12 俺不在で進行
静まり返った部屋の中に拍手の音が響く。
「やぁやぁやぁ! 素晴らしい! あれを退けるとはさすがだね! あれでも僕の最高傑作だったんだよ?」
拍手をしながら男が一人、こちらへと部屋の中に入ってきた。
男の外見は寝癖が目立つボサボサの濃い茶色の髪に丸眼鏡、そして血が乾いたような茶色い染みがいくつもある白衣を着ていた。
そんな男が笑顔で拍手をしながら、こちらへと軽快に歩いてくる。
「やっぱりお前か……」
「知ってるのかレガシー」
どうやら男とレガシーは顔見知りのようだ。
多分急に顔色を変えて走り出したのも、この男を追っていたのだろう。
「まあな……、正直見間違いだと思ったんだが……。こんなところにいるとは思ってもみなかったぜ」
眉間に皺を寄せながら男を睨みつけるレガシー。
やはりレガシーはこの男のことを見つけて追いかけていたようだ。
その表情からして友人ではないのだろう。
「ここはいい場所だよ! 殺しても不審がられることがない人間がドンドン転がり込んでくるんだ! 街の人間はあまり減らすと機能しなくなるから調整が難しいがそれ以外はここは僕にとって天国だよ!」
白衣の男は笑顔でここがどれだけ自分にとって素晴らしい場所なのかを熱弁しはじめる。しかし、その内容からは薄ら寒い狂気を感じる。
「本当の天国を知ればその考えも改まると思うぜ。今から俺が送迎してやるよ」
男の発言に苛立ちを隠せないレガシーは剣を構えて見据える。
「そのボロボロの体でかい!? 無理だろう? そろそろあの力を使った反動でしばらく動けなくなるはずだ。強がりはよしたまえ」
にやつく口元を手で隠しながら、あざ笑うようにレガシーを挑発する男。
そして男の言葉が終わるころ、レガシーの体から薄く湯気が立ちはじめた。
それと同時に肌の色が元の薄い褐色に戻り、角も顔の方へ移動していく。
角が目元でクロスして額の方へと伸びるような形状になると顔へ沈み込んでいき、刺青のようになった。
……俺が見慣れている元の状態に戻った感じだ。
「……ぇ、お前動けないの?」
俺は元の姿に戻ったレガシーに慌てて聞く。
この状況で動けないのはさすがにまずい……。
「まあ、俺は動けないかもしれないがこっちには強い味方がいるからな!」
俺の方は見ずに白衣の男を睨みつけながらそんな台詞を吐くレガシー。
「え、誰だよ? そんなのいるなら大盛り三杯出たときになんとかしてくれよ」
「いや、お前のことを言ったつもりだったんだが……」
「あ〜、それな!」
強い味方に期待したら俺だった……。
すごい頼られている感じがして嬉しいっちゃ嬉しいが、今の状況だと緊張してお腹痛くなりそう。
「そんな男が強い味方とは君も落ちぶれたね。まあ、こちらとしては助かる話だよ。君を殺して大事な遺産を返してもらうよ!」
「なあ、あいつ暗に俺のことディスってない?」
「お前はこいつの実力を見くびっているだけだ! こいつは強い! 俺なんて足元にも及ばないぜ!」
「おい、あっちとばっかり話してないで、こっちに事情説明しろよ!」
なぜか誰も俺の話を聞かない。
そしてどんどん話が進んでいく感じがなんともいえない。
「話は済んだかい? こちらはいつでもいいよ」
「ああ! こっちはこいつが行く!」
「それな! え? いやいやいや、なんでそんなことになってるんだよ!」
「じゃあ、行かせてもらうよ!」
「頼りにしてるぜ!」
「おう、任せろ! って、いやいやいや、何この俺不在で進む感じ!」
……気が付けば俺が白衣の男と戦うことになっている不思議。
責任者を呼んで欲しい。
「ふふ、今やその力を使えるのは君だけじゃないんだよ? ほら、僕にもあるんだ! さあ、行くよ!」
勝手に話を進める白衣の男は首を覆っていた衣服をくいっと手で下げるとそこには角のような刺青が見えた。
ニヤニヤと口元を歪めながら構えをとり、何やら集中しはじめる。
「行くよって言われてもなぁ……、サレンダーとかできない系?」
「降参ってことかい? なら君の身体は僕の物だ!」
「そういう台詞はナイスバディのレディに言われたいもんだぜ」
どうも降参もできないらしい。
降参すると俺の身体があいつの物になってしまうらしい。
まあ、ここまでの道のりを思い出すとこの場合、あの男の台詞は狼男に改造して忠実な下僕になってもらいますよってことだろう。
