前兆
(…………なんだってシチュー作るのに牛乳忘れんだよ。)
桔平はぶつぶつと心の中で文句を言いながら夜の繁華街を歩いていた。
今日もいつものように養成所を終え、みんなで買い物をして帰ったところで、牛乳を買い忘れたと莉亜が言い出し、その買い出しに走らされていたのだ。ガサガサと音をたてるビニール袋を腕に通し、ポケットに手を突っ込んだまま大股で人混みの中を進む。家は旧ビル群にあるため、養成所やスーパーまでの通り道には夜になれば治安が良いとは思えない地区も通らなければならない。いかにヨルや莉亜がそこらの下手な男たちより強いとはいえ、そこを女一人で歩かせるなんてことは男としてできない。
(だからって俺じゃなくてもな。)
人混みはあまり好きじゃない。自分の置かれている環境に甘え、調子に乗っている人間が多いのがむかつく。
自分のできるかぎりのことでいいから、全力で何かやってみようとは思わないのだろうか。そのひとなりにがんばってる、とかヨルはよく言うが、他人の事情まで汲み取ってやるほど俺は人ができていないのだ。まわりにがんばっていない、と言われたらがんばっていないのだ。まわりにすら伝わらない程度の努力なんて、あって無いようなものではないか。
「………っ!…!!」
「あ?」
どこからか物音と怒号のようなものが聞こえ、その音を便りに路地裏に入る。すると路地裏の角をひとつ曲がった先の行き止まりで、数人の男たちがだれかを囲んで怒鳴りちらしていた。
「てめぇ調子に乗んじゃねぇよ!!」
「状況見ろ!!何されてもいいのか?!」
繁華街のネオンも届かないそこは暗くて、男たちの顔も囲まれているやつの姿も見えない。
「ったく、めんどくせーなー。」
そうつぶやくと、男たちが一斉に振り向く。
(おっと………)
振り向いた男たちの顔には見覚えがあった。「施設」に入る前からの顔見知りだ。といっても、昔からこういう出会い方しかしてなかった気がするが………
「ああ?てめぇ桔平か?」
「……………。」
いち、に、さん、しー、ご。五人か。
「やっぱてめえ桔平だろ?久しぶりじゃねーか!」
「お前養成所に入ったんだろ?はっ!優等生くんだなー。」
にたにたと気持ち悪い笑顔を浮かべてこっちにやってくる男たちを、桔平は路地裏の角にもたれたままじっと待っていた。奥では絡まれていたやつも動くことなく立ちすくんでいて。
黒いぶかぶかのパーカーのフードを深くかぶっているようで顔は見えないが、パーカーに隠れてしまうほどの短さの短パンから、細くて華奢な足が伸びているのが見える。
(女か?)
「おいシカトこいてんじゃねぇよ。」
五人のうち、昔からこういうことしかしなかったやつが桔平の目の前に立って顔をのぞき込んでくる。名前すら思い出せない。興味のない人種のひとりだ。
「お前まだこんなことやってんのか?成長しねーな。」
「なんだとてめぇ!!!」
激情にまかせて右腕を振り上げる男の遅すぎる動きをぼーっと見ていたところで、
「おお!やっと見つけた!!おそいよきっぺ!」
高くて子供っぽい聞きなれた声が路地裏に響く。
「あー………やべぇ。」
その声に路地裏の入口のほうを見ると、やはりそこには莉亜がいた。部屋着のくまの耳がフードについたピンク色のタオル地のパーカーに、タンクトップ。同じくタオル地の黄色の短パンを履いた姿に、せめて着替えて来いよとつっこみたくなるが、
「あ?なんだ?もしかしててめぇの女か?」
男たちが標的をあっさりと変え、桔平を押しのけて莉亜のほうへ向かう。
「いや、そういうんじゃねーけどさ、やめといたほうが………」
「あんたすげーかわいいな。俺らと遊ばねえ?」
「うおーまじだ!すげーかわいい。」
無駄に身体のでかい男たちに囲まれているというのに、小柄な莉亜はそいつらを平気な顔で見上げてから桔平のほうを見た。
「なになに?けんか?」
「ふっかけられたんだよ。」
「見たことあるよこのひとたち。」
「昔からこういうことしてんの。」
「あー思い出したかも。」
「だろ?」
お構いなしに会話を続けるふたりに舌打ちをし、男のひとりが莉亜の細い腕をパーカーの上から強引に掴んだ。
「おい、この女借りるぞ。」
「桔平はロリコンだって噂もみんなに流さねーとな。」
「ぎゃははは!!」
なんやかんやと罵倒してくるが、桔平にはそのうちのひとつも耳に届かなかった。げたげたと笑う男たちの向こうで、掴まれた腕を見てゆっくりと、しかし確実に顔をしかめていく莉亜の放つ殺気がえげつなすぎて、笑いをこらえるのに必死だった。
「いたい…………。」
莉亜の小さなつぶやきが聞こえ、男たちに少し同情した。
「きっぺ。」
「おー。」
「いい?」
「いいよ。」
(あーあ。あいつら死んだな。)
思わず笑い出しそうになる前に、男たちは莉亜を引っ張って行こうとする。しかし。
「あ?」
「おい、早く行こーぜ。」
「いや、なんかこの女動かねぇ………」
「何言ってんだよ。力づくで連れてけよ。」
「だからこの女ひっぱってもびくとも………」
莉亜をつかんでいた男の言葉はそこまでだった。
スダァン!!!
