2 ニクニクしいアイツ
(別に怒っていたわけじゃないんだけどな……)
拳を見つめながらふと思う。
怒って殴りかかろうとしていたのを我慢していたとか、そういうわけではない。
むしろどう感じたらいいか分からない感情の奔流を耐えていたといった方が適切かもしれない。自分の身に降りかかることなら案外冷静に見られるが、目の前で他人が繰り広げることの方が客観視できてしまって混乱してしまったのだろう。
…………
その後、車掌に襲撃者を引き渡し、食堂車へと移動する。
「ふぃ〜〜〜」
適当に空いている席を見つけて腰をかけるとどっと溜息が漏れた。
「おっさん臭ぇな」
と、レガシーのツッコミが入る。
「やっぱ向いてないわ」
そんな台詞を呟いてしまう。
俺は食堂車の従業員が持ってきた水をあおりながら窓から流れる風景を眺めた。
「偉く弱々しいな、さっきの奴か?」
ご令嬢と襲撃犯のやりとりを見ていたレガシーも表情を曇らせながら聞いてくる。
「ああ。なんかさ、取り押さえた奴に微妙に同情しちゃうんだよね」
「まあ、やるせない話ではあるよな」
ぶっちゃけ、俺が感情移入していたのは護衛対象のご令嬢より襲い掛かった男の方だ。
やったことには関心しないが、そのやり場の無い怒りには俺にも身に覚えがあるので微妙に同情してしまう。
レガシーも水を一口飲みながら俺の言葉に同意する。
「大体さ、これで何人目だよ?」
「この二日で七人かな」
だが、それでも仕事は仕事だ。
そんな事もたまにはあるだろう……、そう割り切れる回数ならまだいい。
「多すぎだろ!? どんだけ狙われてるんだよ!」
が、実際はそんな回数では収まらなかった。
二日で七人だ。
しかも七人とも今回と同じように家族や仲間を亡くしたと言って襲いかかって来る人達ばかりだというのだから、こっちもたまったもんじゃない。
もっと八つ当たり色が強ければこちらも軽くあしらえるのだが襲いかかってくる者は皆、今回のように微妙なラインをついてくるものばかりだった。相手の主張を聞くと、つい“ん、それは……どうなんだ”と一拍考えてしまうのだ。
そしてそれを取り押さえると決まってご令嬢が虫けらを見るような眼で見下しながら正論で問い詰めて相手の心を砕く。
襲いかかった者達は決まって怒りの余り泣き叫ぶ。それを俺達が取り押さえて憲兵に引き渡すというのがこの二日で七回だ。
こうやって客観的に起こったことだけを思い出すと、まるでゴージャスリッチマン社が超絶極悪企業のように思えてくるも別にそういうわけではない。
この世界にはモンスターが出る。
しかもシュッラーノ国はモンスターの被害が多くて有名な国だ。
そのせいか安全対策を十分にしても、この手の被害は抑え切れない部分があるのだろう。
だが、被害者の怒りや悲しみを前にして仕方なかったなどと言ってもどうしようもない。
ご令嬢が心を折るような振る舞いを見せるのも非情だとかそういうわけでもなく、あまりに数が多すぎて心が慣れて事務的になっているだけなのかもしれない。
すっごい踏んでたけど……。
まあ、その辺りは護衛について日の浅い俺達には分からない。
襲撃者たちは俺達に連れられていく間に自分がやったことがどれだけまずい事だったかに気づき、これからどんな仕打ちが待っているかを想像してしまうのか、皆滅茶苦茶になってしまう。
そんな事を短い間に何度も経験した俺達の精神的負担も結構なものになってしまった。
護衛の仕事だというのだからもっと誘拐目的とかライバル企業の暗殺者的な……こう、なんていうか相手をぶっとばしたら終わり、って感じのものを予想していたが実際はそんなものは皆無だった。ディープな怨恨系ばかりなのである。
「だよなぁ。しかも社長じゃなく実務に関わりが少ない広告塔代わりのお嬢さん狙いだからな」
俺の言葉に同意しながらテーブルに頬杖をついたレガシーも愚痴をこぼす。
「しかも狙ってきた理由がみんな大体似たり寄ったりなんだよな。こっち側の見込みの甘さや不手際のせいで誰かが死んだからお前を殺すって奴らばっかりってどうよ」
