21 純白の火種
◆
ミランダとチンピランは無事下山し、街道の側まで来ていた。
「ありがとうよ。あんたのお陰で無事にここまで来れた」
「うむ、無事に下山できて何よりだ」
チンピランの礼に腕を組んで満足気に深く頷くミランダ。
「俺はこのまま街道に入って故郷を目指すよ。あんたもこのまま王都へ向かうのか?」
「うむ、そうすることにするよ。貴様も寄り道せずに、さっさと薬草を届けるんだな」
「当然だろ? じゃあ、俺はこっちだ。あんたも気をつけてな!」
「貴様も気をつけるのだぞ! ではさらばだ!」
二人は街道を逆方向に進むため、そこで別れた。
それぞれの目的を胸に、互いに背を向けて歩き出す。
チンピランと別れたミランダは反対方向へと進み、オカミオの街の手前まで戻ってきた。
すると道の真ん中に一人の男が立っているのが目に映る。
まだ距離が離れているうえに背を向けているので顔は分からなかったが、ミランダはその男が知っている人物だと遠く離れた後姿を見ただけで気づいてしまう。
ミランダが知るその男はいつもとても目立つ外見をしているので、すぐ当人だと分かったのだ。
その外見は心もとない頭頂部とは裏腹に魔法でコーティングされた強固な鎧に身を包んでいる。その鎧は特注のため、この世に一つしか存在しない意匠が施されている。
故に背後からでも誰だか分かってしまう。
ミランダはその男へと慌てて駆け寄った。
「ザ、ザコーダ様! 何故このような場所に!?」
「あ、ミランダ君じゃないか、お疲れ様。王都じゃないんだし、そんなにかしこまらなくていいよ?」
ミランダに声をかけられた男はゆっくり振り返るととても気さくに答えた。
男の名前はザコーダというらしい。
「い、いえ、恐れ多いです。それより、お一人なのですか?」
だが、ザコーダの気さくな振る舞いを見てもミランダは恐縮仕切りの様子。
ミランダからすればこんなところでザコーダが一人でウロウロしているのは想像もできないことのため、理由を聞いてしまう。
「そうなんだよ、珍しいでしょ? ちょっと走って動き回ってたら誰も着いてこれなくてさ。気が付いたら一人になっちゃってたんだ。今は追い抜いちゃった彼らを待っているところさ。ところでこの辺でイーラを見なかった?」
「……イーラですか? いえ、最後に見たのは王都ですね……。あいつがどうかしたんですか?」
どうやら話を聞く限り、気まぐれで動き回ったせいで部下とはぐれてしまったのだとミランダは予想する。
そしてなぜかミランダが嫌悪する者の名前がザコーダの話にあがってくる。
こんなところをウロウロするはずのない名前にいぶかしみつつもそれが気になり、ザコーダに尋ねた。
「あ〜、そっか。君、ずっとここにいたから知らないんだね。あいつちょっとやらかしちゃってさ、今指名手配中なの」
「へ?」
ザコーダから聞いた内容に驚き、間抜けな声が漏れる。
それはミランダがその者のことを狡猾で抜け目のない人物だと思っていたからもあるだろう。
「生死不問の指名手配。これで公然とボコボコにできるよ? 良かったね!」
「そ、そうでしたか……。もしかしてこの辺りに逃げたと情報が?」
ザコーダの言葉から国外への逃走を図っているのではと考えるミランダ。
「ううん。国外に逃げるならここかなと思って独断で来ちゃった。僕はもう少し捜してから帰るよ。君は先に帰ってなさい」
だが、特に目撃情報があったわけではなく、この場に訪れたのはザコーダの勘によるものだったようだ。そしてザコーダはミランダに自分のことは気にせず放っておけと言ってくる。
「で、ですが! ザコーダ様をお一人にするわけには!」
しかしミランダはザコーダ相手にそんなことはできなかったため、つい声を上げてしまう。
「いや、気にしなくていいよ。君とは会っていなかったことにすればいいしね。君もさっさと隊長に会いたいんだろ?」
「それは……、確かにそうですが……」
ザコーダの言葉に気持ちが揺らぐミランダ。
確かに少しでも早く王都へ向かいたいのは山々であったため言葉も揺らぐ。
「決まり決まり〜。じゃあ、また王都で会おう」
「わ、分かりました! 失礼します!」
「うん、気をつけてね」
「はい! ザコーダ様もお気をつけて!」
