9 ルチャドール
……多分あれだ。
俺と同様に【聞き耳】で情報収集しようとしていたのだろう。
やはり考えることは同じといったところか。
静かで良い雰囲気が漂う店内で噴き出したため、男は注目の的となってしまう。
慌てた男は立ち上がり、好機の視線を避けるようにしてそそくさとトイレの方へと向かっていった。
男はこちらへ視線を送ってきたが、俺が妨害したとは気づいておらず、一人淋しくカップルを妬んでブツブツ言っている男にしか見えていないようだった。
こっちの素性もバレないし我ながらナイスプランだったと思う。
俺が酒を飲みながらろくでもないことを呟く男という印象を植え付けてしまったという事実以外は……。
まあ、実際の会話はそれぞれの飲み物の話題から男の方から今夜どうだいって展開に移行。それを受けたヘザーが私に深く関わった男はつらい思いをするから止めておいた方がいいわ、と言い。なんだい、捨てられるってことなのかな、と男が効けば。いいえ、一夜明けると歯が抜けたり腕が折れたりするせいよ、と脅しで返す。みたいなトークでした。
俺がトイレへと駆け込む男の背を見送っていると、ヘザー達は会話を本題へと切り替えた。
【聞き耳】を発動中の俺は二人の会話を聞き漏らさないように集中する。
「まあ、冗談はさておき、次はアーカ地方へと調査を送ってくれ。そちらに囮の武装勢力を待機させてある。殺してもなんら問題ないので、とにかくそちらへと向かわせてくれ」
「心得た。報酬の支払いはいつも通りで頼む」
「問題ない、と言いたいところだが今回は島の方へ取りに来て欲しい」
「なぜだ? 何か問題でも発生したのか?」
「いや、単に人員を全て集結させているためだ。そのため街の潜伏先などは引き払ってしまっているので今までの方法が使えないんだ」
「なるほど、それなら仕方ない……か。だが島までとなると私もそう簡単には行けないぞ? 今回も休暇を使ってここまで来たんだ。そう頻繁に休めば怪しまれる可能性もある」
「なら、これを機に国を出てはどうだ? そのために金を貯めていたのだろう? 我々との仕事もこれが最後になるわけだし、問題ないだろう」
「……貴様がそれを言うか。まあいいだろう、報酬は島へ受け取りに行く」
「ああ、吉報を待っている。島の方には事前に話を通しておくので、いつ来ても大丈夫だ」
「分かった。依頼完了後、手続きを済ませてから向かうとしよう」
「退職手続きをするのか? そのまま逃げ出せばいいだろうに」
「いざとなればそうするさ。だが、今はまだ問題ないからな。なるべく怪しまれないようにしたいんだ」
「ご苦労なことだ。では、俺はこれで失礼する」
「了解だ。島で会おう」
男とヘザーは会話を終えると席を立ち、店を出た。
俺は怪しまれないように少し間を置いてから店を出るとレガシーとミックが隠れて様子を窺っている場所へと移動する。
「待たせたな」
「どうだった?」
俺が物影へとたどり着くと出迎えたミックが結果を聞いてくる。
「あーっと……、まず潜伏場所はミツヒキチ島だ」
「なるほど、そっちだったか」
まずは一番重要な潜伏場所が判明したことを伝える。
「あと、シュッラーノ側の人間に関してはそれっぽい奴を見つけた」
「どんな奴だ?」
次にシュッラーノ側の追跡者らしき人物についても知らせておく。
「多分もうしばらくしたら出てくるだろうから、その時に教えるよ」
「分かった」
男は結局トイレから出てこなかったが、目標がいないと分かれば店から出てくるだろう。
「じゃあこの後はどうすればいい?」
「なるべく早い方がいいのでシュッラーノ側の追跡者を足止めしたら島に向かう」
「足止めってどうするんだ?」
「いや、お前らは何もしなくていい。宿を取って先に休んでおいてくれ。明日の朝一番に列車で移動する。集合場所は駅ってことで」
今後のことをミックに尋ねると足止めはこっちでやるから一旦休めと言われる。
そして明朝にはここを発つらしい。
俺達が協力した方がスムーズにいくなら手伝ってくれと言うだろうし、きっと関わらない方がやりやすいことなのだろう。
「分かった」
余り深く突っ込んで聞いても仕方がないと判断した俺は素直に頷いておく。
「じゃあ、もうしばらくここでそいつが出てくるのを待つか」
「来たら知らせる」
後は噴き出した男が店から出てくればそれをミックに知らせて今日のやることは終わりとなりそうだ。
俺達は物陰に隠れてその時を待った。
…………
その後、無事シュッラーノ側の追跡者と思わしき男を教え、ミックと別れた俺達は宿で一泊し翌日に備えた。翌朝、俺達は駅へ向かい、構内にあるミックとの待ち合わせ場所を目指す。
