彼女に出会った
その日はとても日差しがよかったから、散歩がてら外に出た。
足の向くままに歩いた先に、フリーマーケットの会場を見付ける。
いつもは閑散としている公園が、縁日のような賑わいだ。
「お兄さん、時間に余裕があったら、是非とも寄ってってくださいな」
フリーマーケットとプリントされた幟を脇に抱えた男が、親しげに話しかけてきた。
「でも、入場料が要るだろう? ふらりと出ただけだから、持ち合わせがないんだ」
「大丈夫! ウチはね、出店料はもらうけど、入場料は無料なの。毎月一回開催してるから、次回のために見て行くだけでも」
さぁどうぞ! と、男は入場を促す。
どうせ予定もないのだから、私は会場に足を踏み入れることにした。
ブルーシート一枚分が、出店者のスペースらしい。狭いスペースに、持ち寄った品を店舗のように見栄えよく陳列している。
衣類を売っている店が半数を占め、特に子供服が多い。
そして意外に思ったのが、ハンドメイドの品を売っていることだ。
フリーマーケットと言えば、使い古した物を売り買いするための場所だと認識していたから、少しだけ価値観が変わった。
物珍しく品物を流し見ていると、釉薬の流れが流水のような、陶器の小鉢が視界に入る。
思わず足を止め、じっくりと並べられている品々を眺めた。
陶器の皿、陶器の器、陶器の花入れ、陶器の人形。
まるで生きているかのような、頬の色をしている陶器の人形から、私は目が逸らせなくなった。
くびれた腰を際立たせる、フランス人形のようなボリュームのあるスカート。
真っ白な肌に、薄い桃色の頬。風に揺れているような亜麻色の髪に、伏せ気味の目蓋から覗く深い緑の瞳。
緩やかな弧を描く唇は紅く、とても艶やかだ。
「お気に召す品でも、ございましたか?」
かけられた声に、私は自我を取り戻す。
人形と自分、二人だけの世界に入り込んでいたようだ。
声の主に目を向ければ、好々爺が折り畳み椅子に腰掛けていて私を見ている。
しわが刻まれ、目尻が垂れた顔からは、人の好さが窺えた。
「この人形は、売り物かい?」
私の問いに、好々爺は眉を下げる。
「残念ながら、違います。この子はね、たまに外へ出してやらないと、機嫌を損ねるんですわ」
人形が機嫌を損ねるとは、不思議な言い回しをするものだ。
怪訝に思いながらも、陶器の人形に私は目を向ける。
「これは、誰が作ったものですか? 名のある作家先生だろうか?」
「作った人間の名前は、分かりかねます。なんせ、こいつァこの老人が生まれる以前から屋敷にあった物でして。箱書きかなにか残っていれば判然としますでしょうが、ないのだから仕方ない」
「ご自宅には、こういった品がたくさんおありで?」
「あるにはあるが、売ったら家内に角が生えてしまう。だから売りに出しているのは、引き出物でもらった小皿やタオルにガラクタばかり」
カッカッカと好々爺は、歯の数が減った口の中を見せて笑う。
つられて私も薄い笑みを口元に浮かべるが、意識は陶器の人形から離れない。
「ねぇご主人、一つ提案をどうだろう?」
「提案? そいつァ聞いてみないと、返事は出来ないよ」
私は内緒話をするように、好々爺に顔を寄せる。
「ここは、毎月開催するそうじゃないか。売り物でないなら、ひと月ほど……その人形を私に貸してくれないだろうか?」
早鐘のように鳴る心臓が、内側から私を激しく叩く。
緊張から、小刻みに手が震えていた。
好々爺の表情を窺えば、こつ然と笑みは消えている。
想定内の反応に、やはり無理な注文だったと、私は小さく息を吐く。
「そんなに、気に入ってしまったのかい?」
しわがれた声を聞き逃しかけた私は、え? と問い返した。
頬杖を突いた好々爺は私に体を向け、品定めをするような鋭い眼差しを向けている。
私は、生唾を一つ飲み込んだ。
「この人形、無茶な提案をするくらい……気に入っちまったのかい?」
カラカラになった喉の奥から、私は声を絞り出した。
「はい……」
無言のまま、好々爺は陶器の人形を引き寄せる。
私と好々爺の間に人形を置き、紫色の風呂敷を背後から取り出す。
「この人形はね、いわく付きなんだよ」
よくない噂が、あるということか。
「障りを寄せないために、必ずやらなきゃならない約束事がある。それが守れる人間じゃないと、この人形は手に負えない」
「その、約束事は?」
好々爺は、凄味のある笑みを浮かべる。
「なぁに、簡単だよ。朝と夕には飯を供えて、筆で優しく埃を払うこと。日光と、月光に当てること。これ全部を毎日だ」
私は、拍子抜けした。
「たった、それだけでいいのか?」
「たったのそれだけだけど、毎日続けるとなると難しいんだ」
気分が高揚してきた私の声からは気弱さが抜け、態度も少し大きくなる。
「問題ないよ。出張があるような仕事じゃない。一人暮らしだけど、それくらいは出来る」
ただし、と好々爺は、指を二本立てた。
「期限はひと月じゃない。二週間だ」
「二週間……」
呟き俯いた私の顔を覗き込み、好々爺は人の好さそうな笑みを浮かべる。
「二週間後の日曜日。時間は、そうだね……夜の七時にしよう」
「昼や夕方じゃなくていいのかい?」
「名残りを惜しむ時間をあげたのさ」
陶器の人形を紫色の風呂敷に包みながら、好々爺は言った。
約束は破ったらいけないよ、と。