守護騎士は英雄〜友人は公爵家長姫〜
「守護騎士は英雄」「守護騎士は英雄〜王女様襲来〜」の続編です。やはり軽い読み物だと思ってお読みください。
やり切った。私の心はかつてない高揚感に満ち溢れているように、心なしか感じられた。
が、よく見ると握りしめた拳がカタカタと震えているので、心に湧き上がっているのはどうやら恐怖心に近いものらしい。いつになったら私は自分の感情をはっきり把握できるのか。
「……はあ」
「ため息はお止しになって。アトル、あなたこれ以上幸福が逃げたらどうするおつもりですの?」
背後から、呆れたような声がかけられた。よく聞き知った声に振り向くと、そこにはやはり私の━━唯一の友人が、扇子を片手に悠然と佇んでいる。
「オフィーリア」
「あなたの鞄、持ってきて差し上げてよ」
オフィーリア・ラルトヴェート。この国の公爵家でもニと三を争う名家の姫だ。一と二と言えない私のことをどうか許して欲しい。
オフィーリアは蒼い瞳を細めて、つかつかと私の鼻先まで歩み寄ってくる。そのどことなく機嫌の悪そうな様子と距離の近さに思わず仰け反るが、オフィーリアはパチンと扇子を鳴らして私を威嚇した。
「アトル。姫殿下に何を吹き込まれましたの?」
「吹き込まれ……」
「エリオ様とのことで何かを言われたのならば気にしなくて結構。誓約を反故にしたのは彼方が先、今後一切、あなたは王家に爪先程の敬意を払う必要はなくてよ」
鞄とともに押し付けられた言葉に、とりあえずツッコミどころは一度置いておき、そういえばと口を開いた。
「オフィーリアも知っていたの?エリオの『褒美』」
「勿論。あたくし、これでも公爵家の令嬢ですもの」
ラルトヴェートは……ええと、確か四代前の当主が当時の王弟であったと記憶している。オフィーリアの月光のような柔らかな色の金髪は、当時の当主の髪色によく似ているらしい。それが彼女の誇りなのだとか。
「エリオ様ご帰還の際には五国の伯爵家以上の貴族が王城に集められましたのよ。それはそれは厳かで華やかなものでしたわ。けれど女性はあたくしだけだったかしら」
厳か、は会場の雰囲気。華やか、は集められた貴族たちの気色を表しているのだろう。ムコに欲しい的な。
……オフィーリアは私の友人だ。私が王都に来る前、まだ幼かった頃からの友人。避暑に彼女が私の地元を訪れたことから縁が生まれて、オフィーリアは夏ごとに私のもとに訪れてくれるようになった。
つまり、オフィーリアにはエリオに対する耐性がある。今でも憧憬の心は存在するようだけれど、恋心ではないのだとか。
……エリオに全力で求愛行動を取っていた頃のことは彼女にとっては黒歴史らしく、それを口にすると魔術で半殺しにされるので割愛させてもらおう。
「陛下はあたくしたちの前でエリオ様に褒美を問いましたの。だから貴族たちにはエリオ様の『褒美』の内容は知れ渡っていてよ」
「……なるほど」
「陛下にとっては、他の貴族たちがエリオ様にちょっかいを出すことを牽制する狙いがあったのでしょうけれど。想定外の褒美を求められてしまったから、意味はなかったと言えますわね」
やれやれ、とオフィーリアは腰に手を当てて頭を横に振った。少し呆れているようだった。というか、実際呆れているのだろう。エリオの主人である私の無知さに。
呆れついでにもうひとつ。
「爪先うんぬんって、どうしてそんな話に」
「アトル。あなたリーオ様と違って運も商才もないのだから、少しは賢くおなりなさい。というより、自分で考えることをしなくてはなりませんわ」
リーオ様というのは私のド天然な父のことだ。溢れんばかりの商才と驚異的な運の力で富を築いている。私にはあまり貢いでくれない、ちょっぴり薄情な父でもある。
「ごめん。私諦めの早さでは王都一」
「……駄目な方向に素晴らしい自信ですこと。それも呪いの副作用とやらなのかしら」
オフィーリアは困ったようにパチンと扇子を鳴らした。「エリオ様が居なければ生活すらできないんじゃなくて?」と嘆息するオフィーリアに、私がエリオ抜きで過ごしたあのおぞましい日々を話すわけにはいかない。