勢いよく宙を舞った男はものすごい音をたてて路地裏のコンクリートの地面に叩きつけられた。声をあげることなく地面に突っ伏す仲間を見て、他の男たちは何が起こったのかわからないようで口を開けて固まってしまった。
そんな中で莉亜は、掴まれていた腕をパタパタとはらい、そしてさする。顔をあげた莉亜はあの獣のような目になっていた。表情のない、しかし威圧感のあるその顔に、男たちは思わず唾を飲み込む。
「…………おい、てめぇそんなことして…」
勇気ある者の言葉もむなしく、莉亜はそんなことはお構いなしにすごい速さで間をつめ、一番背の高い男を引っ掴むとそのまま顔面から壁に叩きつけた。
「あれはやべぇ………。」
桔平も少し引いてしまってる前で、巨体が声を上げることもなくずるずると地面に倒れ込んでいく。
「あ、ごめんね、もっと手応えがあると思ってたから、力みすぎたみたい。」
いつもの明るい声でそう言ったあと、莉亜は残りの男たちのほうに振り向いて片手の指を折り曲げるだけでボキボキと鳴らした。
「あたし、見掛け倒しのマッチョが一番大っきらいなの。」
「ひっ…………」
そのあとは怖くて桔平は見ないことにした。ものすごい残酷な音が鳴る方から顔をそらし、路地裏の奥へ目を向ける。
するとそこにはまだあの女がいた。見るとフードの隙間からのぞく赤色の片眼がじっと桔平のほうを見つめていて。
「おい、大丈夫か?怪我してねーか?」
「……………」
「あ?無視?」
「きっぺ!!」
「うぉあ!!」
そこで莉亜が桔平の背中から思いっきり抱きつく。
「遅いと思ったらけんかー?」
「いや、あいつらがリンチしてるっぽかったからよー。」
「リンチ?」
「ああ。あの女を………」
そう言って指さしたころにはそこにはだれもいなくて。莉亜はきょろきょろとまわりを見回して、背中に乗ったまま軽く桔平の頭をはたく。
「こら、嘘かい!」
「いや嘘じゃねぇって!さっきまでそこに女がいたの。」
「いねーよー。」
「いたっつーの。」
「はいはい。」
「聞けよ。」
振り向くと莉亜は桔平の肩にもたれたまま、なんのためらいもなく男のうちのひとりの背中に乗っていたようだった。
(いや、さすがにひとのこと足蹴にすんなよな………)
桔平は男たちを踏みつぶして繁華街のほうへ戻った。
「きっぺ、おんぶ。」
「はあ?いい加減にしろよ。つーか早く離れろよ。」
「照れてんの?」
「ちげーよ。」
「ちゃんと牛乳買った?」
「あ?ああ。」
「もーー、きっぺが遅いからお腹減っちゃったよーー。」
「あーーー腹へったなーーー!」
「女の子?」
「ああ、たぶんな。」
夕飯のシチューを食べながら桔平はヨルの言葉に頷いた。それに莉亜も一口シチューを飲んで加わる。
「でもあたしが見た頃にはいなかったよ。」
「いやいやガチでいたんだって。」
「莉亜は見てないんだ。でも路地裏の突き当たりなんでしょ?」
「ああ。」
「しかもビル群の路地裏だよ!」
「じゃあいなくなるわけないじゃない。」
「まあなー。」
由宇は麦芽パンをほおばりながらその話を聞き、ふーんとうめいた。
「ま、怪我がなさそうだったんならそれでいいんじゃない?」
それに3人もうなずく。特にたいした事件でもないし、路地裏をうろつくような女ならどこか抜け道のようなものを知っていたのかもしれない。とくに深く考えることなく3人は食事に集中した。
そしてそこで、桔平はあの謎の女よりも気になっていたことを口にする。
「なあ、拓也は?」
今日は珍しく食卓には4人しかいなかった。テーブルには空の皿が1セットふせて置かれていて。
「ああ、なんか用があるとか言ってたよ。」
ヨルがそう言いながらうなずく。5人は基本的に食事はいつも揃ってとっていたが、個人的な用で出かけることが珍しいというわけではない。一人で買い物に出かけたり、別の友だちと遊びに出たり、そんなことはよくある。しかしいつもほとんど引きこもっているような拓也が出かける、それも深夜となると、少し違和感もあったりして。
