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激動
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覚醒






『ピ ピ ピ』


敵の動きに合わせて赤いターゲットマークが次々と急所を追っていく。


「由宇!左肩!」

「りょーかいっ!」


由宇の電撃弾が正確にACの左肩を撃ち抜く。電流が流れきるのを確認し、莉亜は最後のターゲットマーク、下腹部に回し蹴りを叩き込んだ。


「ガガガガガ!!!」


つんざく金属音とともにACが吹っ飛び、電気回路をやられたようで動かなくなる。


「よし!そこまで!5人とも集まれ!」


タブレットに評価を書き入れる教官の前に五人は横並びに並んだ。


「すばらしい。これでレベル3までのACの解体にはなんの問題もないだろう。」

『はい!』

「来週はついに一般進出可能なACの最高難度レベル4だ。気を引き締めるように。しかし本番はレベル5からだからな。」

『はい!』

「では解散!!!」






「ふあー疲れたねー。」


伸びをしながら更衣室に入っていく莉亜にヨルは笑いかける。


「莉亜のヘッドホンすごいね。いっしょに戦っててもすごく助かるよ。」

「そうかな?ふふー、ありがとー。じょーのおかげ。」


装備を外し、丁寧にかばんにしまう。


「この武器にも慣れたし、解体講義も順調だし、なんか最近楽しい!」

「うん、莉亜すごく楽しそう。」

「ふふ、なんかさ、やっと強くなったかもって実感できるようになったの。レベル4の解体が終われば、あたしたちは少なくともこの国のひとたちのことは守れるわけでしょ?それってすごいと思う。」

「そうね。」


そこで、突然足にわずかな揺れを感じる。


「なに?地震?」


莉亜は驚いたようにまわりを見回した。女子更衣室のロッカーの小さな扉もわずかにカタカタと音をたてて揺れている。


「……………。」


しばらく動かないでいると、すぐに揺れはおさまった。大した揺れではないにしても、ここしばらく地震なんてなかったものだから緊張した体をゆるめるように、ふたりは安堵の息を漏らした。


「はあ、よかった。それにしても、今日はやたら地震が多くない?」


髪を解きながらそう言うヨルに、莉亜は目を見開く。


「え?そうなの?」

「そうよ。朝の4時くらいにもあったの。気づかなかった?」

「そうなんだあ!全然気づかなかった……………」

「ええ?なんで落ち込むの?」


莉亜は着替えた制服のジャケットを着て、施設児のみに与えられる腕章を見てため息をついた。


「だって、地震にも気づけないなんてさ。なさけないよ。強くなったかもーなんて……ばかみたい。」


本当に落ち込んでしまったようで、がっくりと肩を落とす莉亜にヨルは苦笑した。自分もジャケットを着てシワを伸ばすと、乱れたままの莉亜の髪をなでてやる。


「莉亜、髪伸びたね。」

「え?ああ、うん!けっこう伸びたでしょー。」


うれしそうにくるくるとまわる莉亜を、更衣室に備え付けられている鏡の前のいすに座らせる。髪をほどいてやって、きれいなパーマのような癖のついた髪をとかしてやる。


莉亜は小さい頃からしばらくはショートカットだったのだが、養成所に入る少し前から突然伸ばし始めた。というのも、きっとあのとき、いつもの桔平との喧嘩の中で茶化されたからだろう。


『お前はぜんっぜん成長しねえな!!ちっせーだけであとは男みたいだぜ!!』


あのときの桔平と莉亜のことを思い出してヨルは少し笑った。言ったあとで後悔したような桔平の顔、泣きそうになるのを必死で我慢している莉亜の怒った顔。


「なに笑ってんの?」


大きな目で見上げてくる莉亜にヨルは首を振った。


今では莉亜は養成所のアイドルだ。明るくてかわいくて、男子からも女子からも人気があり、ファンクラブまでできているらしい。それのどこが、男みたい、なのか。いや、あのときから莉亜はかわいかった。ただ、桔平が素直じゃないだけ。


莉亜のお気に入りのふたつしばりにしてやると、莉亜はそのふたつの髪を持ってうれしそうに笑う。


「ねえ、莉亜。」

「ふふー、ん?」

「髪が伸びるってことは、それだけ莉亜が成長してるの。」

「うん。」

「これからも莉亜はどんどん大人になって、どんどん強くなれる。今自分のことを弱いなって思ったとしても、まだ莉亜には先があるんだから。慌てることないよ。」

「………うん。」


そう、莉亜にはこれからきっと明るい未来がたくさん待っている。人を幸せにする力のある莉亜にはきっとたくさんの幸せが返ってくる。わたしはそうして莉亜が幸せになって、いつでも笑顔でいるのを見守っていきたい。


それがいつまで可能なのかは、わからないけど。


莉亜は立ち上がって自分より背の高いヨルにしっかり抱きついた。ヨルのにおいがして、ヨルの体温で、とても安心する。


「おい!おっせーよ!かえるぞー!」


更衣室の外から桔平の声が聞こえて、莉亜は慌てて自分の荷物を持った。まだ他の生徒は授業中のはずだが、五人は今日はAC解体のあとはすぐに帰られることになっていた。実技演習の順番があとになればなるほど帰る時間は遅くなるが、今日はトップバッターだったのがよかった。


