○ Beast Who Got Out From The Cage
翌週、八月に入って二度目の木曜日、午前。
三年D組の教室には、三十人近くのクラスメイトが集まっていた。再来週からスムーズに編集作業ができるよう、今日は各デジタルカメラで撮った映像や写真を確認して、どのデジカメの何枚目がどういう映像かというのをレポート用紙に書き起こしつつ、各PVの最終構成を決め、それも書き出すという作業をしている。
当然、アニタたちやゲルトたちと花火をした写真も見られるわけなので、一部の女子が若干うるさかった。特にカルメーラとサビナが標的になり、遠まわしに誘ってほしかった、みたいなことを言われていた。
それはともかく、少々やっかいな問題が、実はひとつある。
“アルバム”として作るPV、“Where The Lines Overlap”のラストをどうするかが、まだ具体的に決まっていない。ひとまず写真や動画を撮っていけば、いずれ最後の“締め”にふさわしいものが偶然の産物として現れるのではないかと思っていた。そうでなくても、なにかは思い浮かぶのではないかという話になっていた。
だが残念ながら、そのアテははずれた。誰もなにも浮かばなかった。けれど妥協もしたくはないので、まだ無理やりには決めていない。みんな自分の、もしくは誰かの“ひらめき”を待っている。意見を聞いた瞬間に映像が頭の中に浮かんで、それがいいと即答できるような“なにか”を。
突然、教室の後方引き戸が勢いよく開いた。
どう考えても中学生には見えない、高校生ならなんとか納得はできそうな、けれどそれ以上に見える、いかつくて無駄に背の高い男が戸口に立っている。パンク・ロックスタイルのデザインのハーフスリーブの黒いTシャツを着ていて、その下から伸びる長い両腕には肘の近くまで、なんだかわからない模様のタトゥーが入っていた。
クラスメイトたちの視線は、一気にそこに集まった。
少々くすんだハニー・ブロンドカラーの短い髪を持つその男は、戸口の柱と引き戸の淵に手をかけ、教室内を前方からぐるりと見渡した。誰かを捜している様子だ。そして自分の机に座っていた私のところで視線を止め、数秒こちらをじっと見たあと、悪戯っぽく口元をゆるめた。
「見つけた! ベラ!」
え。
声を失っていたクラスメイトの視線が、一気にこちらに向けられる。そんなことにもかまわず、男はこちらに向かって歩いてきた。
「マジで顔、ほとんど変わってねえな。面影ありまくり。美人のまんま」
えーと。
彼は歩きながら、クラスメイトに視線を投げた。
「あ、気にすんな。そのまま続けろ」
それは無理な話だろう。というか、誰ですか。
男が私の席の後方に立ったところで私は訊いた。
「誰あんた」
「は? なに? たった三、四年会わなかっただけで、もう忘れたわけ?」
なにを言っているのだろう。三、四年。状況。声は聞いたことがある気がした。というより、誰かに似ている。だから、つまり。
次の瞬間、ひとりの人物の名前が頭に浮かんだ。
「──マルコ?」ケイの、兄貴。
「お、完璧に忘れられてるわけじゃなかったか」と、彼。「お前がどのクラスか訊いてなかったから、A組から順番に覗いてきたんだわ」
まだ状況がよくわからない。つまり、少年院から帰ってきたということなのか。ケイからはなにも聞いていない。
「とりあえず」わけがわからないまま、私は引き戸のほうを指差した。「出ようか。邪魔だから」
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廊下には好奇心に駆られた何人か──十数人の生徒が、各教室から出てきていた。C組の教室前には、わざわざA組からこちらまで来たらしいエルミとハヌルがいた。その奥にはエデとカーリナの姿もある。無視して、私はマルコと一緒に中央階段の壁際に立った。
「で、なに」右肩を壁にあずけて腕を組み、私は訊いた。「ケイは?」
マルコは両手をズボンのポケットに入れ、左肩を壁で支えている。「今日あいつが学校から帰ってきたら、一緒にお前んとこ行くつもりだったんだけど。待ってらんねえし、暇だから来た」
「なにも聞いてない。夏休み中だとは聞いてたけど、いつ帰ってくるとも、帰ってきたとも」
彼は笑った。
「いきなりで驚かすつもりだったからな。さらにいきなり来てやったのに、まさか忘れられてるとは思わんかったわ」
