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zero  作者:
激動
6/11







「『zero』、いえ、椎名拓也くん。かくれんぼはもう終わりの時間ですよ。」


情報屋の言葉に3人はただただ呆然としていた。


「あんた本当にいい加減にしろよ。」


由宇がまた怒りに歪んだ顔で情報屋をにらんだ。


「拓也は拓也だ。俺たちがずっといっしょにいた、椎名拓也である以外何者でもない。そもそも『zero』っていうのはただの軍の広告塔にすぎないんだよ。それをあんたは……」

「由宇、やめて。」


今にも情報屋の方に行ってしまいそうな由宇の腕を引き、ヨルは自分も深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。


「情報屋さん。今のは悪い冗談過ぎましたよ。由宇が怒るのも無理は………」



「ちょっとはやくない?」



聞きなれた気だるい声が響く。由宇もヨルも口を閉ざし、3人はゆっくりとふりむいた。


すると、いつもの位置で巨大クッションを抱えた拓也が半目で情報屋のほうを見つめていて。


でもその姿が…………


「はやいですよ。はやいと思いますけど、この青少年たちがうるさいんですもん。」

「いろいろ狂うなー。ま、誤差程度だけど。」

「そうですよ。なんとかなります。」


よくわからない会話を情報屋と続ける拓也の姿が、3人にはなんだかどんどんと別の人間に見えてきていた。まるで霧が晴れていくように、ガラスのくもりが消えていくように、拓也の姿がどんどんどんどん明確になっていく。


拓也の髪が、美しく輝く銀髪になっていく。拓也の碧眼は、より深く、澄んだ水色になっていく。肌は白く、手足は長く。


もう、拓也じゃない。


「た、くや…………?」


莉亜の声なんか聞こえていないかのように、その美しい生き物は、立ち上がって伸びをする。


「行くんなら行くぞ。ほら、お前もだよ。」


玄関に向かって歩きながら、彼は咲からコーヒーを取り上げて飲み干した。


「ひとりでやってよ。」

「こっちは8年以上のブランクなんだよ。」

「わたしは働き詰めなの。」

「俺がサボってたみたいな言い方はよくない。」

「ちがうの?」

「ちがわないけどさー。」

「はいはーい、ふたりとももっと良い再会の仕方ないんですか?」

『うるさい。』

「すみません。」


情報屋と拓也、そして咲がわいわいとしゃべりながら玄関へ向かってしまう。まったく意味のわからない状況に、由宇もヨルも莉亜のも思考が止まったままだった。


急に変わったように見えた拓也。

zeroの名前。

拓也と咲の関係。

拓也と咲と情報屋の関係。


何がなんだかわからないのに、ひとつだけはだれの目にも明らかだった。


拓也は、消えてしまう。


「た、たくや!!!」


莉亜が立ち上がって叫ぶと、3人は立ち止まって振り向く。するとさっきまでよく見えなかったが、咲の姿も異常にきれいになっていて。もともときれいな顔立ちだったのに、今は人形のようだった。その変貌と、3人の視線に莉亜の足が震える。


「たくや……………」


震える声でそういう莉亜をしばらく見つめ、情報屋はにっこり微笑んだ。


「金森さん。」

「あ…………」

「椎名拓也なんて人間は、もともとこの世に存在しないんですよ。」

「……え?」

「彼は『zero』です。生まれてからずっと、あなた方と出会う前からずっと。」

「……………。」


莉亜はわけがわからず、拓也のことを見つめた。あんなにも変わってしまったはずなのに、それと同時に、拓也を見れば見るほど彼は拓也だった。いつも眠そうで、でも優しくて、いつも後ろをついてくるけど実は強くて。確かにこの8年間ずっと拓也といっしょにいたのだ。彼がずっといっしょだった拓也であることに間違いはないのだ。


なのになぜだろう。



あたし、拓也のことをあまり知らない。



「なんで……………」


また頬を涙がつたうのを感じた。そんな莉亜を見つめ、拓也は躊躇なく踵を返し、部屋を出ていってしまった。




静まり返った部屋の中で、莉亜はただ立ち尽くしたままだった。喉の奥が焼けるように熱い。脳みそも熱い。でも手だけは、氷よりも冷えきっていた。


「なんなの。」


ヨルは小さくそうつぶやき、ふらりと歩き出した。


「よ、ヨル……」


莉亜が呼び止めると、ヨルは妙に落ち着いた顔で振り向き、髪を後ろに払いのけた。


「全然意味がわからない。でもここにいても何もわからない。だから見てくる。拓也が何者で、あの咲とかいうひとがだれで、情報屋は何を知ってるのか。答えようによっては、わたしあいつらのこと殺す。」