外に出るとすでに男子三人は着替えを済ませて廊下で待っていてくれていて。


「おまたせ!」


ヨルにしばってもらったばかりの髪を揺らし、莉亜は駆け寄る。


「おっせーよ。せっかく早く帰れんだからよー。」

「ごめんって!今日の夕ごはんだれ担当だっけ?」

「拓也だろ。」

「え?そうだっけ?」

「忘れんなよ!」

「えー、せっかく時間あんだからヨルのごちそう食べたい。」

「サボりたいだけだろうがよ。お前はよ。」

「わたしはかまわないけど。」

「まじ?さすがヨルさまー。あ、手伝いはするからさ。」

「当たり前だろ!」

「ありがと。じゃあ頼もうかな。」

「やったあ!ヨルのごはん!あたしも手伝う!」


みんなで教室に荷物を取りに行き、養成所を出た。夕日はまだあまり傾いていなくて、夏に近づくにつれ日が長くなっているのを感じる。


今日の授業のこと。今日の教官のこと。今日の実技のこと。戦い方、数学、語学、武器。毎日いっしょにいても、5人で話す会話は尽きることはなかった。真剣な話もして、馬鹿な話もして、すべてがまるで台本のようにうまく進んでいく。5人のテンポはぴったりで、だれひとり欠かすことはできないからだ。


男子3人の希望で夕飯はハンバーグをメインとしたがっつりの献立になった。5月に誕生日を迎えた由宇の誕生日パーティーのとき以来のご馳走。


「ちょっと買いすぎたかな。」


ヨルは食材を袋につめながら思わず苦笑した。大きな袋3つ分もある野菜やら肉のパックを見てため息が出るが、しかし腕がなる。


「大丈夫だよ。俺も今日すっごいお腹へってるし。」


由宇が重い袋をふたつ軽々と持ち上げ、ヨルの顔をのぞき込んで微笑んだ。それにヨルも微笑んで返し、あることに気づき由宇の癖のある赤髪の頭に手を置いた。


「由宇、また背伸びたね。今どのくらい?」

「いま178cmくらいかな。」

「そんなに?びっくりした。ほんとに大きくなったんだ。」

「まあねー。ま、182cmのあの巨人には劣るけど。」


由宇はある方向を見てあきれるように笑った。そこにはスーパーの隅にある小さなクレーンゲームの前でしゃがみこむ桔平がいて。莉亜といっしょに真剣な面持ちでガラスの向こうをにらみ、少し大きめのくまのぬいぐるみをねらっていた。


「よーし…………よーし、よし、よしよしよしよしよし!」

「おあ!きっぺ!もっと左だよ!」

「うぉ!!!おおおおい!!りあ!勝手に動かすんじゃ………」

「あ!あああああ!もー!!!だからもっと左って言ったじゃん!!!」

「ちっげーよ!!!あのときお前が手出ししなけりゃとれてたっつーの!!!」


馬鹿みたいに背の高い桔平と、女子としても比較的背の低い莉亜では兄妹のようにしか見えない。人目を気にせずケンカをするふたりはもうここらでは有名で、スーパーの中を通り過ぎていく主婦のひとたちも、慣れたように素通りしていく。それどころか、


「あら、やっぱり桔平くんと莉亜ちゃんね。」

「まあまあ、今日も元気ね。」

「本当に仲良しなんだから。」

「ケンカするほど仲が良いって昔から言うわよね。」


などと微笑ましく見守ってくれるようになっていた。その和やかなおばさんたちの波を超えて、由宇とヨルもふたりと合流する。


「もー!!くまほしかったのにー!!」

「だーかーらーお前が手出ししなけりゃ………」

「ほら、ケンカやめなさい。」

「あれ?拓也は?」

「知らねーよ。」

「知らなーい。」


まわりを見回すと、いつの間にかもうひとつの袋を持って行ってくれていたらしい拓也がスーパーの外のベンチで携帯タブレットをいじっていた。スーパーを出て、5人やっと集まる。


「よし、じゃあ帰ろっか。」

「わーい!ヨルのごはんたのしみ!!」

「あ、由宇わりぃ。袋ひとつ持つ。」

「ああ、ありがと。」

「ねみぃ。」

「拓也は寝る前にごはん作るの手伝ってよね。」

「かしこまりました。」


しばらく歩いたところで、桔平が突然足を止める。それに4人も立ち止まると、桔平は少し考えるような顔をしてへらっと笑った。


「わりぃ!俺わすれもんしたわ!」

「えー?きっぺのどじ!」

「養成所だわー、たぶんな。」


桔平は金髪をがしがしとかくと、由宇に袋を預けて振り返る。


「走るしすぐだからさ、先帰ってて。」

「わかった。気をつけてね。」


ヨルの言葉に片手をあげて答えると、桔平は人混みの中を軽く駆け抜けていった。空はオレンジに染まり始め、吹き抜ける風がやけに心地よかった。








4人はアパートを目前にした繁華街をゆっくり歩いていた。赤く染まり始めた夕日がとてもきれいで、あと少しで繁華街のネオンも灯りを灯し始めるだろう。帰宅に急ぐサラリーマンや、これから店に出勤するであろう派手な化粧の女の人が行き交うこの時間帯は、意外と治安もよく、むしろ来る夜に備えてそわそわとざわつく雰囲気で妙な盛り上がりを見せていた。


