2 仏像
「ぇ〜〜〜〜〜〜……………」
ベレー帽の女に一言物申す間もなく、俺を含めた囚人達は全員空中に投げ出された。……どうやら俺達に気を使って落下速度を落としてくれる程重力は優しくないようだった。
…………
「ヴア゛ア゛ア゛エ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」
空中に投げ出された恐怖から、今までに出したことの無い奇声を上げる俺。
俺伝説に新たな一ページが追加されたが、これが最終ページの可能性が出てきた。落下してすぐ雲の中に突入したため、辺り一面白一色で何も見えない。
あまりの風の強さに目を開けていられず、すぐにまぶたを閉じてしまう。
何か講習を受けたわけでもなく、タイミングを計って飛び降りたわけでもないため、今俺はすさまじい勢いで回転している。
雲の中というのも手伝って、最早どちらが上でどちらが下か分からない状態だ。
俺はきりもみ状態で落下する中、慌てて額にかけていたゴーグルを装着する。
そして少しでも地上に到着する時間を遅らせようと、身体を大の字に精一杯伸ばす。すると身体の回転が止まり、なんとか姿勢が安定してきた。
だが全身に空気がぶつかってくるため、故障したマッサージ機に顔をうずめている気分だ。いきなりインストラクターなしでスカイダイビングとか、狂気の沙汰としか思えない……。
ゴーグルを着けたせいでなんとか目を開けるようになり、辺りを見渡すと空中に投げ出された面子が皆必死になんとかしようと抵抗中の姿が目に映った。
少しずつ空中での姿勢維持のコツが掴めてきた俺はそれらに接触しないように微妙に位置を調整していく。
そして雲を抜け、地表が見え、はじめは点の集まりのようだった景色がかなりはっきりしてきた。
(……そろそろかな)
しばらく落下を続け、多分パラシュートを開くタイミングとしては頃合だろうと判断し、俺は背中のリュックから伸びる紐を思い切り引っ張った。
が、パラシュートが開くことはなかった。
特に何の反応もなかった。
無反応だった。
(あれ?)
引き方が弱かったのだろうと思って今度は更に力を込めて引く。
すると――。
…………紐がぶっこ抜けた。
「あ?」
受け入れられない出来事を体験し、思わず声が漏れる。
驚きから手の力が抜け、握っていた紐が風にあおられてどこか遠くへと旅立っていった。
今の俺には何の意味もないが旅立つ紐をつい目で追ってしまう。
全てから解き放たれた紐は俺より空の旅を満喫しているように見えた。
(こ、こういう時こそ落ち着かねば……)
俺は少しでも冷静になろうと、今起きたことを思い返してみる。
じっくりと詳細に思い出せばきっと落ち着きを取り戻せるはず。
瞬時にそう考えた。
だからじっくりと思い出すことにする。
まず、パラシュートを開こうと紐を引いたが開かなかった。
そして、もう一度紐を引いたら紐が抜けた。
紐が抜けたがパラシュートは開かなかった。
つまり、現状パラシュートは開いていないし、もはや開く方法もない。
詳細を思い返してみた結果――――。
「ヴア゛ア゛ア゛エ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」
奇声が出た。
どうやら俺伝説の新たなページは奇声で埋まってしまう可能性が高い。
結局、じっくり考えても冷静になることはかなわず、混乱が増す俺に遠慮なく眼下の景色はどんどんと拡大されていく。
(やべええええええええええッッ!)
改めて事の重大さに気づく。
(そうだ! レガシーだ! あいつに助けてもらえば!)
