○ Confusion Spring
祖母の家の、自室である屋根裏部屋のベッドの上──眠っている私の身体を大げさに揺すりながら、アニタは私の名前──愛称を呼んで私を起こした。
「ちょっとベラ! 起きてよ!」
私は強く目を閉じて唸りながら、ブランケットを頭までひっかぶった。だがそれが許されるはずもなく、彼女は怒り任せにブランケットを剥ぎ取った。
「起きろっつってんじゃん! シャワー浴びる時間なくなるよ!? 式に間に合わなくなるよ!? 起きてくれなきゃ、あたしがなんのために泊まりにきたかわかんないじゃん!」
本当にうるさい。頼んだわけでもないのに、私の生活リズムがめちゃくちゃになっていると知って勝手に押しかけてきただけのくせに、どうしてこう、恩着せがましく上から目線で命令できるのだろう。
「ほんとに起きないでしょう」二階へおりる階段のほうから、苦笑う祖母の声がした。「生活、なおらないみたいなのよ」
「デボラ、甘すぎ! もう三年なんだから、受験なんだから、もうちょっとちゃんとさせなきゃ!」
アニタは咎めるような口ぶりで言ったが、祖母は気にしなかった。
「そういえばあなた、高校はどこに行くか決めたの?」
「ベラと同じとこ」彼女は無愛想に即答した。「どこか知らないけど」
「ベラはミュニシパル・ハイスクールよ」そう言うと、祖母はベッドに腰かけた。「ベラ、ビールを持ってきてあげたわよ。起きて」
アニタが声をあげる。「ビール!?」
「起こすには、これがいちばんなのよ」
苦笑する祖母のその言葉のとおり、私は目をこすりながら身体を起こした。目も合わさずに「ありがと」と言ってグラスを受け取り、そこに注がれているグラス半分ほどのビールを一気に喉に流し込んだ。寝る前にもビールで、無理やりにでも起きなければいけない時はやはり、ビールを飲む。これで少しばかり、身体が軽くなる気がする。
私の傍らで、アニタは心配そうな表情をした。
「ねえ。ほんと、なにがあったの? 春休み、一度も遊んでくれなかった。昨日はデボラが家に入れてくれたけど──メールくれないどころか、こっちのすら返してくれなかったじゃん。電話しても出ないし、家に来ても留守──居留守だし──ゲルトとか、アドニスやルキアノスとは連絡とってるし、アドニスとのこと、怒ってるわけじゃないんでしょ?」
彼女にはまだ、なにも話してない。
すぐには答えず数秒、空になったグラスを見つめた。いつかはわかることだ。
「リーズたちが、四人揃って施設に入った」グラスを祖母に返す。「三年間戻ってこない。それだけ」
アニタの反応を待つこともせずベッドの上に立ち上がると、私は「シャワー浴びてくる」と言ってドアへと向かった。
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ベネフィット・アイランド・プレフェクチュール、ベネフィット・アイランド・シティ──その市内、西はずれに位置するウェスト・キャッスルという小さな町の、ウェスト・キャッスル中学校。
満開のピークを過ぎた桜が、最後を潔く迎えるためといわんばかりに舞い散る四月。
私たちは今日から、中学三年生になる。
三年生の教室が並ぶフロアは、三方を校舎に囲まれたテニスコートとグラウンドのあいだ、第二校舎の三階にある。二年生の教室フロアはこの校舎の二階だったので、感覚的にも雰囲気的にも、これといった変化はないと思われる。ただ、エレベーターがあるわけではないので、これから毎回三階へあがらなければいけないということを考えると、それだけでストレスのように感じる。
三年フロアに辿り着くとすぐ、A組の後方引き戸のガラスに貼られた、三年A組に属することになる生徒名リストを見つめながら、とても不満そうな顔をしているナンネとエルミに会った。隣にはジョンアがいる。
「おは」
アニタが声をかけると、彼女たちは同時にこちらに気づいた。