「いや、だって最後に会ったの、小学校の時だし。しかも数えるほどしか会ったことないし。わかるわけないじゃん」
「そーだっけ?」すっとぼけた答えを返すと、彼は悪戯っぽく微笑んだ。「にしても、マジで十五のガキとは思えねえな。タッパのせいか?」
その言葉に、私は少しむっとした。どいつもこいつも、なぜヒトを老け顔呼ばわりするのだろう。
そんな私の心情もおかまいなしに私の前に立つと、彼は私の顔の横で壁に右手をつき、微笑んだまま顔を近づけた。ケイと同じ、つまりは私と同じ香水の香りがする。
「ケイが口説いたりすんなとか言ってたけど、ちょっと無理があるかも」
「なに言って──」
「なにしてる!?」
怒鳴るような声の主は、三年A組の担任で、私たちに技術科を教えているババコワ教諭だった。十数メートル先に怒ったような険しい剣幕で立っている。生徒たちは彼のために道を開けたらしく、さっきよりも一歩から数歩下がっていた。
「誰だお前は?」教諭が声をあげながらこちらに来る。「学校は関係者以外立ち入り禁止だ!」
「あ?」マルコは彼を睨み返しつつ、右手をおろした。「誰だお前」彼に近づく。
教諭も止まらない。「生徒たちが混乱してる。今すぐ出ていきなさい」
マルコは鼻で笑い飛ばした。
「混乱なんかさせた覚えねえよ。っつーか誰だお前。お前みたいな先公、知らねえし見たこともねえぞ。ホントに教師か」
「ああ!?」ババコワ教諭はキレたらしく、マルコの服の胸倉を掴んで彼をめいっぱい睨みつけた。「出ていかないなら警察を呼ぶぞ」身長は変わらない。
そんなものに臆すわけもなく、マルコは挑戦的な眼のまま口元をゆるめた。
「勝手に呼べや。ポリ公が怖くてこのフザけた世の中生きていけると思ってんのか。こっちはなんとなくで教師になったようなオッサンに説教されるほど落ちぶれちゃいねえんだ──」
腕を組んだままの私は無言で、しかもそれなりの強さで、マルコの背中に中段蹴りをかました。
ババコワ教諭がぎょっとして彼から手を離す。
当然マルコは怒った。「なにすんだこのアホ!」
今この教諭を敵にまわすわけにはいかない。「黙れ不審者」
「ああ!?」
「ババコワ教諭!」D組の教室があるほうから、生徒指導主事がやってきた。「一年の生徒が、不審者がこちらに来るのを見かけたと──」
「ボダルト!」マルコが声をあげた。「まだいたのかよ!」
主事は呆気にとられた表情で、数秒彼をじっと見た。思い出したのか、徐々に笑顔に変わった。
「モンタルドか!」わりとレアな笑顔だ。
「何年ぶり?」マルコは相当懐かしがっている。「中学卒業してから会ってねえから、もう五年くらいか」
主事が笑みを浮かべたままうなずく。
「そうだそうだ。というかお前、少年院に入ってたんじゃないのか。出てきたのか」
「そー。昨日出てきたばっか。で」立てた親指をこちらに向ける。「ベラに会いにきた」
彼はすんなりと納得した。「ああ、弟と仲いいもんな。やっぱりお前のことも知ってたか──って」呆気にとられるババコワ教諭を見やると、また彼へと視線を戻した。「お前か、“不審者”」
「不審者じゃねえし!」と、マルコ。
今度はケイが中央階段を駆け上がってきた。
「やっぱいた! なにやってんだよ! 乗り込むのはダメだっつったじゃん!」
振り返ったマルコは笑って答える。
「悪い悪い。待てなかったんだって」
ケイは天を仰ぎながら私の傍らに立った。しかめっつらをこちらに向ける。
「せっかく驚かしてやろうと思ったのに」
「驚きはなかったな。誰かわかんなかった」と、私。
「マジか」
「すみません、ババコワ教諭」主事が言った。「一応この学校の卒業生で、僕の教え子です。とりあえず──」こちらに視線を向ける。「グラール。お前、まだ文化祭の準備、するか?」
いても詮索がうざいだけのような気がする。「どっちでもいいですけど」
「じゃあとりあえず、こいつは生徒指導室に連れて行く。終わったら寄れ」
「あれ、もしかしてコーヒーとか出してくれんの?」
マルコの質問に、主事は呆れた表情を返した。
「お前、もう二十歳じゃないのか? もうちょっと落ち着けよ」
「まだ十九だよ! あ、コーヒーはブラックな」
「わかったからちょっと黙れ」
ボダルト主事はババコワ教諭にあとを任せると、マルコを連れて中央階段を降りていった。
空回りのババコワ教諭はわけがわからないまま、いつのまにか集まっていた三年の野次馬共に教室に戻るよう言い、自分もA組の教室へと向かった。