頭皮の心配をしなくて済むのは喜ばしいが全身がフサフサになるのは勘弁願いたい。
「フフフッ! 見るがいいッ!! この力をッ!!! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
白衣の男が雄叫びを上げると同時に全身が紫色に染まり出す。
変色が終わると首もとの衣服を突き破って薄く輝く半透明の角が露出してくる。
その角はレガシーのものより色が薄い感じがするせいか、余計に立体映像のように見える。
「あ、ごめん。話の腰を折るようで悪いんだけどさ。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
そんなやる気満々の白衣の男に俺は待ったをかけて質問する。
「なんだい、時間稼ぎかい? 姑息なマネをするね」
自身の勝利に相当自信があるのか、余裕がある態度を崩さず会話にのってくる男。
「いや、あの狼人間って街の人達だよな?」
「今更何を言っているんだい? 当然じゃないか! あとはこの街に訪れた者も含まれるね」
「あれって元に戻すことってできるの?」
「そんな不完全な処置をこの僕がすると思うかい?」
「なんか完璧主義っぽそうだし、無理かな。じゃあさ、改造中の奴ももう手遅れなの?」
「君も見たんだろ? あの装置に入った時点でもう無理さ! 定着させるのに相当量の魔力も注入してあるんだ、絶対無理だよ! さあ、もういいかな!」
「ありがとう。問答無用で来るかと思ったわ」
意外と律儀に答えてくれたのでお礼を言っておく。
やはり一度改造されてしまうと助からないようだ……。
「君一人処理するなら大して時間もかからないだろうし、問題ないさ!」
男はそれを合図に地を蹴って俺に向かって来る。
俺は【疾駆】を発動すると男を無視してレガシーへ向かって駆ける。
「おい! こっちに来んじゃねぇっ!」
巻き込まれると思ったのか両手を振って慌てるレガシー。
だが俺は止まらず、レガシー目掛けて全力で走り続ける。
俺は両手を振るレガシーの脇の下目掛けて手を伸ばし、すくい上げるようにして担ぎ上げた。
そして、白衣の男が入ってきた通路目指して全力疾走する。
さっきまではシャッターが下りていたが今は男が入ってくるときに開いたままになっていたので、この部屋を抜け出すことが出来る。
俺は白衣の男には目もくれず、ひたすら通路を目指す。
「ッ! 逃がすか!」
男が俺の狙いに気づいたのか何かの装置を作動させる。
するとシャッターが鈍い音を立てて動き出す。
「フヌゥゥウウオオオオオオオオオオォォオオオオオオッ!!」
目の前でシャッターが落ちるのがスローモーションで見える。
俺は迷わずスライディングしてシャッターをくぐるようにして通路へと抜けた。
「オ゛ッ」
俺には接触しなかったが担いだレガシーの後頭部にシャッターがかすったらしく耳元で奇声が聞こえる。
「しばらくしたら戦ってやってもいいぜ」
俺は完全に閉まったシャッターに向けてぽつりと呟く。
あいつの能力がレガシーと同じなら制限時間があるはずだ。
なら力を使い切って動けなくなるまで逃げ回ればいいだけの話。
何も正直に真正面から戦う必要なんてどこにもない。
俺は後頭部を痛打してぐったりするレガシーを抱えたまま元来た道を進んだ。
◆
自分が閉じたシャッターを見つめ、男は苛立っていた。
こけにされた上に逃げられたのだ。
しかも力を見せ付けるために変身までしてしまった。
計画も最終段階に入り、少し浮かれていたのかもしれない。
この能力は全ての力を限界まで引き上げるが制限時間があり、時間が過ぎると全身が麻痺したようになってしばらく動けなくなってしまう。
レガシーを担いだあの男の脚力は目を見張る物だった。
能力を使った自分でもあの速度は出せないかもしれない。
このままではあの二人に逃げられてしまう。
いや、逃げられてしまうだけならまだいい。
もし制限時間を過ぎて動けなくなっているところを狙われたら一溜りもない。
「クソッ!」
苛立ちを隠せず、力任せに壁を殴る。
頑丈な壁なので普通の人間が殴れば拳を痛めただろうが能力を使っている男の力だと逆に壁の方がボロボロに砕け散った。自分の浅はかな判断のせいで窮地に立たされたことにふつふつと怒りが湧き上がる。
(時間内に探し出して殺さないと……!)
