* Will Be
音楽を捨てずにいられたのは、みんなのおかげだ。
そわそわする気持ちを抑えながら、私は訊ねた。「歌い手は?」
「目星はつけてある」と、ディックが答える。「十二月中には最終的なところまで的を絞って、一月から声をかけていくつもりだ。けどな、やっぱり女ボーカルがいない。他のプレフェクチュールなら紅一点女ボーカルのロックバンドってのもいるんだが、何年か前はベネ・シティのライブハウスでも見たことあったんだが、こっちのは解散したらしくてな。バンドである必要はないし、っていうかバンドは男がメインになるだろうし、けどポップスも入れたいから、理想はお前みたいにひとりでうたえる奴だ。作詞ができるとなりゃなおいい。最悪女の歌い手がいない状態でオープンすることになるが、お前さえいてくれたら、客の中から歌い手を見つけることだってできると思う。女ってのはひとりが苦手だろ? 照れるから。けどひとりでも女の歌い手がいりゃ、ぜんぜん違うと思うんだよ」
作詞などできる自信はない。“Black Star”は、“星”と“店”と“シンガー”に的を絞っただけだ。けれど、つまり私がシンガーになるとすれば、私が客の中からうたいたそうな女を見つけて誘うということになる。
目立つのはキライだ。でも歌をうたってれば、アゼルのことを考えなくて済む。
私は、うつむいた。
「──正直、やりたいとは思う。けど──受験に失敗するわけにいかない。私は、高校だけは出るって決めてる。さっさと自立したいから。受験を控えた今の段階じゃ──」
「気持ちはわかる」と言うと、彼はギターをケースに入れた。「家のことは、サイラスからなんとなく聞いてる。俺も似たようなもんだ」
私は顔をあげた。
「似てる?」
「まだ三十にもなってない俺が、宝くじに当たったわけでもないのにこれだけ金を持ってるって、おかしいと思わんか?」
宝くじに当たったわけではないのに、一年かけて店舗二フロアぶんを改装できるだけのお金を持っている。いくらかかるのかは知らないが、相当な気がする。しかも脱サラして、今は店のことに没頭している。売り上げがあるわけではない。
「家が、とんでもなく金持ちだとか」
ディックは肩をすくませた。
「俺は中流以下の家の出だよ。昔は学校行きながら、寝る間も惜しんでバイトとバンドに没頭して、それでもギリギリの生活だった。母親がくれる昼飯代すらバンドにつぎ込んで、夕飯はダチの家で食わせてもらうような毎日だ。母親と仲が悪かったわけじゃない。むしろ仲はいいほう。けど、光熱費だの食費だのがかさむからな。何日かに一度、顔見に家に帰る程度。母親は俺がいると自分の欲を削るような性格だし、奨学金で行ってた大学を卒業すると同時にバンドをやめて、就職して家を出た。音楽をやめて、普通の男に成り下がった。けど十年近く経って、また音楽に没頭しようとしてる」
「じゃあ、なに? 父親?」
彼はうなずいた。
「父親は俺が二歳の時に死んだって話だった。けど死んだわりには墓参りも行かないし、写真を飾ることもしないし、謎な部分は多かった。母親は父親の悪口なんか言わなかったし、俺の前で弱音を吐くこともなかったから、恨みはしてなかったけどな。それでも母親に訊けるわけがない。けど正直、なんで自分には父親がいないんだって思ったこと、何度もあったよ。父親ひとりの収入があるだけで、家の金銭事情はかなり変わったはずなのにって」
うちとは、少し違う。彼のお母さんは、ずっと彼を守ってきた。自立して、ひとりで彼を育てた。
ディックが続ける。「けどまあ、いないもんをどうこう言ってもしかたないし、母親が恨んでないなら、なにも覚えてない俺が恨むのもおかしいって話で。もう真実なんてどうでもいいとか思って、気にもしなかった。──けど」
私は先を促した。「けど?」