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「あんだけ言ったのに」ケイががっかりした様子で言う。「先月の電話でも、あれだけ一緒に行くんだって言ったのに。昨日も散々言い聞かせたのに。ぜんぶ台無しにされた」
こちらは苦笑うしかできない。「ある意味目立ってたけどね。ほんといい迷惑」
「オレはちゃんと言ったんだぞ。ベラは目立つのキライだし、詮索も嫌がるから、学校に乗り込むのはダメだって。おふくろにだって、ちゃんと見張っとけっつったのに──」彼は言葉を切って制服のポケットから携帯電話を取り出すと、少し操作してからこちらに画面を見せた。「これだよ」
メール画面だ。彼らの母親、シモーナから。
《ごめんなさい。ランチはどうしても、ラザニアとピザとチョコレートパイが食べたいって言われて、具も細かく指定されて、補充するために買い物に出かけました。ケイに怒られるから、絶対に家にいてねって言ったのよ。わかってるって答えてくれたのに、買い物も急いだんだけど、帰ってきたらいなかったの。本当にごめんなさい》
笑える。「さっそく騙したわけだ」
「らしいわ」電話をポケットに戻す。「他のクラスの奴らが、不審者が階段登ってくの見かけたとか言ってて。どんなのか訊いたら、大人だとか大学生だとか高校生だとか、不良だとかギャングだとかハンサムだとかって。まさかと思ってたところに、ちょうどこのメールが来た」
どんな情報だ。「まあ、なにしに来たのか知らないけど。帰る前に生徒指導室、寄ろうか」
「だな」溜め息混じりに彼が答える。しかしすぐ持ちなおした。「あ、なんならお前、飯食いにくる? デボラは仕事だろ?」
「仕事だけど、昼食は作ってくれてる」
「んじゃそれ持ってきて。デボラの飯も兄貴とおふくろに食わせたい」
「わかった」と私は答えた。「じゃああとでね」
教室に戻ると思ったとおり、あれこれと詮索がはじまった。だがここはラクだった。それ以上訊いたらデジカメぶっ壊してメモリーカードもダメにすると言うと、すぐに黙った。
けれどもひっきりなしにメールを受信する携帯電話は、どうしても見る気にはなれなかった。疑問符のついたメールを拒否するという機能があればいいのにと、切に思った。
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そろそろ帰ろうかというところで、ケイが迎えに来てくれた。一緒にいれば、詮索目当てに話しかけられたりしないからだ。いつからそんなに気遣える子になったのか、よくわからない。彼女ができたからかもしれないが、彼は先日、つきあっていたふたつ年上の先輩と別れた。
「一度家に帰って、着替えてから行く」背後からの同級生たちの視線を無視しつつ、中央階段をおりながら私は言った。「着いたら電話する」
「お前チャリ持ってねえじゃん。時間かかるじゃん」とケイ。
「なんならタクシー呼びますよ」
「もったいねえよ。一時間くらいしたらおふくろに車出してもらう」
「それこそ悪いわよ。ラザニアとピザとチョコレートパイ作らなきゃいけないのに」
彼は笑った。踊り場からさらにステップをおりていく。
「どう考えても怪しいよな。そんな注文、今までしたことないのに」小首をかしげる。「あれ、そーいや兄貴、なにで来たんだろ」
「チャリ」
「兄貴はチャリなんか乗らねえよ。キライだもん。小学校六年の時からスクーター乗り回して、十五か十六の時には無免で単車乗ってたし」
「じゃあ単車じゃないの」
「兄貴が少年院入ってすぐ、単車二台とも、親父が処分しちまった。スクーターも」
「マルコは怒らなかったの?」
「去年面会に行った時、オレから言ったし。メンテしないと腐るだけだから、べつにいいとは言ってた。車の免許とるしな」
免許といえばまた、アゼルとブルとマスティの姿が思い浮かぶ。
「ま、訊けばわかるよね」
生徒指導室では、主事とマルコ、さらには校長と教頭まで一緒になって、お菓子を食べつつ、なぜか話しこんでいた。昔話と少年院の話、そして私の話をしていたらしい。校長はマルコが卒業してきたあとに赴任してきたので彼のことは知らないものの、教頭は中学三年生だった彼のことを知っているのだとか。
少し話したあと、私たちは生徒指導室を出た。




