信頼
気付けば雨が降っている。起きた時は気持ちが良い程晴れていた空は今の私の気持ちと同じように黒々としていて心なしか重く感じられる。時計を見ると10時で、3時間も居座られていたと分かり鬱憤を晴らすかのように溜め息をつくと、ベッドに寝っ転がり目を閉じる。
微睡んでいると先程と同じように、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてくる。この音の主はきっと蒼だ。
「母さんが泣いていた!! どうして泣かせたんだ!! 血は繋がってないけれどお前の母さんでもあるんだぞ!!」
ズカズカと図々しくも勝手に部屋に入り怒っている。ただ母親が泣いているだけで熱くなるなんてマザコンか。あんな女に対してマザコンだと分かると私の蒼に対するイメージが急激にダウンしてゆく。こんな男と話しても無駄だと思い、布団に潜って寝ようとする。けれども当たり前なのだが蒼は私を起こす。
「人が話している前で寝るなんて、こんなに非常識な人だとは思わなかった。」
自分のことは棚に上げて私を叱る。勝手に会って間もない人の部屋にずかずかと入るのは良いのか?それは非常識に値しないのかと思うと納得いかず、イライラしてしまう。そもそも自分のしたことは悪いことだと気付いていないだろう。あの女と同様に────。
「お前の母親も父親も死んだって聞いたから優しくしてやろうと思ったのに、こんな性格じゃ無理だ。」
吐き捨てるように言った蒼の言葉に私のし思考回路は少しの間停止する。蒼の言葉を理解するのに時間がかかる。
考えもしなかった。私は父の本当の子ではないと思われていたなんて。あの女は自分のしたことを子どもに隠しているということか。
「私のお父さんもお母さんも生きているよ。私のお父さんは貴方もよく知っているでしょう? 私のお父さんの名前は“暁”だよ」
笑いを咬み殺そうとしても抑えられず、ふふふふふ……と自分で聞いても不気味で恐ろしく感じる笑い声が口から漏れ出る。
蒼の頬を両手で私の顔に近づける。その状態は真っ青な顔をしている蒼と不気味な笑い方をしている私に目をつぶれば、まるでキスをするときみたいだ。
「顔、少しだけ似ているでしょう?」
そう言って優しく微笑めば、そんなはずない!! と言って認めない。それも納得できる。なにせ、自分の父親が他の人と結婚していただなんて事実は認めたくないのだろう。
頭が追いついていない貴方に更に厳しい現実を教えてあげる。
「つまり、貴方のお母さんは愛人だったの。お父さんは不倫。この意味分かる? ちなみに貴方と私の年齢は同じ、ということは私が生まれる前からその関係はあったという事」
優しく言っているつもりだったが、出た声は驚くほど冷たく凍っている。この声はお母さんの出したものとそっくりでやはり親子なのだと再認識した。
「嘘、だろ……。そんな笑えない冗談やめろよ……!! 母さんはそんな人じゃない。母さんは少し天然で……正義感が強くて……そんな母さんが愛人なんて出来るはずないだろ……!!」
「嘘? 冗談? そんな面倒くさいこと言わないよ。私が言っていることが本当だって分かっているんでしょう? そうじゃなきゃ、そんなに必死にならないもの」
「本当じゃない!! 嘘だ!!」
「じゃあ、お母さんに聞いてみたら?」
「おう! きいてくるよ!!」
威勢良く言う蒼は己の恐怖を打ち消す為にあえて元気な声を出したのでたる。そうでもなければ声が震えてしまうと分かっていたから。
紫乃は蒼を見送ると再び寝ようと目を瞑る。今度こそ邪魔が入らない。きっと下では揉めてしばらく私の部屋に誰も来ることはないだろう。
「どういうことだよ!! 本当に……本当に愛人だったなんてな!! 母さんはそんな事しないって信じていたのに!!」
「私は……私は……!! たまたま好きになってしまった人が結婚している人だった。いけないことだって……分かってた……やめようとした……でも!! ……どうすることも出来なかったの」
「あー!! そうかよ!! 分かったよ!! もうお前等と話すことなんて無い!!」
結局、下で話す声があまりにも大きくて寝れなかった。この人達は本当に私を不愉快な気分にするのが上手いらしい。バタバタと階段を駆け上る音がした。この音は蒼のものだとすぐに分かる。なにせ、こんな荒い足音をたてるのは1人しかいないから。
「本当に愛人だったよ!!」
私の部屋にずかずかと入り、叫ぶ蒼。その瞳には怒りと悲しみがのぞいて見える。
「ん」
興味なさ気に答える。さっきの蒼なら起こっているだろうが、今の蒼はそんな余裕もなくただ母親のしたことに嘆いている。
「笑いたきゃ、笑えばいいだろ!! そんなことも今まで気付かなかった馬鹿だって。愛人との子である俺のことを馬鹿にすればいいだろう? とんでもない阿呆だって!! …………どうして母さんは愛人なんてしたんだ……? どうして父さんの奥さんは母さんじゃないの……?」
涙をぼろぼろと流し、鼻水も一緒に垂れている。顔はぐちゃぐちゃに汚れていて、汚い。けれども生憎、私は顔を拭くためのティッシュをあげるなんて優しさは持ち合わせていない。
私はこういう人が一番嫌い。ただ助けを待つだけで何もしない人。
「笑いたきゃ笑えばいい? 馬鹿にする? それは貴方の悲しみと怒りを私に向ける、という“逃げ”の解決方法。母親は愛人だったことを知り、嘆くだけ。愛人だった母親をもつ自分に嘆いて、嘆いて、嘆くだけ。救ってくれる王子様が必ず来るとは限らない。ここは現実。漫画の世界じゃないの。そんなに生易しくなんてない。」
母親に似て、悲劇のヒロイン気取りの性質がある蒼に淡々と語るように言う。
嘆いているだけじゃ、何も起こらないし変わらない。
無条件で自分の考え通りにいけるはずがない、現実はそう甘くはないと────。