* Advice
翌日、私はやはり遅刻した。昨日ルキアノスの奢りで焼肉を食べに行ったあと、アドニスがビールを欲しがったため、ルキの家で少し飲んだのだ。祖母の家に帰ったのは十時すぎだった。家でさらにビールを飲むなどということはしなかったものの、買ったアルバムを訊いていたから、眠るのが遅くなった。
ちなみに、先月アニタとつきあいはじめてから、彼女ができたからといってカーリナとメールすることを控えていたアドニスに、またカーリナとメールを再開するのかと訊いてみた。面倒だからもういいという答えが返ってきた。完全にとは言わないが、少なくとも直接的には、アドニスとルキアノス、エデとカーリナの接点はなくなった。
四時限目の途中に堂々と教室に入ると、教師に呆れた目で見られた。無視した。
ランチが終わって昼休憩の時間になると、カルメーラとダヴィデとトルベンの四人で一緒に、チョコ菓子を食べはじめた。私が持ってきたものだ。
ふと、私はダヴィデに向かって切りだした。「そーいや三年になったら塾行かされるとか言ってたの、どーなったの?」
「あー、あれ? どうにか逃げた。でも一学期の学期末の結果次第じゃ、夏休みは夏期講習みたいなのに行かせるとか」
「うわ、悲惨」トルベンが言った。「バスケやめなきゃよかったんだよ。したら受験でも高校選びでも、部活言い訳にできたのに」
彼は肩をすくませる。「部活より勉強しろってタイプだもん、うちの親」
「どこ行けとか言われてんの? 高校」カルメーラが彼に訊いた。「今週中に進路調査票、出さなきゃいけないじゃん」
進路調査票は今日の朝、三年全員に配られていた。金曜までに提出しなければいけないらしい。そして来週には進路について、担任との二者面談がある。
ダヴィデが答える。「いちばんいいのはイースト・キャッスル高校だって。そうじゃなきゃ、ノース・キャッスルかコマースか、もしくはサウス・キャッスルに行けって言われてる」
「なにそれ。どんくらい?」
「よくわかんないけど、イースト・キャッスルは五教科の合計が三百五十はないと入れないとかなんとか」
彼女はあからさまに同情してみせた。「うわー。気抜けないね」
彼はうんざりそうだ。「テスト前は遊べないわ、絶対」
「よし」と私。「テスト前は毎晩、みんなでメール攻撃してあげる」
「電源落としてやる」
「教科書に落書きしようか」
「マジでやめてくれる? 洒落にならんから」
カルメーラがこちらに訊く。「ベラは? もう決めてんの?」
「ミュニシパル。五教科合計二百五十」
真っ先にトルベンが反応した。「無理だろ」
なんて失礼な男なのだろう。「そうとは限らない。平気。今年は真面目に勉強するから」
ルキアノスによると、ミュニシパルは実は五教科の合計が二百点あれば入学できるという噂がある。
ダヴィデが彼に言う。「ベラ、二年の学年末、ちょっと平均上がったからな。いくつかの教科、カルロはもちろん、セテやゲルトに勝ってたもん」
「マジかよ」
「ナメんな」と、私。
「あたしはどこかな──あ」お菓子を口に運んだカルメーラの視線は、教室の後方戸口へと向いている。「ゲルトとアニタが来た」
くだらないことをぐだぐだと考えていたらしいアニタ。は、カルメーラに向かって控えめに微笑んだ。ゲルトはすぐにトルベンの机の上にあるお菓子を見つけ、食べた。
「なんか用?」私はアニタに訊いた。
彼女は私の傍らで腰窓に、うしろにまわした自分の手をはさんでもたれた。
「なんで昨日、メール返してくれなかったのかなと」
彼女は昨日の夜八時頃、“アドニスから訊いた?”と、メールを送ってきていた。私は無視した。
「三人で焼肉食ったあと、飲んでた。帰ったのが夜十時すぎ。買ったCD聴くのに夢中で、携帯電話のことなんか忘れてました」
「怒ってんの?」
「どうでもいいよ」またひとつ、お菓子を口に放り込んで食べる。「あんたが決めたことに口出しはしません」
アニタに不満そうな表情を向けられ、ゲルトは肩をすくませた。
「怒ってはないっぽい。ほんとにどうでもよさそう。最近はこれが普通のテンションだし、ほんとに怒ってたら文句言うだろ」
本当に私のことがよくわからなくなっているんだな、と思った。だが私は、理解されなくてもかまわない人間だ。相手がアニタであろうと、それは変わらない。理解できるはずもないと思う部分は、やはりある。私自身ですら、自分のこの心理状態も、この状態をどう改善すればいいのかも、よくわからないわけだから。