「二年前の十月、知らない男が母親のところを訪ねてきた。俺は呼び出されて、そいつに会った。そいつは父親の弁護士だって名乗った。死んでると思ってた父親は実は生きてて、俺が二歳の時、俺と母親を捨てて家を出たそうだ」
──家族を、捨てて。
「さすがに話についていけなかった。けどその弁護士の話じゃその父親、都会のほうで、わりとでかい会社起こして成功してたらしくて。けどその年の七月に死んだらしいんだ。で、他の女と結婚してたわけでもないし、会社は部下に譲った──託したけど、手元に残った遺産を俺に遺したいって話だった。遺言に従って、弁護士は父親が死んだあと、俺の母親を捜しだして、俺を見つけた。謝罪の言葉で溢れ返った直筆の手紙と、遺産の話を持ってきた」
死んだと思ってた父親が実は生きていて、なのに生きていたとわかったら、死んでいた。
「──それで、遺産を受け取ったの?」
「すぐにじゃない。さすがに悩んだ。恨みがどんどん出てきそうになったし、とりあえずその日、弁護士には帰ってもらった。何日もかけて母親と話し合ったよ。昔のことも聞いた。嘘をついたのは、離婚となったら周りの眼が変わるし、俺が傷つくからだって。父親は確かに自分たちを捨てて家を出たけど、それは自分の理解が足りなかったせいだとも言ってた。だから恨みはしてないし、なにより俺に父親を恨ませたくなかったって。離婚してから何年かは毎月金が送られてきてたけど、それも送り返してたらしい。死んだ人間から金をもらうわけにはいかないとかなんとかで。強情だからな」
強情さは遺伝だと言っているように聞こえる。
彼はさらに続けた。「現実を受け入れるまで時間はかかったし、約一年は悩んだよ。昔のことや母親のことを考えれば、やっぱり逆恨みしそうにもなった。それに遺産なんかもらったところで、なにするんだって話になる。苦しかった学生時代はもう終わった。音楽もやめた。裕福とまではいかないものの、母親に仕送りしても普通に生活できてる。そんな大金もらったところで、母親にラクさせる以外に使い道がない。けど母親はもらえっていう。こっちのことは気にしなくていいから、音楽をまたはじめればいいって。昔持ってた夢を叶えろって」
そこで言葉を切り、ディックは苦笑った。
「変な話だろ。死んでたと思ったのが実は生きてて、けどそれを知った時にはほんとに死んでた。約二十五年目にして、嘘が真実になった。けっきょく俺は遺産を受け取って、夢を現実にすることにした」
彼の学生時代のことを考えれば、こう思うのは不謹慎かもしれない。だが結果的には──。
「いい話」
彼が似ていると言ったのは、その“結果”のまえの部分だ。誰を、なにを恨めばいいかよくわからない、苦しかった学生時代。自立を決意せざるを得なかった環境。
「結果的にはな」と、ディック。「お前の“結果”がどうなるかはわからんし、今あるもんが“結果”だとも限らん。高校出てさっさと自立したいって気持ちはわかるから、それを邪魔するつもりはない。バイトして金を貯めるって意味なら、正直うちは不向きだ。けどな、俺の店で音楽をつくるようになったら、CDを買わずに音楽に関われる。他に影響されず、自分たちの音をつくるためにだ。お前がやってる、やたらCDを買い漁るってのは、わりと抑えられる」
無理やりにも思えるが、納得もできる。ときどきやってしまう、やたらとお金を使うことをやめれば、高校に入ってからの毎月振り込まれるお金が今と変わらないとしても、自立へのお金を貯めるにはじゅうぶんな気がする。今年は前半、それほどお金を使わなかったおかげで、今もそれなりに貯まっているし。
こちらが言葉を返す前に彼は提案をした。「なんなら、ひとつ条件をつけてやる」
「なに?」
ディックの口元が悪戯にゆるむ。「お前が高校に受からないなら、俺の店には一切出入り禁止だ。今学期の期末テストで合格圏内に入らないならクリスマスの約束はなしだし、店も見せてやらん」
思わず唖然とした。「なにその卑怯な条件」
彼が笑う。