「.........ふーん、ついに拓也もぐれたか。」
「ふふ、思春期なのかもね。」
「ええ!そんなのやだ!」
「あはは、そういう莉亜もまたこの前告白れてたじゃん。」
「ぐほ!はあ?!聞いてねえ!!」
「ちょっと!由宇!みんなだっていっつも言われてるじゃん!」
「お前なんて答えたんだよ!」
「断ったに決まってるじゃん!」
シチューにむせながら怒る桔平とそんな桔平にスプーンを突きつけながら顔を真っ赤にして言い返す莉亜にヨルと由宇が笑っていると、玄関の鍵がガチャガチャと開く音がして、
「ただいまー。」
拓也が間延びした声とともに部屋に入ってきた。
「おかえり。遅かったね。シチューあるから鍋から持ってって。」
「おー、シチュー大好き。外で会ったから連れてきたよ。」
「え?」
「こんばんはー。」
声は情報屋のようだった。さっそくキッチンに鼻歌交じりに向かう拓也の後ろから、何やら物々しいアタッシュケースをふたつ抱えてついてくる。
「じょー!やっほー。」
「情報屋さんだー。こんばんは。」
「なんだ、来たのかよ。」
「あら、早いのね。今日はどうしたんですか?」
「おじゃましまーす。今日はみなさんにお届けものがありましてね。あ、でもまずはゆっくりお食事を続けてください。わたしはほら、こっちでお茶でも飲んでますから。キッチン借りますね。」
情報屋はアタッシュケースを壁際に置くと、もう慣れたようにキッチンに入り、コーヒーメーカーでコーヒーを煎れはじめる。拓也はキッチンの鍋からシチューを皿にうつすと、カウンターの席に座った。
「あ?そっち?」
桔平が思わずそう聞くと、拓也はさっそくくわえたスプーンを口から抜き、情報屋に向かってへらへらと笑った。
「なんとなくー。今日は俺と話そーよ、おにーさん。」
「もちろんいいですよ。そういえば椎名くんとまともに話すのははじめてですねー。」
「うん。なーんでも聞いてちょうだーい。」
「そうですねー、何から聞きましょうかねー。」
四人は食事を続けながら鬼教官の悪口で盛り上がっていた。テーブルの上の皿はもうすべて空になり、それを片付けたあとはコーヒーを飲んで話を続けた。その間も情報屋と拓也はカウンターの高椅子に並んで座り、静かに話をしていて。1時間ほどそうしてゆっくりすごしたところで、
「なんかあのふたり仲良くなりそうだねー。」
莉亜のそんな言葉に3人も情報屋と拓也のほうを見た。そのときふたりはコーヒーを手に持ったままベランダに出て話していて。ふたりとも背を向けているから顔はわからないが、確かにとても仲が良さそうに見えた。
「あいつらふたりとも何考えてんのかわかんねーからな。通じ合うもんがあんだろ。電波同士で。」
「あはははは!」
桔平の言葉に楽しそうに笑う莉亜を見て、ヨルも微笑んだ。
「たしかに、あのふたりはちょっと似てるかもね。」
本心は見えず、しかし内側に何か強さを備えていそうな、妙な安心感。ヨルはふたりの後ろ姿を見て、確かに同じ空気を感じた。
そこで莉亜はテーブルを離れ、情報屋の持ってきたアタッシュケースをしげしげとながめる。
「これなんだろーねー。」
すると見計らったかのように拓也と情報屋が部屋の中に戻ってきた。
「みなさんの武器が届いたんですよ。」
「ええ?!はやあっ!!」
莉亜のリアクションに情報屋は笑い、コーヒーカップをカウンターに置くと、アタッシュケースに暗証番号を入力していく。
「これでもツテはけっこう持ってましてね。最新のものの中から厳選させていただきました。みなさんの希望通りのカスタムももう済ませてありますよ。」
開けられたアタッシュケースには銀にきらきらと輝く武器がいくつも入っていた。
「これは東くんのですね。」
桔平の武器は肘から先を覆う攻撃性のある小手のようなものだった。さらにブーツ強化の防具と、ベルトの背中部分に簡単に差し込める剣も出てくる。
「おお、かっけーじゃん。」
