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zero  作者:
激動
7/11

始動














「…………………。」


地上ではまだ所々で火の手が上がっていた。消防車やパトカーのサイレンの音が遠くから鳴り響き、しかしその騒ぎも朝が近づくにつれて静かに静かに遠のいていく。


静けさを取り戻した真っ暗な闇夜の中で、zeroの顔だけが青白く照らしだされていた。


輝いているのは眼前いっぱいに広がる何枚もの電子パネル。英語や数字、暗号が羅列されたパネルを操り、次々と軍の通信網のかべを突破していく。


高いビルの上では風が吹き付け、蒸し暑いこの時期でもひどく涼しく感じる。無言でパネルのキーボードやボタンを押し続けるzeroの背中をeveは静かに見つめていた。


自分はああいうものを扱うのはあまり得意ではない。武器の解体や敵の軍事機器の破壊や操作は得意だが、あれはまた別だ。暗号を解読し、システムを理解し、介入がバレないように防御システムを構成しながらパスワードを推測する。実験のせいで発達した脳は確かに人よりは回転が早いかもしれない。しかしいまzeroがやっているようなそれは、知識と経験、そしてすばやさと器用さが必要なのだ。zeroがしていることを理解はできるものの、自分ではできる気がしない。


目の前のスクリーンに集中するため、zeroは防御システムをあらかじめ用意し、たくさんのパネルを展開してそれを維持しているようだった。決して馬鹿じゃない軍のシステムがすぐさま異常を感知しようとするが、zeroはその一瞬先にそれに気づき、ひとつのパネルのボタンを押し、防御システムを作動して防ぐ。たまにそうして腕が伸びる以外には、彼はビルの縁に座ったままほとんど動かなかった。



昔からこの背中は何度も見てきた。



久しぶりに会ったはずなのに、その姿は全く変わっていない。背はずっと伸びて、見た目だってずっと大人になっている。だけど、この姿は常にそばにいたような感覚になるのだ。


人を殺すことしかなかったこの8年間も、今となってはずいぶん昔のような、夢だったかのような気がする。zeroがいるこの状態が、一番居心地がいい。


「ん。」


zeroが小さく声をあげるので、その隣に行ってeveは座った。


「できた?」

「できた。これで指令室に直接つながるはず…………」


そう言ってzero何かパスワードを打ち込み、入力ボタンを押すと、目の前のパネルに映像が映る。軍の戦闘服を着た人間と通信がつながった。


『身分証明を。』


静かにそう言われるのでeveがポケットから認証カードを取り出そうとするが、それをzeroが制して答える。


「zeroだ。向井上官と話がしたい。認証システムを送ってくれ。」

『…………zero、ですか?』

「ああ。マニュアルは読んでるだろ?」

『…………了解しました。そちらに送りますので、静脈、網膜、音声認証を行ってください。』

「はいはい。」


すると通信スクリーンの横にそれらしい認証システムが現れる。


「いいのか?」


思わずeveがそう聞くと、zeroは手を当てたり目を見せたりしながらうなずく。


「どうせこれからは任務ばっかなんだし、やっといたほうが楽でしょ。こっちの場所さえバレなきゃ平気。」


そう言っているうちに完了したらしく、システムが消え、通信使が解析しているのが映る。しばらくして彼は驚いたような顔になり、さらに彼の背後も何やら騒がしくなってきたようだ。


「…………有名人。」

「まあね〜。」


eveがため息をつくが、zeroは足をぶらつかせながら相手の答えを待っていた。その間にもzeroの居場所を知ろうとしているのか、軍のものだと思われるシステムが探知を試みる。しかしそのすべてを用意していた防御システムでことごとくzeroは防いでしまった。


時が来るまで、居場所を知られるわけにはいかない。


通信使が姿勢を正して敬礼をする。


『お待たせしました。確認完了。zero、ご帰還お喜び申し上げます。』

「ああ、ありがと~。向井さんと話せる?」 『は。すぐに繋ぎます。』


通信使は手元のキーボードに何か入力すると、再び敬礼する。それにzeroが手で制して返すと同時、スクリーンの映像が別のコンピュータに繋がれた。そこには四十代ほどの男がひとり、映っていた。