「とりあえず高校は受かれよ。ミュニシパルに合格して、四月には一緒にブラック・スターをオープンさせる。他の歌い手のこともあるから表立って幹部扱いするのは無理だろうけど、それと同じくらいの立場で扱ってやってもいい。そうだな、お前がいいなら一月、他の幹部たちに会わせてやる。受験勉強をちゃんとやるって約束するなら、ベースやドラムを入れて、生演奏でうたわせてやってもいい。試験は二月だろうからそれに集中するとして、それが終わったら、三月には歌い手たちとの顔合わせか」
忙しい。どんどん予定が詰め込まれていく感じだ。
今の段階では、これが“結果”ではないことは、私もわかっている。現状が変化しての“結果”が存在するのか、それを知る日が来るのかはわからないし、目立つのはやはりイヤな気もするけれど、それよりも今は、やりたい気持ちのほうが強い。
「わかった」私は答えた。「ぜんぶひっくるめて、やる」
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気づけば夕方になっていて、そろそろ帰ろうかという頃。送ってくれるというディックにウェスト・アーケードにある店に行くと話すと、なんの店かを訊かれ、カーヴ・ザ・ソウルの店長カレルヴォとディックが友達なことが判明した。カレルヴォは高校と大学の同級生であり、ディックが学生時代にライブをしていたライブハウスの常連客だったのだという。
けっきょく、ディックと一緒にカーヴ・ザ・ソウルに行った。
カレルヴォは当然のように驚いていた。彼もブラック・スターのことは知っていて、でも楽器ができるわけじゃないし、夜の七時までは自分の店があるから幹部としての参加も無理。年齢的に客としても無理なので最初だけ、友達として祝いにくるという。彼にもソフトクッキーを少し分けた。それで今日の一缶は終了だ。
「で、お前は南京錠も薬指の指輪も、けっきょくはずさずにここまできてるわけだ」カウンターに曲げた両腕を乗せ、カレルヴォが言った。「そのうちはずすと思ってたんだけどな」
南京錠の鍵を捨てたなどと言えば、ものすごくヒかれそうだ。
「気に入ってるの。なんならまだ増やすわよ? 今度はブレスレットとか」
「やめとけよ。よけい惨めになるだけだろ」
私、惨めなのですか?
カウンターに左腕を置いているディックが口をはさむ。「なんだお前。新しい男ができたのかと思ったけど、違うのか」
彼は、私が今年の一月に男と──アゼルと別れたということだけは知っている。そのことをサイラスに話した時に、彼にはじめて会ったからだ。
カレルヴォが応じる。「そんな軽いもんじゃないらしくてな。まさに天国から地獄って感じだ。男のダチを何人も連れてくることはあったけど、どうやらそれは恋愛とは関係ないらしい」
笑える。「もういいじゃない。お願いだから黙って。私は買い物に来たんだから」
クリスマスパーティーでの、実行組主催のジャンケン大会とクラスでのビンゴゲームの景品用に、ゴールドとシルバーのシンプルなクロス型ペアストラップを一組と、シンプルなレザーブレスレットをふたつ買った。色はオレンジとブラウン。なんとなくだ。
クリスマスらしさなどまったくないし、オリジナルの刻印もしなかったものの、カレルヴォはプレゼント用に包装してくれ、映画館の割引券も四枚くれた。
これでセンター街に来た目的は達成した。割引券は、合わせて四枚入手できればいいほうだと思っていたのに。
帰りはディックが車で送ってくれた。彼はソイル・ミニストリーという、ウェスト・キャッスルの西、シフティース・リバーを渡った先にある町の出身らしい。今もそこに住んでいるけれど、現在部屋を探している最中で、二月か三月にはセンター街の近くに引っ越すつもりだという。センター街のオフィス街に建つマンションという手もあるけれど、広さと防音設備を求めるとさすがに家賃が高く、もったいない気がするらしい。お金を持っても貧乏性は抜けないのだとか。




