24 ふりだしに戻る
◆
「えっと……」
宿場町の代表を務める男は困惑していた。
事のはじまりは数週間前。
街道上に凶悪なモンスターが現れ、道を塞いでしまったのだ。
そのため街道を利用する人間は足止めをくらってしまい、皆宿場町に長期滞在を余儀なくされた。だがそれは町側にしてみれば、とても美味しい話だった。
どうしても街道を通りたい者は、ずっと宿場町に滞在し続けなければならなくなったためだ。代表を含め、店を持つ者は懐が潤い、ホクホク顔になっていた。
しかし、その緩んだ顔も長くは続かなかった。
そのモンスターがいつまで経っても街道周辺から移動しないのだ。
そのため、無理に街道を通ろうとした者が襲われるといった事件が発生し、町として何か対応しなければならなくなってしまう。
結局代表は今回の一件で潤った店々から金を徴収し、冒険者ギルドに討伐依頼を出すことにした。
折角潤った懐から金を徴収された者たちは不満を余すところなく代表にぶちまけた。
代表は非難を一身に受け、それでもなんとか金を集めてギルドに依頼を出した。そして今日、やっと依頼を受けた冒険者が到着したという知らせを受けたのだ。
色々あったが、それでもこれで問題が解決できる、と、ほっと胸を撫で下ろしながら冒険者に面会に行くと、なぜかそこには老婆が一人だけで立っていた。
「えっと……」
困惑した代表は次の言葉が出てこずに同じ言葉を繰り返す。
「何だい? さっさと言いな!」
老婆は短気なのか、煮え切らない代表の言動に苛立ちを隠さない。
「あの……、依頼を受けるのはあなた一人なのですか?」
代表はおずおずと揉み手をしながら老婆に質問する。
「まあね。ランクなら足りているし、問題ないはずだよ!」
そう言いながら老婆は無造作に自身のギルドカードを見せた。
「拝見します」
代表が頭を下げながらギルドカードを受け取って確認すると、確かにそのカードは高ランクのものだった。
改めて老婆をまじまじと見てみる。
全身和装で固め、腰の両脇に刀を差している。
何より側に立っているだけで全身に鳥肌が立つような異常なほどの威圧感を感じてしまう。
代表はこのギルドカードが本物だと威圧感に締め上げられて納得する。
「し、失礼しました」
怯えきった代表は限界まで身を縮めながら頭を下げてギルドカードを返した。
「ふんッ。で、アタシゃどうすりゃいいんだい?」
「モンスターが街道を塞いでいるので、それを倒して頂ければ……。距離は多少離れていますが、何分凶悪なモンスターらしく、馬車などを出すとそれが襲われてしまう危険があります。ですから、現地まではお一人で行って頂く形でお願いいたします」
恐縮仕切りで依頼内容を話す代表。
額から汗が止まらないため、しきりにハンカチで顔を拭う。
「途中まででも馬車は出せないのかい?」
「街道周辺を動き回っているため、正確な場所が分からないのですよ。そのため、いつ遭遇するか予測が難しいのです。申し訳ありません」
意外と依頼の遂行に関しては意見を言わず、すんなり受け入れる老婆に安堵しながらも、代表は恐る恐るといった感じで言葉を続けた。
「しょうがないね……。で、どんなモンスターなんだい?」
「それが……、よく分かっていないのですよ」
「どういうことだい? それじゃあ、こっちは何を倒したらいいのか分からないじゃないか!」
肝心な部分がはっきりせず、言葉を荒らげる老婆。
確かに依頼達成に関わる部分がぼやけていては依頼としては成立しないだろう。
老婆の怒りは当然のものだといえる。しかし、そのことが分かっても代表には詳細を説明する事ができなかった。
なぜなら、よく分からないからだ。モンスターに襲われた者で生き残りはおらず、遠くから目撃した者が少数いるだけ。これでは誤情報を提供してしまう恐れすらある。
「す、すみません。ですが、街道を塞いでいるのは確実なので、通りを塞いでいるものを倒して頂ければ問題ないはずです!」
老婆に凄まれた代表は慌てたように早口でまくしたてた。
ここで依頼を反故にされては、また全てはじめからやり直しになってしまう。
そのため、代表の言葉にも熱がこもる。
「分かったよ。後で違うって文句つけたらタダじゃおかないからね!」
老婆は代表を睨みつけながら念を押してきた。
「は、はい!」
「邪魔したね。じゃあ次来るのは報告のときだから、金を用意しときな」
「よろしくお願いします」
代表は依頼が受理されたことに安堵しつつ、深々と頭を下げて老婆を見送った。
…………
「すいません、こう見えて人前にあまり出れないものでして」
老婆が街道に向かおうとすると、どこからともなく長身猫背の男が現れた。