予定ではここで落ち合った後列車に乗り、ミツヒキチ島がある地域まで移動することになっている。
俺達は朝早いというのに人でごった返す駅構内を進み、待ち合わせ場所へと歩を進める。
これから列車に乗るから駅構内が待ち合わせ場所になるのは分からないでもないが、ここで会うより少し人通りが少ない場所で落ち合った方がお互い見つけ易いのではないかとつい思ってしまう。
俺がそんなことを考えながら行き交う人の間を縫って待ち合わせ場所へと向かっていると雑踏の音に紛れて妙な音が耳に入ってくる。
――ヒャッ。
「ん?」
俺はその小さな音が気になり、つい立ち止まってしまう。
何の音だろうと辺りを見回すも、どこもかしこも人だらけでそれ以外は視界に入ってこない。
「どうした?」
少し先に進んだ後、立ち止まった俺に気付いたレガシーが振り返って聞いてくる。
「いや、なんか聞こえたような気がしたんだが……」
「風の音だろ?」
「だな、行くか」
ちょっと気になったがその後同じ音が聞こえることもなかったため、そのまま先に進むことにする。
そして待ち合わせ場所が近付いてくると、なぜか人が避けて通っている地点が一箇所あることに気付いた。
まるで透明の壁で仕切られているかのように人の波がその場所を避けていっているのが少し離れたここからでもよく分かる。何か事故でもあったのだろうかと気になった俺は人が避けて通る中心に目を凝らす。
すると――、人が避けて通る中心には目出し帽を被ったミックがキョロキョロと辺りを見渡しているのが見えた。
ミックの目出し帽から下は前回会ったときと同様、スリーピーススーツに両手には黒の革手袋といったいでたちだ。
「……おい、あそこに行くのか?」
そんな状況を見て、戸惑いの表情を見せるレガシー。
「俺、ちょっと嫌なんだけど……」
前に進むことを躊躇ってしまった俺とレガシーは待ち合わせ場所を目の前にして立ち止まってしまう。
目出し帽を被ったミックの勇姿を少し離れたところから見守っていると俺達の代わりに駅員が近づいて行くのが見えた。駅員は早足でミックへと一直線に進み、口を開く。
――ちょっとそこの君。
――俺か?
――そう、君だ。なんでそんな恰好をしているんだ?
――恰好? イカスだろ?
――そ、そうか。すまないがその帽子を取ってくれないか?
――お断りだ。
――なぜだ? 取って困ることでもあるのか?
――いや?
――なら、なぜ!?
――気に入ってるんだよ。もういいだろ、どっか行けよ。
――い、いや、そういうわけには……。君はここで何をしているんだ?
――ん? 仲間とここで待ち合わせなんだよ。
――君の様な姿をした者が他にもいるのか!? な、仲間と一体何をするつもりなんだ!
――え? 仕事だよ。ちょっとした荒仕事だ。
――あ、荒仕事だと!? 一体何の仕事なんだ!
――ん? まあ、カチコミみたいなもんだな。
――なんだって!? すまないがちょっと一緒に事務所に来てもらえるかな?
――なんで? 用があるならここで言えよ。待ち合わせの奴らと入れ違いになるだろうが。
などと俺達が躊躇っている間に駅員がミックと対面し、口論をはじめた。
目出し帽を頑なに取らないミックとそれを外そうとやっきになる駅員との間で妙なバトルが展開してしまう。
「あいつってあんなキャラだったか?」
「付き合いが短いからなんとも言えんな……」
俺とレガシーは慌ててそちらへと急行し、駅員に事情を説明して事なきを得た。
「ふぃー、帽子被ってただけでなんであんなに大騒ぎするかねぇ」
「お前、その帽子気に入ってたんだな」
目出し帽を外し、さっぱりした表情を見せるミックに俺は半眼で見据えながら呟いた。
「いやぁ、折角買ったのに利用の機会がないのはもったいないかなと思ってな」
「ある意味大活躍だったな。お陰で場所がすぐ分かったぜ」
人目や駅員のことなど気にせず我が道を行くミック。
そんなミックに皮肉交じりに応えるレガシー。
「じゃあ、コレやるよ。俺だと思って大事にしてくれよ?」
「いらねぇよ! 気に入ってたんじゃないのかよ!」
「え、いや? もういいかなって思って」
「飽きっぽい奴だな……。って無理やり俺のポケットに入れるんじゃねえぇっ!」
ミックは脱いだ目出し帽が邪魔になったのか俺に渡そうとしてきた。
俺が全力で拒否すると無理やりポケットに詰めて駆けだす。
「俺はもう使わないしやるよ。じゃあ発車の時間も近いし、そろそろ行こうぜ?」
ミックは俺達との会話を早々に切り上げ、意気揚々と改札口へと向かいはじめた。
俺は仕方なく目出し帽をアイテムボックスにしまいこむ。