レガシーと話しながらこの二日を思い返す。
本当に襲ってきた者達の言い分が正しいのかはっきり分からない状態でひたすら敵意を向けられる。
向こうは冷静さを失っているので事実とは乖離している部分も多々あると思うのだが、その辺りがはっきりしないまま怨嗟のこもった目で睨まれるときついのだ……。
「多分ここの市民制度が関係してるんだろうな。二等市民だとぞんざいに扱われても仕方ないみたいな土壌があるんじゃねえか?」
「なんかなぁ……。やってることには一切共感できないんだけどあの目……、憎しみがこもった目を向けられると精神的に応えるんだよ」
俺だって恨まれるようなことをして睨まれたことくらいあるが、だからといってこうも頻繁に敵意むき出しの目を向けられるとどうにもつらい。
「微妙に割り切りにくい感じで来るんだよな」
「そうそう、後味が絶妙に悪いんだよ」
ごく普通の人に殺意に昇化されるまで煮詰められた憎しみを向けられると、その顔がしばらくたっても頭の中に焼きついて離れない。
身に覚えがあるならまだ諦めもつくが、仕事に就いたばかりの俺達には関わりが薄く、微妙に覚悟が決まらないのだ。俺が鬱々とした顔でそんな出来事を思い出しているとレガシーが口を開く。
「まあ、払いのいい仕事ではあるがこの国自体は俺も好かん。この際移動するか?」
「だな、元々流れでなったようなもんだしな。やっぱこの国から出ようぜ」
俺はレガシーの問いかけに首肯する。
二等市民に引き上げてもらったことに恩を感じてやりはじめたことだったが、どうにも相性が悪い。
その辺りは誘拐から助けたことでプラマイゼロってことで許してもらおう。
「決まりだな」
「悪いな、折角職にありつけたのによ。お前だけでも残るか?」
俺のワガママで辞めるようなものだし、レガシーに残るか聞いてみる。
「勘弁してくれよ。この国でずっとやっていくなんて御免だぜ?」
「なら決まりだな」
「おう」
が、レガシーも今の仕事とこの国にうんざりしていたようで、一緒に辞めることになる。
俺はその言葉を聞いてどこかほっとしていた。
二人旅をはじめてしばらく経つし、気づかない内に今の状態が気に入っていたのかもしれない。
「なんか辞めるって決めたらスッキリしたわ」
一つの決断を終えた俺は気が抜けたようになり、背もたれに全身の体重を預けて息をつく。
「なら飯にするか」
レガシーはニヤリとしながらメニューをこちらへと投げた。
「だな、なんか旨そうなもん食おうぜ」
俺はレガシーからのパスを難なくキャッチすると、メニューを開いて何を食うか早速物色しはじめる。
「旨い物、つまり肉ってことだな?」
俺と同様にメニューを凝視するレガシーがそんなことを呟く。
「じゃあここで一番高い肉食っちまおうぜ」
俺はメニューから目を離さず、そう答えた。
この仕事、金持ちのお嬢さんの護衛だけあって昼飯代はあとで請求できるのだ。
今までは気が引けて無難なものしか食ってこなかったが、今日ぐらい無茶してもいいだろう。
「辞めるとなったら怖いものなしだな……」
呆れた顔で見てくるレガシーを尻目に俺はメニューから一番高い肉を見つけ出す。
ということで俺達はメニューで一番高いステーキを頼んでみることにした。
話すことも無くなり、お互い窓から過ぎ行く景色を楽しみながら肉が来るのを待つことにする。
――カチャ……、カチャカチャ。
注文の品を待っていると静かな車内で妙な音が聞こえてくる。
何の音だとレガシーに視線で尋ねれば、顎で俺の背後を指す。
顔だけ振り向いてみると俺の後ろの席に座った奴が片手で胡桃を持って掌の上で遊ばせなら飯を食っているのが見えた。
どうやらさっきの音は胡桃を打ち鳴らす音だったみたいだ。
しかも後ろの奴は空いた手で特大骨付きチキンを手づかみで貪るようにかぶりつくという豪快な食い方をしていた。
そのせいで食う動作も大きな音を立ててしまっている。
なんとも迷惑極まりない奴だ。
他の客も顔をしかめて俺の背後の奴を見ているのが分かる。
だが、注意して面倒事に巻き込まれるのは御免なので、大人しくしておくことにする。俺にとっては後ろの奴より、もうすぐ来る肉のほうが大事なのだ。