ヨルはそんな繁華街の帰り道がけっこう好きだった。「昔から」馴染みのある光景だから、というのもあるが、なんだか温かみがあって、安心するのである。


上機嫌に繁華街を歩きながら夕日に染まる空 を見上げたところで、ヨルは見覚えのある姿を見つけた。細く色白な足に、黒いだぼだぼのパーカー。桔平がしばらく前に助けたとか言っていた美人が、廃墟ビルの一角にもたれて立っている。フードを目深にかぶってうつむいている彼女に一声かけようかと少し進んだところで、彼女の横顔の口元がわずかに動いているのが見えた。だれかと話しているのだろうか。


「ヨル?どうかした?」


ヨルの様子に気がついて、由宇が声をかけてくる。


「え、あ、うん。この前に桔平が助けたって言ってた女の子覚えてる?黒のパーカーの。」

「あー、そんなこともあったね。その子が?」

「うん、ほら、あそこ。いるでしょ。」


ヨルが指をさし、由宇がその先を背伸びをしてのぞき込んだところで、ちょうど人混みの波の隙間から彼女と話している相手が見えた。


「え?」


それにヨルは思わず声をあげてしまった。由宇より少し大きそうな身長と、白いシャツとジーンズに身を包んだ細身の後ろ姿。少し長めの茶髪はいつもよりも整えられ、きれいに後ろでひとつにまとめてある。いつもの汚れたニット帽もかぶっていないが、あれは確かに………


「情報屋さん?」


由宇も思わず独りごちた。にこにこと笑う横顔がわずかに見え、それが確かに情報屋だとわかった。


情報屋は彼女のことを知っているのだろうか。そしてあの女の子も、無表情ながら情報屋のことをじっと見つめ、静かに会話していて。


「あれ?じょーじゃない?」

「んー?」


ふたりの様子に、莉亜と拓也も遠くをのぞく。そこで女の子がふとこっちに気づき、情報屋もゆっくりと振り向いた。こちらに気づいてにこにこと手を振ってくる情報屋はやはりいつもとは雰囲気がちがい、ジーンズにしてもシャツにしてもきれいなものを着ていて、彼が好青年然とした整った顔立ちであることに気付かされるほどだった。


「じょー!」


莉亜は駆け出して情報屋の前でうれしそうに笑った。


「おかえりなさい。早かったですね。」


微笑む情報屋のうしろで、あの女の子が静かにその様子を見ていた。


「やほー。」


莉亜がぱたぱたと手を振ると、女の子はぺこりと頭を下げる。そんな莉亜と女の子を交互に見て、情報屋は頭をぽりぽりとかいた。


「あら、お知り合いだったんですか?」

「うん!ちょっとね。じょーもしかしてナンパ?」

「ち、ちがいますよ!彼女とは古い知り合いでして………」


情報屋があわてて両手を振ったところで、3人も情報屋のところにたどり着く。3人に軽くあいさつをすると、情報屋は女の子を手で指して微笑んだ。


「彼女は咲さん。わたしの知り合いなんですよ。みなさんともお知り合いなんですね。」

「………名前は言ってなかったけど。」

「ああ、すみません、勝手に。」


咲、というらしい女の子は小さくため息をつくと、4人を一瞥するだけでさっさとその場を離れようとしてしまう。


「あ、ねえ。」


しかし、莉亜はその咲の腕をつかみ、引き止めた。振り向いて怪訝な顔になる咲に、莉亜はすぐに手を離して微笑んだ。


「ね、Tokyoに来たばっかなんでしょ?うちでごはん食べてかない?仲良くしようよ!」


それに少し顔をしかめて情報屋を見つめる咲に、情報屋は声をあげて笑う。


「ははは!金森さんは、あ、いえ、そちらのお嬢さんはとても世話焼きなんですよ。」

「でも…………」


何かに悩むように言いよどむ咲に、情報屋は微笑みを浮かべる。


「ま、どっちみち………でしょう?」

「……………………そうね。」


よくわからないふたりのやり取りにヨルは顔をしかめる。このふたりは、一体どういう仲なのだろうか。


そんなヨルの気も知らず、咲は4人に向き直ると、小さく頭を下げる。


「じゃあ、お言葉に甘えて。」

「やったあ!あたしね、莉亜っていうの。あの子がヨルで、あと由宇と、拓也だよ!ヨルの作るごはんはすっごくおいしいんだー。」

「そう………。だけど…………」


はしゃぐ莉亜を放って、咲はフードをとり、大きな赤い瞳で真っ赤な空を見上げた。



「家に着くまで………もたないだろうけど、ね。」













「♪」


鼻歌交じりに桔平は駆け足で繁華街を進んでいた。脇にはさっきスーパーでとってきた大きめのクマのぬいぐるみを抱えて。


みんなにはああ言ってきたが、戻ったのは養成所ではなくスーパーだった。結局クマをとるのに千円以上使ってしまった。


(今月のパン資金が…………)