あの頃、ラルトヴェート公爵閣下は長姫であるオフィーリアを外に出そうとしなかった。それほどまでに、王都はきな臭い状況だったのだ。なのでオフィーリアはあの頃の私を知らない。知られたらお仕置きされてしまう。
「よろしくて?アトル。国王が上級貴族たちの前で、『アトル・レタランテに対する王侯貴族の政治的不干渉』を誓ったのですわ。この政治的、というものは婚姻に対しても該当しますわね。判断はあなたとエリオ様に任せるようですわ」
「王様太っ腹だね」
「あら、陛下は痩せ型でしてよ?」
オフィーリアはたまに天然である。
「とにかく。この誓いを破れば国王陛下━━ひいては、エリオ様に借りのある五国の王族の面子は丸潰れになりますわ。救世の英雄との誓いを反故にした恩知らずの恥知らず、と」
「……あー、なるほど」
貴族らしい権謀渦巻く世界から、呪い持ちとして忌まれたレタランテが遠ざかって久しい。「そういうこと」が普通に、世間話のように蔓延しているのが華やかなる貴族社会というものなのだ。
オフィーリアは私を納得させられたことに満足感を得たらしく、大きく息を吐くとにっこりと笑った。
「ですからアトル。『恥知らずども』に敬意を払う必要はもうなくてよ」
ラルトヴェートの長姫と第三王子には確執がある。詳しくは省くが、にこやかに会話しながら空間を軋ませる程度の敵意と殺気を周囲に撒き散らすくらい、アレだ。というかオフィーリア、もしかしなくてもこの確執に私を巻き込もうとしてないか。
「……ところでオフィーリア。講義は終わってるよね。どうしてまだここにいるの?」
「あからさまに話題を逸らしましたわね。まあいいでしょう。……アトル、あなた相変わらず通信系魔術が使えませんのね。エリオ様から言伝があります。迎えに行くので、動かぬようにと」
……私の名誉のために言うが、思念を送受信するほどの魔術を扱える人間はこの学院ではオフィーリアと学長しか居ない。正しく受け取り、正しく送る。それはとても難しいことなのだ。
どうやらエリオはオフィーリアを伝書鳩に使ったらしい。救世の英雄とやらは公爵家の姫をなんだと思っているのだろう。……まあ、昔からあんなんだったけれど。
「大方、姫殿下の騒ぎに気付かれたのでしょう。まったく人騒がせな王女様。第三王子の評判もガタ落ちでしょうね。ああ、今頃あの端整な顔をどんな風に歪めているのかしら……」
悪どく笑う美少女。ドン引きである。
高らかに笑いながら去って行ったオフィーリアを見送って暫くすると、美しい栗毛の馬がこちらに向かって爆走してくる。
「アトル様!」
「エリオ」
手綱を握るのはもちろんエリオだった。馬から降りたエリオは強張った顔で私の肩に触れ、腰に触れ、頭に触れてほっと安堵の息を吐いた。
「ご無事でしたか」
「……王族は危険人物扱いなの?」
さりげなく無礼である。エリオは緩んだ顔を引き締めると、その場に跪いて深々と頭を垂れた。
「申し訳ありません。守護騎士ともあろうものが、御身を危険に晒しました」
「……主人の側を絶えず離れずいるはずの守護騎士を、王城に出向させてるのは私の方だから。命の危機とかじゃないから加護も適用外。わからなくて当然なんだから、気にしなくていい。私こそごめんね」
救世の英雄をちっぽけな貴族の一人娘の守護騎士にしたままにしているのはオカシイという、世間からの無言の圧力に屈したのは私だ。ちょこちょことした嫌がらせが煩わしかった。面倒臭かったのだ。
私の守護騎士であるということに誇りを持つエリオに、王城勤めという苦行をさせている。……本当にひどい主。
エリオは沈痛な面持ちで、私の手の甲に唇を寄せた。冷えた私の体温に、エリオの体温は熱すぎる。握られた箇所が、唇が触れている部分が熱い。
「……帰ろうか、エリオ」
「はい」
なんか疲れた。
エリオは素早く立ち上がり、栗毛の馬の手綱を引いた。馬はエリオによく懐いているようで、私にも従順なように見える。
ところでこの馬はどこの馬だ。