『ああ、久しぶりだな、zero。』


やはり8年も経つと、かなり老けてしまったのか、かつて会った彼とはかなり変わっていた。だけど、あの鋭い瞳の光は、相変わらず失われてなどない。彫りの深くなったシワがさらに深まり、彼は微笑む。


「久しぶり、向井さん。」

『はは、かなり大きくなったな~。もう15か。どうだ、外の世界は。』

「どうもこうも、平和ボケしすぎて毎日吐きそう。思ってたよりずっとクソみたいな場所だったよ。」

『はっはっは!お前にはそうかもしれないな。だがそれが「普通」というやつだ。』


向井は乗り出していた体をいすの背もたれにあずけると、長く大きくため息を吐いた。


『こっちもこっちで反吐が出るよ。だがそれも、今日までだな…………。』


大きな手のひらで顔をぬぐい、彼は笑う。


『はは………この日を俺がどれだけ待ち望んでいたか………。eve。』


呼ばれてeveはスクリーンに映るようにzeroの前に顔を傾ける。


「なんだ。」

『無事合流できて何よりだ。計画通り、これからはお前にもそっちで生活してもらうからな。』

「いやだ。」

『ん?ついこの前こっちを出るときは乗り気だったじゃないか。』

「気が変わった。こっちの人間は合わない。ストレスが溜まる。そっちに帰りたい。」

『はは、何かあったんだな。』

「うるさい。わたしは戻る。」

『はー、まいったな。』


向井は小さく笑いながらいすにあずけていた体を起こす。


『ま、そうは言ってもお前は結局言う事を聞いてくれるやつだからな。だから俺は安心してられるんだ。』


それにそっぽを向いて立ち上がり、画面から消えてしまうeveを見て向井はまた笑った。


『ははは、ま、これからは俺もやっと動き出すことができる。期を逃すわけにはいかない。そっちは頼んだからな。』

「ん、了解。あ、向井さん。」

『なんだ。』

「軍の通信システムどうなってんの?あんなのちょっと頭のキレる人間ならだれにだってくぐり抜けられる。」

『はは、お前にかかっても守りきれる防御システムはなかなか作れないだろうな。だが、確かにこれからに備えて改良は必要かもしれない。』

「そのほうがいいよ。」

『作ってくれたり……… 』

「えー。」

『家を用意しよう。』

「作る。」

『はは、じゃあ決まりだ。明日の朝には住所とカギを送ろう。もちろん、内密にな。』

「ん、たのむよ。」

『じゃあな。』

「ああ。」


通信が終了し、防御システムも全部シャットダウンさせてパネルをひとつずつ減らしていく。後ろで立っていたeveはそれを腕を組んで見下ろしていた。


「な、eve。」

「ん?」

「あいつらたのんでいい?」

「いやだ。」


いつの間にか現れていた数え切れない数のACが背後にせまってくる。レベル5以上だと思われるACが今までどこにいたのか、おそらく30はいるだろう。


「俺はシステム作るのに忙しい。たのむよ。」

「…………斉藤を呼べ。」

「了解。じゃ、よろしく。」


耳障りな機械音の咆哮をあげるACたちに顔をしかめ、eveはため息をつく。


「うるさい。めんどくさい。5分でおわらせる。」


軽く地面を蹴った。




「ここですね。」


夜が明け白み始めた町の中を歩き、立ち止まる。斉藤に連れてこられたのは二世帯住宅と言っていいほど大きく、新しい建物だった。向井が用意したという家らしい。


「おー、いいね。」

「ん。」


家を見た途端眠気がおそい、あくびをする。


「んー、ところでさ、お前どこでそのカギもらってきたの?」


zeroの問いかけに、斉藤は振り向いていつものようにへらへら笑う。


「そりゃあ軍の方からいただいてきました。」

「そいつらどうしたんだよ?」

「居場所を知られるとまずいでしょう?処理しましたよ。」


それにeveがふむとうなずく。


「わたしはお前だけは敵にまわしたくない。」

「あはは、軍よりもですか?」

「ああ。」

「はははは。」


笑いながら斉藤がカギを開け、二人を中へ通しzeroにカギをわたす。


