○ Not Back
高速車道に戻るとすぐに右側に、反対車線──上り線用のサービスエリアが現れた。こちら側よりも少し高台になっていて、さっきと同じ、筒状になった建物のようなものも確認できる。けれどどうやら、建物とは言わないらしい。筒状に見えるよう、おそらくなにかでメッシュ調に作っただけの、ただの目印看板だ。だってそのメッシュ調のパネル、前面にしかない。裏側はただの鉄骨の骨組みだ。
そして左側、久しぶりに町の夜景が見えた。かと思えば植え込みがそれを邪魔し、コンクリート壁がそれを遮って、再びたいしたことのない、微量の夜景が姿を現した。一瞬だけだった。すぐに木々で見えなくなってしまう。まあ、こんな田舎の夜景など見ても、どうってことはないだろう。
道が再び片側一車線になり、右の山には一般道──というか山道が、ガードレールつきで顔を出した。周りはおそろしく山だ。時々“動物注意”という看板が立っているけれど、本当に、どんな動物でもいそうだ。どんなって、さすがにトラやワニはいないだろうが。ハヌルを放し飼いして、“ゴリラに注意”という看板を設置するのはどうだろう。
「そろそろこの山終わる」マルコが言った。「ウェスト・キャッスル以上の田舎だぞ」
両側の山を追い越し、左右に町の景色が広がった。右奥にはまだ山があるけれど、そこまでは少し距離がある。この高速道路を基準に考えればどちらにも、ぽつぽつと家の明かりが見える程度だ。もちろんそれなりに密集してる明かりもあるけれど、少なくともこのあたりは、どちらかというと田畑のほうが多い。
「牧場みたい」私はつぶやいた。「なにこの、“ザ・田舎”、みたいなの」
「こんなところ、絶対住めねえよな。ジジババしかいねえ気がする」
「可愛い娘がいたら取り合いになる。二ブロックおきにキョウダイができる」
彼は笑った。「最悪すぎ」
また木々で町の風景が見えなくなって、見えたかと思えば、また町が少し遠くなった。さっきは道路そのものが低い位置だったのか、とても近くに見えていたのに。右側はまた山になった。高速道路とは関係ないだろう円形の建物が左手に現れる。なにかと訊いたけれど、知らないと言われた。なんなのだろう。
そしてまた山間に入る。マルコは「レセス・リップル・シティに入った」と言った。看板があったのだ。けれどそんなことを言われても、どこなのかさっぱりわからない。山が終わったと思ったらまた山になる。田舎というのは恐ろしい。ウェスト・キャッスルの“田舎度”なんて、本当に可愛いものなのかもしれない。
車道はまた二車線に変わる。サービスエリアを出てから、おそらく五分ほどだろう。道路はまた三車線になろうとしていて、左側に“ソイル・アシーヴ”と書かれた看板があり、マルコはその左の道に入った。
右と左、どちらがいいかと訊かれ、よく考えずに「右」と答えた。料金を払い、一般道におりる。ソイル・アシーヴという町に着いた。車は右折した。
完全に知らない町だった。少し走ると左側に公園らしきもが見え、中に不気味そうな銅像が建っているのが見えた。そして田舎のわりには広い交差点が現れる。けれど広さのわりには、恐ろしいほど車がいない。いいのかこれで。
と、マルコは交差点の左向かいにあるなにかの施設らしきところに車を入れた。どうやらレストランやみやげ物屋が数軒並んでいる、旅客向けの施設らしい。パーキングも広く、ここはやはり夕食時だからか、車は多い。
私たちは、そこで夕食を食べた。
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私がお金を払っての夕食を終えると、またも車に乗った。ケーキはなかった。
次はどちらだと訊かれたけれど、もう方向感覚がわからない。自分がどこにいるのかもよくわかっていない。そう答えると、マルコはとりあえず車を出した。
このあたりの家、造りが変だ。家の前には普通芝生だろうというところに、なぜか田畑を作っている。大なり小なりと、大きさは様々だ。
