○ Reality Without Sense
一週間と少し前、ミッド・オーガスト。
アドニスたちと夏祭りに行ったあと、ルキアノスの家に泊まって、アゼルの夢をみた。
リアルな夢。
あれ以来、私は妙な感覚に憑りつかれている。
気持ちが冷めているのは本当だと、はっきり言える。
だけど心のどこかに、アゼルとの思い出を、彼が居た時間を、彼との愛を、これ以上傷つかないよう、必死に守ってる自分がいる気がする。
ときどき夢にみる、リアルさに欠けた彼との夢を、拒否したがらない自分がいることは知っている。だがそれをみるというのは、ただ白黒の映画をひとり観ているような感覚で、ときどき懐かしくて、ときどき傷ついて、だけど楽しくて、とても愛しかったりする。
そんな様々な感情が、たとえ夢の中とはいえ、自分の中に蘇るのを、楽しんでる部分もあると思う。そういう意味ではもう、アゼルのことで傷つくことを恐れてはいないし、きっと本当の意味では、傷ついたりもしていないのだろう。
彼が消えたと知った時に受けた傷に比べれば、夢の中の、過去の出来事をなぞるような光景など、たいしたことはない。彼は居ないと受け入れてしまったから、ずっとラクになっている。
だけどアゼルをもう愛していないにしても、アゼルとの過去の思い出を、彼が居た頃と同じくらい愛しく思ってる自分がいる気がしてならない。鍵をかけたその大きな扉の向こうが、まるで聖域のように私の中に存在している。そして私はその扉を、誰にも見つからないよう、必死に隠している気がする。
そんな奇妙な感覚は、あのリアルな夢をみた日からはじまった。
アゼルがいなくなったあとの私は、無理やり彼を憎しみの対象にすることで、どうにか自分を保っていた。思い出の扉は覆い隠して、見ないふりをした。気づかないふりをした。目の前に現れても、触れないようにした。意地で乗り切った。
二月の終わり、ひとり泣いて、もういない彼にすがって、未練を受け入れた。あの時の私は、もしまた会うことがあっても、もうやりなおすつもりがなかったとしても、彼への愛を一生引きずる覚悟でいた気がする。
春休みにリーズたちがいなくなって、アゼルが改めて憎しみの対象になり、その感情は一層強くなった。
すべてはアゼルのせいだと、自分の中にある、彼に関するものすべてを叩き壊そうとした。破壊して、カケラひとつ残さず、砂の中に埋めようとした。そうすることでどうにか生きていた。
もういいんじゃないかと思った時、扉は再び現れた。でも私はその存在を、もう気にしないことにした。あってもなくても、たいした問題じゃないのだろうと。
その存在は、あたりまえなものなのだ。消せるのなら消したいと思うけれど、そんなことは不可能だと知っている。
そうやって受け入れたから、憎しみは薄れ、愛は完全に、冷めた。
それからの私は、ただ時間を消費することに、自分の時間を費やした。忙しくして、頭の中を他のことで埋め尽くして、そうやって毎日を過ごした。
だがそうやって過ごす日々の先には、九月一日が待っていた。
心の奥に隠れた闇を、普段は表に出ない共通点を、まだなにも知らなかった頃。彼と共に罪を犯し、一年後には不満を抱えながら、マブで、過去の罪を再現するように愛し合った日。
今年の九月一日は土曜日で、バカなことをしなければ一日中一緒にいられたのにと、八月三十日の夜、クローゼットの中の彼の学ランに向かって、思わずつぶやいた。
アゼルがいなくなって、八ヶ月。
やっとここまで来たのだと思ったけれど、心に大きな穴が空いていることに改めて気づいた。
彼の居ない現実には現実味がなく、まるで地に足がついていないような感覚で、そんなふうに日々を過ごすことは、言い換えれば、彼が戻ってくるかもしれない来年の一月を、待っているような気もする。そんなつもりはないけれど、慌しい毎日を過ごして、時間が過ぎるのをただ待つということは、もしそれが実行できているのだとしたら、それだけ早く、一月が巡ってくることになる気がする。
もし再会したとして、アゼルはなにを言うのだろう。私はなにを言うのだろう。アゼルは私になにをして、私はアゼルになにをするのだろう。そんなことを考えてしまう。
だからこそ、会いたいなんて思わないのかもしれない。なにがあるかわからないから、それが怖いから、会いたいなんて思わないのかもしれない。ずっと前から、未練だのなんだのというまえに、なにがどうなるかがわからないから、怖いのかもしれない。
私は、アゼルを恐れている気がする。
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九月一日、土曜日。
考えはじめると、色々な考えが次々と浮かんでくる。キリがないなと、改めて思った。
でもアゼルを思い出すことはもう、苦になったりはしないので、いつもと違うことをしてみようと思った。
祖母が出かけたから、半年ぶりにアゼルの学生服を出して、彼との思い出に浸ってみる。
──訂正、アゼルと、マスティやブル、リーズやニコラも一緒に。
そもそもマスティたちはなぜ、アゼルのために復讐してやろうと思ったのだろう。おそらくではあるけれど、それまではそんなこと、考えたことはなかったはずだ。しかもリーズとニコラまで巻き添えになっている。──強制ではないはずだが。
私は復讐を考える人間だが、さすがにアゼルのために復讐しようなどとは思わなかった。だって自業自得だから。むしろ私がアゼルに復讐するべきところなのだし。
アゼルへの復讐の内容は、色々ある。あいつにまた会うことがあるかどうかはわからないから、先のことまではあまり、深く考えられないけれど。でも最後の最後に実行する復讐は、もう決まっている。
南京錠に込めた約束を、たがえること。それが、最後にして最高にして最悪の、私がアゼルにできる確実な復讐。
どうせ期待させられて裏切られて傷ついて憎んでの繰り返しなのだから、アゼルとのあいだに永遠など、要らない。
そんなことを考えながら、私は彼の学ランに包まれていた。
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夜八時すぎ、電話がかかってきた。なぜかゼインからだ。ゼインといえばサビナで、もうイヤな予感しかしない。
「なんですか」と、私。
「あ、ベラ? お前今日、ルキん家来ないの?」
「はい?」
「オレとナイルとアドニス、今からルキの家に行くんだけど。ナイルと電話で話してたら、お前がそのうちミスター・ピンキー・レオパードを持ってくるってルキに言ってたらしいって聞いて」
「そういえば、いつにするかまだ決まってない。話が別の方向に行って、そのまま忘れてた。今日メール入ってたけど、夕食食べに行こうとしてた時だったからあとで返そうと思って、そのまま忘れてた」
「おいおい」と、ゼインは呆れた声を返した。「あ、そっか。まだルキの親父と爺さんには会ったことないんだっけ」
「ない。さすがに家族全員を知る気もない」
彼は笑った。
「まあ、爺さんはちょっと怖いわな。さすがに泊まりは気まずいか。んじゃ明日は? 昼間なら爺さんも親父もいねえよ。あの二人、土日出勤が大好きだから」
そんな人間もいるのか。「じゃあ明日、元気があったら行く」
「ん。来たらとりあえず、二千フラムは返す。あ、プールに入る気あんなら水着持ってこいよ。夏休み最後のプールだから」
夏休み最後なだけで、今年最後ではないのだろうから、特に意味はないと思う。
「わかった。じゃーね」