やけに恐ろしいことを言い放って出ていってしまうヨルを見送り、莉亜は呆然としていた。しかし、


「あはは………」


後ろで由宇の笑い声がして、振り向く。


「ゆ、由宇?」

「ははは!今の聞いた?ヨルこわいなー。だけど、俺も参加させてもらおうかな。」


由宇は立ち上がり、莉亜の頭をそっとなでる。


「俺たちも行こ。とりあえずTokyoのことがなんとかなるのは事実みたいだし。他の問題についてはわからないことだらけでしょ。情報屋からいろいろ聞いて、それから考えようよ。ね?」


いつものように優しい由宇のタレ目を見て莉亜は何度も何度もうなずいた。ヨルも由宇もいつも通りであることがうれしくて、やっと感覚がしっかりしてきた気がする。由宇に手を引かれ、莉亜も部屋の外に出た。





アパートの外に出ると、アパートの前の道路に3人は並んで立っていた。情報屋がレーザーポインターのようなものを空に向けて放ち、ぷらぷらとその光を揺らしている。


由宇と莉亜は階段を降り、3人とは少し離れた場所で様子を見ているヨルのもとへ向かった。


「あれ、何してるの?」


由宇がそれを聞くと、ヨルは少し首を傾げてから空を見上げた。


「たぶん、ACを呼んでるんだと思う。あのレーザーから微弱の音波も出てるみたいだし。」

「なるほどね。でもじゃあここも危ないね。」

「そうね。」

「……………。」


なんだかやけくそになっているようなヨルを見つめ、由宇は少し笑った。今日はヨルの泣き顔も見られたし、久しぶりにガチ切れ状態で無表情と化しているヨルも拝められた。横では莉亜が相変わらずキョロキョロと混乱しているようだが、莉亜の手を強く握ってやると少し落ち着いたようだった。


「おっそー。まだー?」

「遅いですね。レベル11のはずなんですが。」

「わたし帰る。」

「帰らないで。」


相変わらず3人は仲良さげに会話をしていて。しかしそこで。



ズン!!!!!



ものすごい地響きと共に、道路を挟んで向かい側のビルの屋上から土煙が上がる。そしてその中から、ふたつの影が現れた。


「おお、やっとお出ましですね。」


情報屋はジーンズのポケットから小さな双眼鏡のようなものを取り出して無駄に高いビルの上を見つめた。拓也は微妙に伸びてきていた銀髪を簡単に後ろでまとめ、咲は情報屋とともに上を見上げている。


「タイプはBとFですね。おお、おお、でかいな〜。」

「ん、精度も上がってる。」

「これはおもしろいことになりそうですね。」


情報屋は双眼鏡をポケットにしまうと、いつの間に持ってきていたのか、腰につけたウエストポーチからごそごそと何かを取り出す。


「さてと、何分でいきますか?」


準備運動のように足を伸ばす拓也の横で、咲は腕を組んでゆったりと立っていて、ちらりと拓也を一瞥する。


「こいつのブランクがどの程度かによるな。」

「ほんとそれな〜。」


拓也は立ち上がってもう一度ACを見上げると、


「ま、2分かな。」


そう言った。


「何するつもりなの?」


後ろからヨルがそう声をかけると、情報屋だけが振り向いて微笑む。


「何って、あれを処理するんですよ。それが彼らの仕事ですから。」

「あれは軍事レベルのACなのよ。わたしたちの手に負える相手じゃない。」


ヨルが言い返した言葉に咲が振り向いた。


「あなたたちといっしょにしないでもらいたい。」


それにヨルが顔をしかめると、横で情報屋が声をあげて笑った。


「あはは、水樹さん、今のはあなたの失言ですよ。」


そこで情報屋はポーチから手を抜き、なにかを空中に放り投げる。ビー玉状の何かがふたつ空中で展開し、プロペラのようなものが出て小型カメラになる。ふたつのカメラはそれぞれ拓也と咲のまわりで浮遊し、追跡をはじめた。さらに情報屋がシャツの胸元のボタンをひとつ触ると、目の前の空間にたくさんの半透明の緑色のパネルが現れる。


「な!」


由宇はそれに思わず声をあげた。


空間パネルは最新の軍事機材で、機械を持ち歩かずとも空間にパネルやスクリーンを展開することができ、さらに触ることが可能な最先端技術を駆使したものだった。まだ一般には出回っていないというのに、情報屋のそれはパネルの精度といいスクリーンの量と処理速度からして、その中でも特に最高レベルのものだと思われた。


なんでいち情報屋がこんなものを………


情報屋は慣れたようにいくつかのパネルに何かを打ち込むと、あるスクリーンにさっきの小型カメラの映像がそれぞれふたつと時間を測るらしい文字盤状の画面が現れる。


「もういい?」


それを見て咲が姿勢を低くすると、情報屋はうなずいて、


「ええ、ではいきますよ。」


文字盤のスクリーンに手を伸ばす。


「Mission START!」


その情報屋の声とともに時計が動き出したかと思うと、咲と拓也が視界から消える。


「え?!」


莉亜が思わず声をあげ、必死で姿を追う。するといつの間にかふたりはすでにビルの半ば辺りまで登っていた。


人間の動きではない。


すごい速さでビルの壁を駆け上がるふたりに全員言葉を失う。


「さて、せっかくですからあなた方のために小型カメラを彼らにつけました。しっかり目に焼き付けてくださいね。」


情報屋はにこにことそう言って、ふたりがそれぞれ映るスクリーンを一度軽く触り、画面を拡大させる。拓也はビルの出っ張りなどに軽く手をかけたり足を跳ねあげたりするだけで異常なスピードでビルを駆け上がり、咲にいたってはほぼ一足飛びでひょいひょいと垂直の壁を登っていて。