胡桃野郎に構っている暇は無い。
そしてしばらくすると待ち焦がれた肉がやってくる。
「お待たせしました。こちらがご注文のステーキセットになります」
従業員は手馴れた動作で注文の品を手早くテーブルの上に置いていくと軽く頭を下げて戻っていく。
隙のない所作で立ち去る従業員のことなど忘れたかのように俺達はテーブルの上に置かれた物に釘付けになった。
「来やがったぜ……」
「ああ、なんて肉々しいんだ」
俺達は鉄板の上で音を立てる肉塊を前にごくりと唾を飲み込む。
今回注文したのはステーキセットだ。
この食堂車のメニューで一番高い。
ぶっちぎりだ。
金額表示の横幅が他の一・三倍くらいある。
メインはもちろんステーキでそれにパンとサラダ、スープがついている。
こういうセットを頼むとメインの料理は見応えがある盛り付けになっていても、その他の料理は質素なものだったりするが今回の品は違う。
パンはバケットに色とりどりに盛られて大量に完備。
サラダはボールで盛り付けられ居酒屋仕様。
スープは量こそ控えめだが、その見た目からして旨そうなオーラを放っている。
……そして肉。
鉄板の上ででジュウジュウと肉汁を弾く音を立てる肉はどう見ても国語辞典くらいのデカさがある……。これでゴブリンを殴ったら殺れそうなくらいの頼もしさを感じてしまう。
「こういう場合はどれだ……、どれから行くべきなんだ……」
「この分量だとサラダは肉と一緒に食えって感じだし、やっぱりスープじゃねえか? 肉の後だと細やかな味を感じられないだろうしな」
「よし、じゃあスープから行くか」
「ああ、なんとも綺麗な色だよな」
小振りなカップに並々と注がれたスープは透き通った琥珀色をしており、ほのかな湯気が立つ。表面には細かく切った香草が湖に舞い落ちた花びらのように漂っていた。俺はカップの取っ手を持つと口元へと運ぶ。
「うめぇ」
「しっかりとした味なのに後に残らないな」
スープはその透き通った色からは想像もできないほど旨味をしっかりと感じる濃厚な味で香りも強い。だが、その余韻に浸る間もなくすっと口の中がさっぱりし、後味が残らない。
まるでスープがこれから挑む強敵に備えよ語りかけてきているようだ。
これがコース料理なら上品にスプーンでちまちま飲まなければならないところだがカップなので、ぐびっといけてしまう。
「じゃあいくか……」
「ああ、こいつは食い甲斐があるぜ」
スープを堪能した俺達は肉へと突入する。
パンやサラダもあるが、それらは肉の合い間に食っていけばいいだろう。
俺は淀みない動きで左手にフォーク、右手にナイフを装備する。
フォークで肉が動かないように固定するとナイフを当てていく。
すると分厚い肉は軽くナイフを引いただけですっと切れた。
「なんだこれ……、軽く引いただけで切れるぞ」
「やわらけぇ」
凄まじいデカさなので、のこぎりみたいにギコギコしないと駄目かと思っていたらすんなりだ。なんと柔らかいのだろう。
ここまで柔らかいなら元の世界でいうならテンダーロインとかシャトーブリアンが近いかもしれない。
……当然俺はそんなもの食ったことがないがそんな気がした。
切断された断面は中心に軽く赤みが残っており、焼き加減としてはミディアムレアからミディアムの間といったところだろうか。
断面から血は滲まなかったが、たっぷりと肉汁が漏れ出る。
俺は更にナイフを動かして一口サイズへと切り分けたものへフォークを刺す。
当然フォークはすんなりと肉の中へと沈み込む。
我慢できなくなった俺は切り分けた肉を口の中へと放り入れた。
レガシーもそれに続く。
「これは……っ!」
「おお……」
肉だった。
あまりにも肉だった。
肉の味が口一杯に広がる。
まず肉独特の濃厚な旨味がガツンと来る。
塩、胡椒で軽く下味をつけただけで出されても満足できるほどの旨味が俺の口内に広がった。
あまり肉のくさみを感じさせないようにしているのか、酒でフランベされたような独特の香りが濃厚な肉の味に混じって感じられる。しかも異常に柔らかく、かむというよりは溶けるといった方が的確なほどの柔らかさだ。