そう判断した男は再度装置を作動させ、シャッターを開く。
「まだかっ!」
時間をかけてゆっくりせり上がるシャッターにじれったさを感じながらじっと待つ。男はシャッターが半分ほど開いたところで待ちきれなくなり、身を屈めてくぐって先へ進む。
入り込んだ通路は距離はあるがかなり先まで一本道で、途中に攫ってきた人間を留めておく集積所と処置室がある。
処置室を越えると一気に通路と部屋が増えるので探すのは難しくなる。だが、そこまで戻れば通路や部屋数も増え警戒している手下の数も増えるので、相手も道の真ん中を全力疾走するわけにはいかなくなるはずだ。
それに身体能力が向上している今なら処置室に着くまでに追いつけるかもしれない。男がそんなことを考えて走っていると集積所に到着する。
「邪魔だ! どけっ!」
焦る男は部屋の入り口で見張りをしていた手下を押しのけ室内へと押し入る。
中に入ると部屋の端に攫った者を運ぶための皮袋が空の状態で山積みになっていた。
今日は宿を襲って大量の実験材料を手に入れたはずだった。それなのに皮袋の中は全て空。つまり全て逃がされてしまったということだ。男は実験材料が全て逃がされてしまっていた事実を知り、激高する。
室内には警備のため配置していた手下たちが倒れているのが目に入った。
ここには五体を警備にあてていたが全て葬られてしまったようだ。
折角の力作がこんな簡単に処理されてしまったことに頭に血が上り、興奮が収まらない。
最高傑作だったはずの四体の巨狼の内、三体も先ほど倒されてしまった。
残された一体は暴走して逃げてしまったので全てを失ったに等しい。
ここにきて男の憤りが限界に達する。
「クソがあっ! なんで僕がこんなところでくすぶってなければいけないんだ!」
周りの物にあたり散らしながら怒鳴る。
「僕の研究の成果は完璧だったのに! なんで! なんで!」
怒りが収まらないのか壁を殴りつける。
「みんな僕の事を馬鹿にしやがって! ふざけるなッ!!」
「ソうカッカすんナッて、な?」
「あ?」
妙に聞き取りにくい声と共に男の腹部に鋭い痛みが走る。
振り向くとそこには、どれが誰だか分からない獣の顔をした手下がいた。
狼の口では発音しにくいのか、ところどころ言葉が聞き取りにくかったのはそのためだろう。
手下の手には刃物が握られていた。その刃物が自身の腹を貫いていたのだ。
「ぐあっ!」
手下が男に突きたてた刃物をドアノブでも回すかのようにグルリと回転させる。
途端、強烈な痛みが男を襲う。男がたまらず悲鳴を上げたのと同時に、とある違和感に気づく。それは傷を負って怒りの感情が逸れたせいで、一時的に冷静さを取り戻したためだった。
この部屋には五体の見張りを置いた。
だが、五体は全て倒されていた。
ここには見張りはいないはず。
なら……、この手下は……。
男は無理矢理体を捻り、脂汗を滲ませながら手下へと掴みかかろうとする。
すると手下の体から白い煙が立ちこめ稲妻が走りだす。
煙が晴れるとレガシーと一緒にいた男の顔がそこにはあった。
「……きっさまぁぁあああっ!」
手下の正体に気づき怒りが再燃し、掴みかかろうとさらに体を捻る。
「お前を生かしておくと被害者が増えるからな……」
レガシーと同行していた男はそう言うと、素早い動きで何かを抜いた。
銀閃が視界を覆う。
白衣の男が視認できたのはそこまでだった。