ミランダ自身としては納得できない部分もあったが、相手がザコーダでは従うしかなかった。しばらく悩んだ末にミランダは諦めて王都へ向かうことを決める。
どうにも背後が気になるミランダは見送るザコーダへとチラチラと振り返りながら王都を目指すのであった。
そんなミランダの背を見送りながらザコーダがぽつりと呟く。
「……ふふっ、剣聖の僕が何に気をつけろっていうのかな」
ザコーダの小さな呟きは遠くは離れていくミランダの耳に届くことはなかった。
◆
「なんとか逃げ切りましたね……、ゴホッゴホッ」
エルザは自分を助けた二人組の注意がドンナに向いた瞬間を利用して、まんまと逃げ出すことに成功した。
何かと世話を焼きたがる長身猫背の男と、何かと稽古をさせようとする老婆に心の中で別れを告げ、エルザはオカミオの街を目指す。
「アッハ、目的地が目と鼻の先なのに帰るとかありえませんよ」
人の気配のしない街道を進みながら一人ごちる。
「あと少し……」
エルザは身体の不調を押してそれでも前へと進む。
しばらく街道を進み、そろそろオカミオの街かと思った頃に正面から男が一人、こちらへと向かって来るのが見えた。
エルザからすれば特に用のない存在のため、そのまますれ違ってやりすごそうとする。
「おい、あんた」
だが、エルザの思惑とは裏腹に男の方から声をかけてきた。
「私に何か用ですか?」
エルザは面倒臭そうな表情を隠さず返事をする。
「オカミオの街に行くつもりならやめておけ」
「なぜです?」
男は疲れきっているのか覇気のない顔でぼそぼそと呟くように話す。
これから向かう街に行くなと言われて理由も聞かないわけにもいかず、つい聞き返してしまう。
「理由は聞くな……。行ってもいいことなんて何もない」
「はあ……、ご忠告ありがとうございます。ですがあの街に用事があるのですよ」
「ああ、あんたも国外へ逃げる口か? なら街には入らずに直接タカイ山脈へ向かえ」
「タカイ山脈?」
「そうだ、そこを越えればシュッラーノ国だ。いつもなら金を貰うところだが今日は営業しているわけじゃないし、タダにしておいてやるよ」
「色々とありがとうございます。まあ、考えておきますよ」
「悪いことはいわん。街には入るな。いいか? 俺は忠告したからな?」
「はい。色々とありがとうございました」
男の話した内容は要領を得ないものだったが、図らずも国境へ向かうルートの情報が手に入る。
(悪い人には見えませんでしたが、おかしな人ですね……)
エルザは重々しい足取りで街道を進んで行く男の背を見送りながらそんなことを思う。だが、その忠告を受けるも受けないも当人次第。
もちろんエルザは男の言葉を無視して街へと向かうのであった。
…………
「あれがオカミオの街ですね。残念ながら私は入るなと言われて大人しく引き下がるような性格ではないのですよねぇ」
男と別れて数時間もするころには眼前に高い塀に囲まれた街並みが見えてきた。
出入り口になっている門まではまだしばらくかかりそうだが、目的地が見えたというだけで少しほっとする。
気持ちも改め、軋む身体に鞭を打ち目的地へと一歩踏み出そうとする。
「ちょっと君! ちょっとちょっとちょっと!」
「はい?」
街へ向かおうとするエルザを遮るように鋭い声がかけられる。
エルザは思わず立ち止まって声のする方へ顔を向けると、そこには奇抜な装飾が施された金属の鎧に身を包んだ中年男性が立っていた。
男は額の汗を拭いながらこちらへと向かって来る。
「もしかしてオカミオの街へ行こうとしているのかい?」
「え、ええ」
「なら入ってはダメだ」
「はあ?」
「中は怪物の巣窟なんだ。危険だから退きかえしなさい!」
男はエルザの前で両手を目一杯広げて小さな子供が通せんぼするような恰好で立ちふさがる。
その構えにはダメ! 絶対! といわんばかりの決意が感じ取れた。
「申し訳ありません。人を捜しているものでして」
エルザはそんな男の腕を汚い物でも摘まむようにして押しのけようとする。
だが鼻息も荒く抵抗する男は頑なにして動こうとしなかった。
「その人が街の中にいるのなら絶望的だよ。諦めて帰りなさい。君も襲われてしまうよ?」
「……そこまで危険なら仕方ないですね。分かりました」
男の頑なさに折れたエルザは残念そうに引き下がる。