到底人間のできる動きではなかった。


「なんなんだあいつら…………。」


震える声でそう言う由宇に、情報屋はまた声をあげて笑った。


「だから、zeroですよ。4歳で施設を制圧し、軍隊をひとつ一人で全滅させたという、あのzero。」

「で、でも……あれはただの噂で……」

「事実ですよ。すべて事実です。」


情報屋はそう言ってすでにACと接触しようとしているふたりをにこにこと見上げた。


「…………拓也が仮にzeroだとして、あの女はなんなの。あの動きは訓練でどうにかなるものじゃない。」


ヨルが静かにそう聞くと、情報屋は、ああ、と言ってなんでもないように答えた。


「彼女は『eve』。超人実験の成功個体ですよ。」

「超人実験?!」


由宇もヨルも莉亜も思わず声をあげた。


超人実験といえば、第三次戦争が悪化し、国が狂っていた頃、軍で過去に秘密裏に行われていたという最悪な人体実験のひとつのはずだ。子供に幼少期から瀕死体験を何度も経験させることで脳に無理矢理進化をうながし、身体能力や治癒能力の限界を引き伸ばし、最終的に一般的な人間の能力を何倍も超える『超人』を生み出そうという馬鹿みたいなプログラムだ。


その実験はやはり大量の子供の命を奪っただけで結果を出さず、戦争が沈静化してしばらく、もう百年以上前に打ち切られたはずだった。まさかそれがまだ行われていたとは。いや、それどころか本当に超人実験なんてものが存在していたのか。あまりに非人道的なその実験は、黒魔術だとかと同じようにただの都市伝説のように伝えられていたというのに。


「なんなのよ…………。」


怒りがこもったような低い声でうめくヨルの声が聞こえる。あまりにもいろんなことが起こりすぎて、だれも頭がついていかなかった。今まで常識だったものが常識ではなくなり、嘘が本当になり、無が有になる。世界がひっくり返る、とはこういうことなのか。


ただ今はスクリーンに映し出される人間を超越した戦闘の数々に目を奪わられるだけだった。




「この距離を一歩?うそーん。」


ひょいひょいと壁を登りながら、隣を風を切って飛んでいく女に目をやる。だぼだぼのパーカーのポケットにやる気なく手を突っ込んで彼女は飛んでいた。


「zeroとちがってこっちはずっと働いてたから。」

「悪かったって。」


そこでACたちがこちらに気づき、警戒する。タイプBはスピードが速いのが特徴で、今回のはオオカミのような姿をしていた。タイプFは圧倒的なパワーと耐久性が持ち味で、ゴリラのような形をしている。


「どっちがいい?」


一歩壁を蹴りあげさらにビルを登りながらeveが横目で聞いてくる。それに少しだけ考え、


「じゃあBいくから、eveはFで。」

「ん。」


もう目の前まで迫ってきたACを見上げ、eveはうなずいた。


「zero、肩借して。」

「どうぞお好きに。」


ACがこちらに向かって勢いよく向かってくると同時、zeroはビルの窓枠に手をかけその勢いのまま蹴りを繰り出す。そのzeroの肩に手を置き、eveはそこを軸に体をひねらせて同じく足をまわした。


金属がぶつかる甲高い音とともに、eveがオオカミ型のACを吹き飛ばし、zeroはゴリラを上に弾き返した。


「Bはzeroの相手でしょ。」

「そっちこそ。」


zeroはeveの足を手で受け取り、上へ思いっきり投げる。その勢いでゴリラの飛んでいったビルの屋上へ 飛んだeveを見送り、窓枠に足を引っ掛けてぶら下がると、煙をあげて壁にめり込んだオオカミのほうを静かに見据えた。


「あったまるくらいの相手はしてくれんだろうな。」


煙の中から光るふたつの赤い瞳を見つめてzeroはそうつぶやいた。



屋上に手をかけ、体を空中で回転させて屋上に降り立つ。


破壊された瓦礫が煙を上げる中、低いうめき声をあげてゴリラが出てきた。鋼鉄でできているわりに、精巧なシステムのおかげで本物の生き物のような、なめらかな動きを可能にさせている。やはり相手の技術力はかなり向上しているようだ。