咀嚼するたびに味は増すが力強くかむ必要は全く無い。
鉄板の上で熱せられた肉は熱々で額に軽く汗が滲んできた。
そこへ更ににんにくを効かせた濃厚なソースの旨味が洪水のように押し寄せる。
肉の味がかなりしっかりとするのでソースまで濃いと食べづらくなると感じるかもしれないが、そんなことはなかった。
むしろこの強い肉にはそれ相応の強さのソースが必要になると納得できる。
さっぱりしたソースではこの肉に太刀打ちできず、力負けしてしまうのだ。
凶悪な強さを誇る肉とにんにくの力でパワーアップしたソースが俺の口内で激しいバトルを繰り広げる。そんな肉をじっくり味わって咀嚼したあと、嚥下すると波紋が広がるようにじんわりと余韻が強まった。
「……サラダだ」
「これは進むな」
俺は次の一戦に備え、一旦サラダを食べて肉の余韻を飛ばすことにする。
レガシーも考えることは一緒のようで俺に続いてサラダへと向かう。
サラダは様々な野菜が盛られているが色彩は緑一色で統一されており、初夏の森のように緑が眩しい。
いわゆるグリーンサラダってやつだろう。
俺はボールにぎゅう詰めにされた野菜をフォークで適当に刺し、口へと運ぶ。
野菜類はとても瑞々しく、かむ度にシャキシャキとした歯応えが心地良い。
サラダはステーキとは逆にドレッシングが薄味になっていた。
そしてチーズやベーコンといったものも入っておらず、野菜のみの構成となっている。
野菜の旨味を感じさせるためというのもあるだろうが、ステーキと一緒に食べるならこの方が相性がいいのだろう。
野菜のみということで青臭さのようなものを感じるかと思ったが、その辺りもうまく調整されていて、アクセントに入っている香草などがさりげないアシストをしていた。
サラダを食べて口の中がさっぱりすれば再び肉へと向かう。
ステーキの虜となった俺達は次第に無言になり、パンに肉なんかを挟んで食べてみたりしながら黙々と食事を楽しんだ。
俺達は夢中になって食べ続け、気が着くと皿の上は空になっていた。
「うまかった……」
満足した俺は腹を摩りながら料理の余韻に浸る。
「この仕事で唯一のいいところだな」
レガシーも満足気な表情をしながら頷く。
「ラストを締めくくるに相応しい飯だった」
「んじゃ、俺は先に戻ってるぜ。お前も適当に切り上げて帰って来いよ」
「ん? 俺も戻るよ」
飯を食い終わり、一休みしているとレガシーが立ち上がって先に戻ると言い出す。同じタイミングで休憩に入ったので俺も戻ろうと立ち上がると手で制された。
「休憩時間はまだある、少し休んどけ。景色でも見て気持ちを落ち着けろ」
「おう、なんか悪いな」
「気にすんな。護衛筆頭がうるさいから遅刻だけはするなよ」
「了解だ」
レガシーはさっきのことを気にしてくれていたようで、一人になる時間をくれたようだった。
俺が残ればレガシーも向こうで少しの間一人になれるし、お言葉に甘えることにする。
席を立って移動するレガシーに礼を言うと俺は椅子に座りなおし、グラスの水を一口飲んだ。氷が溶け出して冷えた水が喉を伝う間隔が心地良い。
ほっと一息ついてから窓を見ればどこまでも広がる田園風景が心を和らげてくれるような気がした。
「失礼、とても美味しそうに食べられていましたね」
しばらく窓から流れ行く景色を楽しんでいると不意に正面から声をかけられる。
窓から視線を移すと一つ前のテーブルに座っていた老人がこちらへ声をかけてきたようだった。老人は白髪を綺麗にまとめ、高そうなスーツ姿でゆったりと椅子に腰掛けていた。俺と目が合うと穏やかな表情で微笑みかけてくる。
その手にはグラスワインがあり、ゆっくりと過ぎる時間を存分に楽しんでいるように見えた。その所作には何とも余裕があり、金持ち臭がプンプンしてくる。
「そうですか? 旨かったですよ、ここのステーキ。注文してみたらどうですか?」
旨そうに食っていたのは料理のおかげだと思うので、老人にステーキをお勧めしてみる。
肉、超旨いぜ?