……多分これはもう二度と日の目を見ないだろう。
「さっきの状態でお前ら尾行しようとしてたんだからな……」
俺はずんずん進んで行くミックの背から隣に立つレガシーへと視線を移して大事なことを指摘しておく。
「客観視してどれだけ無謀なことかよく分かったぜ……」
自分も危うくああなっていたんだなと自省した表情を見せるレガシー。
「おい、早く来いよ?」
俺達が立ち止まって会話していることに気付いたミックが振り返って手招きする。
「ああ、わかった」
「今行く」
俺達はミックにせかされ改札口へと小走りで向かった。
…………
その後、俺達を乗せた列車は何事もなく進み、目的地へと到着する。
駅から海まではそのまま徒歩で向かうこととなった。
シュッラーノ国はモンスターの被害が多いと言われるだけあって海に向かう間に何度かキラーウルフに襲われるも三人で難なく撃破する。
沿岸の到着までに一日を要するも何事もなく終わり、夜明け前に事前に手配してあった小さな漁船に乗って目的の島を目指す。
沖に出た後、俺達は潜水服に着替えて泳いで島に向かい、残った船は同行したミックの仲間が返却することとなった。船は一旦帰るが、島から脱出する時間帯にはこの辺りに停泊して待っていてくれる手筈になっているそうだ。
泳いで島の傍までと辿り着くと沿岸に警備は無く、索敵されにくい岩が乱立するエリアに上陸することとなる。上陸した岩場は眼前に微妙な高さの崖があり、周囲から孤立したような場所だった。俺達は適当な岩陰で潜水服を脱ぎ、いつもの服装へと着替えはじめる。
「潜水服はどうするんだ?」
いち早く着替え終わりジャケット姿となったレガシーがミックに尋ねる。
「ここに隠して移動する」
「了解だ」
俺とレガシーはミックに倣って潜水服を岩陰に隠す。
まとめてアイテムボックスで預かるという手も考えられるが、俺とはぐれた場合手に入らなくなってしまうのでこの方が良いだろう。
「で、どこを目指すんだ? 海から見たときも建物なんて見えなかったけど」
俺も普段の黒ずくめの恰好へと戻り、ミックにこれから先のことを尋ねる。
上陸してから改めて島を見渡してみたが人工的な施設が建っているとは思えないくらい大自然が溢れていた。辺りは生命力が高そうな木々がびっしり生え、視界ははっきりしていなかったが人の手が入っている印象はない。
「なるべく気づかれにくいエリアから上陸したからそう見えるかもしれんが結構人の手は入ってるんだぜ? 島の中央に山のように盛り上がっている場所があるのが見えるだろ」
「おう、でかいケーキみたいだよな」
ミックが言った通りこの島の中央には巨大な山を半分にカットしたような台形の盛り上がりがあった。それはハゲ山というわけでもなく木々が生い茂っているせいか特大の抹茶のホールシフォンケーキを連想してしまう。
「あの中央はすり鉢状になっていてそこに隠れるようにしてどデカイ施設が建ってるそうだ。俺も実物を見たことないから分からんがな」
「なるほどね。ちゃんと隠してあるわけだ」
ミックの話ではどうやら眼前にそびえる盛り上がりの中央に空間が空いていて、そこに要塞があるらしい。目を凝らすと確かに山のてっぺんに建築物の上端が見える気もする。
「ああ、このまま岸を伝って進むと簡単に出入りできるように道が造ってある場所へ出るそうなんだが当然俺達は道なき道を進むぞ」
どうやらちゃんと道が造ってある場所もあるらしいが俺達がそれを堂々と使えば敵に見つかってしまうだろう。そうなると目の前に広がる森を踏破するしかないってことになる。
俺達への説明を終えたミックは崖をよじ登り、一足早く森へと侵入していく。
「OKだ。案内よろしく」
「さっさと着くといいんだけどな」
俺とレガシーはミックの言葉に頷くと、先を行くその背を追った。
…………
捻じ曲がった木々に蔦が絡みつき、直進しにくい森の中をひたすら進む。
妙に湿気を感じると思えば足元にぬかるみが多い。
どうも地面の水はけが悪いようで、いたるところに水溜りやぬかるみがある。
そんな水溜りが集まって大きな沼のようになってしまっているところまであったりするので、歩くときには前方だけでなく足元にも注意する必要があった。
人目につかないためには仕方のない選択だが障害物が多いうえにこの足場ではかなり体力を消耗しそうな気がする。
泳ぎながら島を見たときは大した大きさではないなと思ったが、こうも移動が面倒だと目的地の到着までには少し時間がかかりそうだ。
そして数時間の移動後、山頂ギリギリの地点に到着する。
身を潜めて山の中央部分を見れば、自然の囲いをはみ出さんばかりの大きさの建物が姿を現した。