「………。」


しばらく見つめ合うと、ゴリラが異常な速さでこちらに飛び出してくる。


「ん。」


素早いパンチを右手で受け、と同時に後方に跳ぶ。タイプFの何トンにもなるパワーと跳んだ勢いでビルから弾き出されるが、重力に引きずり込まれる前にパーカーの中の腕に隠していた高速収縮ワイヤーを放ち、ゴリラの手に巻き付ける。


「ガガガ!!!」


機械の唸り声がうるさく響きワイヤーをちぎろうとするが、その前に思いっきりその腕を引き寄せる。eveの飛ばされた勢いと引っ張る力が合わさり、ゴリラの200kgはありそうな巨大が空中へ引っ張りこまれる。


「ひゅっ!」


口から鋭く息を吐き、身体を反転させて飛んできたゴリラの背中に足を振り下ろす。


「グガガガァアア!」


鋼鉄にのめり込む感触。eveはそのまま落ちていくゴリラの背中に乗り、背中の鋼鉄を引きはがしてコアを取り出す。何本もの強力な銅線も引きちぎり、コアを確実にはがすとゴリラの動きが完璧に止まるのがわかる。横を見るとすごい速さでオオカミの動きをよけていたzeroが見え、eveは左耳のピアスへ手を伸ばした。


「zero。」

『了解。』


無線機になっているピアスからzeroの声が聞こえ、一気に間合いをつめたzeroはオオカミをこちらに蹴り飛ばしてくる。オオカミの身体を掴み、ゴリラと同じ容量でコアを抜き出し、すごい速さで近づいてくる地面にACを叩きこんだ。


隕石のような速さで落ちてきたACが地面に叩きつけられ、轟音と爆風が4人をおそう。爆発が起こり炎が立ち上るのを目の前にして、由宇は思わず顔を腕で覆った。


「くっ………」


瓦礫がいくつも飛んでくるのがおさまったところで、やっと目を開く。すると煙の中からゆったりとあのふたりが現れた。まるで何ごともなかったかのように、軽く服のホコリを払うだけでこちらに歩いてきていて。


「1分42秒。余裕でしたね。」


情報屋が空間パネルを消しながら微笑む。それに手だけで答えると、コアをサイトウにわたしてふたりは何も言わず3人の横を通り過ぎていく。


「拓也!」


由宇が思わず振り向いてそう声をかけると、拓也は簡単に足を止め振り返った。


「たく……… 」

「さいとー。そいつらなんとかしといて。」


それだけ言い残すと、ふたりは静かになった街を歩き、アパートに戻っていった。


「はーい、了解。」


情報屋がそう声をあげると、一度パンっと手を打った。


「はい!では戻りましょうか。いろいろご説明しますよ。」


情報屋はそう言うと、青い液体の入ったビンを後方に投げる。ビンは炎の中ではじけ、炎は一瞬で消えた。


「ほら、話を聞きたいひとはあなた方のアパートにしゅーご〜。」


気の抜けた声とともにアパートの階段を登っていく情報屋の背中を見つめ、3人はしばらく動けないでいた。






「えー、どこから話しましょうかねー。」


椅子を引っ張ってきながら情報屋はまるで鼻歌でも歌うかのような機嫌でそう言った。3人はそれぞれいつもの場所に座り、黙り込んでいた。拓也は自分の部屋で何かしているらしく、咲がシャワーを浴びる音だけが部屋に響いている。


「………あなたは何者なの。」


ヨルが静かにそう聞くと、椅子に座った情報屋がにっこりと微笑んだ。


「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。改めまして、わたしは『斎藤』と申しまして、しがない情報屋です。」

「なにがしがない情報屋よ。ただの情報屋はパネルも小型カメラも最新軍事装備なんか持ってるはずない。」

「あはは、まあ私はその道に詳しいもので。それにあんな化物ふたりといっしょにいたらあれくらいの装備は必要だと思いませんか?」


声をあげて笑う情報屋に舌打ちをするが、もうこれ以上探っても聞き出せないようなので、ヨルは黙る。つぎに口を開いたのは由宇だった。


「……まず俺はやっぱりまだ拓也がzeroだとか信じられないんだよね。もちろんさっきのを見れば信じないわけにいかないけど。でも俺たちが拓也とずっといっしょにいたのは事実なんだよ。そもそもzeroなんてのは作り話のはずだったんだ。納得する説明をしてもらいたい。」


それにサイトウは少し考えこむような顔をしてから、一度うなずいた。


「あなた方は軍の施設出身なんですよね。988訓練所。」


3人の無言の返答ににこにことうなずいてサイトウは続ける。


「孤児だったあなた方は小さいころからずっといっしょ。施設でも、今でも。」

「そんなこと聞いちゃ…………」

「そしてあなた方は出会った。彼、椎名拓也に。7歳のころ、ですよね?」


由宇の言葉に耳を貸すことなくサイトウはにこにこと話し続けた。


「zeroはいろいろありまして、ちょうどその時期に軍を離れた。それ以降の彼の所在はだれも知らない。むしろzeroが消えたことも軍では秘密裏に処理されました。ちょうど戦争も沈静化してきた時期でしたし、彼が現れなくなったことを不思議に思うものは軍内部にもほとんどいませんでした。むしろzeroの存在を知っていたのは軍でも『中央』の人間だけでしたからね。」