「小手のほうにも両手に小型の剣が内蔵されてますよ。ほら、そこのトリガーを引いてもらえば………」
「うお!剣出てきた!すげー!さんきゅ!」
「いえいえ。それからー……これは高橋くんのですね。」
情報屋は4丁の拳銃とベルトを由宇にわたす。拳銃といってもどれも形がちがっていた。小型のものから、少し銃口の長いもの、重そうな大型のものまである。由宇はそれぞれを受け取ってしげしげとながめた。
「へー、すごいな!これなんかAC用の……」
「そうそう。対人用も用意しておきましたし、弾も各種装填できるようにパーツもいくつか予備を用意しておきましたから、そのときの装備に合わせてカスタムしてください。もちろんすべて装填や発射までのタイムロスは最も短い最新のものですよ。」
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。それから、金森さん、どうぞ。」
莉亜が受け取ったのは桔平のものよりも小型な、しかし打撃力に優れていそうな小手と防具、そしてヘッドフォンのような機械だった。
「なにこれ?」
きょとんとする莉亜に微笑んで、情報屋は莉亜からヘッドフォンを返してもらい、自分の頭につける。そして右耳の部分にあるボタンを軽く押した。すると情報屋の目の部分に、緑色の透明なスクリーンが帯状に現れる。
「おお!!」
目を輝かせる莉亜にスクリーンを解除してヘッドフォンをわたし、情報屋は説明をはじめた。
「それは瞬時に敵をロックオンして骨格から弱点を探し出す最新機器です。金森さんは素早さと、それでいて正確に狙い目を打ち抜いてくる繊細さもある。それをより活かすためにも、そのレーダーはお役に立つと思いますよ。相手の弱点を読み取り、そこを正確に狙えば体力の低い女性でも十分戦えるんじゃないでしょうか。」
「わー!ほんとすごいね!ありがとー!!」
莉亜はうれしそうにヘッドフォンをつけて部屋を跳ね回った。
「ね!ね!きっぺ!なんかおそろいだね!」
「おー、そうだな!って、いってぇ!あぶ、あぶねぇ!!おま、ここは俺の……っ!」
「だってきっぺの弱点わかったから。」
「な、そ、そりゃあ男ならだれだって………まじ死ぬかと思った……あぶねぇ……おい!!情報屋!!てめぇなんつー危険なもんこいつにわたしやがった!!」
わーわーとうるさいふたりは置いておいて、情報屋は空になったアタッシュケースを閉じてヨルのほうに振り返った。
「実は水樹さんにもわたしたいものがあるんです。ですがそれは仕入れるのが少し困難なものでして。また別の機会に差し上げますね。」
「え、でも、わたしは何も頼んでませんよ。なんだか悪いです。」
「まあまあ、わたしから日頃お世話になっているみなさんへのお礼だと思ってください。料金も必要ありませんよ。」
『ええ?!』
それには思わずはしゃいでいた3人も声をあげた。
「え、で、でも情報屋さん。これって全部最新の武器じゃないですか。絶対高いし俺はそこまで甘えるつもりは……」
「まじ?!まじで言ってんの?これ全部タダってわけ?すげーけど怪しいな。」
「おおお、じょー太っ腹!さっすがー!」
「莉亜!だめでしょ!あの、ほんとにそこまでしていただくわけには………」
それに情報屋はにこにこと微笑んだまま、アタッシュケースを持って立ち上がる。
「いえ、本当に結構ですよ。わたしのツテはこれでも優秀なんです。相場よりも何割も安くそういった武器も手に入りますしね。お代はそれを使ったあなた方の武勇伝でも聞かせていただければそれでいいですよ。それでは今日はそろそろおいとまします。」
情報屋は玄関のほうへ歩いていきドアを開けると、一度振り向いて今までとは雰囲気のちがう微笑みを浮かべた。
「椎名くん、お話できて、楽しかったですよ。」
「んー。」
「では、おやすみなさい。」
閉まっていくドアを見つめ、ヨルは頭の端に浮かぶいくつかの違和感に顔をしかめた。
「ふんふんふふふーんふんふーん。」