「うん。僕が護衛してあげてもいいんだけど、待ち合わせの最中なんだ。ごめんね」
「いえ、お気になさらずに。では」
エルザは存在感のある腹部を蓄えた男に軽く頭を下げると、踵を返してもと来た道を戻るように歩みはじめる。
そして男の視界から捕捉されない地点まで戻ると立ち止まった。
(怪物? 今聞いただけの話なら気にも留めませんでしたが、少し前にも別の男からも同じようなことを言われましたしねぇ……)
男の言葉を信じるなら街の中はモンスターで溢れかえっているらしい。
(だからと言って、素直に帰るわけないじゃないですか)
エルザは不敵に口端を吊り上げると、街道から逸れて森へと侵入する。
実際に目撃したわけでもない情報を鵜呑みにしてしまっても仕方がないと判断したエルザは街道で立ちふさがる中年男性を避けるために森から迂回してオカミオの街を目指す。
(この程度の距離なら森を抜けても大丈夫でしょう)
街まで大した距離ではないのでモンスターと遭遇する可能性も低いと考え森を進む。しばらく進むと街の塀が見えてきた。
門の前まで行くと街道からこちらが見えてしまうのでさっきの男に見つかる可能性も考え、塀をよじ登って進入することにする。
「……そんな、街の中に怪物なんかがいるわけないですよねぇ」
男の言葉を馬鹿にしたように呟きながら塀からひょっこりと頭を出し、街を覗き込む。
すると、そこには…………。
――グルルッ
――アオフッ
――グアアアアアオオオオンッ
…………頭部が狼の人間や、首から下が毛むくじゃらの人間、片腕だけが獣のようになっている人間が虚ろな目をしてさまよっているのが視界に入る。
混在するそれらは時間差でじわじわと獣の姿から人の姿へと戻っているようにも見えた。
街の中の建物は全ての窓が閉められ、ゴーストタウンのようになっていた。
そんな中をよくわからない人間のようなものが虚ろな目をして闊歩している。
エルザは塀から覗かせていた頭をそっと下ろし、静かに地上へと下りた。
「本当の話だったのですね……」
にわかに信じられない話だったが実際に目にすれば信用せざるを得ない。
「これでは街に入っても何の意味もなさそうですね」
エルザが追っている男はこの街に用があったわけではなく、この先の国境、さらにその先に続く国に行くのが目的のはず。
(ならば国境を目指しますか)
街の状態を見る限り、ここに男はいないと判断して国境へと向かうことにする。
…………
エルザはタカイ山脈を抜け、シュッラーノ国が間近に迫るところまで歩を進めていた。
タカイ山脈を抜けるルートは無理に山頂まで登る必要は無い。山の側面を迂回するように進めば問題ないのだ。そのルートを進めば案外時間を取られなかったため、あっけなく国境を抜けることに成功する。
森のような場所を進み、少し先からは木々もなくなり、開けた平原のような場所が見えてきた。
(もうすぐでしょうか……)
視界が開けるにつれ目的地が近づいたと実感が湧き、エルザの歩調も早くなってゆく。
「止まれ!」
だが、どこからともなく制止の声がかけられた。
突然のことにビクリと身を震わせるエルザ。
しかしその声は自身にかけられたものではなかった。
どうやらその声は森を抜けた少し先から聞こえたようだった。
そのことに気づき、落ち着きを取り戻す。
(面倒は御免ですが状況は把握しておきたいですね)
エルザは声のする方へと気づかれないようゆっくりと近づいて行く……。
(これはこれは……)
そこには両手を頭の上に置いて膝を着いた良く知った顔の二人組がいた。
二人の男は軍服姿の者達に包囲されており、抵抗を諦めた様子。
しばらくすると手錠をかけられた二人は軍服を着た男達によって連行されていくのだった。
「アッハ、なんとも面白いことになっていますねぇ。それではどこへ行くのか後を着けて調べるとしますか」
目の前の光景に笑いが止まらないのか、目元を緩ませたエルザは連行されていくケンタ達の尾行を開始するのだった。
◆
(……ここは)
イーラの全身をチクチクとした不快感が襲い、目が覚める。
まぶたを開けるとそこは草の中だった。
全身が草に覆われているようで風が遮られて妙に生温かく、視界に草以外何も映らない。体に感じた不快感は草の先端が肌に当たってチクチクしていたのだとそこで気づく。