サイトウは一度息をついて、話を整理するように天井を見上げる。


「とにかく彼は許可を得て軍を去りました。所在は知らせませんでしたが、時期が来れば軍に戻る、という条件でね。彼には新しい名前が与えられ、椎名拓也になった。そしてあなたたちのいた988訓練所を選び、あなた方と知り合った。そこからはあなた方のほうがよく知っているんじゃないですか?」


3人の顔を順に見つめ、情報屋は微笑む。


「zeroはしばらく時期を待つ必要があったんです。それまでの居場所として、あなた方は選ばれた。eveが現れたのは、『その時』が来たからです。zeroとeveはzeroがまだ軍にいたころからの戦友でしてね。ふたりいっしょに戦ってたんですよ。あー、ふたりそろって戦ってるのを見られたなんて、わたしも今日は感慨深いものが………」


ぺらぺらとサイトウが話しているのを見つめ、由宇は頭を必死で動かしていた。


8年間だ。これだけ長い間、家族のように肩を寄せあってみんなで生きてきたのだ。施設でも、養成所でも、ずっと。さっきまでずっと。


第四次世界大戦が100年近く前に終わり、それでも終わらなかった戦乱が激化し、冷戦協定を結んで沈静化してからもう何年も経っている。平穏な時代が訪れたと思っていた。戦争の記憶なんてみんなと出会う前の幼い思い出にわずかに存在する程度だったはずなのに、そのかすかな記憶でしかないその時代で、拓也はすでにzeroとして戦場を駆けていたというのか。


考え込むような由宇の横で、ヨルは莉亜の横顔を見つめ、ため息をついた。おそらく莉亜は今までの絆がどうとか考えて怒ったり悲しんだりしているのだろう。わたしだってもちろんつらい。孤児のわたしたちにとって、お互いが唯一の拠り所で、最高の仲間だったのだ。昨日までいっしょに笑いあっていたのに、そのすべてが嘘偽りだったというのは確かに受け入れ難い。しかし、今はそんなレベルの話をしている時ではないはずだった。なぜレベル4を超えたACが市街地に現れたのか、zeroとeveという存在はいったいなんなのか、サイトウの話を信じてもいいのか。今はとにかく感情を捨て、冷静でなければならない。


どうやら由宇はそれがわかっているようだった。静かに、無表情で何か考えている。


「あのさ、じゃあ別の質問してもいいですか?」


また由宇が口を開いた。


「zeroとeveはさっき、明らかに拓也と咲ではなくなった。あれって、なんなんですか?」


やっぱり。由宇はひとつずつ冷静に疑問を解決し、整理しようとしている。そういうひとがいるのはありがたい、とヨルは思った。


情報屋はそれに何度もうなずき、簡単に答えてくれる。


「あれはかなり高度な技でしてね。ほら、あなた方は敵から隠れるとき気配を消すでしょう?ランクAのクラスにいるあなた方はそれはもう完璧に気配を消せるんでしょうね〜。ま、それは置いておいて、あれはその応用技なんですが。」


そこでサイトウは上の階を指差し、にこにこ微笑む。


「例えば東くんのようにかっこいい方はクラスや学校ではそりゃあもう目立つでしょう?逆にクラスにひとりはいませんか?目立たないようなひとが。それっていわゆる、存在感、ってやつなんですよね。」

「存在感?」

「はい。とにかくその存在感っていうものは、確かに誰にでも存在するんですよ。オーラとか、カリスマ性、なんて言われますけど、持って生まれた才能のようなものでして。それって、暗躍、つまりスパイ活動なんかをするときには非常に邪魔なんですよ。目立っちゃうってことですからね。だからスパイなんかには地味ーな目立たなそーなひとが好まれるんですが。」


次はサイトウは上の階の別の方向を指さした。


「あのzeroの美しい顔立ちと銀髪と碧眼っていうのは目立ってしょうがないですよね。だからzeroは、その存在感からいじるんです。気配は消さず、存在感を消す。気配を消す、というのはその場にまるで存在しないかのように見せることでしょう?ですが視界に映ったり音を立てたりすると気づかれてしまう。しかし存在感を消せばどうなるのか、その場に馴染んでしまうんですよ。景色の一部になる、というとわかりやすいでしょうか。」

「でも………でも、そんなことってできるものなの?」


やっと莉亜が口を開いたが、サイトウはにこにこと微笑んだまま莉亜を見つめた。


「失礼ですが、すべてそうやってあなた方の常識上で考えるのはやめていただけませんか?これじゃあ話が進まない。彼らを見てわかったでしょう?もう話は一般の常識を超えたところで行われているんです。まあ世間の裏側はこんな話ばかりですから、あなた方が無知なだけなんですけど。」