俺は助けを求めようとレガシーの方へと顔を向けて叫ぼうとする。
「―――――」
だが、そこには悟りを開いた徳の高い坊さんのような顔をして、あまりの恐怖のせいかカッチカチに固まって身体を一切動かさないレガシーがいた。
高いところが怖いのに超高度から放り出されて、とうとうおかしくなってしまったのだろうか。
レガシーは直立姿勢のまま微動だにせず、まるで仏像のようだ。
目も半眼に開いてここではないどこか遠くを見つめている。
バックミュージックにお経が流れてきそうなほどキマっていた。
「うおおおおおおおおおおいいいいいいいいいッ!」
俺は叫びながら紐が抜けたことを猛アピールするも、レガシーは瞑想に忙しいようでこちらに全く反応しない。悟りを開いたレガシーはまるで空中に投げ捨てられた空き缶のような軌道で俺を追い越して落下していく。
というか、あのままの姿勢でいたらレガシーもパラシュートを開けずに地面に衝突してしまうのでは…………。
――バサッ。
と、危惧した次の瞬間、レガシーはパラシュートを開いて一瞬上空へ引き上げられると緩やかに降下しはじめた。
……仏像みたいな姿勢のままで。
「あいつ……」
俺の心が何とも言えない気持ちで満たされたとき、下方での違和感に気づく。
(ん?)
どうも先にパラシュートを開いて降下していた奴らが混乱しているようなのだ。
安全な降下を続ける連中はパラシュートを開いているせいで緩くしか軌道修正できないことに不満を感じているのか、手足をばたつかせてもがいている様が眼に留まる。
(何やってんの? あいつら)
パラシュートが楽しくてしょうがないというわけでもないだろうに、何をそんなに暴れているのだろうか……。
と、俺が感じた違和感の正体はすぐに判明してしまった。
「うおおおおおおッ!?」
いきなり地上から無数の火の玉が打ち上げられてきたのだ。
火球は様々な軌道を描いて空中を彩る。
中にはねずみ花火が垂直上昇したかのような変則的な軌道をとるものまである始末。
少し離れたところから鑑賞することが許されたなら酒の肴に持って来いだったが、真上から見るには危険すぎた。
俺より下にいた奴らはそれに気づいていたので、じたばたと足掻いていたのだろう。
逆方向に降る火の雨のような状況が発生し、俺の眼下に広がるパラシュート集団の混乱が増す。
不幸にもその火の玉に接触したパラシュートは穴が開いて燃え上がりながら急速に落下していくのが見える。死を予感した悲鳴というおまけつきの落下だ。
――ジュッ。
そんな中、俺の少し下方で悠々とパラシュートで降下していた男の頭部が鈍い音と共に消し飛んだ。
不幸にも火の玉が直撃し、焼けた鉄を押し当てたような音を立てて上手い具合に頭部のみを斜め上後方に運んでいったのだ。火の玉はパラシュートには接触しなかったので、首から下はゆらゆらと風に揺られながら穏やかに降下していく。
(あれだッッ!)
俺はその揺らめく死体目掛けて一気に降下し、【張り付く】を使って体にしがみ付いた。
パラシュートが引く重さが一気に増えたので降下する速度は少し上昇したが、問題はなさそうだった。これでなんとか地上まで降りれそうだ。
(焦げ臭ぇ……)
人の肉が焦げる匂いを間近で感じながら首が無い男に抱き付き、降下を続ける。
打ち上げられてくる火の玉が怖いのでさっさと地上に到着してほしいがそうもいかない。
火の玉の雨に接触しないことを祈りながら死体にしがみ付いてサラマンドラで溢れる地面を目指す。
レガシーの方を見やれば、悟りを開いたせいかまるで火の玉の方が避けているかのように不自然なそれ方をしていくのが見えた。……あれなら無事着地できそうだ。
俺は自分の周囲を警戒しながら地上を目指す。
地上には緑が一切無く、赤茶けた荒野が広がっていた。
ところどころに小規模な岩山がアクセントとしてあるだけで他には何も無い。