ダヴィデが彼女に言う。「またなんかしたの? なんか知らんけど、こいつ、ずっとこんなだよ。喋りはするけど、テンションは低い」
「カルメーラがなんでこいつと話してんのか不思議なくらい」と、トルベンはわけのわからない補足をした。
カルメーラが身を乗り出す。「どういう意味!?」
ダヴィデは笑った。「だってお前、どっちかっつーと、アニタくらいうるさい奴だから」
「いつもじゃないし!」
「うるさくなってるぞ」と、ゲルト。
「けどベラの影響力、すごい気がする」ダヴィデが言う。「ベラが静かになったら、周りも静かになった」
「クラス分けのせいじゃないの?」カルメーラが訊いた。
「違う違う。アニタだろ、それからペトラは──まあ、時と場合によるけど。セテとかカルロがうるさくしてても、ベラが乗らないからな。一定以上はいかない」
トルベンの机に腰かけ、ゲルトも同意した。
「それは言えてる。こっちはベラの言動で笑う時もあるけど、上乗せされることがあんまない気がする。つられ笑いがないっていうか」
トルベンも続く。「ヤーゴなんか、なにげにビクついてるからな。春休み、こいつにメールしたり電話したりしても返ってこねぇとかで、わりとキレてた。学校はじまったら文句言うつもりだったのに、常にこんな状態だから、キレられそうとかでけっきょく言ってねえもん」
私はそういう類の連絡を、すべて無視していた。「春休みの携帯電話は、基本サイレントモードだったんだよね。開くのは自分が誰かに用がある時だけ。もしくはリアルタイムな着信に気づいた時だけ。メールとか着信履歴とかは見る気になったら見て、返す気になった時だけ返したり。まる二日くらい電話に触ってなくて、どこにあんのかわかんなくて、あれ? みたいなこと、あったし」
カルメーラがどこにあったのかと訊いた。
「ビーズクッションの下に、電源落ちた状態で。充電するのも面倒で、もういいかと思って、さらに半日放置してたり」
彼女は苦笑った。「普通携帯電話持ってたら、手放せないと思うんだけど」
「手放せないのは酒と煙草と灰皿だった。学校はじまってからは煙草、あんま吸わないようにしてんだけど。ビールはまだやめらんないんだよね」
春休み中、なんとなく煙草に手が伸びてしまうことはあったものの、吸わないようにと意識していれば、それほど吸わずにいられる。イライラすると、やはり吸ってしまうが──。その一方でビールはまだ、睡眠薬と眠気覚まし代わりになっている。
「身体に悪いよ」
ルキアノスにも同じことを言われた。「そのうち禁酒しなきゃダメかも。でも受験勉強なんかしてたら絶対、煙草も酒も手放せないと思う」
「あ、それはわかる。お酒とかじゃなくて、勉強してたら、お菓子止まらなくなる」
「俺は漫画だわ」ダヴィデが言った。「ちょっと休憩のつもりでなんか読み始めて、気づいたら一時間経ってました、みたいな」
ゲルトが笑う。
「あるある。実際勉強した時間よりも、漫画読んだ時間のほうが長いっていう」
「部活やってないとそうなんだよな」トルベンが口をはさんだ。「こっちは学校と部活と遊びで、ほとんど時間潰れる。そのうえ漫画とかゲームとかにハマッちまったら、マジで勉強する時間なくなる」
「それでもヤーゴは家に来る、だろ?」
ゲルトが言うと、彼はうんざりそうに答えた。「そー。こっちの都合なんかおかまいなしだ、あのアホ」
そんな会話に割り込むよう、アニタは突然、私に向かって怒り混じりに切りだした。
「とにかく! 遅くなってもいいから、メールは返して!」怒っているらしい。「気づいたんなら電話も出て!」
キレられても困る。「努力はする」それなりに。
苛立ちに天を仰ぎ、彼女はD組の教室を出ていった。
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金曜の放課後、私は生徒指導室に呼び出しをくらった。
「遅刻が多すぎる」向かいのソファに腕を組んで腰をおろした生徒指導主事のボダルト教諭が無愛想な口調で言った。「学校がはじまって、土日を除いて八日。入学式は頭痛が原因だって連絡を入れて休んだから、厳密には七日。遅刻しなかったのは始業式の日と今週火曜だけ。他はぜんぶ遅刻。どうなってんだ」
なぜ担任ではなく主事が言うのだろうとは思ったが、そのための生徒指導主事なのかもしれない。
「起きられないんです」私は悪びれることなく答えた。「起こされても私が起きようとしないだけなので、祖母が悪いわけではないんですが」