ただでさえ漫画を買いすぎてカツカツな財布の中が余計寂しくなったのを思い出し、うなだれそうになる。しかし、どうしてもあのぬいぐるみをとりたかったのだ。だってあと少しで………


ズン


突然大きな地響きのような音が鳴り響き、地面が大きく揺れる。桔平は思わず足を止め、少しふらついてしまった。


「っと。」


まわりの人間もみんなざわめき、歩みを止めて辺りを見回す。ただの地震か、と、しばらくしたら人混みはまた動き始めるが、桔平は目を細めて空を見上げた。地震は今日で3回目だ。あまりに多すぎる。


(ったく………なにが起きてんだよ………)


なんだか嫌な予感がする。勘はかなり当たるほうだが、こういう勘は当たって欲しくはない。それに一瞬だが、あの空に浮かぶものは………


とにかく早くみんなと合流しないと。そう思い、さっきよりもスピードを上げて街中を駆け抜けた。


しかし。



ドンッ!!!!!!



さっきよりもずっと大きな音を立て、さらに大きく地面が揺れた。街行く人々も、よろけながらばたばたと倒れ込んでしまう。


「な、なんだ!!」

「きゃああ!」

「地震か?!なんなんだ!!!」


軽いパニックに陥る中で、桔平はまた空を見上げる。やはり、気のせいではなかった。


(シールドが………こわれてる。)


真っ赤な夕焼けの空に、青い血管のような電流が所々でバチバチと姿を現していた。よく見ないとわからないが、桔平のような訓練を受けたものならだれでもわかる異変。


Nipponは、他国からの襲撃で国民が傷つけられることのないよう、領空の縁に薄い電流の膜を張っていた。外敵が近づいてこようものなら電流で足止めをし、さらにその侵入者の情報を軍に即座に送るその装置は「シールド」と呼ばれる世界的に見ても最先端のNippon技術だ。しかし今それが、確かに壊れていたのである。


ショートしたかのように電流のほとばしる空を見つめ、桔平はうずくまる人混みの中を駆け出した。何が起きたかわからない人々が、どよめきたったままその場を動けずにいる。街中に映し出される巨大スクリーンが次々とシャットダウンし、せっかちにもすでに点灯しているいくつかのネオンは点滅を繰り返していた。


(なんなんだよ…っ……これは明らかに軍事レベルの問題が………)


そこであることを思い出し、桔平はさらにスピードを上げた。ここ最近忘れていた。何事もないように生活してしまっていた。しかし今、あの言葉が蘇る。


『異常な強さ、五人の絆。』


人混みを縫うように駆ける。


『これから起きる大戦争の』


背後から恐ろしい爆音と眩しい光が放たれ、爆風に吹き飛ばされ地面を転がった。


『戦況を変えるコマとなり得るのかもしれない人材』


状況を把握できず呆然とする人々の顔が、真っ赤に照らされていた。恐怖が、ゆっくりと、そして素早く、伝染していく。


悲鳴をあげて逃げ惑う人の中で、桔平は振り向いたまま動けずにいた。


養成所のほうから何十mにもおよぶ火柱が立ち上り、夕日に染まる空がさらに真っ赤に燃え上がった。空も、人も、ビルも、すべてを赤く染める赤は、まるで血の海のようで。


「うそだろ……………」


拳を強く握り、人の波に逆らって養成所に向かった。スポーツバックにクマを押し込み、代わりに情報屋からもらった武器をすべて取り出した。


走りながら装備し、倒れる老人を助け、泣きわめく子供を他の大人にたくす。爆発が連鎖し、確実にアパートのほうに向かっていた。


俺たちの、大切な家。


戦況はわからない。死ぬかもしれない。だけどあの家と、家族だけは守らないといけないのだ。自分たちは5人そろったほうが強い。5人じゃないとできないこともたくさんある。だけど今は、あいつらを呼びに行くほどの時間はなさそうだった。


そしてできるならば、こんなところには来ないで欲しい。


パニックになる人々を見つめ、自分が訓練を受けていたことを心底ありがたく思った。


走りながら携帯タブレットを取り出し、一文打ち込む。


恐怖に逆立つ全身に力を込め、あまりの状況に笑いがこぼれた。馬鹿な俺には、この道しか思いつかない。あとであいつに怒られるかもしれない。でも、せめてあいつだけは………










「な、なに?!」


莉亜は大きな揺れに倒れそうになったが、後ろで情報屋が受け止めてくれていたおかげでなんとか助かった。まわりの人たちはみんな道路に倒れ込み、一様にある方向をぼんやりと見つめている。


視線の先には、火柱が上がっていた。大きな爆発。


いつも通りだったはずの、穏やかだったはずのTokyoに突然現れた火柱。だれひとりとして、すぐにその状況を理解することはできなかった。しかし。



「せ、戦争だ……………」



だれかがそうつぶやいた。そしてその恐怖は、まるで伝染病のように人から人へとすごい速さで伝わっていく。


「戦争だ!!!逃げろ!!!!」

「死ぬ…………もう死ぬんだ………」

「軍は何をやっているんだ!!!」

「逃げろー!!!!軍の本部まで逃げろ!!!」


怒号と悲鳴が鳴り響き、固まっていた人混みが一気に4人のほうへ走りはじめる。その波をビルの壁に張り付くようにしてよけ、ヨルは耳をつんざく騒ぎの中で固まったままの莉亜の腕を引いた。


