もっと苦しんで
こんなにも気分が良いのは初めてかもしれない。
同じ空気を吸うのですら嫌悪感を抱いていた義母とお父さんが帰るのが待ち遠しいなんて。
家庭を顧みず、愛人に入れ込んでいた父。仕事をし、愛人とその子供がいる家に帰り、そして愛人の家にお金を入れていた。そんな”普通の家庭のお父さん”と変わらないお父さんでは、当然まさか自分の母親が愛人をしていただなんて義弟は思うだろうか。
家に帰れば両親がいて、両親は愛し合い仲が良い。そんな幸せな家庭に憧れていた。決してその願いは叶うことは無いけれど。
あと少しで復讐できる。
あと少しで悲しみに歪んだ顔を見ることが出来る。
遠くから車のエンジンの音が聞こえた。
きっと話は弾んだであろう。
きっと食事は豪華で素敵なものだったのだろう。
きっと義母は甘いカクテルを頼み、お父さんは好きなシャンパンを頼んだのだろう。
お腹一杯に美味しいものを食べて幸せな気分になった義母は父さんの肩にもたれかかって瞼を閉じ、微睡んでいるのだろう。
あと少しでその幸せが破壊されるとも知らずに呑気に笑っているのだろう。
──────────────あと少し。
不審気な義弟ににっこり微笑んでやれば、びっくと震えた後、そそくさと逃げるように自室に入った。
「ただいま」
義母が私に向って言う。いつもなら無視をしていたが、今日は特別機嫌が良いので「おかえり」と言ってやった。
嬉しそうに笑う義母を内心冷たく嗤った。
二人は仲良く一緒にお風呂に入り、「疲れたね、もう寝ようか」と笑いあって寝室に向った。
順調に地獄の入り口へと二人仲良く歩く。
何も疑問に思わずに、幸せの余韻に浸って。
義母がいつもと同じように躊躇いもせず、何も気にせずに扉を開く。
目を見開いたことは顔を見なくてもわかった。なにせ、部屋一面中に元の壁紙の色さえ分からないように貼り付けたのは私だったから。
「なにかしらこれ?」
「なんだ……?」
全く理解できていないようだ。ただあるのは、見慣れた部屋ではないという純粋な驚きのみ。
さらに三歩ほど足を踏み入れて、壁の正体に気付いたのは義母だった。
「えっ……ちょっと……これって……い、いやぁぁぁ」
顔を青くさせて写真を部屋からなくそうと剥がしにかかる。アロンアルフアで貼ったので、そう簡単には剝がれないし、何しろこの数だ。
何時間もかけて貼ったこの部屋の写真をお父さんがその写真の正体に気付く数秒の間に剥がしきるなんて不可能である。
結局、一枚も剥がすことが出来ずにお父さんは気付いてしまった。
「どういうことだ? この男は誰なんだ」
お父さんは義母と正反対に、顔を赤くして怒っている。
お父さんは不倫をして、義母と結ばれた。しかも、不倫をすることを全く悪いことだと理解していない様子であった。それなのに、お父さんは義母の不倫に激怒していた。自分がやっていたことと同じことをやった義母を責める資格はない。
「ただの、友達よ!!」
後退りながらも気丈にふるまう。
お友達でキスをしたり、キスマークを付けるなんてことがあるだろうか? あまりにも見え透いた嘘。
「こんな顔をしているのにか!!」
お父さんが指さした写真には、義母が目を伏せ、ねだっているようにも見える晴翔にキスをされている写真だった。間違いなく、義母は女の顔をしていた。
義母は写真に写った自分の表情に赤面した。言い逃れできないほど欲情する女の顔だった。
「だって、寂しかったんだもの。暁さんが仕事に行っちゃうから!」
子供のように大きな声で泣いた。
自分は悪くない、寂しくさせる暁が悪いと拗ねるようにして泣いた。
寂しいから不倫って……。常識外れだとは思っていたが、まさかここまでだとは思わなかった。寂しいから不倫が正当な理由になっていると思っている義母は頭がおかしい。
「母さん、本気で言っているの……?」
騒ぎを聞きつけた義弟が上の階から降りてきた。
信じられないとばかりに目を見開き、その瞳に己の母親を映していた。
母親を映しているはずの瞳には光を宿しておらず、まるで氷のように冷たく、母親を軽蔑していると分かる。
「どうして蒼までそんな目で私を見るの?」
怯えたように首を縮こませて言った。まるで可愛らしい小動物のような仕草だが、男に媚びる仕草に不快感は強まる。
《旦那、今日は帰ってこないんだよな……》
《うん……》
《……チュッ》
《もうっ、うふふ》
静かになった部屋に響き渡る音声。
誰の耳にも明らかな言葉と音。
「この写真……」
お父さんはやっとベッドの上にある写真に気付いたらしい。
義母と選んで買った布団に、義母が肌触りが良いと言って買った枕がその写真の中にうつりこんでいた。
お父さんの言葉で意味に気付いた義弟は顔を引き攣らせた。
その二人の様子に私は満面の笑顔だ。ああ、なんて素晴らしい。私が見たかった顔!
絶望したお父さんの顔に興奮する。鼓動が大きな音を立てて脈打っている。緊張の時とは違って体が熱くて、心臓からエネルギーが生み出され、それが全身に行き渡っていくような感覚。
「まだ、終わらせてなんてあげないよ」
もっと
もっと苦しんで。