やんわりとした口調で厳しいことを言われ、莉亜はまた黙り込んでしまった。


もう情報屋も昨日までの「じょー」ではなかった。あんなに優しかったのに、もうあたしたちのことを見下したような冷たい目でしか見てくれない。


また泣きそうな顔になる莉亜を見て、ヨルもまたため息をついた。


「………じゃあわたしからもひとつ。zeroとeveについてまだわからないことだらけなの。彼らは軍にとってどういう存在なの?それによってはわたしたちの今後が変わってくるでしょ。」


サイトウはそれに感心したような顔をしてヨルを見つめる。


「あなたは相変わらず話のわかる方のようですね。そう、まさにあなた方のこれからの所在は変動しますよ。まずは、zeroとeveのことでしたよね。まずeveは先ほど説明したとおりの被検体でして、『超人実験』の成功例は彼女ひとり。軍の戦闘兵器として使われています。超人実験そのものがまずあなた方もそうだったように極秘のもので一般には公開されていませんし、彼女の存在も言わずもがな。zeroは軍直属の訓練所出身ですが、もちろんあれほどの能力を発揮したのは彼だけ。『超人』の可能性も考えられましたが、DNA鑑定の結果そうではないようです。zeroについては正直、軍の人間にもわからない部分が多い。とにかくzeroは世界最強の軍人と言ってもいい存在です。下手な核爆弾の何倍にも相当する戦力なのではないでしょうか。彼は軍の最終兵器とでもいいますか、それこそ世界が大混乱に陥るようなときまでは国外はおろか、Nippon国民領民にも明かされていない存在です。とにかく、彼らふたりに共通するのは、彼らが軍の最高機密であるということです。彼らを戦争に出したそのときは、敵を皆殺しにして、彼らを知るものがいない状態を常に維持してきた。しかし秘密というのはいつまでも隠しておくというのは非常に難しい。そのため、軍はあえてzeroと超人実験の伝説を国民に流した。zeroにしても超人実験のそれにしても、話はどれも現実離れしているからです。人間という生き物は、疑惑は疑うわりに、真実は否定したがるもの。信じられない真実をあえて国民に教えることで、国民自身にそれを否定させた。しかし希に、真実を真実として暴こうとする輩も現れます。そうした人間は軍の工作員がすぐさま抹殺しました。それは仲間でもそう。知るべきでない人間が彼らを知れば死あるのみです。」


サイトウは懐から何かを取り出してテーブルの上に放り投げた。それは小さな、黒い手帳で。


あれはたしか、中山が持っていた………



『なあ、お前らって、zeroって本当にいると思う?』



中山の笑顔と声が頭に浮かび上がる。


体の震えが止まらない。



サイトウが震える莉亜の様子をみて、口の端を上げた。


「ああ、心当たりがあるようですね。そうですよ、あなた方の養成所にもいたでしょう?何人も、失踪した人間が。みんなは訓練がつらかったのかなーなんて噂をしていたんでしょう?ありえなくないよね、よくあるよねと。もちろん実際にそういう人もいたんでしょう。しかし、多くが軍の情報操作です。秘密に触れようとする危険因子ですら、躊躇なく消す。存在を消すためには、消された人間の痕跡も消さなければいけませんから、家族も殺す。まるで神隠しのように、痕跡ごと消してしまう。そしてだれもそれに疑いを持たぬよう、情報を操る。そんなことが全国で行われている。このNipponという国を動かす軍というのは、もはやzeroを中心に動いているといっても過言ではない。」


ふふふ、と笑ってサイトウは続けた。


「そしてそれはあなた方も例外ではありません。zeroとeveの秘密を守る工作員は全国に配備され、彼らを守り続けてきました。zeroはそれらからもこの8年間身を隠してきましたからあなた方には今まで何もありませんでしたが、eveが動いたとなれば、あなた方は確実に工作員から狙われます。いつ殺されてもおかしくない。ああ、大変だ〜。」


大げさに手を広げてそう言うと、サイトウはけらけらと笑った。


由宇は言葉を失った。


なんだって言うんだ。勝手に俺たちがzeroの隠れ場所に選ばれて、突然今までのは嘘だったと言われ、それをばらされたからといって俺たちは殺されなきゃいけない。


なんだそれ。


「え、なにそれ…………」


突然莉亜が立ち上がり、体を震えさせる。


「なんなのそれ……勝手じゃん!!!」


声を荒らげる莉亜をサイトウはにこにこと見上げていた。ヨルが止めようと莉亜の肩に触れるが、それを振り払い莉亜は泣き叫ぶ。


「あたしたちは何も知らなかったのに!あたしたちが知ってるのは椎名拓也だけなの!zeroだってeveだってなにも知らない!!なんで殺されなきゃいけないのよ!!あたしたちは軍に殺されるために生きてきたんじゃない!!軍で働くために訓練受けてるのに!!」