「莉亜!!!莉亜!!!!とにかくわたしたちも家に帰らないと!!!」


走り抜ける人々に押されながらも動かない莉亜の後ろ姿に、由宇は莉亜をかばうように肩を抱いて叫んだ。


「莉亜!!ほんとにあぶないって!!とにかく家に…………」

「………が…………」


莉亜が何かを小さくつぶやく。情報屋はそれが聞こえたのか、少し悲しそうな顔をしてうつむいた。


「莉亜?」


由宇は火柱を見つめたままの莉亜の顔をのぞきこんだ。そしてその莉亜の顔を見て、思わず口を閉ざしてしまう。


カタカタと震え、大きく見開いた瞳から一筋の涙を流していた。


「……莉亜…………?」

「…………ぺが……………きっぺが………いるの………きっぺが養成所にいるの………」

「莉亜。」

「きっぺが養成所にいるの!!!!!!!」


そう叫ぶやいなや、莉亜は由宇の手をはらってものすごい速さで火柱のほうへ駆け出してしまった。


「莉亜!!!!」


ヨルが名前を呼ぶが、莉亜は振り返ることなく人の波に消えた。火柱の方向からは何度も爆発が起き、その炎はこちらへと向かってきているような気がする。逃げてくる人々は尽きることがなく、その隙間を塗って莉亜を追いかけるのは難しかった。


ダン!!!


後ろから大きな音がしてヨルは振り向いた。するといつの間にか由宇が情報屋の首元をつかんで壁に押し付けていて。妙に落ち着いた様子の拓也がそれを制そうとするが、由宇は聞こうとはしなかった。


「おい、何が起きてんだよ。答えろ。」

「…………………。」

「今何が起きてんだ!!!」

「落ち着いてくだ………」

「答えろって言ってんだろ!!」


由宇はヨルも見たことのない顔をしていた。由宇はいつもにこにこしていて、優しそうなタレ目で穏やかにみんなの話を聞いているタイプだったのに。今は怒りに歪んだ顔で情報屋をにらんでいる。


しかし情報屋はつまらなそうな顔で由宇を見上げ、こちらも見たことのないような、冷たく、冷淡な微笑みを浮かべた。


「はは、高橋くん、もしかしてまだ今日のぶんの「薬」を飲んでいないのかな?」

「っ!お前……………っ」


ヨルが止める間もないほど速く放たれた由宇の拳が情報屋に向かう。


「!」


思わずヨルは口元を押さえるが、しかしその拳は咲によって軽々と止められてしまった。由宇が咲のほうをにらむが、咲は無表情のまま由宇をにらみ返し静かに言った。


「お前、ともだち追わなくていいの?あの子、死ぬよ。」

「………………」


由宇は顔をしかめると、情報屋をビルの壁に突き飛ばして人混みの中に突っ込んでいってしまう。


「由宇!由宇!」


わけがわからなくてヨルまで泣きそうになるが、しかし一度深呼吸をし、心を落ち着かせる。そして振り向いて、いてて、と頭を押さえている情報屋をにらみつけた。


「あなた、絶対にあとで説明してもらうから。」

「え?あー、はいはい。」

「それから、ついてきて。」

「え?」

「いいから、ついてきなさい。拓也も!」


ヨルは情報屋の手を引っ掴んで、どんどんと離れていってしまう由宇を追った。


とにかく状況はよくわからない。確かなのは、桔平と莉亜が危ないということ。向こうで何かが起こっているということ。情報屋は何かを知っているということ。


そして五人は、いっしょにいなきゃいけないということ。


情報屋を連れていれば何か変わるかもしれない。そう思って彼を連れてきたが、今はとにかく確かな何かが近くにいてほしかっただけなのだ。


なぜだか溢れ続ける涙をぬぐいながら、炎に向かってひたすら走った。










「……………あ……………」


ヨルは思わず、立ちすくんでしまった。


養成所は建物の一部が崩壊し、耐熱防火効果のある素材のおかげて火は燃え広がってはいないが、すごい騒ぎになっていた。


爆発に巻き込まれたらしい生徒たちの悲鳴やうめき声が響き、数え切れない数の生徒が倒れている。数人の生徒や教官がその手当に走り回り、その中に由宇がいるのを見つけ、ヨルは情報屋の手を離して駆け寄った。


「由宇!!!」


弾けるように振り向いた由宇に、ヨルは抱きつく。ぼろぼろと溢れる涙が由宇の汚れた制服に染み込むのを感じながら、いつの間にか大きくなった胸板を何度も殴った。


「ばか!勝手に行かないでよ!何してるの!こっちの気も知らないで!!!」

「…………うん、ごめんね、ヨル。ごめん………」


ゆっくり頭をなでてくれる由宇はいつもの由宇に戻っているようだった。それに安心すると、さらにたくさんの涙が溢れてきた。しかしずっとここで泣いているわけにもいかない。涙をふいて、由宇を見上げる。


