○ Expressway
ふたつめのコンビニを出てから数分、車はひたすら道なりに、一号線を北へと向かっていた。フィールド・リバーに架かる橋を渡り、なおも進む。
中学生の行動範囲というのはたかが知れていて、小学校の時に自分たちの住むプレフェクチュールの、どのあたりにどんな町があるかというのはある程度習うものの、細かいことはあまり知らない。
南に行けばリトル・パイン・アイランド・シティがあり、北にはローア・ゲート・シティがある。ベネフィット・アイランド・シティの端、東の方向には──去年のクリスマス、アゼルと一緒に行った──リバー・アモング・ビーチがあり、同じくベネフィット・アイランド・シティの南端、リトル・パイン・アイランド・シティの手前には、運転免許センターよりもさらに奥に進んだ場所に、遊泳禁止のデイ・ピーク海岸がある。そんなことはおそらく、基本中の基本。
けれどあとは、自らすすんで地図で調べ覚えるのでなければ、自分たちのある程度の行動範囲──たとえばバスの停留所で地名を覚えられる、ウェスト・キャッスルからセンター街までの道のりにある町の名前と、ウェスト・キャッスル周辺の町の名前くらいしかわからない。
祖母の車に乗るとしても、やはりセンター街までの道のりか、ウェスト・キャッスル周辺の町にしか行かないので、知らない町のほうが圧倒的に多い。普通の家庭のように親戚などというものが存在すれば、もう少し知らない土地に出向く機会もあるのかもしれないが、私にはそれもない。
なのでマルコとのドライブは、実はかなり新鮮だったりする。特別なものなんて特にないけれど、見慣れない景色がたくさんで、訊けば彼は町の名前を教えてくれる。まあ、訊いてもすぐに忘れることのほうが多いが。
最初のドライブのあとの、ケイの適当すぎる右折左折指示に従うドライブもおもしろかった。住宅街や田舎道に入って、マルコも知らない道に迷い込む。田舎だからか、突然牛小屋のニオイがしてきて、慌てて窓を閉めたものの、ニオイが車につくわとマルコに怒られたり。
誰にも言ってはいないけれど、自分でもすぐにその考えを否定したけれど、アゼルとそんなふうにドライブしたら、どんなことになるのだろうと思った。どちらもキレイな景色や夜景に感動したりするタイプではないことだけは、わかるけれど。
インディ・タウンという、けっこうな広さの田舎町に入るとそのうち、高速道路標識が目に入った。しかもふたつ、左に曲がるか右ななめ前方かという、よくわからない標識だ。先ほどマルコが言っていた“インディ・タウンから”という意味がよくわからないのだが、その看板のひとつには、その町の名前と左折矢印が書かれている。
そしてすぐ、大きく三つ又になった交差点に差し掛かり、マルコは車を左折させた。
私は唖然とした。
すぐ前方に、高速道路の料金所らしきものが見える。片側二車線の計四車線で、料金所らしきゲートもぜんぶでよっつ。左端のひとつはETC用。よくわからないが、これがあれば料金が少し安くなるとか混雑を避けられるとか、そういった類のマジカルゲートだ。彼は右の一般車レーンに入った。
「ちょっと!」私は彼に向かって叫んだ。「どこ行く気よ!?」
「だから気にすんなって」と、マルコ。
気にするな? ちょっと待て。“インディ・タウンから高速乗っても”、と彼は言った。ここはインディ・タウンで、インディ・タウンIC。ICとはなんだったか。“インター・チェンジ”だったか。意味がわからない。おそらく料金所という意味。おそらく違う。それはどうでもいい。