莉亜はその場にへたりこんで大声で泣き続けた。その肩を静かに抱いて、ヨルはサイトウを見つめる。


「やっぱりそうなのね。でもわたしも、はいそうですかで殺されるわけにいかないの。大体、工作員がもし本当にわたしたちを狙ってるんなら、この騒ぎなのよ?もうとっくに殺されてるはずじゃない?」


死ぬかもしれない、と思ったら妙に頭がすっきりしてきた。いろいろと考えなきゃいけないことがあるはずだったけど、死を目前としたらそんかことは関係ない。


選択肢は、生きるか、死ぬか。


おそらく拓也はずいぶん前からzeroとして動き始めていた。


突然つけはじめた金のピアス。

最近の深夜徘徊。


全部が今となってはひとつに繋がる。そして情報屋がここに訪れたのも拓也に会うためだろう。だとしたらもう数ヶ月前から拓也は拓也ではなくなっていたということだ。そんなに前から動き出していたというのに、わたしたちがこうして無事でいられているというのはどうもおかしい。


それにサイトウは一度微笑むと、はじめてゆるんだ顔を引き締める。鋭い眼光で3人をにらみつけた。


「そう、これはわたしからあなた方へ与えたチャンスです。いくつか罠を用意しましてね、いま軍はここから離れたところに集中しています。先ほど軍が来なかったのもそのためです。工作員ももちろんそっちへ行ってもらってますから、あと数時間は大丈夫でしょう。それまでにあなたがたは選びなさい。」


サイトウが手をあげ、指をひとつ伸ばす。


「『椎名拓也』を忘れ、彼とは縁をきり、生きながらえるか。」


もうひとつ指を伸ばす。


「『椎名拓也』の影を追いかけ、軍に殺されるか。」


いつの間にかシャワーの音が鳴り止んでいて、バスルームにつながる部屋の隅のドアからeveが出てきた。eveはさっきまでのだぼだぼのパーカーではなく、ぴったりの黒い戦闘服のようなものに身を包んでいた。


それを見定めるよう見ながら、eveは首にかけたタオルで頭をふいている。


「ん、いいできね。本当に頼んだものは全部しこんであるの?」

「問題ありませんよ。zeroにもわたしてあります。」

「ん。それで………」


大きな赤色の瞳で四人を一瞥し、eveは言った。


「そいつら、なんとかなる?」

「はは、どうでしょうね〜。一応話すべきことは話しましたけど。」


それにeveは莉亜の前まで歩いてきて立ち止まる。短い金髪からしたたる水滴がキラキラと輝いていた。


「時間がない。いま決める。生きるか死ぬか。」


莉亜はただ震えた。


さっき情報屋はなんと言った?これはあたしたちのためのチャンス?ちょっと待ってよ、さっきまであんなにたくさんのひとが死んでたのに。それなのにあたしたちではどうにもできなくて、つらくて、でもそれもすべてあたしたちのためだったって言うわけ?あたしたちのために今夜いっぱいひとが死んだの?


きっぺがあんなことになったのだって………


「きっぺ………」


何かを小さくつぶやくだけで固まってしまった莉亜に舌打ちをし、eveはヨルの目の前へと移動した。


「どうする。あなたはひとよりはまともな判断が下せる人間のはず。」


ヨルは答えることができなかった。


冷静に考えて、10対0で自分たちの命を守るのが正解だった。ただひとり、たったひとりの人間のことを忘れるだけで、4人の命が助かるのだから。だけど。


(それができたら、どれだけ楽か…………)


ヨルは強く、唇を噛んだ。


わたしにとって、そしてここにいる由宇と莉亜にとっても、わたしたち全員の存在は必要不可欠なものなのだ。死にたくなるほどつらい過去を背負っていても、それでも生きていけるのはお互いの存在があってこそで。


いま、わたしたちの頭の中には拓也の記憶がほとんどない。消えたわけではない。はじめからほとんどなかったのだ。わたしたちの景色の一部として存在していて、思い出の片隅に引っかかっているだけで。だけど、そうだとしても、存在していたことには間違いないのだ。いっしょに笑っていたはずなのだ。


じゃあ、やっぱりわたしちの家族だ。


「まあ、選べる選択はひとつなんですから、決めてもらう必要もありませんよ。」


情報屋がそう声をかけると、eveはうなずいて踵を返した。


そこで、


「それは、今答えることは難しいです。」


由宇が静かに言った。eveが情報屋のほうへ向かっていた足を止め、振り向く。冷酷で、しかし人を超えた美しい目で見つめられ、由宇は思わず口を閉ざしそうになる。しかし、


「こういうことはいつも桔平に決めてもらってるんです。それに今は俺たちも情報が整理できていない。もっと落ち着いた状態で決めたいんです。もちろん、そんな時間がないこともわかっています。だから、ひとまずは、俺たちは拓也には近寄らない。ですが桔平の目が覚めて、みんなで話し合ったあとで、もう一度機会をいただくことはできないんですか?」