「莉亜は?桔平は?見つからなかったの?」


すると由宇は少し言いにくそうに顔をしかめ、額にあふれる汗を手の甲でぬぐった。その顔に不安を感じたところで、後ろから拓也もやってくる。由宇は拓也とヨルを交互に見つめ、自身を落ち着かせるかのように深く息を吐いた。


「それが、さ………。さっき、教官に聞いたんだけど………。何人かの生徒と教官が見たんだって。桔平が、ACと戦ってるところ。」

「AC?」


ヨルが聞き返すと、由宇はずいぶんと遠のいた爆発の連鎖を見つめ、目の前に倒れる生徒の手当を再開しながら続けた。


「そう。今回は他国から送り込まれたACが侵入したことでこんなことになってるらしい。養成所のセキュリティがこの前故障したらしくて、それの修復が終わらないうちに隙を突かれたんだ。桔平がそのあとどうなったのかはよくわからないけど…………」


そこで由宇は突然語尾を震わせ、地面に頭をつけるかのようにうなだれると肩を震わせた。


「なに?なんなの?」


ヨルは隣の拓也の袖を少しにぎって、そう聞いた。由宇は涙をぬぐったのか汗をぬぐったのか、腕で顔をこすり、手当を続けた。



「殺されたのを見たって、言ってるやつもいるんだ。」



息が止まるのを感じた。耳元でうるさいくらいの心臓の音がする。ふらふらと世界がまわるような感覚に陥るが、そんなヨルの肩を拓也はしっかりと抱いた。


「噂は噂だ。莉亜はどこ行った?」


それに由宇は首を振り、立ち上がって他の生徒のもとに向かう。


「知らない。莉亜のことはまだだれも見てないんだ。」


そこで、ヨルの携帯タブレットが鳴った。すぐにポケットから取り出すと、スクリーンには莉亜の名前が浮かび上がっている。通話ボタンを押し、落としそうになりながら耳にタブレットを当てた。


「莉亜?!今一体どこに………」

『ヨル!!!!ヨル!!たすけて!!!きっぺが………っ……きっぺがあ……………』


莉亜はひどく息が上がっていて、うしろか、はうるさいくらいの悲鳴や叫び声が聞こえてくる。爆発音も、ここよりはずっと近い。ヨルは由宇と拓也にうながし、とにかくあの爆発の起きているところに向かって走り始めた。


「落ち着いて。いま、由宇も拓也もいるの。すぐに行くから。いまどこ?」

『きっぺ……………きっぺ…………』


莉亜はもはや話を聞ける状態ではなかった。嗚咽と悲鳴だけしか聞こえてこないタブレットを耳に当てたまま、ヨルは心の中で舌打ちをした。


(まずい。何もわからない状態で動くのは危険なのに………)


しかしそこでだれかがヨルの肩を軽く触った。それに振り向くと、いつの間にか由宇と拓也といっしょに情報屋もヨルに着いてきていて。彼は静かにヨルに微笑むと、シャツの首元からネックレスを出して口元に当てた。


「どうですか?見つかりました?」


ネックレスに向かってそう言う。すると次は情報屋のピアスから音声が聞こえてきた。


『ガ、ガガ…………ちっ、つながりにくい……いた。見つけた。そこから10時の方向、電波塔の下。』


それは咲の声だった。背後から聞こえてくる爆発音からして、莉亜がいる場所にとても近いことがわかる。


さっき由宇の拳を軽々と受け止めたことにしても、この騒ぎの中でひとりの女の子を探し出してしまうことも、あまりに不可能なことだった。なぜそんなことができるのか。大きな疑問が残るが、今はそんなことを詮索している場合ではなさそうだった。


情報屋の目配せにうなずき、ヨルは一度深呼吸をする。


「………由宇、薬と包帯は?」

「持ってきた。量も足りるよ。」

「ありがと。拓也、最短ルート。」

「んー、このまま23番通りに入って100m先で横道、そのあと旧市街を抜けたらすぐだよ。」

「了解。」


やっと落ち着きを取り戻し、ヨルは駆けるスピードを上げた。


大丈夫。みんながそろえばなんだってできる。今だってそうだ。何が起きているのかはわからないけど、みんなそろって、みんなで力を出し合えばわたしたちは強いのだ。大丈夫。だから、だからお願いだから。


「桔平…………無事でいて……………」











「ヨル………………。」


莉亜は地面にへたりこみ、タブレットを握り締めたまま泣きじゃくってこっちを見ていた。その莉亜をひとまず情報屋に任せ、ヨルは莉亜の横にいる桔平に静かに近寄り、静かに話しかけた。


「桔平…………?」


桔平はビルにもたれた状態で座っていた。頭から大量の血を流して。武器を装備したまま、ぐったりと動かない。壁には大きなヒビと、桔平のものだろう血が付着していた。いつもだれよりもうるさくて、だれよりも動き回っているはずの桔平が、ぴくりとも動かないまま脱力しきっているその姿は、奇妙で、不自然でしかなかった。