自然な動きで自身の横につき、話しかけてくる。
男は事情があってあまり人目につきたくないのだ。
そのため、人と交渉するような場は老婆が引き受けていた。
そのことを心苦しく思っているのか、男の声はいつもより小さい。
「あれだけ派手にやっておいてよく言うよ」
「それはお互い様でしょう?」
「ふんッ。大体、ここまで着くのにどれだけかかったと思ってるんだい!?」
「さあ?」
「さあ? じゃないよ! ギルドで依頼を受けて宿場町に着くまでの間に何が起きたか分かってるのかい!?」
「いえ?」
「それじゃあ、説明してあげるよ! まず、モンスターに襲われそうになった娘、次に産気づいた妊婦、その次は山賊に襲われた女パーティー、その次は山賊に攫われたお嬢さん、その次は魔力切れを起こした女魔法使い、最後は山賊に襲われた女商人だ! 全部助けたせいで、いつまで経っても着きやしないじゃないか!」
「いつも通りじゃないですか」
「ああ、ああ! 分かったよ! 大体なんでこんなに山賊がいるんだい! ここは山賊の巣か何かなのかね!?」
「あ〜……、それは僕達がギャングの支部と本部を潰したからでしょう。その場にいなかったギャングが山賊へ転職したのかと……」
「それなら……、仕方ないかね……。全部斬ったし、よしとするよ」
二人の会話は脇道のそれて燃え上がるも、老婆が納得し鎮火する。
「で、どうでしたか?」
「とにかく街道にいるモンスターを皆殺しにしろってさ」
老婆は宿場町の代表の依頼を自分流に解釈し説明する。
「わかりました。ですが街道といっても、どの辺りまでなのでしょうか?」
男は何の疑問も持たずに老婆の言葉を受け入れた。
むしろ前向きに依頼達成について考えをまとめようとする。
「とにかく片っ端からやればいいんだよ!」
老婆は面倒臭くなって声を荒らげ、会話を打ち切った。
昔から細かいことは苦手なのだ。
「まあ、それもそうですね」
男は老婆のことを熟知しているのか、あまり深く聞こうとしない。
二人が行動を共にしはじめてしばらく経つが、そろそろお互いの性格について配慮できるほどには関係が深まってきたのだろう。
「さっさと行くよ!」
「分かりました」
はたから見れば老婆に怒鳴られている若い男の構図にしか見えないが、二人は至って普通に会話しているだけだった。
…………
街道を進んで数日、老婆と長身猫背の男は途方に暮れていた。
「今のところ、オーガとキラーベアの死体しか見ていませんね」
「あれが依頼のモンスターだったら、依頼料はどうなるんだろうね」
「あの死体を見てから、かなり進みましたがいませんね……」
「参ったね……」
二人が困惑していたのは街道をいくら進んでも、目的のモンスターに遭遇しないためだ。
それらしいものには一度遭遇したのだが、それはもう死体となっていたため、二人の頭を悩ませていた。
当てもなく進むには街道は長く、二人の疲労感が増していく。
「ッ!」
そんなとき、長身猫背の男が表情を変えて急に走り出した。
「ちょっとどうしたんだい!?」
それを見て慌てた老婆もそれを追いかける。
しばらく走ると長身猫背の男は街道を逸れて森へと入って行った。
「待ちな! そっちは街道から逸れてるよ!」
オリンが声をかけるも、長身猫背の男は止まらず走り続ける。
「チッ」
仕方なく老婆も長身猫背の男に追随して街道を逸れる。
しばらく走り、視界が開けてくると老婆は眼前に見たことのないモンスターを発見した。
「ありゃなんだい……」
それは異常な大きさの狼だった。
周囲に視線を向ければ、狼の前に傷ついた者がおり、今にも食われそうな状態なのがわかった。そこへ長身猫背の男が颯爽と駆けつける。
「ハッ!」
長身猫背の男は短い呼吸と共に剣を抜き、巨大な狼の後ろ足をあっさり切り落とす。
「グオオオオオオオン!」
今にもかみつこうとしていた巨狼は足を一本失い、姿勢を崩した。
だが三本となった足でも地に伏すことはなく、振り返って長身猫背の男を威嚇する。
「ふんッ! どきな!」
長身猫背の男へ老婆がそう叫ぶと同時に、ほんの少し体が浮いた状態で加速。
腰に差した二本の刀を抜くと、気が済むまで巨狼を切り刻む。
そして巨狼の体が切断される前に通り過ぎての着地。
……チン。
全てが一時停止したかのような森の中で、刃が鞘に納まる音が木霊する。
次の瞬間、大質量の個体と液体が地面に接触する音が不快に響く。
それは元巨大な狼だったものが挽き肉になった音だった。
――ほんの一瞬の間に起きた出来事。
常人には目にも留まらぬ早業。
だが、それが二人とってはごく普通。