そんな大地にワニほどの大きさの獣がご飯にかけたふりかけのように大量にいるのが見えた。大地の色と獣の色がかなり違うので、はっきりとその数が把握できる。そんなふりかけの全てがこちらを見上げて火の玉を吐き出しているのがよく見える。
どうやらこの火の玉の雨はサラマンドラのサプライズ歓迎だったようだ。
落下の影響で少しずつそれらが拡大されていき、ふりかけご飯からサル山へと進化していく。
(あそこへ降りるのかよ……)
凄まじい数のサラマンドラが歓迎してくれる大地はすぐそこだ。
(ほとんどど真ん中に着地コースじゃねえか……)
自分を含めたパラシュート群は数十匹のサラマンドラに包囲された中心へと吸い込まれるようにしてゆるやかな速度で降下していく。
サラマンドラ達の熱い視線がこちらへ向いているのが分かる。
視線だけでなく炎気を孕んだ熱い口元も俺の方へ向けて開かれそうだ。
「やべぇっ」
なんとか無事に降下を続けていたが、とうとうこちらにも火の玉が接近してきた。もう大した高さではないので飛び降りても大丈夫だろうと判断し、着地できそうな場所を探す。
俺は素早く【張り付く】を解除し、焦げ臭い男の死体から離れると地表へ向けて飛び降りた。
前にいたレガシーも地上に近づくつれ正気を取り戻し、このままゆっくり降下するのは危険と判断したのか、パラシュートを剣で切断して着地しようとしている。
他の囚人達もなんとかしようと必死になって着地している様子が視界に入る。
高所から落下した俺は両手両足を地面につけてかっこ悪く着地するとそのまま前転するようにして衝撃を逃しつつ起き上がる。
「ふぅ」
起き上がるタイミングで片手剣を抜き、姿勢を正す瞬間に構えを取る。
「大丈夫か、レガシー!?」
注意深く周囲を警戒しながら前方にいるレガシーに呼びかける。
――グルルルルルルッ!
――ガオウフッ!
――ジャァアアアアアッッ!
だが返事が返ってきたのはサラマンドラからだった。
どうやら俺を含めた悪運の強い囚人達は巣のど真ん中へと無事着地できたらしく、全方位にいるサラマンドラから熱い視線を送られる状況へ無事移行したようだ。
サラマンドラの吼え声が立体音響となって辺りに響き渡る。
「すごい歓迎だな。俺、サインとかできないんだけど……」
「これが歓迎ムードに見えるお前の感性を疑うぜ」
俺の声を聞いたレガシーがサラマンドラを刺激しないようにしつつ、ゆっくりと合流してくる。
サラマンドラ。特徴をまとめれば火球を吐くトカゲだ。
朱色の鱗に覆われた巨大なトカゲ。
大きさから言えばワニに例えた方がいいのかもしれないが、手足と尻尾の長さを見ればトカゲという言葉がしっくりくる外見をしている。
尻尾を切ったら生えてきたりするのだろうか。
そんな厳ついワニモドキがこちらを威嚇しながら俺達を取り囲んでいる状況だ。
レガシーがサラマンドラを見据えたまま俺を肘でこついてくる。
「俺達を代表して挨拶してこいよ」
「こんにちは! 俺の隣にいる奴が一番美味しいですよ!」
「味では俺の方が勝ってるけど、隣の奴は癖になる味で病みつきになりますよ!」
レガシーが挨拶して来いというので仕方なく俺の隣に立っていた一番旨いお勧め人間をサラマンドラに教えておく。
するとレガシーがすかさず俺を指して、癖になる味だと言う。
……野郎。
――グルルルルルルッ!
――ガオウフッ!
――ジャァアアアアアッッ!
だが、サラマンドラはどちらもお気に召さなかったようでご機嫌斜めの様子だ。
まあ、冗談はさておき、なんとかこの状況下で生き残らないとまずい。
「馬鹿言ってないでいくぞ!」
「お前にだけは言われたくないぜ」
俺達が言い合っているとサラマンドラたちの口元から炎が溢れるのが見えた。
「火球が来るぞ!」
「おう!」
戦闘開始だ。