「ふふ、のりのりね。」
次の日も晴天だった。莉亜は昨日情報屋にもらったヘッドフォンをさっそく首にかけて鼻歌交じりに街を歩く。ヨルはその莉亜に笑いながら、昨日の情報屋の行動について考えていた。
結局彼がどうしてわたしたちにここまでしてくれるのか納得がいかない。今日もすでにわたしたちが出かけるころには彼はすでに部屋にはいなかった。どうせ聞いてもはっきり答えてくれるような気はしないから良いのだが。
「今日の実技楽しみだね!」
はしゃぐ莉亜に今日は桔平も機嫌よく答えた。
「だよな!早くあの武器にも慣れたいんだよな!」
「そうそう!そんでさ、来週の解体講義ではACぼっこぼこにする!」
「うおー!燃えてきたー!」
うるさくさわぐふたりがずんずん歩いて行く後ろを着いていきながら、由宇も銃をしまっている腰のかばんに軽く触れた。
「俺は武器生成の講義のほうが楽しみだな。」
「あ、結局前に作った弾は合わなかったの?」
ヨルの言葉に由宇はうなずく。
「そう、まあ使えるには使えるけどさ、銃の性能のほうが格段に上がったから宝の持ち腐れ?みたいな。」
「そっかー。わたしも一番使いやすい暗器とか作ってみようかな。」
「いいと思うよ。飛び道具とかあると便利なんじゃないかな。」
「たしかに。その時はアドバイスしてくれる?」
「もちろん。」
「ありがと。」
そこで今まであくび混じりにのんびりと歩いていた拓也が前を見てわずかに目を見開いた。その顔に由宇とヨルもその視線の先を見る。すると桔平と莉亜が人ごみの中で妙な動きをしていた。こそこそと隠れるように路上駐車の車の影から遠くを指さしたりしていて。
「なにしてんの?」
拓也がふたりに追いついて声をかけると、桔平は拓也を同じように車の影に引き込み、また向こうの様子を伺い、どこかを指さした。
「あれ。」
「あれ?」
「あの黒いパーカーの女。あれ、昨日言ってたリンチされてて消えた礼儀知らず女。」
「俺そこまで最低な紹介聞いたことないわ。」
その様子に着いてきたヨルと由宇も桔平の指差すほうを見た。すると確かに少し離れた場所に黒いパーカーの人物が歩いていた。朝の通勤通学ラッシュでごった返す街の中で、フードをかぶったその人物はゆったりとこっちのほうに向かって歩いてきていて。フードのせいで顔はよく見えないが、薄い色の金髪がわずかにフードからこぼれ、桔平が言うにはあれは女なのだという。
「なーんだ。幻覚じゃなかったの?」
「言ったろ?莉亜は男をフルボッコにするのに夢中だったから知らねーだけ。」
「その言い方だとあたしがリンチの犯人みたいじゃん。」
何やら怪しい動きをする五人の若者たちを、通り過ぎていく人々が怪訝な顔でちらちらと見ていく。そんな顔を由宇と拓也とヨルの3人は見送る。 由宇は困ったように笑い、拓也はもはやしゃがみこんであくびをし、ヨルは頭をおさえた。
「な、なんか恥ずかしいね。」
「ほんとね。帰りたくなってきた。拓也、寝ないの。」
「んー、だって俺までストーカーみたいになりたくねーもん。」
「わたしも。」
「俺も。」
「あの女ふつー礼くらい言うところをさー、なんも言わねーで消えやがってよ。失礼極まりないな。」
「きっぺがいかちーから怖がっちゃったんだよ。」
「だからこうして隠れてやってんだろーがよ。」
「こんなんじゃ余計あやしいよ。ほら、声かけるんならかけなきゃ!」
「うお、おいやめろよ!」
「あ。」
「あ。」
「あ。」
傍観者の三人がそう声をあげたときにはすでに桔平と莉亜はパーカーの女の前に立ちはだかるようにしていて。
「ね、あなたさ、このひとのこと覚えてる?昨日変な男のひとたちに絡まれてたんでしょ?大丈夫だった?」
背の低い莉亜よりもほんの少し背の高いその女は莉亜の言葉に桔平を見上げ、ゆっくりとフードをとった。そして、フードから現れたその顔に、五人は皆一様に言葉を失った。
溢れる短く薄い色の金髪の隙間から、大きな深紅の瞳が桔平を見上げる。