「では、先ほどのACのことも適当に片付けておきます。今後はわたしもこちらに顔を出しますから。」

「さんきゅ。」


家の中は本当に広くて、必要な家具もすべてそろっていた。二階に登ると、斉藤にまかせておいた荷物もそれぞれの寝室に置かれていた。


明るく日が照らし始める窓と、5時をしめす時計を見てeveは顔をしかめる。これからはこんな生活ばかり続くのだ。慣れなければ。


めんどくさい、という文字がうかぶ頭を振り、ベッドへと向かった。

















莉亜と由宇は養成所に向かってゆっくりと歩いていた。


あんな騒ぎがあった翌朝だ。こんな状況では、たとえ再戦が囁かれているとは言っても、さすがの養成所もしばらくは開講することはできず、休講との通知が回ってきていた。しかし、昨日のあの状況を見てそのままにして家で待っているということもできなかったのだ。片付けにせよ、応急処置の手伝いにせよ、養成所の生徒はこういう事態ではかなり役に立つはずだった。


朝のニュースは昨日のAC出現の特集で持ちきり。街の中も消防や警察たちでごった返し、すでに崩壊したビルのあったところには花が供えられていたりする。


街中の巨大スクリーンでは軍からの発表が放送され、待ちゆく人々はそれに釘付けになっていた。


『………これにより我々は今回の件を他国からの宣戦布告ととらえ、今後の対応を決定させていくものとします。市民のみなさんには今後…………』


停戦状態だったとはいえ、街の人々はほとんどが激戦状態を経験した人々だ。みな比較的落ち着いていて、ボイコットや抗議をするでもなく、現状を受け止めていた。あくまでも今回は敵からの卑怯な一手であり、これからはまたかつてのように軍に完璧に守られた生活がはじまるのだと考えているようだった。


そんな街を見つめ、莉亜は体を強ばらせていた。


『あなた方には今後も変わらない生活を送っていただきます。』


サイトウの言葉が頭に響く。


『…………東くんはもう容態は安定しましたし、目を覚ますまでの看病はみなさんにまかせます。しかし彼はあくまでも今回の事件に巻き込まれ、怪我をしただけ。あなた方も巻き込まれただけ。今日起きたことはそれだけです。いいですね?』


桔平はいま、サイトウの言っていたとおり、心拍数も呼吸も安定し、一命をとりとめ昏睡状態が続いている。情報屋がもう手を回したのか、桔平はすでに昨日の事件による負傷者として認知され、軍からの補助が降りるという通達がすでに送られてきた。部屋のベッドで横たわる桔平を見て、莉亜は震えが止まらなかった。


あれはこの国の真実であり、実情なのだ。常にこの世界のどこかで、戦い、傷つき、死んでいっている。そして全国に忍んでいるという軍の監査官が、もしもこの4人の存在に気づいたら。拓也の正体に気づいたら。そうなれば、昏睡などではすまない。


死だ。


だれにも知られることなく、闇に葬りさられる。




『なあ、お前らって、zeroって本当にいると思う?』




死にたくない。


ぎゅっと目を閉じると、強ばっていた肩に由宇が手を載せる。


「由宇…………。 」

「大丈夫だよ。それよりも、そんな顔してたら情報屋に何されるかわからない。今までどおりに過ごすんだ。いいね?」

「うん……。」


ヨルは今、ひとり家に残って桔平についていてくれている。だけど莉亜もヨルも、由宇が残るべきだと思っていた。由宇は本当は今も昨日の傷が癒えていない。eveに殴り飛ばされ、壁に打ち付けた背中は8割以上が真っ青なあざになっていて、肋骨にもヒビが入っているかもしれない。肺にどのくらいのダメージを受けたのかもわからないのだ。しかし由宇は、決して家に残ろうとはしなかった。


『俺は平気。それよりも外の作業には男手が必要だろ?』


由宇はそう言って、いつもと変わらずにこにこと微笑んでいた。


「なんで………っ!」


泣き声と嗚咽が聞こえて、莉亜は声のした方を見た。するとそこには倒壊したビル郡へ行く道への侵入禁止の電子テープが貼られ、その下にたくさんの花束が置かれていた。その前に集まる人だかりの中からたくさんの泣き声が聞こえてくる。


