5 知らぬ間に兄弟子
◆
「今日の飯はどうする?」
レガシーが荷物を降ろしながら、俺にそんなことを聞いてくる。
今日は昼過ぎに野営できそうな場所を見つけたので、まだ時間に余裕があるのだ。
「そうだなぁ。まだ時間もあるし、食料調達できるかやってみるか」
まだ暗くなるまでに余裕もある。今から獲物を探せば何か見つかるかもしれないと思い、提案してみる。
「わかった、三時間後にここに集合にするか」
飯を食うにも寝るにも早い時間なのでレガシーもその提案に同意してくれる。
レガシーは狩りの準備を済ませると、そそくさと森の中へと移動していった。
「了解だ。何か獲れるといいんだけどな」
ここで野営すると決めた時点で【気配察知】を使用してみたが、周囲に動物の気配はなかった。この感じでは獲物を探しても一匹獲れるかどうか怪しいラインだ。
俺も準備を済ませ、レガシーとは別方向から森へ侵入する。
…………
「こっちは坊主だ。そっちは?」
集合時間になって戻ってきたレガシーは肩をすくめながら釣果を聞いてくる。
「これだ」
一応収穫があった俺は、手に入れた獲物をレガシーに見せた。
「……あ?」
だがそれを見たレガシーは固まって動かなくなる。
確かにレガシーが驚くほど小さい獲物だが、数は確保できているので腹は結構満たせるはずだ。
「いやあ、確か食えたはずなんで獲ってみた。こいつなら毒を気にする必要もないしな」
俺は獲物を見せながら得意げに話す。
こいつに毒があるって聞いたことがないし、大丈夫だろう。
確か味も結構いけるはずだ。
「いや……でも……?」
毒の危険がないことを告げてもレガシーの言葉が濁る。
案外好き嫌いが多いタイプなのかもしれない。
「焼いて塩降れば食える!」
俺は獲物を見せながら力説する。
こいつは下処理の必要がなく、調理も簡単な素晴らしい獲物だ。
「俺はパスで」
レガシーは眉間に皺を寄せながら顔を背けた。
「ダメだ!」
だが、ダメだ。
好き嫌いは許さん。
現状、食料と金双方共に俺の負担が大きい。折角手に入れたタンパク源を放棄するなどありえない。少し強引だが、ここは従ってもらおう。
備蓄を減らさないように工夫していかないといけない状況なのは、レガシーも理解しているはず。
それに……、獲るのに超苦労したのに食わないとかありえない。どちらかと言えばそっちの方が本心なのは、この際秘密にしておこう。
「死に別れた妹にバッタは食うなってお願いされたんだ。悪いな」
顔を背けたまま親族の遺言を盾にバッタを食うのを拒否するレガシー。
「ダメだ!」
だが、ダメだ。
維持でも食わせる。
俺がどれだけ生理的恐怖と戦ってこいつをゲットしたか分かっていない。
超ゾワゾワしたんだからな。
「いやいや、さすがにそれはダメだって! 見た目がダメなんだよ!」
両手を眼前にクロスさせながら後退していくレガシー。
俺も虫は苦手だ。だが空腹という必然に迫られれば、なんとかいけるはず。
味もいいらしいし、ナマコとか食う感覚だと自分を説得すればきっと大丈夫だ。
「大丈夫だ。明かりを消して暗くするから! 夜空の星を数えているうちに終わるから!」
俺はバッタを持ったまま後退するレガシーを追い掛け回した。
…………
「なあ、止めといた方がいいんじゃないか?」
レガシーがありえないといった表情で俺の方を見る。
「ここまできて、やめるとかないわ」
そんな俺の手元には串に刺されたバッタがある。遠目に見れば焼き鳥っぽい……と思うのは視力が相当悪い奴だろう。どれだけ薄目で見ようとも、バッタはバッタだった。
串に複数の焦げたバッタが刺さっているビジュアルは、磔火あぶりみたいでインパクト大だ。元の世界で弁当箱を開けてこれが入っていたらイジメを疑うレベル。
「お前、本当にいくのか?」
レガシーが目を見開き、ゴクリと唾を飲み込む。
「当たり前だろ? 俺はこう見えてチャレンジャーだからな」
そう言うと俺はバッタの塩焼きを口に放り込みしっかり咀嚼した。
◆
「……ぇ?」
エルザには一体何が起きたのか理解できず、疑問を表現することしか出来ない。
「数が減ってるね。先客かい?」
「そのようですね。どうやら、あの人みたいですよ」
老婆と長身猫背の男は周囲を見回し、エルザの方へと近づいてきた。