土手をおり、川沿いにあるグラウンドをまわりこんで川の見える脇道に車を停めた。フィールド・リバーだ。ベネフィット・アイランド・シティのフィールド・リバー沿いにはよくこんなグラウンドがあるけれど、それはこんなところに来ても同じらしい。規模は小さい気がするが。
「疲れた」窓を少し開けてエンジンを切り、マルコはシートに背をあずけた。「帰んのめんどくせ」
こちらはサンダルを脱ぎ、シートに脚を立てる。
「でも高速ってすごい。寄り道してなきゃたぶん、ローア・ゲートに行くまでの時間と変わらないよね」
「変わんねえな。っつーかたぶん、下道でも変わんねえかも」
「はい?」
目を閉じたまま彼が答える。「信号と速度のこと考えりゃ多少の違いはあるんだろうけど、変わっても十分かそこらな気がする」
「ちょっと待って。それだけのために高速料金払ったの?」
「五百フラムだし」
「なにその微妙な感じ」
「いや、高速乗ったらお前、どんな顔すんだろと思って」
「なんだその嫌がらせ」
「思ったより焦ってた」
焦った。確かに焦った。このソイル・アシーヴのインターチェンジで車が降りて、私はおそらく、心の底からほっとしたと思う。
マルコの右腕にもたれ、目を閉じた。
「あと一時間半」
「なにが」
「アゼルまで」
「行くか?」
「行かない」
「ならそのカウントはなんだ」
「特に意味はない」高速に乗ってあと一時間半の距離に、アゼルがいる。「“おやすみ”って言う?」
「あ?」
「誰かと夜、電話するじゃん。“おやすみ”って言う?」
彼は悩むようにうなってから答えを出した。
「いや、言わねえ気がする」
「言える?」
「言えねえ奴なんていねえだろ」
「じゃあ言って」
「“おやすみ”」
「つまんない」
「はあ?」
「ちょっと待って」と言って身体を起こすと、私はシートを倒して後部座席に移った。バッグから携帯電話を取り出し、まずはブル──はいないので、カルロに電話した。
「はいよ」と、カルロ。
「“おやすみ”って言って」
「は?」
「いいから、“おやすみ”って言って」
「──“おやすみ”?」
「ありがと。じゃね」
返事を待たずに電話を切る。シートを少し倒したマルコは肘を立てて寝転ぶようにし、呆れた顔をこちらに向けていた。
「なんだその電話」
「気にしないで」と答える。
次にダヴィデに電話をかけ、同じようなやりとりで“おやすみ”を言えるかの確認を入れた。マルコは笑っていた。気にせずゲルトに、続いてイヴァンにも電話する。彼らは全員、わけがわからないなりにも“おやすみ”を言った。
ここまでは予想どおりだ。次はケイ。
「ケイは言うと思う?」マルコに訊いた。
「普段はあんま言わねえけど、言えって言われたら言うだろ」
「じゃあいいか」
セテにも同じように電話してみると、彼もやはり言った。予想どおり。次は──トルベン。彼は微妙だ。言わない気がする。一応電話した。
第一声は相変わらず不機嫌だった。「なに」
「“おやすみ”って言って」と、私。
「は?」
「いいから、“おやすみ”って言え」
「はあ? やだよ。なんの電話だよ」
やはり言わないのか。「たとえばアニタと電話してても、“おやすみ”って言わない?」
「は? 知るか。だからなんの電話だよ」
「わかった。もういい。じゃーね」
やっぱり返事を待たずに電話を切った。
マルコが訊ねる。「言わなかったか」
「言わなかった。なんでだろ」
「どんな奴?」
「私のことが大キライな奴」
「不良?」
首を横に振って否定した。
「頭はいいし、フェンシングやってた。酒も煙草もやらないって。ただ私に対してだけ性格が悪いというか」
「ふーん。キライだから言わねえのかもだけど、実は嫌ってんじゃなくて、お前に惚れてるから言えねえのかもな。照れ隠し」
笑えるが。「それはないな。やっぱ性格なのかも」
そう答え、ヤーゴに電話をかけた。同じ質問をすると、なぜか疑問系ではあったが、彼も“おやすみ”を言った。