深い溜め息をついた彼は、身体を前に傾け肘を脚で支え、深刻そうな様子で切りだした。
「なあ。ルシファーのことも、モランとクロップ、ランズマンとモナハンのことも知ってる」
これは少々驚いた。アゼルのことも、マスティたちのことも知ってるのか。
主事が続ける。「精神的に参ってるだろうってことは想像がつく。けどお前、今年受験だぞ。進路希望は出してるし、高校に行く気はあるわけだろ? 二年の学年末で成績が多少上がったってのは聞いたが、それだけじゃダメだろ」
忘れようとしている名前をこうも簡単に出してくれると、なんだか笑える。笑わないが。
「なら方法を教えてください」私は冷静に言った。「アゼルのことは、年明けでした。なんかぜんぶどうでもよくなって、周りとうまくやっていけなくなって、何人かを傷つけたりもしました。三学期のうちにどうにかするつもりで、しばらくは一応、どうにかなってたんです。
でも二月の末、ブランカフォルトのことがあって、精神的にわりとダメージ受けました。そういう意味では、謹慎はよかった。学校に戻って、どうにか立ちなおろうとした。なのにやっと春休みに入ったと思ったら、今度はリーズたちです。酒と煙草が手放せなくなりました。春休みは完全に引きこもり。今は煙草を控えてはいますが、酒はやめられません。飲まないと眠れないんです」
主事はいぶかしげな表情をした。
「それを俺に言ったら、最悪、更生施設に入ることになるぞ」
「アゼルに会えるってことですか?」
「あほ」即返しだった。「更生施設に入る原因は、なにも喧嘩や素行不良だけじゃない。精神的なものが原因でそうなってるんなら、精神科に通うよう勧めなきゃならん。カウンセリングを受けさせるために。様子を見て治らないようなら、更生施設に入ることになる。もっとひどいと精神病棟行きだ」
なるほどと納得した。「頭では、わかってるんですよ」ソファに背をあずけて視線を落とす。「アゼルのアホと違って、どうにか理性を働かせてはいるんです。でも、抑えてはいるけど、気を緩めたら、すぐにでも暴れ出しそうな自分が」右手の人差し指で、自分の心臓を示した。「いるんですよね。根はあいつと同じだから。そんな状態を毎日繰り返してるせいか、みんなのことを思い出したくないし考えたくないっていうので、眠るのがイヤになってるんです。で、酒で眠気を誘おうとしてる。朝も、起きなきゃいけないってのはわかってる。でも、起きてもみんながいないって思っちゃうと、ただの言い訳なんでしょうけど、どうしても」
「酒に逃げるってのは、子供はするべきじゃない。喫煙もそうだ。あとおそらくだが、お前は頭のどっかで、酒を飲まないと眠れないって思いこんでる部分、あるはずだぞ。酒に逃げてたうちにいつのまにか、酒を飲むことがあたりまえになってるような部分」
思いこんで、あたりまえに。「ええ、たぶんそうです」
「その考えかたも原因のひとつだ。寝る前、あたりまえに酒を飲むんじゃなくて、先に自力で寝る努力をしろ。毎日。夜の十時か十一時頃ベッドに入って、とにかく寝ることを考える。あいつらがいなくなったことを考えるんじゃなくて、楽しかったことを思い出せ。もしくはまったく別のことを考えるか。二時間努力して、それでも眠れなかったら、酒を少し飲んでまたベッドに入る。一ヶ月でとは言わん、それを二ヶ月か三ヶ月、繰り返してみろ。それでダメなら、こっちも本気でカウンセリング、勧めることを考える」
努力。私の苦手な言葉だ。「わかりました。やってみます」
「あと」彼がつけたす。「朝は絶対起きろ。起きなきゃいけないってわかってんなら、起きられるはずだ。そんで学校に来い。眠すぎて気分が悪くなるようなら、保健室で寝ろ。それを繰り返してれば、イヤでも生活は戻るはずだ。授業中の態度はもちろんだが、出席日数や遅刻回数だって受験に大きく響くんだぞ」
例の、内申というやつ。「はい」
「球技大会は今年も五月末にあるからな」主事は席を立った。「サボるなよ」
こちらもカバンを持ち、重い腰をあげる。
「当日に風邪をひくかもしれないので保証はできません」
「なら今後、お前からの休むって連絡は受けつけんことにする」
私は唖然とした。「そんなの横暴ですよ。連絡入れないと怒るじゃないですか」
「だから、保護者からの連絡なら受ける。嘘つかせてもいいのか?」
ひどすぎる。「わかった。登校はします。一瞬で引っ込んでやる」
「アホ」