情報屋はそれに声をあげて笑い出した。


「あははは!気持ち悪いくらいの友情ですね!ですが、よく考えてみてください。東くんが目覚めたとして、話し合ったとして、わざわざそれだけの時間をかけて、あなた方は死を選びますか?選ぶのは生か死かですよ。なぜそんなに悩むのかまったく………」


そこでeveが片手で情報屋を制し、静かに由宇の目の前に立った。情報屋はなぜか少し笑うと、椅子ごと一歩後ろに下がる。その姿にはっとして、ヨルが声をあげようと振り向いたところで、


「あ…………」


声を出す間もなく由宇がものすごい勢いで後ろに吹っ飛ぶ。


ダン!!!!


「ぅあ…」


派手な音をたてて由宇は背中と頭を壁に打ち付け、ずるずると床に崩れ落ちる。


「由宇………っ!」


莉亜が思わず駆け寄ろうとするが、その莉亜の鼻先すれすれを銃弾が横切り、壁にめり込む。振り向くといつの間にか銃を取り出していたサイトウが莉亜のほうへ銃口を向けていて。にこにこと微笑んだまま撃鉄をゆっくりと降ろした。


「動かないほうがいいですよ。彼の二の舞になりたくなければ。」


由宇はeveに殴られる直前になんとか構えていたようで、派手な音ほどの怪我はしていないものの、床に倒れたまま痛みに体を震わせていた。肺に衝撃が響いたのか、声を上げられず、わずかに血の溢れる咳を繰り返している。悲鳴をあげるのを必死で抑え震える莉亜の前をeveがすたすたと歩き由宇の目の前までやって来るが、ヨルと由宇はその場で動けすにいた。


「何か勘違いをしてる。」


eveはしゃがみこむと、由宇の頭を転がし、自分のほうに目を向けさせた。


「かは……っ。」


血がにじむ口元、痛みに歪む顔。そんな由宇を見て、莉亜は口を押さえてぶるぶると震えた。ヨルも顔をしかめる。eveは立ち上がり、首にかけたタオルを他の2人につきつけた。


「お前たちは考えが足りていないようだけど、ちゃんと斎藤の話聞いていたの?さっきのACはおそらくかなりの被害を出した。どれだけの一般人が死んだと思う?すべては斎藤の罠で軍がこのあたり一帯にひとりもいなかったから、これほどの事態になってしまった。それはお前たちにチャンスをやるため。お前たちのチャンスを作るために、このあたりの人間が少なくとも千人は死んだ。そんなこと頼んでないとでも言うつもり?じゃあここで殺してやる。わたしはこのタオル一枚でお前たちを殺せる。」


黙り込む3人を順に見つめ、eveはタオルをおろした。


「お前たちには利用価値がある。だから生かした。じゃあそれに答えて。条件は、もう『椎名拓也』に近寄らないこと。いい?」


そこで階段を降りてくる音がして、その場にいた誰もがそっちを見た。 eveと同じような戦闘服に身を包んだzeroがゆっくりと階段を降りてきて、部屋を見回す。


「……………解決した?」


eveを見つめて四人のほうを指さし、zeroが聞く。eveはまだ頭をタオルで拭きながらうなずいた。サイトウも銃をしまいながら微笑む。


「一発無駄にしましたけど。」

「聞こえた。」

「もう出ますか?」

「ああ、今日は忙しくなる。」

「荷物は運んでおきますね。」

「悪い。」


eveがタオルをサイトウにわたして出ていこうとするのを見て、莉亜はすかさず由宇のもとへ駆けつける。壁もかなりへこんでいて、やっと普通に呼吸ができるようになっていたようだが、由宇はまだ動けないようだった。ヨルは薬箱とタオルを持ってくると、すばやく手当をしていった。


その間にもzeroとeveは部屋を出ていこうとしていて。それを歪む視界でとらえながら、由宇は唇をかんだ。


なんでこんなことになったんだろう。ついさっきまで平和だったのに。自分を見て莉亜はぼろぼろ泣いていた。莉亜がこんなに泣いているのを見るのは久しぶりだった。


きっとここで拓也がいなくなってしまったら、このまま俺たちの関係は崩れて戻らない。5人そろっての俺たちなのだ。以前のように笑って過ごせるとは思えない。それとも、こんな戦乱の世の中で笑って過ごそうと思っていたのがばかだったのか?本当はこれが普通だったのか?養成所の逃亡者も実は殺されていたのだという。彼らはみんな知られぬまま葬られたのだという。こんなに身近に死があふれているのに、笑っていた俺たちに天罰が下ったのだろうか?


いまは拳を握り、我慢することしかできない。それが正しいのは明らかだから。命が大切なのだから。


「あの日」と何も変わらなかった。消えてく背中を見送ることしかできなかった。まるで、変わっていない。


閉まっていくドアを見つめて、由宇は何もできず、拳をにぎった。








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