なんで。

どうして。

ひどい。

軍は何をしてたんだ。


そんな声に莉亜は気づいたら走り出していた。


昨日、軍は到着が遅れた。別の区で国外からのスパイやテロの可能性がある異常が感知され、そこに軍の力が集中してしまっていたのだ。しばらくしてそれは誤報だとわかったが、そのころには軍の監視システムにウイルスが蔓延し、AC出現に気づくのが遅れ、あのような事態になった。他国からの計画的戦略だと思われている。


メディアではそう報道されている。しかし事実は、すべてあのサイトウがやったことなのだ。


わたしたちにチャンスを与えるために、数え切れないほどの命を捨てた。


「ごめんなさい………っ。」


涙が止まらなかった。












「おはよう。」

「おはよー。やっぱりお前も来たんだ。」

「うぅ………あの子巻き込まれたんだって……」

「レベル11だって噂だよな。」

「このまま戦争なのかな………」

「そうなったら俺たちは……」


養成所には、こんな状況でありながら数十名の生徒が登校していたが、異様な雰囲気に包まれていた。校舎のうち第二棟が倒壊し、校庭には昨日の惨状を思い出させる血の跡がところどころに残っている。倒壊した建物の片付けを行う生徒や、瓦礫の中に取り残された人がいないかの救出作業をするもの、どこかに避難するのか、自分の荷物を取りに来ているものもいるようだった。冷静に自分のできることをこなしているようにも見えるが、しかし一方で昨日のことをただの世間話のように語れる人間はここにはいない。もしも戦争になったら、いち早く戦地に駆り出されるのは養成所の人間なのだ。だれもが、軍人になるため、この学校に通っている。だがいざ目の前に死のあふれる戦地を用意されたら、腰が引けずにいられるほどの器は少ない。


「…………俺は救出作業に行ってくる。莉亜はどうする?」

「あ……えっと、じゃあ避難所見てくる。救護に助けがいるかもだし……」

「そっか。気をつけてね。夕方ごろに連絡するから。」

「うん。」


由宇はもう一度励ますように頭をなでてくれると、小走りで瓦礫の方に行ってしまった。莉亜はそれを見送り、ちょうど第二棟の裏にある実演棟、このあたりの避難所になっているはずの校舎へ向かった。





避難所には思ったよりもずっとたくさんの人達が集まっていた。まず目の前に飛び込んできたのは、怪我をしていないか、もしくは軽いかすり傷程度で済んでいる人達ばかりで。それだけでも何千人もいるように見えた。広い実演棟の床は避難してきた人達と、彼らの荷物や布団などで埋め尽くされ、その隙間を縫って、養成所の生徒が数人避難民の対応をしていた。怪我の治療や、生活用品の配給など、仕事は山ほどあるようで、だれもが額に汗を浮かべながら働いていた。


(そうだよね………高層ビルばっかりやられちゃったし………)


うつむきそうになる自分に喝を入れ、おそらく怪我人がいるであろうさらに奥の第二実演棟へ向かおうと踵を返した。ここも手伝いたいが、急を要しているのはおそらく第二実演棟の方なはず。しかしそこで、


「金森先輩!!!」


後ろからだれかに名前を呼ばれ振り向くと、1年生らしい女の子がひとり、避難民たちの間を縫ってこっちに向かって駆けてきていた。立ち止まって待つと、女の子は息を切らしながら目に涙を浮かべる。


「あのっ。東先輩が昨日の事件に巻き込まれたって……っ。本当なんですか?!」


それに莉亜は一度言葉を飲み込んだ。昨日の記憶が次々と蘇り、恐怖と混乱が頭の中を埋める。だけど。


作業をしていた他の生徒たちもいつの間にかこっちを不安げに見つめていた。そりゃあそうだろう。養成所の憧れの存在で、Aランクで施設児であるエリートのうちの一人が死んだかもしれないだなんて、彼らにとっては大ニュースなのだ。だれも届かないほど強い桔平が負けたとなれば、彼らにとって、それは絶望でしかない。


