研ぎ澄まされた拳は見事命中し、パアンッと乾いた音を立てながら魔法が相殺される。
が、一つをかき消しただけではおさまらない。
ミックは屈めた上半身を揺すり、反動を活かすようにして威力を増した変幻自在の拳を放ち続ける。
繰り出す拳で炎の矢をかき消す音が連続し、ミックの技術を賞賛する拍手のように小気味よく鳴り響く。そしてミックが凄まじい速度で拳を振るう中、パトリシアがその側面を凄まじい速度で走り抜けて行った。
「ヒャーーーーーーーーッッ！！！」
ミックが魔法を打ち消してできた隙間を目ざとく見つけたパトリシアは奇声を上げながらローンク目指して駆け抜けていく。炎の矢は完全になくなったわけではなく針穴を縫うようなもの、だがパトリシアは柔軟な体を活かし、地面に着いてしまうほど限界まで倒した前傾姿勢を保って疾走する。
「く、来るなぁあッ！」
ローンクはまさかあれだけの量の魔法を避けられると思っていなかったのか、接近するパトリシアに狼狽しながら腰の入っていない拳を放った。
「ヒャヒャッ、できない相談ですねぇ！」
そんなけん制にもならない素人の拳にパトリシアが当たるはずもなく、難なくかわし滑らかな動きでローンクへ肉薄する。
野生の獣を思わせるような柔軟でしなる動きを見せて拳をかわすと、まとわり絡みつくように距離を詰め、胸部目掛けて掌打を放つ。
「あぐっ！」
胸に一撃を受け、一瞬呼吸を乱すローンク。
掌打を放ったパトリシアはその隙にすっと離脱する。
そしてパトリシアが離れると同時に拳を振りかぶったミックがローンクの前に現れた。呼吸を乱し、防御態勢も整えていないローンクにミックの拳が迫る。
目を見開くローンクへと接近するミックの拳は炎の矢を相殺したせいか、はめていた革手袋は焼け落ち、赤黒く染まった硬質感のある地肌が露わになっていた。
そう、素手でローンクの魔法を弾き返したのは赤黒く染まった拳、つまり格闘家スキル【鉄腕】の効果だったのだ。
「シュッシュ、ハッ！」
大きめに左を一歩踏み出し、体を引くようにしながら回転させ、左肘を曲げて相手の側頭部目掛けて左フックを放つ。そこから間髪容れず左拳の引き際に再度左拳を振るう。
左方向から二連続で攻撃を受け、そちらへとローンクの注意が向いたところで左拳を引くようにして上半身を回転させた右拳を振るう。そして、がら空きとなったローンクの右側頭部へとミックの拳が突き刺さる。
「ぶっ、ぶああッッ！」
ミックの拳に無理矢理顔を左右に揺すられたローンクは堪らず悲鳴をあげながらふらついて半歩後退する。
「終わりだ……」
手応えを感じたミックは止めに格闘家スキル【渾身突き】を発動させる。
――【渾身突き】。発動に溜めを要するが必殺の威力を誇るスキルだ。
ミックはローンクに与えたダメージが充分なもので復帰までに溜めが間に合うと読んだ。仰け反りふらつくローンクを眼前にミックは拳を振りかぶって溜めが完了するのを静かに待つ。
「やってくれたなぁああっ！」
が、深手を負ったはずのローンクは怒声と共に即座に復帰する。
「なっ！？」
予想外の展開に目を見開くミック。
しかし、溜めは完了しておらず、まだスキルを放つことはできない。
身動きがとれず完全に隙だらけの状態を相手の目の前で晒してしまう。
普通の人間相手ならスキルを放つまでもなく、はじめのコンビネーションで絶命していただろうし、万が一生きていたとしても溜めが間に合っていただろう。
だが、強化された肉体を持つローンクの復帰は常人のそれを遥かに上回っていたのだ。
「くらええっ！」
溜めの動作のまま動けないミックに向けてローンクが拳を振りかぶる。
「食らわせませんよ？ ヒャヒャ」
が、拳を振りかぶったローンクの背後からパトリシアがひょっこりと顔を出す。
出されたのは顔だけでなく、ローンクの首筋にはピッタリと大振りなナイフが押し当てられていた。
顎下近くに当てられたナイフは躊躇なく、水平方向へと動かされる。
次の瞬間、首下にそよ風が通り過ぎたのかと思うような自然な流れでローンクの首が深く裂かれ、大量の血液が噴き出した。
「……ぁ？」
息をうまく吐き出せなくなったのか、か細い声をあげて目だけで振り向こうとするローンク。
「オッ、ラアアアアアアアアアアアッ！」
そんな中、ローンクの首から噴き出す鮮血を浴びながらミックが溜め終わった【渾身突き】を放つ。
「ヒャヒャ、危ない危ない」
必殺の拳を振りかぶるミックを見て素早くローンクから離脱するパトリシア。
赤黒く染まったミックの拳は凄まじい轟音を上げてローンクの胴体に風穴を空けた。
ミックが深々と突き刺さった拳を引き抜くと、言葉を発することができなくなったローンクは膝から崩れ落ち、軽く痙攣した後地面に全身を預けて動かなくなる。
「終わったな……」
ミックは絶命したローンクを見下ろして呟く。
数歩離れた場所からそれを見ていたパトリシアもナイフを鞘にしまって息を吐く。戦いの緊張が解け弛緩した空気が漂うのを感じたパトリシアはミックの方へとゆっくり近付きはじめた。
「何とか片付きましたね。グアッ……」
事前の話通り、報酬にケンタの場所を聞こうとミックの傍へ寄ったパトリシアだったが、報酬代わりに支払われたのは拳だった。今も尚赤黒く染まる拳が無警戒にミックへ接近したパトリシアの腹部へとめり込んだのだ。
「シュッ」
拳は一撃で終わらず、もう片方の腕がパトリシアへと迫る。
痛みに顔をしかめたパトリシアは拳を受けた腹部を手で押さえながら後方へと一気に跳躍して次撃をかわす。
「悪いな。教えると言ったのは嘘だ」
空を切った拳を開いてちょいちょいと指を遊ばせながら悪気のない表情でパトリシアへ嘘だったと告げるミック。仲間を売るつもりなど毛頭なく、はじめから騙す気満々だったことを悪気なく語る。
「誠実さに欠ける行動ですねぇ」
顔に脂汗を滲ませたパトリシアは拳が命中した腹部を摩りつつ、ミックを睨みつける。
「よく言われる」
「なら自力で探すとしましょう。あなたのこと、忘れませんよ？ ヒャヒャ」
肩をすくめて息を吐くミックに捨て台詞を残したパトリシアは凄まじい跳躍を見せて建材が網目模様のように複雑にからみあう天井へと消えていった。
「おい！ チッ、逃がしたか」
ミックはパトリシアの跳躍に目を見張りながらも逃してしまったことに悔しさをあらわにする。
――生きている者がミックしかいなくなったその場は再び静けさを取り戻した。
◆
「ククッ、まあいい。お前と会えたのは運が良かったかもしれない」
ゲッカーは椅子から立ち上がり、レガシーの正面へと移動すると、おもむろに白衣を脱ぎはじめた。