さっきの看板。“インディ・タウン、左折矢印”。どこに行くかは書いていなかった。ちょっと待て。ちょっと待って。右の看板はなんだっけ? 確か──“プランク・プレイン、右ななめ前方矢印”。意味がわからない。
マルコは窓を開けて機械が吐き出した券を取り、それを財布に入れた。再び車が走り出す。
唖然としながらも、私はどうにか口を開いた。「まさかとは思うけど、アマウント・ウィズダムに行くとか言わないよね」
「さあな」
誰かこのアホを止めてください。
料金所を通り過ぎると、大きく左回りに道路を登り、完全に高速道路に乗った。もう引き返せない。あたりまえだ。引き返せるわけがない。高速道路でUターンするなどという話は聞いたことがない。なぜ片側一車線なのだとか、そんなことはどうでもいい。低いコンクリートの向こう下に、インディ・タウンの、田畑を交えた田舎景色が広がるが、そんなこともどうでもいい。
必要な部分で頭が回転しない。なにが起きている? なぜ高速? どこに行くのよ、この道は。
もうすっかり日が暮れていてよく見えないのだけれど、左手前方に、また湖のような、池のような場所が見えた。左側は土手になっている。
私はまったく意味のない、かなりどうでもいい質問をした。「これは池?」
「アホ。オールド・フィールド・リバーだ」と、マルコが答える。「曲がってるから死角になってて先が見えないだけ」
納得した。そう言われてみると、右にはこの高速道路と同じくらいの高さの道がある。あれが一般道の橋ということだ。車はすぐその場所を通り過ぎた。金曜とはいえ平日なのに、夕食前なのに、反対車線を走る車ともすれ違う。なにをしているのだろう。
“プランク・プレイン”という町に入ったらしく、町の名前を書いた小さな看板が見えた。だがそれも一瞬で追い越した。さきほど料金所に入る前に見た看板はなんだったのだろう。というか、ここはどこだ。
と思ったら今度は右側に建つ、“休憩しませんか、アッパー・プランクSAまで六キロメートル”、などと書かれた看板が目に入った。SAというのは、確かサービスエリアのことだ。どこだよそれ? なんとなく聞き覚えがあるものの、もう山のイメージしかない。
いや、ちょっと待て。これはおそらく、北に向かっている。つまりほら、隣のプレフェクチュールの、インセンス・リバーに向かうほうだ。
地図を使って──って、使う地図などないけれど、簡単に言えば、フォース・カントリーには名前のとおり、よっつのプレフェクチュールが存在している。右上がインセンス・リバー、右下がここ、ベネフィット・アイランド。左上がアフェクション・ハイムで、左下がアマウント・ウィズダム。
普通アマウント・ウィズダムに向かうとしたら、南からではないのか。ということは、今向かっているのはインセンス・リバーということになるのでは?
「インセンス・リバーにでも行くつもり?」
私は悟られないよう希望を込めて訊いた。だがこれで肯定されれば一安心、ということでもない。なんの予告もなくインセンス・リバーに行って、なにをするのだという話だ。
「お前は本気で残念な奴だな」平然と車を飛ばすマルコは視線も合わさずに言った。「インセンス・リバーはベネフィット・アイランドの北だ。俺らは西に向かってんの」
絶句した。根本的なところで間違っていた。方向感覚がおかしいらしい。あれだ、料金所から少し走ったところにあった、ぐるっと反時計回りになったところ。あそこでおかしくなったのだ、きっと。いや、知らないけれど。
西に向かっているということはつまり、地図で言えば左に向かっているということで、アマウント・ウィズダムに向かっているということになるのか?