だから、だからあたしは今は彼らを…………


「…………うん。本当だよ。」

「そんな………」


今にも膝から崩れ落ちそうな女の子の顔はひどく汚れていた。涙の跡もいっぱい残っている。その女の子に、莉亜は今できる一番の笑顔を見せた。


「でもね!きっぺは大丈夫だよ!実は怪我はけっこうひどくて、今は動くこともできないの………だけど、きっぺはね、昨日一生懸命戦ったの!だから、あたしたちも負けないって決めたんだ。由宇はね、今第二棟のほうで救出作業してるし、拓也もどっかで働いてる。あたしもほんとはきっぺについてたかったけど、そしたらきっときっぺに怒られると思ったの。きっとみんなも今がんばんないときっぺに怒られるよ!あたしたちにはこんなときできることがいっぱいあるんだもん!だから、あなたにも元気出してほしいな。」


そう言って莉亜は女の子の乱れた髪の毛をなでてあげた。いつもヨルかしてくれるみたいに。泣きだしそうになる女の子の頬を両手でサンドイッチにし、莉亜は首をかしげた。


「なにさん?」

「え?」

「養成所の子だよね。名前は?」

「あ、え………宮本あずさです……」

「あずさちゃんね!伝えとくよ。きっぺに。」

「え?え?」

「あずさちゃんがすーーーごくきっぺのこと心配してて、でもすーーーごく一生懸命みんなのために働いてたんだよーって。ね?」


あずさはそれに一瞬呆然とするが、すぐに頬をつぶしてくる莉亜の手に自分の両手を重ねて何度も何度もうなずいた。ぼろぼろとまた涙を流し膝をついてしまうが、しかし莉亜の手を強く握ってくれた。その姿を見て他の生徒も安心したように作業に戻り、避難民のひとたちはあずさを励ましに来てくれる。


あずさちゃん、ありがとう。

すごく助かってるのよ。

あずさちゃん、がんばって。


暖かい声に囲まれて、あずさは泣きながら笑顔を浮かべた。その顔を見ていると、莉亜まで泣きそうになってしまった。泣いてしまう前にあずさに別れを言い、外に出る。


(そうだよ。みんなつらいんだもん。あたしだってがんばらなきゃ。反省したり落ち込むのは今するべきことじゃない。それくらい判別さなさいって、ヨルに言われたばっかりじゃん!)


奥の校舎へ走りながら莉亜は笑顔を浮かべる練習をした。


とにかく今は、動くことだけ考えよう。














「みんな遅いね、桔平。」


治療器具が動く音だけが静かに響く部屋で、ヨルは優しく桔平に話しかけた。ベッドの上で眠る桔平は、頭に包帯を巻き、酸素マスクを口につけた状態で穏やかな寝息をたてている。窓から差し込む夕日に照らされ、短い金髪がきらきらと輝いた。


「……………………」


頭をなでても、名前を読んでみても、一向に目覚める気配なんかなくて。そう簡単に、すぐに目が覚めるわけでないことくらいはわかっていた。だけど、そうして存在を確認していないと、とても孤独なのだ。


今日の朝、莉亜たちを見送ったあとに確認したが、情報屋が暮らしていたはずの下の階にはもう何も残っていなかった。家具も、備品も、何もかもがいつの間にか持ち出されていた。拓也の部屋も同様だった。もぬけの殻で、跡形もなく消えてしまって。このままみんないなくなってしまうのではないか。このまま一人になってしまうのではないかと、そんな馬鹿な考えが今日一日頭から離れなくて。


「やだな。小さいころはそんなの……全然平気だったのに。」


いつの間にこんなに寂しがり屋になってしまったのだろう。いつの間にこの人達がこんなに大切になってしまっていたのだろう。また、桔平の頭をなでてみる。


「え?」


わずかに物音が聞こえたような気がして、振り向いた。


(莉亜たち、戻ったのかな………)


桔平の部屋を出て、ゆっくり階段を降りる。するとそこには。


「こんにちは。」


一歩で間合いを詰め、そいつを掴んで床に叩きつける。


「うっわ………つよ………」


肩を床に押し付けられ、身動きの取れなくなった情報屋に馬乗りになり、ヨルはにらみつけた。


「何しに来たの。」


ゆっくりと押し付ける力を強め、まるでもう逃げられないかのような圧迫感を相手に与えていく。体重の軽い女が男を押さえ付けるときにはそれが一番だった。しかし情報屋はその状況でもヘラヘラと笑い、ヨルを見上げる。