「昨日は、ありがとう。」
どこの人種なのかわからないが、おかしいくらいにきれいな顔が現れた。表情もなく、静かに落ち着いた声音だが、ざわめく人混みの中でも奇妙なほど目立つ。
「まだTokyoには慣れてなくて。助かった。」
言葉を失ったまま見つめてくる桔平と莉亜を、彼女は少し眉をひそめて見つめ返す。
「なに?」
「え?あ、ああ。なんでもねぇよ。とにかく、気をつけろよ。夜はこの街もガラが悪い。」
「ありがとう。そうする。」
そこで彼女はまだ車の影で様子をうかがっていた3人のほうをちらりと見つめ、フードをかぶり直した。
「じゃあ、わたし急ぐから。」
早足で通り過ぎていく人の波に、彼女はゆっくりと消えていった。その様子をしばらく見守り、まるで今やっと息をしたかのように深くため息をついて莉亜は言う。
「はああー、びっくりしたあ。超絶美人。」
「ほんとな。あいつ初めて見た。」
「慣れてないって言ってたじゃん。転校生かもね!」
そこでヨルと由宇と拓也の3人も合流する。
「きれいな子だったじゃない。なんて言ってたの?あの女の子。」
「ありがとうーだってよ。」
「近くで見たらもっときれいだったと思うよ!あたしびっくりしちゃったあ!」
「えー、見たかったなー。でもあっちでヨルと拓也と見ててもすごい美人だったよ。」
「ぷ。桔平のあの顔。思い出しただけでも笑える。」
「拓也はいちいちうるせえなー。」
気づいたらギリギリになっていた時間に、五人は急いで養成所へ向かった。
教室に入ると、いつもとちがう空気がそこに漂っていた。ざわざわと噂話のように所々で生徒たちが話し合い、尽きることがない。
「なんだ?」
カバンを置きながらそう桔平がつぶやいたところで、同じAランクの男子が五人に近寄ってくる。
「なあ、東。」
「おっすー。なんかあったわけ?」
「まあな………お前さ、Bランクの中山と仲良かったよな。」
「あ?まあ、そだな。」
「あいつエスケープだってよ。なんか聞いてない?」
それに五人全員言葉を失った。中山とは昨日みんなで話したばかりだ。それに他の子がエスケープをしたことも残念そうにしていた。なのにその中山がエスケープだなんて。
「それまじ?あいつ昨日まで普通だったぞ。」
「そうだよなー……。なんかあいつんち借金があったとかで夜逃げしたって話だけどさ。やっぱただの噂だし、よくわかんねーんだよね。」
桔平と男子が会話するのを見ながら、莉亜はまた悲しくなった。
なんでみんな何も告げずに出ていってしまうのだろう。こんな世の中だから?開戦かもしれないから?家の事情があるから?でもがんばればなんでも可能ではないか。少なくとも莉亜の今までの人生はそうだった。お金がなくても、親がいなくても、みんなでがんばればどうにかなった。世の中なんてそんなものだと思っていた。そうじゃない部分もあるのだろうか。
「朝礼をはじめる!席につけ!」
教官が入ってきたことで、ざわついていた生徒たちもみんな自分の席に戻って静まる。桔平だけは何か考え込むように顔をしかめていた。
教官はパネルの前に立つと、教室を見回してため息をつく。
「あー、みんな聞いているだろうが、またエスケープが出た。我が国は徴兵制度は採用していないし、戦いをお前たちに強制するつもりはない。しかし、この養成所に入った以上、戦いに対しての覚悟はしておいてもらいたい。ニュースで開戦だとか騒がれているが、その真偽がどうであれ、世が戦乱の世であることには間違いはない。いつ戦わなければならなくなっても、おかしくはないのだ。どうか、士気を失わず、励んでもらいたい。」
Aランクの生徒たちは、やはりどのランクよりも戦いへの躊躇はない。教官の話をだれもが静かに聞き、冷静に受け止めていた。その様子を見て教官も満足そうにうなずき、いつものように伝達事項を淡々と話し始めた。
それを聞きながら、由宇は桔平の後ろ姿を見つめた。いつものようにだらけたりはせず、身動きもせず椅子に座っている背中からは緊張が伝わってくる。まだ中山のことを考えているのだろう。しかし由宇は、あまり深刻に考えてはいなかった。