「残念ながら歳のせいか重たい物が食べられなくなってしまいましてね」
が、老人は胃が受け付けないから駄目だろうと言ってきた。
そういえば確かに歳がいった人に肉料理はきついかもしれない。
元の世界で焼肉食い放題という言葉を聞いただけでお腹一杯になる気持ちがもうすぐお前にも分かるようになる、と言われたことをふと思い出してしまう。
「ああ〜、年取ると油物とかキツくなくなってきますもんね」
「そうなんですよ。お酒も若い頃なら朝まで飲んでも平気だったものですが、今となってはグラス一杯でほろ酔いですよ」
「飲む量が少なくて経済的でいいじゃないですか」
老人は食が細くなり、酒も余り飲めなくなったことを少し残念そうな表情で話す。俺は暗くなりすぎないようにと思いながら軽く笑顔を作って適当な言葉を返した。
「ははっ、そうかもしれませんね。ご旅行ですか?」
「いえ、仕事です。今は休憩時間中なんですよ」
「そうでしたか、こんなところでも仕事とは大変ですね」
老人は会話を楽しみたいようで色々と聞いてくる。
俺も気晴らしになるので質問に答えることにした。
穏やかな表情を見せる老人と話していると俺の心も落ち着いてくるような気がしたためだ。
「そうなんですよ。さっきも面倒事が起きて、てんやわんやでした」
「それはご苦労様です」
「でも近いうちに辞めることにしたんですけどね」
「それは……、そうでしたか」
「ええ、どうも向いてないみたいで。俺には冒険者の方が性に合ってるようです」
こんなことまで話すべきか迷ったが、会話の流れで今日仕事を辞めると決めたことを話してしまう。
まあフォローもかねてその後は冒険者でやっていくことを話し、あまり深刻な雰囲気にならないよう心がける。
「人によって向き不向きはありますからね。私も色々と経験したものですよ」
「へえ〜、そうなんですか」
「色々やって今の仕事に落ち着いたといった感じですね。昔は大きいところに勤めていたこともあったのですが、今はこじんまりとしたところで気ままにやっております」
「あ〜、俺もそんな感じっすかね。どうもデカイところだと堅苦しくて。自分のリズムでできる方が気持ちが楽なんですよね」
「ええ、その辺りは色々と天秤にかけてしまうことになりますけどね」
「全くです」
年の功というが老人にも思い当たることがある様子。
お互い気楽なのが一番だと笑い合う。
「ちなみにこの国で冒険者としてやっていかれる予定なのですか?」
「いえ、国外に出ようと思っています。……この国はちょっと合わないみたいで」
ついさっき辞めると決めたばかりなので詳細は決めていないが国は出ようと思っていたのでそのことだけ老人に話す。
「そうですか、確かに冒険者をされるのでしたら、この国では色々と弊害があるでしょうね。シュッラーノに隣接する国々の方が冒険者として動き易いと思いますよ。おっと、少し話しすぎてしまいましたね。年寄りの話に付き合ってくれてありがとう。では私はそろそろ失礼しますよ」
「いえ、参考になりました。では、良い旅を」
「良い旅を」
しばらく話していると老人は席を立った。俺は軽く会釈して別れを告げる。
短い間でのやりとりだったが、これも一期一会ってやつだろう。
とりとめのない内容だったが、いい気晴らしになった。
それに声に出して自分の考えを話したせいか、心の中が整理された気がする。
老人に感謝しないといけないなと思いつつ、立ち去っていくその背を見送った。
少し気分の晴れた俺はグラスの水を一口飲んで話して乾いた喉を潤しながら再度窓から見える景色を楽しむことにする。
…………
老人が席を立った後、しばらくすると今度はその席にカップルが座った。
……なぜか一つの椅子に二人で。
二人の間に接着剤でもついているのだろうか。
老人とは対面になるような位置関係だったが今度は背を向ける形で座ったので顔は分からない。目の前に二つの背が折り重なって座っている形だ。
正面なので嫌でも二人の姿が眼に入ってくる状態に俺はどうしたらいいのか分からない。窓の方を見ようとするも、どうにも気になって意識が正面のカップルにいってしまうのだ。
電車で正面に座った女性がミニスカートだったら見るとか見ないに関わらず意識しちゃうのと一緒だ。
……気になるんだって。
――んもう、こんなところでだめっ。
――いいじゃん、誰も見てないって。
――そんなわけないでしょ、後は部屋に戻ってからにしましょ。
――待てないよ。俺、待てないよ。
――ん、もう、じゃあちょっとだけなら。
(居ますよ! 後ろに! ていうか食堂車だからそこかしこに居るだろうが!)
とは言えず、目の前で繰り広げられるイチャイチャ行動を成す術も無く見せ付けられてしまう。
ほんと止めて、心に響くから。
「……くっそ、俺もイチャイチャしてぇ」
そんな光景を見せ付けられ、つい無意識に独り言が漏れ出てしまう。
幸い前のカップルは二人の世界に旅立っていたためか、こちらの声が聞こえなかった様子。
折角レガシーに気を使ってもらったのに、これでは台無しである。
こんなものを見せ付けられては安らぐものも安らがない。
なんとかそちらに注意を向けないように窓の外の景色を見るも静かな車内ではどうしてもイチャイチャ声が耳に入ってしまう。
これなら戻った方がマシだと判断した俺は席を立ち、待機用の個室へと向かうことにする。
それにしても俺には壊滅的に出会いが無い。
おかしいくらいに無い。
このままずっとないまま終わりそうなくらい無い。
「なんだ? 私が世話してやろうか?」
「え?」
などと考えていると、急に背後から女の声が聞こえた。