マルコは続けた。「ついでに教えといてやる。インセンス・リバーとアマウント・ウィズダムだって、高速で繋がってる。仮にインセンス・リバーに行ったとしても、アマウント・ウィズダムに行けねえわけじゃねえんだよ。確かアフェクション・ハイムにあるなんとかってジャンクションが、フォース・カントリーにあるよっつの高速道路の分岐点になってるからな。そこに行きゃ、この地方のどのプレフェクチュールにだって行ける」
私はさらに絶句した。行けてしまう。“ナントカジャンクション”に行けば、どこにだって行けてしまう。なんて迷惑な場所なのだ。なんのつもりだよジャンクション。なんて恐ろしいのだ“ナントカジャンクション”。
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車は高速道路をひたすら走っていく。
いやよ、行きたくない。そんなつもりで出てきたのではないのに。
ときどき左側に、地名とそこまでの距離を示しているらしい看板が建っているが、見えない。目印のための看板なはずなのに、ライトアップすらされていない。夜間に高速道路を通るトラック運転手のことも考えるべきだ。わけもわからず高速道路に乗せられた中学生のことも考えるべきだ。
「行きたくねえの?」ふいにマルコが訊いた。「アマウント・ウィズダム」
とても言い訳がましく言葉を返す。「行くなんて話じゃなかったじゃん。いきなり行くような距離じゃないじゃん」
「まえはいきなり行きたいとか言ったじゃねえか。今日は金曜で明日は俺もお前も休み。余裕で行ける」
「あれとは話が違う。今はそんな気分じゃない」
「ならどんな気分の時に行きてえんだよ。ムカつきたい時か」
それも少し違うような。確かに以前はそういう時に行きたいと言ったけれど、あの時は抜け殻状態だったからだ。だって、今は違う。おそらく違う。今はわかる。アゼルがいる施設など見に行ったら、なにをするかわからない。乗り込むかもしれない。そうはしなくても、叫ぶかもしれない。わからない。けれど今は行くべきではないということだけは、わかる。
私が答えずにいると、マルコは溜め息をついた。
「行きたいっつーなら行ってやるけど、無理やり連れてく気はねえよ。高速には乗ったけど、ベネフィット・アイランドを出るつもりってわけじゃねえし」
つまり、他のプレフェクチュールに行くつもりはないということ。
「──なら、いいけど」
一気に身体の力が抜けた。そこで気づいたけれど、どうやら怖かったらしい。
高速道路恐怖症になりそうだ。もっと行き先を書けと、高速道路管理団体に抗議してやろうか。そんな団体があるのかは知らないけれど。
私はやはり、矛盾している。気まぐれな性格のせいなのか。よくわからない。けれど今日は行くべきではないと思う。なぜ? なにをするかわからないから? それもある。でも“どうなるかわからない”というのが正しいかもしれない。
クリスマスが近づいている。一月が近づいている。そのうえアゼルに近づいてしまえば、私は、どうなるかわからない。
首につけている南京錠が重くなる。最近は、鎖と南京錠が、とても冷たく感じる。そんな覚えはないのにチェーンが短くなった気がして、アゼルに首を絞められた時のことを思い出す。私を無関心だと怒ったアゼルの手はきっと、本気で私を殺す気だった。
あの時殺してくれていれば、こんな目に合わずに済んだのに。こんなふうに、わけのわからない感情に押しつぶされそうにならずに済んだのに。
あの時やりなおしたのがそもそもの間違いだったのかもしれない。どうしてやりなおしたのだろう。好きだったから。どこにも行ってほしくなかったから。そばにいない時にまた施設に入られるよりも、そばで繋ぎとめておくほうがよかったから。
そばにいれば、施設に入るようなことにはならないと思っていた。だから“約束して”と言った。アゼルは“約束する”と言った。私は信じた。なのに、意味がなかった。一緒にいたのに消えた。わざわざ寝ている私を置いて出ていった。
結果的にアゼルが終わらせたことになってるけれど、あいつがどういうつもりだったのかは、今になってもわからない。少なくとも私に対しては、私がどう思うかを除けばだが、すべてをうやむやにしたままでアゼルは消えた。
喧嘩して捕まったということは、イコールで私たちの関係が終わったということなのだけれど、あいつ自身が終わるのをわかってて行ったのか、終わらせたくて行ったのか、終わらせたくないのに行ったのか、それがさっぱりわからない。
もちろん、わかったところで、なにも変わりはしない。だって、喧嘩しに行ったことそのものが間違いだから。