確かに中山のエスケープは突然のことで、疑問も残る。しかしエスケープとはそういうものだ。この養成所に来て、好き好んで戦闘技術を学んでいるような奴らは少なくとも裕福で恵まれた家庭に生まれたような奴らではない。だれもがそれぞれの事情を抱えている、という点は、決して自分たちのような施設児だけではないのだ。そのだれにも言えない事情がいつ沸点を迎えてもそれはおかしくはない。そして家庭の事情で養成所に入ったような奴は、大抵戦いへの覚悟は生半可なものだ。覚悟の足りない人間は、今のうちに離脱しておくのがもっとも正しい選択だろう。
正直、同情なんてできない。
心が冷えきっていることに気づき、由宇は深く深呼吸をした。たまに、昔のような自分が顔を出す。手がぶるぶると震えだし、それを抑えるように拳を握った。
(ああ、しまった………)
だれにも気づかれないように飴玉状の薬を口に含み、窓際へ目をやる。すると一番後ろの窓際の席で、拓也がぼんやりと窓の外をながめていた。
由宇にとって拓也は、鎮静剤のようなものだった。冷えきろうとする心を、だれよりも冷静な拓也を見ることで抑えることができる。なぜか拓也は、自分に似ているような気がしていた。心のどこかに、恐ろしく冷たい魔物を飼っているような、そんな感覚。自分では魔物の存在を自覚することはできないけど、拓也はまるでその魔物を飼い慣らしているようにも見えた。あくまでもそれは妄想だけど、拓也を尊敬することで、自分を抑えていることができるのはありがたかった。
「…………では、連絡は以上だ。1限は戦闘実技演習だからな。遅れないように。解散。」
教官の声とともにざわつきはじめる教室に、由宇ははっと顔をあげた。
「みんな、早く行って私物武器利用の許可証出そ。」
ヨルは着替えの入ったカバンを持ってそう言った。それに莉亜と桔平、由宇は一枚の書類と昨日情報屋にもらった武器を持ち、着替えのカバンに入れる。
「ね!新しい武器たのしみだね!早く使いたいよー。」
「あ?ああ、そうだな……」
「うー、きっぺ!いま中山くんのこと気にしてもしょうがないでしょ!集中しないと怪我するよ!」
「………そうだよな。さんきゅ。」
「ふふ、じゃ、早く行こ!」
元気の出たらしい桔平にヨルと由宇は微笑み、あとを追った。
「なにこれ!すごい!使いやすーい!」
莉亜はヘッドホンを発動し、目の前に現れる半透明の緑のサングラス越しにサンドバッグを叩いていた。小手と強化されたブーツにぼこぼこにされ、さらにヘッドホンのおかげで急所を滅多打ちにされたサンドバッグは5分と持たず弾け飛んでしまう。
その莉亜しげしげと見つめ、教官が感心したように微笑んだ。
「金森、なかなか良い武器を見つけたじゃないか。以前よりも無駄な動きが減っている。」
「ありがとうございます!」
桔平は斬撃用のカカシの前にいた。素早く剣をぬき、攻撃したのちに間合いを詰め、小手で肉弾線に持ち込む。その装備の切り替えが何より重要になる武器だからだ。その様子を見に来た教官が、桔平に声をかける。
「東!」
「はい。」
「まずは剣術の鍛錬をしたほうがいい。剣術がうまくなれば剣も手に馴染む。そうすれば最も効率的な扱いがわかるようになるだろう。」
「たしかに………ありがとうございます!」
「いや、お前もなかなかいい武器を見つけたな。」
演習場を望む本館の最上階で、飯田はその様子を静かに見つめていた。
「やはり彼らは逸材ですね。」
紅茶を煎れながらそう声をかける田中に飯田はうなずく。
「ああ。本当にあの5人には助けられている。」
飯田は自分の机の引き出しから、3枚の書類を取り出した。それは先ほどあの5人のうちの3人、金森莉亜、東桔平、高橋由宇が提出してきた私物武器利用許可証である。個人的に入手した武器の携帯、校内でのみの使用を許可するという内容のものであり、記入漏れなどはない。しかし、入手元については、『購入』としか書かれていなかった。