また拉致されるのか、それとも殺されるのか、何をされるか分からない。
恐怖を覚えるも、体は動かない。エルザはこちらへ近づいてくる二人組を、ただじっと見ていることしかできなかった。
男が屈みこみ、懐から小瓶を取り出す。
「大丈夫ですか? よかったらこれを飲んでください、ポーションです」
男は笑顔と共に栓を抜き、エルザへと差し出してくる。
人を欺くことに長けたエルザには男に何の思惑もないことを察することが出来た。
――ただの善意。
自分に向けられるには珍しい感情であった。
エルザは男に誘われるようにして手を伸ばし、小瓶を受け取る。
そして無言のままに飲み干した。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
一息つき、礼を言う。
「別に。助けたわけじゃない」
「ええ、僕達は私怨を晴らしていただけ。申し訳ないが、貴方はついでです」
二人は謙遜するようにして、エルザの礼に応えた。
実際、ここで会ったのは偶然。救助のために駆けつけてくれたわけではない。
だが、二人が突入した瞬間、真っ先にこちらへ近づいてきたのは把握している。
二人の行動からは、弱者を放っておけない善性のようなものが垣間見えた。
「そうだとしても、助かりました。はぁ……、二人でこの人数を倒してしまうなんて、凄い腕前ですね」
エルザには珍しく、感嘆の声を漏らす。
それほどまでに凄まじい実力であった。
一瞬で全滅。圧巻の一言に尽きる。自分の苦戦ぶりを思い返すと、ため息しか出てこない。
「そういうアンタは、今まで一人で同じことをやってたんじゃないのかい?」
「どうでしょう? どちらかというと袋叩きにあっていたと言った方が正しいかもしれません」
老婆の言葉に、そんな大層なものではなかったと否定する。
同種の行動とは到底言えない。比較するようなものでもない。
自分はただただ、足掻いていたに過ぎない。
「だらしないね。やり返す気概もないのかい?」
「私が貴方達のように強ければ、話も違ってきたのかもしれませんね」
無茶を言う。眼前の二人であれば、どんな困難も打ち払ってしまうのだろう。
だが、自分は違う。強さが違うのだ。同じことをやってみせろと言われても、土台無理な話。
エルザからすれば、真剣に耳を傾けるに値しない問いかけだった。
「強くなりたいのかい?」
老婆はエルザに静かに問いかけた。
「ええ、なれるものなら。こう見えて、殺したい相手の一人や二人はいるものでして」
そんな問いに、エルザは冗談交じりに答える。
金が欲しいのかと問われれば、いくらでも欲しい。
権力が欲しいのかと問われれば、いらないと答える人間がいるのかと首を傾げる。
そんな、酒の席での他愛ない会話のような気分で答えてしまう。
「なら、アタシが鍛えてやるよ」
「え?」
――なぜそうなる? 冗談ではなかったのか。
老婆の言葉にエルザは理解が追いつかない。
「殺したい奴がいるんだろ? そういう目標を持ってると、へこたれにくいから、潰れにくいしね」
「……ぇ?」
エルザは潰れにくい、という言葉に一抹どころではない不安を覚えた。
しかし、うまく言葉が出てこない。
断るための言葉を紡ぎ出すことができない。
それは老婆が発する圧に、体がすくんでいるというのもある。
だが、それ以上に凄まじい疲労感を覚え、強烈な眠気を感じてしまっていた。
頭が回らず、ただただ眠いのだ。
「強くなりたいとか、強い奴が羨ましいとか、二度と考えられないようにしてやるよ」
「…………ぇ」
薄れ行く意識の中、エルザは眠気の原因がポーションだと気付く。
しかし、そのことが分かった頃には完全に意識を失い、眠りに落ちていた。
◆
「あの……、その人は止めておいた方が……」
長身猫背の男は、老婆が眼帯の女の面倒を見ることに難色を示した。
「なんだい、今まで散々誰彼構わず助けてきたアンタが口出しするのかい?」
しかし、老婆は言い返す。この男は会う人全て、困っていたら片っ端から助けていた。
そこに明確な基準はなく、男の気が済むかどうかだけ。
そんな男に忠告されるいわれはない。
「僕は助けただけです。鍛え上げたことはありませんよ」
「減らず口を……。で、なんだって言うんだい?」
老婆は不機嫌そうに、男に理由を尋ねる。