「いえ、一応その後の経過を見に来たんですよ。東くんの。」

「…………………。」








「はあー、殺されるかと思いましたよ。いやいやすごい力でしたねー、水樹さん。殺気もすごいのなんのって、殺される前に心臓が止まるかと。ははは。」


桔平の様子を確認し、治療器具の調整をしながらぺらぺらとしゃべる情報屋をヨルはにらみ続けていた。


これほどまでに憎くて信用できない人間もなかなかいないものだが、桔平を救ってくれた、という点で恩人ではある。あまりないがしろにすることもできないが、感情を抑えるのもなかなかに難しい。


「さて、と…………。これで大丈夫でしょう。もうわたしも必要ないでしょうし、今後はここには来ませんから安心してください。」

「え………」


振り向いた情報屋にヨルは思わず声をあげてしまった。


「もう来ないの?」

「ええ、まあ。わたしの目的は「椎名拓也」でしたし、もうあなた方に迷惑をかける理由もありませんしねー。」


へらへらと笑う情報屋に、腹の底がどんどんと煮えたぎってきた。やるだけやって、滅茶苦茶にするだけして、目的が達成できたらポイ捨てだとは、あまりにも自分勝手すぎる。なんだかこのままこの男を逃がしてしまうのは、しゃくだ。


「そう。でも、あなたはわたしたちと契約したはずでしょう?情報を提供するって。」


扉を塞ぐように立つヨルを情報屋は驚いたように見つめた。


「あなたはまだわたしたちとの契約を果たせていないのよ。それなのに出ていくなんて、わたしが許すと思う?」

「いや、水樹さん、何を…………」

「確かにあなたは強いんでしょうね。それにあの化け物みたいなzeroとeveがついてる。だからわたしたちはあなたたちの言う事に逆らえない。圧倒的劣勢だから。」

「………そうですよ。それがわかっているのになぜ………」

「あなたはわたしが「ナニ」か知ってるんでしょ?」


そこでへらへらとしていた情報屋の笑顔が消えた。


(やっぱり…………)


震えそうになる唇をわずかに噛み、ヨルは情報屋を見つめたまま続けた。


「だからわたしたちを生かしたんじゃないの?あなたたちのやり方はあまりに非効率的すぎた。でもわたしを生かすためだったんだとしたら全部納得がいく。すべてはわたしを利用するためだったんでしょ?まあきっと他にもあるんでしょうけど。」

「…………………」

「あなたの思うとおりにしてやってもいい。だけど、それには条件があるの。」

「……………条件、ですか。はは、大きく出ましたね。」


情報屋はまるで降参、とでも言いたいかのように両手を上げ、桔平のベッドの脇に腰をおろした。


「それで?女王様は何がお望みなんですか?」


それにヨルは悲しげに笑った。








「ただいまー。」


家に着いたのは結局深夜近くなってからだった。由宇と疲れた身体を引きずり帰り、やっと部屋のドアを開ける。


「おかえりなさい。」


ヨルは優しく微笑んでふたりの荷物を受け取ってくれた。


「おそかったね。お疲れさま。ごはんは?」

「あたしまだ食べてない。」

「俺も。」

「じゃあ先にお風呂入ってて。あっためるから。」


ヨルは先に部屋にふたりの荷物を置くと、さっそくキッチンで夕飯の準備をしはじめてくれる。その姿を見ていると、なんだかおかしいくらいに体の力が抜けてしまって。


「うわ、莉亜、大丈夫?」


思わずふらついてしまったところを、由宇がうしろから抱きとめてくれた。由宇も疲れている筈なのに、由宇からは疲労を一切感じない。


(もういいや、このまま甘えちゃおー。)


なんとなくそのまま由宇に身体をあずけて力を抜いてしまう。それに由宇は一瞬驚いた顔をするが、すぐに笑って、どうやったのか器用に莉亜を背中にまわしておんぶしてくれる。