(あれだけの武器をいったいどこで………)
ありえないはずだが、しかし頭からなぜかあの男の顔が離れない。
「…………田中。」
「はい。」
「本部の動向は?」
「ええ、噂通りですよ。なかなか派手なことになってきているようです。」
「そうか……。ということは、あの男も動き出すか。」
「でしょうね。依然として居場所はわかりませんが。」
田中は紅茶のカップを飯田にわたすと、窓から演習場を見下ろした。
「………あの男は必ず彼らに近寄ると思っていたんですが……無線機がうまく働いていないようですね。」
「あれが?彼らが持ち歩いていないだけではないのか。」
「ええ、もちろんそのようです。体温の反応もありませんし。ですが、それにしては雑音が多いんです。まるで妨害電波でも流されているかのような……」
「な!それではあの男が彼らに接触している可能性が………」
『お呼びですかー?』
突然部屋に鳴り響く電子音に飯田と田中は身を構えた。カップが床に落ち、派手に割れる。
『あはは、すごい音がしましたけど、大丈夫ですかー?』
相変わらずへらへらと人をなめてくるような声音に飯田は顔をしかめる。部屋を見回し、気配を読み取るがこの部屋には確実に田中と自分ふたりしか存在しない。すると、飛び退いた拍子に床に落ちたあの書類がピカピカと光る。
『ここでーす。ここですよー。あなたの大事な大事な優等生の持ち物に少し仕掛けをさせていただきました。』
「貴様………っ!やはりあの5人に近づいたのか!!!」
『いいえ、とんでもありません。わたしはあんな小物のガキには興味ないんでね。残念ながら。』
「…………………。」
田中は監視カメラがないことを確認すると、小型のタブレットを静かに取り出し、逆探知システムを起動した。この部屋には確かにどこかから電波が発信されていた。しかしどのシステムを使おうと、どれだけ起動しようと、罠が幾重にも張り巡らされたその電波をジャックすることができない。
「ちっ。化け物が。」
『あはははは!田中さん、ですよね?何をおっしゃるんですか。化け物はあなた方軍のほうでしょう?国民と領民に温厚なNippon!ふふふ、笑えますね。一体どれだけの国民があなた方によって存在を消されたことか……』
「だまれ!!貴様も同じではないか!」
『飯田さん。田中さんはあなたの補佐なのでしょう?もっとしつけしていただかないと。』
「貴様ぁっ!」
「田中!!いいから黙れ!」
「しかし、所長……」
「あの男の脳は測りしれん。下手なことはするな。」
飯田の抑制に田中が唇を噛む。書類からは小さな笑い声が響いた。
『ふふふ。良い子ですね。ですが、まだまだ、ですよ。』
ドン!!!!
突然大きな音をたてて田中の持っていたタブレットが爆発する。
「うあ、あああ!!」
吹っ飛びはしなかったものの熱で焼けただれた右手の痛みに、田中は床に倒れ悶える。それに飯田が言葉を失っていると、部屋に置かれたパソコンやらタブレットがすべて勝手に起動し、よくわからない数字とアルファベットの羅列がスクリーンに浮かび上がる。それを見回して飯田は素早く田中に応急処置を施しながら舌打ちをする。
「ウイルスか………っ!」
この養成所とこの部屋に張り巡らされている外部電波探知機や熱探知機が作動していないことからして、すでに養成所内すべてのセキュリティシステムもジャックされている可能性が高い。
最後にあの書類が一人でに炎をあげ、炭と化す。次々とシャットダウンしていくパソコンやタブレット。そして最後に残った飯田のパソコンから、雑音とともにあの男の声が響いた。
『まだまだしつけが足りませんねえ。これからの大戦争、あなた方は生き残れるんでしょうか。ははははは。』
音をたてて暗くなる画面をにらみつけ、田中を抱き起こす。
「化け物が………。」
静かな部屋の中で、飯田はひとり毒づいた。