「殺していますよ? 悪事にも手を染めていると思います」
「そういうアンタはどうなんだい? 人も殺していなければ、悪いこともしてないって?」
自分のことを棚にあげるような発言が気に入らなかった老婆は男を睨み、問う。
「いえ……」
長身猫背の男は目を伏せ、首を振った。
老婆も男も、善人などではなく、ただの人。
いや、人外の領域に到達した膂力を有する分、どちらかといえば性質の悪い人といえる。
それに、よくよく思い返せば自分も人殺しを助けていたかもしれない。
いや、助けていただろう。そうなってくると老婆に意見する資格はない。
「アタシは善悪で判断しない。気に入るか気に入らないか、だ。善人だろうが気に入らなけりゃ斬るし、悪人だろうが気に入れば見逃す。この子は……」
「どうなんですか?」
男は老婆の言葉にある程度納得し、先を促す。
「気に入らないねぇ……。性根が腐ってひん曲がってるよ。でも、根性はあるみたいだね。気合の入ってる奴は嫌いじゃないよ」
「はぁ……、結局どっちなんですか?」
「アンタは白黒つかないと納得できない性質なのかい?」
「そう言われると、別に。僕の大切な人達が無事なら、他はどうでもいいです」
「なら、決まりだ。この子はアタシがしばらく面倒を見る」
「捻じ曲がった性格を矯正するってことですか?」
「まさか? なんでアタシが聖職者の真似事をしないといけないんだい。ただの気まぐれだよ。強いて言うなら、少し前に付き合った面白い子と似てるからかね。何一つ似てないんだけど、根っこが似てるのかねぇ……」
遠くを見つめる老婆は顎に手を当てながら思案顔で答えた。
どこか似ているようで、全く似ていない。直感でそう感じた。
じっくりと比較すれば、もっと相応しい言葉が見つかるのかもしれないが、思案に耽る柄でもない。
「似てると言ったり似てないと言ったり、わけが分かりません。でも、その人が腕を上げて、悪さをしたらどうするんですか?」
「別に? 何も? アタシが何かしないといけないのかい?」
「そうでしたね、僕達は別に善人というわけじゃない」
「そういうことさ。ただ……」
「ただ?」
「あんまり舐めた真似してくれるようなら――、微塵切りさ」
そう言う老婆の目はギラつき、純粋な殺意が溢れ出す。
「これから手塩にかけて育てるのに?」
「それも含めて面白いだろ?」
「僕はまだその領域には到達できていないようです」
「支部を潰すのにも飽きてきていたし、これからしばらくは退屈しないで済みそうだね……」
老婆はそう言うと、意識を失って倒れた眼帯の女を蹴り上げた。
蹴られた女の体はふわりと宙に浮き、老婆の肩に収まる。激しい衝撃を受けたはずなのに、女が目覚めることはなかった。
「もう少し丁寧に扱った方がいいんじゃないんですか?」
「鍛えてるんだよ。そんなことより、さっさと行くよ」
「はいはい、分かりました」
眼帯の女を担いだ老婆は破壊した扉をくぐり、上り階段へ向かう。
その後ろを長身猫背の男が付いて行く。
男は老婆の背を見上げながら、なんとなく分かりかけていた。
なぜ、老婆が眼帯の女の面倒を見ると言い出したか。
食べ物に例えるなら、臭いけどくせになる、辛いけど病み付きになるといった感じ。
誰もが美味と感じるものではないが、特定の人にはたまらない味。
もしくは、以前食べて散々な目にあって、もうコリゴリだと思ったのに、しばらく経つとなぜかまた食べたくなってしまう味。
あまりに臭すぎて食べた後も数日間匂いが取れなかったり、あまりに辛すぎて舌が痛み、体から汗が止まらなくなる。どう考えても、デメリットが勝っているのに、つい食べたくなってしまう。
つまりはそういうことなのだ。
ほぼ確実にろくでもないことが起こると分かっていながらも、それ込みで楽しんでいる。
――困った人だ。と、思うも自分もそれと同じ位困った人間だという自覚がある。
ここまで似た者同士だとは思ってもみなかった、と長身猫背の男が苦笑するのと、老婆が「ククッ、どこまで耐えられるかねぇ」と呟きながら笑うのが同時になる。
笑顔の二人は外に出て日の光を浴びるため、地上へ続く階段を上りはじめた。
◆
「グワーッハッハッハッハ!」
突然の笑い声と共に俺たちの前に現れたのはマッチョな大男だった。