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同期数人への電話は終了した。言わなかったのはトルベンのみ。アドニスとナイルにも電話してみようか。ゼインは間違いなく言うタイプだ。ルキアノスはいつも言うから訊くまでもない。ということで、ナイルに電話する。
「はいはい」と、ナイル。
「“おやすみ”って言ってください」
「は?」
「“おやすみ”って言って」
「“おやすみ”」
思わず感動した。どうやら性格の悪さは関係ない。
「ありがと。“おやすみ”」
「え、なにこの電話」
「なんでもない、気にしないで。じゃね」
「あ、ちょっと待て」彼が引き止めた。
「なに?」
「来週、修学旅行に行ってくる。みやげ、なんかいる?」
そういえば以前、そんな話をゼインから聞いた。「いいよ。私も去年、なにもあげてないし。じゃあ逆に訊き返す。ソイル・アシーヴのおみやげ、なんかいる?」
「は? ソイル・アシーヴ? レセス・リップル・シティの?」
わかることに尊敬だ。「そう。今ドライブしてんの。あ、でも、ゼインには言ってもいいけど、サビナには言わないで。ちょっとややこしいことになるし、詮索されたくないから」
「ふーん? けどな、いくら市外って言っても、ベネフィット・アランドだし。どっちでも。んじゃこっちはアドニスたちと待ち合わせて、なんかお菓子買ってこうか。アドニスはさ、お前はどうせみやげなんかいらないって言うって言ってたんだけど」
“おみやげ”というものなら、べつに欲しいとは思わない。“お菓子”というものに対してなら喜ぶが。
「うん、特に。やっぱり待ち合わせできるほど、予定かぶってるの?」
彼らの修学旅行の行き先、同じなのだという。日程もかぶっていて、二日目はまったく同じ場所に、同じくらいの時間帯に行くらしいと以前、ゼインから聞いた。
「うん」とナイルが答える。「どっちも予定どおりなら、二日目は場所も時間も、完全にかぶってる。だからそこで買う」
「そっか、わかった。ひとつでいいよ。私もなんか見つけたら買って帰る」祖母には見つからないよう、適当にごまかすことにしよう。「賞味期限を考えたら限られると思うけど」
「だな。変な味のはやめろよ。激辛はいいけど」
それを喜ぶのはあなただけですよ。「わかってる。じゃね」
「ん」
電話を切ってもまだ携帯電話を操作する私に呆れ顔のマルコが言う。
「まだ電話する気か」
「あと一回だけ」そう言うと、アドニスに電話をかけた。これもおそらく、言えと言われれば言うと思う。
アドニスが電話に出る。「はいよ」
「“おやすみ”って言って」
「は?」
「“おやすみ”って」
「“おやすみ”? なんだ、もう寝んのか」
「違います」疑問系にするなよ。まあいいか。「ありがと。じゃーね」
「え、なにこの電話」
「気にしないで。修学旅行、気をつけて行ってらっしゃい」
「あ? ああ。行ってくるけど、なに」
「みやげの話はナイルとしてね。じゃーね、切る」
電話を切った。
マルコは笑っている。「けっきょく言わなかったのはひとりか。で、なんだこの質問」
携帯電話をサイレントモードにしてバッグに戻した。
「アゼルがね、絶対言わなかったのよ」
「あ?」
「“おやすみ”って、絶対言わないの。いくらこっちがおやすみって言っても、あいつは絶対言わなかった。言ってって言ったんだけど、不気味だとか、俺の辞書にそんな言葉はねえとかほざいてた」
「ああ。強制はしてねえの?」
「そこまでは、してないかな」
“おやすみって言ったら寝る”
“は?”
“聞いたことないんだよね、あんたがおやすみって言うの”
“──いや、言わねえよな。なんか不気味だわ”
“普通の言葉ですけど”
“違う。絶対違う。俺の辞書にそんな言葉はねえ”
“アホなの?”
“うっさいわ。さっさと寝てさっさと起きて、さっさと戻ってこい”
修学旅行中、夜中に電話した時のやりとりを思い出し、私は苦笑った。
「一回くらい言わせてやればよかった」
“さっさと戻ってこい”
そう言ったから、私は戻った。なのにあんたは、まだ戻ってこない。