素早く手当をしていく由宇の背後から、咲がゆっくり歩いてくる。パーカーのポケットに手を突っ込んだまま桔平を見下ろし、すぐに遠くのビルへと目を移した。


ヨルもそっちを見ると、まだ比較的近いビルで爆発が続いていた。爆発の中にはACであろう影がふたつ見える。


「ここは危険。一度移動したほうがいい。それにそのひと、このままだと死ぬよ。急いでも後遺症が残る可能性が高い。」


咲が淡々とそう言うと、莉亜を優しく抱きとめたままの情報屋が継いだ。


「ACは幸運にもあなた方の家とは逆の方へ進んでいるようです。一度あの家に戻った方がいいでしょう。東くんの治療はわたしがやりますから、とにかく帰るべきです。」


3人はそれにうなずき、拓也が桔平を背負った。


「ヨル、莉亜をお願い。」


由宇はそう言い残すと、近くに落ちていた桔平のスポーツバックを拾って拓也のあとを追った。情報屋も泣きっぱなしの莉亜をヨルに任せると、咲といっしょに由宇たちを追って駆けていってしまう。


その背中を見送り、まだ涙の止まらない莉亜をヨルは見つめた。


「ヨル……………きっぺが………」

「莉亜。」

「あたし………何も……でき、なくて………ほんとにごめんなさ………」

「莉亜、いいから。」

「きっぺ………ごめ……っ……ごめ……ん……」


パン!!!!!


ヨルは思いっきり莉亜の頬をはたいた。普通の人間なら吹っ飛んで脳しんとうでも起こしてしまいそうなくらい、全力で殴った。実際莉亜もよろけそうになるが、その莉亜の襟元を掴んでこらえさせると、ヨルはもう一度殴った。真っ赤に腫れ上がった頬を触って呆然とする莉亜をヨルは引き寄せる。


「ばか。莉亜はほんとに最低。勝手にどっか行って、そのくせ何もできなくて、自分の場所をわたしたちに伝えることもできない。泣くだけ。あなたが泣いてる間にわたしや由宇や拓也がどれだけ大変な思いをしたと思うの?どれだけ桔平の血が流れたと思うの?悩んだり反省したり謝ったりすることはとても大切。だけど今それをするべきなのか、それをして何か得られるのか。そのくらい判別できなければ子供と同じでしょ。ただ泣くだけの子供となんにも変わらない。あなたはそれがわかっていない。いつでも桔平があなたを助けてくれるから。悩むことしかできないあなたを前に進めてくれるから。だけどもし今回莉亜がしっかりしてなかったせいで桔平が死んだらどうする?だれも助けてくれないんだよ?泣いてないでひとりで動ける人間になって。わたしたちはあなたの子守じゃないの。わかった?」

「…………………」

「わかったんなら泣くのやめて。わかったの?」

「…………………」

「わかったかって聞いてるの!!!」


ヨルはもう一度右手を振り上げた。莉亜は反射的に目を閉じるが、しかし感じたのは頭を撫でる優しくて温かい手の感触だけだった。そっと目を開けた莉亜に、ヨルは小さく微笑んでうなずいた。


「よし、涙止まったね。」

「ヨル…………」

「ほら、走るよ。」

「うん。」


もうとっくに日は落ちているはずなのに、そこはひどく明るかった。





さっきまでの騒ぎと対照的に、部屋は嘘みたいに静かだった。


今は情報屋と咲が、上の桔平の部屋で桔平の治療を進めてくれている。今はそれをただただ待つしかなくて。爆発音はどんどんと遠のき、人もいなくなったここらの地区ではただ静けさだけが取り残されていた。


どれくらい経ったのか、情報屋と咲がゆっくりと階段を降りてくる。ヨルと莉亜は思わず立ち上がる。ふたりはキッチンで手を洗うと静かに4人のところにやってきた。


「きっぺは…………?」


莉亜が震える声でそう聞くと、情報屋は微笑んで莉亜の頭に手を乗せた。


「大丈夫。一応状態は安定しています。ただ、頭蓋骨にヒビが入っていますし、出血多量、それから全身打撲と肋骨も数本骨折していましたから重体の重体。しばらくは目を覚ましませんが、そのころにはかなり回復していると思いますよ。」

「……………よかったあ…………」


安堵の息をはいてへたりこむ莉亜を情報屋は優しく肩を支えてやり、ゆっくり座らせた。この中で唯一桔平と同じ血液型だった莉亜は、本来なら貧血で倒れてもおかしくないほど大量の血を桔平の輸血のために差し出していた。青ざめた顔の莉亜に毛布をかけてやり、情報屋は莉亜の肩をなでる。