そして少しずつ意識が覚醒してくると、草独特の青臭い匂いが鼻をついた。
(馬小屋でしょうか)
イーラは自分が牧草の山の中にでも放り込まれてしまったのかと考えた。
それは青臭い草の香りに混じって動物の匂いも感じられたためだ。
現状を確認しようとイーラはもがくようにして密集する草を掻き分けて這い上がり、草山から上体を出す。
すると、そこは…………。
「ッ!」
……不自然に明るい洞窟の中だった。
周囲には無数のキラーウルフがうずくまって眠りについているのが目に入る。
慌てて再度草に潜って隠れようとするも、濡れた固い何かがイーラの頬を伝った。
あまりの気持ち悪さに身を震わせながら顔をそちらへ向けるとホファイトファングが舌を出して自身の頬を舐めているところだった。
(え……)
あまりのことに体を強ばらせ固まってしまうイーラ。
周囲には大量のキラーウルフ。そして至近距離にホワイトファングが一頭。
あまりの状況に生きた心地がせず、体が縮み上がる。
しかし、そこでここに来る前の出来事をふと思い出す。
自分は死にかけていたはずだと、こんな軽快に動けるはずがない、と。
(傷……、傷は……)
そこであわてて腹の傷を確認しようとする。
しかし自身の腹部に目を向けるも、そこは雪のように真っ白な毛で覆われており肌を見ることは叶わなかった。
(一体何が……)
わけがわからず思考が乱れるイーラ。
だがそこでおかしなことに気づく。
腹部だけでなく両手も真っ白な毛に覆われていることに。
動転しながらも足や肩、自身の目で見れるところはくまなく見るも全て白い体毛で覆われていた。
「グアアアアオオ……(これは一体……)」
「!?」
ちゃんとしゃべったはずなのに言葉が出ない。
言葉の変わりに出たものはまるで自分のものとは思えないほど聞くもおぞましい唸り声だった。
全てのことに結びつきが感じられず、混乱が増していくイーラ。
全身が真っ白な体毛に覆われ言葉が出ない……。
イーラは見る影もない自身の両手を見つめながら、なんとか冷静さを取り戻そうとする。
「グルル…………」
そこでまたホワイトファングがイーラの頬を舐めてきた。
正直止めて欲しいのだが抵抗する勇気もない。
諦め半分でホワイトファングの顔を見上げる。
新雪のように真っ白な体毛、鋭い爪、巨大な体躯、そして青い炎のように輝く瞳……。
そんな青い瞳が何とも美しく、吸い込まれるように見入ってしまう。
(あれは……?)
そんな硝子球のような瞳にも真っ白な体毛の狼が映りこんで見えた。
雪のように真っ白な体毛、小さな手、人のような体躯、片方が黄金に、片方が青色に輝く瞳……。
そしてその純白の狼は服を着ていた。
とても見慣れた服。
旅なれた者が好んできそうな丈夫な服。
「グオオオウン……(まさか……)」
呟く言葉がまるで獣の吼え声のように聞こえる。
「!」
そこで何かに気づいたイーラは慌てて足元の草を見る。
牧草の山と思っていたものは全て薬草だった……。
「グルゥ……」
呆然と立ち尽くしていると三度ホワイトファングに頬を舐められる。
舐められると全身に魔力の流入を感じ、身体の不快感が霧散していくのが分かる……。
その時、イーラはホワイトファングというモンスターの特徴についても思い出す。件のモンスターはとても索敵能力が高く、キラーウルフをわが子のように可愛がりながらも手下のように操り、魔法を使う。
つまり魔力で傷を治す術も持っていたということなのだろう。
しかしイーラの体は怪しげで不完全な施術を受け半身が狼のようになり、わずかな時間しか生きられないような状態だった。
モンスターの因子を植えつけられ不安定な存在となったはずだったが、今は安定している。ホワイトファングからの影響を受け、純白の狼となったことにより安定している。
片目は狼、片目は虎。
黄金と蒼色の瞳は奇跡的なバランスとなってイーラを支える。
「グウウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオンン!」
その鳴き声は言葉を喋ろうとして出たものなのか、本能からくるものなのかは本人にしか分からないだろう。