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沈黙を破り、マルコが訊ねる。
「なんか食いたいもんあるか?」
「ケーキ」と答えた。「イチゴの乗ったチョコレートケーキ」
「飯の話をしてんだよ」
わかっている。だけどなんだか、今はそれを食べなければいけないような気がする。
「じゃあそれがあるところ」
「なんだそれ。ファミレスとか? ここまで来て?」
「どうでもいい。任せる」ケーキは最悪、コンビニでもハシゴしてもらおうか。
「あっそ」と、彼。「右見てみ、右」
これから本格的に山の中に入ろうかというところでそう言われ、窓の外へと視線をうつした。反対車線の向こうの低いコンクリート壁には、やはり低いフェンスが取りつけられている。そのフェンスの向こうに白っぽい建物がふたつあった。手前のほうが小さい。少し距離をおいてか、左にはブラウンらしき建物。みっつとも、山のふもとに位置していると思われる。
「病院?」
「いや。ベネフィット・アイランド工業短期大学」
「こんなところに大学なんてあるんだ。大学って、てっきり市内かその周辺にあるもんだと思ってた」
「な。しかも工業で短大っつったら、手に職が欲しい男にとってはわりといいもんぽいのに。こんなところに建つからには寮もあるんだろうけど、市内からわざわざこんなとこまで通う気になんてなんねえ気がする」
まったくだ。「あの茶色いのが寮かな」
「いや、あれも普通の校舎? みたいなのだった気がする。こんなとこにあんのに、なぜか貴重な大学らしいんだわ。確かフォース・カントリー地方唯一の理工系短大で、自動車整備士を養成するってとこも唯一。ベネフィット・アイランドの奴だけじゃなくて、フォース・カントリー地方の他のプレフェクチュールからこの大学に来るって奴もいるらしいし」
「へー。あ、だからこんな位置なのかな。無駄に市内にしたら、アフェクション・ハイムの左端に住むヒトにとっては、かなり遠くなるし。高速代がバカ高になるし」
マルコは笑って、「かもな」と言った。いつのまにかずいぶん進んだ気がするのだが、いまだに高速道路を爆進するこの車は山の合間へと入っていく。「サービスエリアに寄ってみるか」
「行く」
山間に入ると道が片側二車線に変わり、たて続けに四台の車とすれ違った。なにを思って高速なんかに乗るのだろう。まさか普通の道がないとか? そんなはずはない。
それにしても、高速道路というのはすごい。おそらくウェスト・キャッスルからでも、コンビニやガソリンスタンドに寄ったりしなければ、三十分もかからずにここまで来られる。二十分ほどで着く気がする。下道で行けばどのくらい遠いのかなどというのは予想できないけれど、高速道路を使うだけで、ローア・ゲートに行くよりも早いスピードでこんなところまでトリップできる。運転手からすれば、トリップというほど単純なものではないのだろうが。
サービスエリアは道の左側にあった。当然だ。平屋になった建物がずらっと横長に並び、その前の灰色と淡いブルーのタイルが敷き詰められた部分のところどころにある植え込みは、妙にきっちりと剪定されている。並んだ建物の中央あたりには屋根つきのテーブルベンチコーナーが設置されていた。
しかも、無駄に広い駐車場にはそれなりの数の車が停まっているし、それなりにヒトもいる。向かって右端に筒状になった建物があることにも気づいた。工場か。背後は山だ。この時期の昼間ならおそらく、紅葉がキレイに見えるだろう。
需要があるのかはわからないが、公園があるようだ。しかもドッグランまで。なぜそんなものを作ったのだろう。使う人間はいるのか。
こういう場所は不思議だ。地元で作った野菜を、いろいろなうたい文句をつけて売る。みやげと一緒に野菜を売るって、どんな状況だ。しかもその地元野菜を駆使して作ったらしい不気味な食べ物まで置いてある。なんだかもう本当に、いろんな意味で痛い。
レストルームに行ってから店をいくつか見てみた。みやげを買うのは変だろう。なにをしに行ったのだという話になるし、誰と行ったのだという話になる。
祖母なら簡単に、マルコと一緒だったのだろうと想像できるだろうし、アニタだって、よけいに検討はずれな詮索をしてくるかもしれない。家に持ち帰ることそのものが微妙だ。祖母に見つかれば、なんと言えばいいのだろう。ちなみにレストランは閉まっていた。午後十五時で閉店らしい。バカなんじゃないかな。
公園に行くかとマルコに訊かれたがお断りして、クレープを買って食べてから、再び車に乗り込んだ。