「金森さんも無理はしないほうがいいですよ。」

「うん、ありがと……でも………」


莉亜のその言葉を、由宇が継いだ。


「情報屋さん。」

「はい。」

「さっきは取り乱して……すみません。ですが、今何が起きているのか、それはまだあなたから聞けていません。答えてください。」


すると情報屋は微笑みを消し、キッチンに行って呑気にコーヒーを煎れながらためらいなく答えた。


「数週間前から、養成所のセキュリティに問題が生じていましてね。その修理がまだ終わらないところを他国に攻められました。養成所のセキュリティの修繕にはどうしてもNippon全土を覆っているシールドへの干渉が必要になる。その綻びを利用して他国からACが送られたんです。あのACはレベル11。Nipponの軍のAC開発のレベルがどうであれ、この冷戦の間に他国の技術は向上した。あなた方養成所に通う生徒たちはACの最高レベルは9だと教えられていたんではないですか?そんなのずいぶん昔の話です。まあそれはとにかく、軍事レベルのAC2体を相手に養成所の生徒はもちろん、教官でさえ手に負えなかった。軍は今ある理由でほぼすべての戦力を別の地に集中させています。だからここへの到着が遅れているんです。たどり着くのは早くて早朝でしょう。」


部屋にコーヒーの香りが漂う。


「どうです?わかりました?」


情報屋はのうのうとした雰囲気で煎れたてのコーヒーに口をつけた。カタカタと震える莉亜の後ろ姿を見て、由宇は強く拳を握り締める。


「レベル11だと…………?そんなレベルのACが2体もいたんじゃ早朝までにTokyoは壊滅だ!!」

「ははは、それが敵の目的なんですから当たり前でしょう。」

「ふざけるな!これがあなたが言っていた「大戦争」とやらの前兆だということですか?!あなたにはすべて予想がついていたんじゃないんですか!」

「予想はもちろんついていましたよ。ですが、それがなんだというのですか。軍だって予知はしていたはずですよ。しかし対処はしなかった。なぜだと思います?無駄だからですよ。国民はどうせ信じない。仕事に追われ、社会的経済に追われ、避難しろと行ってもするはずがない。そりゃあそうでしょうね。軍の鶴の一声とは言え、高いお金を払って買った土地と家と地位とを簡単に捨てられるほど勇気のある人間なんてこの街にはいないんですから。それに、あなた方は初めてわたしに会ったとき言ったじゃないですか。大戦争がなんだ、そんなのいつ起きてもおかしくない、今だって戦中同然なんだと。ちがいますか?」

「…………っ!」


歯を食いしばって黙り込む由宇を見て、情報屋は冷たい笑みを浮かべた。


「もう戦争ははじまっているんです。無力で何もできない人間は黙ってみているしかない。そうじゃなければ、東くんの二の舞ですよ。」


ふう、とため息をつく情報屋に、事の成り行きを見守っていた咲もカウンター越しに情報屋にコーヒーをたのんだ。


爆発音はどんどんと遠ざかり、今ではほとんど聞こえない。しかし、あの爆発の中では確かに何百という命が消えているのだ。何千という人々が家族を失っているのだ。家が焼け、親が死に、子供がばらばらになっていくのを見ているしかない人間が何万といる。


夜中だとは思えないほど明るい窓の外を見て、ヨルは強く拳を握った。


こんな日のために、戦争のために、わたしちは訓練をしてきたのだ。無力な一般市民を守るために強くなったのだ。なのに、そんなわたしたちですら、今のこの状況では無力なのだという。人が死んでいくのをただ見ているしかないのだという。


そんなのって。


「もう…………だれも止められないの………?」


小さな莉亜の声が部屋に響いた。それにヨルも由宇もうつむいたところで、


「止められますよ。」


躊躇なく情報屋は答えた。それに3人は弾けるように顔を上げる。


「え、どういうこと?」


目を見開く莉亜を一瞥し、情報屋はもう一度コーヒーに口をつけた。


「だから、止められますよ。この状況で、あのACを止められるものが2人存在します。ですが、あなた方は後悔すると思いますが、ね。」

「え、じょー、ちょっと、意味がわかんない。なに?止められるひとがいるの?じゃあ止めてよ。今だってたくさん死んでるんだよ!」


それにヨルも情報屋をにらみつける。


「あなたが何を隠してるのか知らないけど、救えるものは救うべきでしょう。何をためらってるんですか。」


情報屋はすごい殺気を放ってくる3人を順に見つめ、だるそうに長い息を吐いた。



「だ、そうですよ、『zero』。」



よくわからない言葉に3人は一様に口を閉ざした。


「ぜろ…………って………」


莉亜のつぶやきに、ヨルは顔をしかめる。


なぜいまここで、このタイミングであの都市伝説のヒーローの名前が出てくるのかよくわからない。ふざけてるのか。握りすぎた拳が痛く感じるが、そんなのどうでもよかった。ただでさえ今はわからないことばかりなのに、さらに混乱させるようなことを情報屋は言ってくる。もう頼むから、余計なことは言わないで欲しい。


しかも情報屋は、確かに、拓也のほうを見て『zero』の名を口にした。まったく、何を言っているのか。


「情報屋さん、いい加減にしてください。」

「ヨルの言うとおりです。適当なことを言ってごまかすのはよくないですよ。あれはzeroなんかではなく、椎名拓也で………」


ふたりのその言葉に情報屋はまたうんざりしたような顔になって、しかし少し悲しそうな笑顔を浮かべて「彼」のほうを見つめた。



「『zero』、いえ、椎名拓也くん。かくれんぼはもう終わりの時間ですよ。」






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