「わーい!」

「はは、なんだ、元気じゃん。」


部屋の中までそのまま連れていき、由宇は莉亜をゆっくりソファーにおろした。


「莉亜、平気?」


ヨルがキッチンから心配げにそう聞いてくれるので、莉亜は笑顔でうなずいた。


「うん、大丈夫。なんかね、今日一日無理してたのかも。体に力が入ってたみたい。でもヨルがおかえりって言ってくれたら一気に気が抜けちゃった。」


それにヨルは悲しそうに、優しそうに微笑むと、わざわざ火を止めてキッチンから出てきてくれる。そして莉亜の頭に優しく手を乗せて、ゆっくり頭を撫でてくれた。


「莉亜、よくがんばりました。今日は休んでよし。」


その言葉があまりに暖かくて、優しくて、思わずこぼれそうになる涙を隠すように莉亜は笑顔を浮かべた。ヨルはさらに立ちっぱなしの由宇の肩を押してソファーに座らせると、同じように由宇の頭もなでてくれる。


「由宇もよくがんばりました。」

「わー、ありがとー。」


由宇の笑顔にヨルは満足そうにうなずき、またキッチンに戻っていく。


「ね、きっぺは?平気だった?」

「うん。特に変わりはなかったよ。寝てる。」

「そっかあ…………ヨルも何も困ったことなかった?だれも来なかった?」


それにヨルは顔を上げて、小さくうなずく。


「うん。大丈夫だったよ。」


何か変な感じがして莉亜が聞こうとするが、それをヨルに遮られてしまう。


「あのね、莉亜が泣き虫なままだったら言うのあとにしようと思ってたんだけど………」

「え?なになに?」

「莉亜元気そうだし、渡したいものがあるの。」


ヨルはあったまった味噌汁の鍋の火をもう一度止めて、キッチンに隠しておいたものを莉亜のところへ持っていった。


「きっぺの………かばん?」


ヨルから渡されたのは桔平のスポーツバックだった。たしか昨日桔平が持っていたものだ。まだホコリまみれで汚れている。


「それも汚れてたから今日洗おうと思って開けたんだけど、莉亜に見せてからにしようって………」


キッチンに戻るヨルを見送り、莉亜はバックのファスナーを開けた。するとそこには、


「くま…………」


抱けるくらいの大きさの、茶色いテディベアが入っていた。スポーツバックには大き過ぎるそれが無理やり押し込められ、出してみるとバックの形がついて少し四角くなってしまっていて。


「これって………昨日桔平と莉亜でねらってたやつじゃん。UFOキャッチャーでさ。」


隣からテディベアを見つめる由宇の言葉に莉亜はうなずいた。間違いない。これは確かに、昨日ふたりでとろうとしてとれなかったUFOキャッチャーの景品だった。だけどそれがなぜこの中にあるのか………


テディベアを見つめていると、床に何かが落ちたような音がして、のぞく。すると桔平のタブレットが床に落ちてしまっていた。それを手に取り電源をつけると、いつもはロックされている画面が、編集中のメール作成画面のままになっていて。宛先も、タイトルもないメールには、変換すらほとんどされていない、シンプルな文がひとつだけ入力されていた。




『りあ、ちょっとはえーけど、誕生日おめでとう。』




暖かい涙が頬を伝うのがわかった。由宇が肩を抱き、引き寄せてくれるともう涙は止まらなかった。


部屋に飾られた時計は6月23日を指していた。そしてカレンダーには、24日にハートマークがついている。


あのハートマークを書いたのは自分なのに、すっかり忘れていた。あたしと出かける約束も、筆記用具とか宿題とか、すぐに忘れちゃうくせに。こんなことばっかり覚えてて。


「ばか……………」




『あ、ねえ!きっぺ!くま!くま!』

『あー?くまぁ?』

『ほら、あのUFOキャッチャー!』

『あんなでけーやつとれるわけねぇよ。無駄無駄。』

『お願い!一回だけでいいから!』

『は?!俺が金出すわけ?!』

『一回やってくれたらこの前のお昼のパン代チャラにしてあげる。』

『まじ?約束だぞ?』

『うん!約束!』



「一回でいいって、言ったのに………」




『もー!!くまほしかったのにー!!』






「負けず嫌い。」






『わりぃ!俺忘れもんしたわ。』





「養成所に戻るって………嘘かい…………」






『走るしすぐだからさ。先帰ってて。』








バックの底に、くまにつぶされていたらしい財布を見つけて、莉亜はくまを強く抱きしめ、笑った。




「きっぺの…………ばか……………財布からっぽじゃん………」




キッチンから出てきたヨルの手には、手作りのバースデーケーキのお皿が乗っていた。











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