当たり前の出来事の一つでしかなかった。
老婆と長身猫背の男は何の感慨もなく肉塊を一瞥し、構えを解く。
◆
イーラ、エルザ、ドンナの三人は覚悟していた。
もうダメだと……。
三人の眼前に大きく開かれた巨狼のアギトが近づき、不快な匂いと口腔内の独特な湿気のある生温かさが周囲に漂う。
一人は笑い。
一人は怒り。
一人は睨んでいた。
顔は違えど、思うことはひとつ。
これで終わり。
諦めの感情が支配し、全てを覚悟したその瞬間――。
――三人の顔が一瞬で驚愕の表情へと同時に変わる。
あと数瞬で全てが終わると思ったとき、巨大なアギトが何の前触れもなく傾く。
傾くだけで終わらず、まるで手品でも見せられているかのように眼前で、空中で、一瞬に、巨大な狼が挽き肉が混じった血塊に変わってしまう。
空中にあったそれは当然大きな音をたてて地上へ落下した。
落下して飛び散ったため、不快な粘度のある液体が三人に跳ね返り衣服を濡らす。
そんな出来事が瞬きするほどの間に起こる。
三人は何が起こったのか理解が全く追いつかなかった。
ある声がかけられるまでは……。
「大丈夫ですか!?」
三人には聞き覚えのある男の声が耳朶を打つ。
「ふんッ、歯応えのないデカブツだね!」
三人には聞き覚えのある老婆の声が背筋を震えさせる。
「「「――――――ッ!!!」」」
驚いて目を見開いた三人は声を出そうとしたが、全身の激痛と喉が枯れたことにより、思うように声が出なかった。
「ひどいケガだ! すぐに治療しないと!」
「治療するって言っても、アンタが誰彼構わずポーションを使っちまうから、もうないよ!」
男の焦る声に続いて、苛立つ老婆の声が聞こえる。
「仕方ありません、とりあえず宿場町まで運びましょう! 僕が二人を背負いますので、一人はお願いします!」
男は側に倒れていたイーラとドンナを器用に抱えこんだ。
身動きも発声もできない二人はされるがままとなってしまう。
「おうおう、年寄りになんて酷いことさせるんだろうね、この男は」
老婆は側に倒れていたエルザの脚を掴むと空中に放り投げ、肩で受け止め担ぐ。
「――ッ!」
空中から落下し老婆の肩で腹部を強打したエルザは悲痛な声を上げようとするも、うまく声が出なかった。
苦悶の表情を浮かべるエルザに老婆が顔を近づける。
「……アンタ、何死にかけてるんだい? 少し稽古が足りなかったみたいだね」
ぼそりと呟かれた老婆の言葉を聞いたエルザの顔は青から白へと変化した。
◆
巨大な狼を肉塊に変えた後、老婆と長身猫背の男は困惑していた。
それは三人の傷が巨狼によるものではなかったためだ。
てっきり巨狼に襲われて動けなくなっていたと思っていたのだが違っていた。
傷は対人戦闘でついたものと容易に分かるものだった。
誰かに襲われたか、三人の間で争いがあったのか。戦闘が終わった後に駆けつけたため、はっきりとは分からない。だが、巨狼との戦いとは別に、何かがあったのは間違いない。
そして、その三人の内の一人には見覚えがあった。
以前、老婆が稽古をつけていた女だ。名前はエルザだったはず、と長身猫背の男は記憶を手繰り寄せる。残りの二人に関しては会ったような気もするが覚えていない。
だが助けてしまった以上、ここで置き去りにするのは男の感覚からすればありえないことだった。
「仕方ありません、とりあえず宿場町まで運びましょう! 僕が二人を背負いますので一人はお願いします!」
長身猫背の男は即座に近くで倒れていた二人を抱え上げて老婆にも指示を出す。
このまま進めば街につくだろうが、あとどの程度距離があるかも街の規模も分からない。ならば、ここは引き返すしかないという判断だった。
「おうおう、年寄りになんて酷いことさせるんだろうねこの男は」
どうやら老婆も三人の違和感には気づいているようだったが、ここで問いただすようなことはしなかった。
どう見ても話せる状態ではなかったからだろう。
老婆はエルザの足を掴んで放り投げ肩で受け止め、担ぎなおす。
そして老婆が担いだエルザに二言三言話すと、見る見るうちに彼女の顔が青ざめていくのが男の目に留まった。
男はそれを見て、相変わらず仲がいいなと顔をほころばせる。
「急ぎましょう! モンスターが寄り付かない場所を見つけて応急処置を!」
長身猫背の男は老婆がエルザを担いだのを確認すると走り出した。
「あいよ」
老婆もそれに続く。
三人の容態が気になるのか、老婆の軽口も控えめだった。
長身猫背の男と老婆は人を背負っているとは思えない速度で宿場町を目指す。
五人はオカミオの街へ着く前に、宿場町へと引き返すこととなった。