「最悪」と、顔をしかめたエルミが低い声で言う。「マジ最悪」
「地獄な予感」とナンネもつぶやいた。
小首をかしげ、アニタもリストにある名前に目をとおす。そして苦笑った。
「ハヌルとエデがいる」
声を潜めてジョンアがつけたす。「アウニもいる。私は別っぽい」
かまわず私が歩き出すと、アニタは怒って声をあげた。
「待ってよ!」
B組の教室の前には、同級生の女子三人と一緒にペトラがいた。こちらに気づいたとたん、ペトラは笑顔で両手を前に出した。
「アニタ! 一緒!」
「マジで!」アニタも笑顔で彼女のハグに応えた。だがテンションはすぐに戻った。「え、ベラは?」
身体を離し、彼女は肩をすくませた。
「残念ながら、違う。けど、セテとカルロとヤーゴが一緒」
「まじで」
ペトラが私に言う。「セテたち、他のクラスも見に行ってる。あたしもついてく」
ナンネたち三人も一緒に、ぞろぞろとC組の教室へ向かった。そこでアニタとペトラは、ゲルト、イヴァン、ジョンア、ついでにチャーミアン、カーリナの名前を見つけた。
アニタが気遣わしげな視線をこちらに向ける。
「ベラとゲルト、クラス離れたっぽい。見落としてはないはずだから、ベラはD組」
そろそろ私、爆発するかもしれない。「そ」
A組、B組、C組は並んでいるものの、中央階段をはさむぶん、D組は少し距離が離れる。その奥、隣にもうひとつ教室があり、私たちの学年は人数が少なく四クラスしかないので、そこは空き教室になる。
二年の時もそうだったが、私はD組の教室の位置が好きだ。孤立している感じが落ち着く──廊下に出るたび、左右からヒトが歩いてくるB組などよりも、こちらのほうが断然いい。とはいえ、第三校舎へと繋がる通路が傍にあるので、移動教室などがあれば孤立感などなくなるかもしれないけれど。
D組の教室の前の廊下に、カルメーラとサビナがいた。彼女たちの挨拶にはペトラとアニタ、そしてまだしつこくついてくるエルミが答えただけで、私は無視した。
サビナはリーズのイトコだが、春休みが終わってからサビナと顔を合わせたのはこれがはじめてだったので当然、リーズの更生施設行きのことについてなど、話しているはずもない。そもそも私は、サビナと仲よくない。
挨拶を終えたカルメーラは私に声をかけた。「ベラ、同じD組」
「へえ」
正直、どうでもいい。アニタたちほど仲がいいというわけではないし、彼女がいると、少々教室がうるさくなるかもと思うだけだ。
後方戸口からD組の教室に入ると、正面の窓際で、ゲルト、セテ、イヴァン、ダヴィデ、カルロ、そしてなぜかトルベンとヤーゴが、一箇所に集まって話をしていた。カルロを筆頭に、彼らはすぐこちらに気づいた。
私はまっすぐゲルトのところに向かい、彼にハグをした。
「死ぬかもしれない。よくても不登校になるかもしれない」
ハグとはいっても、半分はすがる気持ちになっているのが自分でもわかった。ゲルトと一緒ならなんとかなると思っていた。でも同じクラスになれなかった。
予想できたことではあった──中学一年でも二年でも、同じクラスだった。小学校の時も五度、同じクラスだった。また同じ教室に通える確率などゼロに等しいと、私たちは互いにわかっていた。
ゲルトはいちばんの男友達で、今ではいちばんの理解者だ。彼は私が両親に捨てられて祖母と一緒に暮らしているということも、つきあっていた男が更生施設に入ったことも、先輩であるリーズとニコラ、マスティとブルが揃って施設に入ったことも、はっきりとすべてを知っている。
おそらくだが、リーズたちの件を知ってるのは今のところ、同期の中ではゲルトとセテとアニタだけだろう。私が祖母と二人で暮らしていること、そしてつきあっていた男──アゼルの更生施設行きのことは、もう少し多い何人かが知っている。
私は詮索されるのも同情されるのも好きではないので、なにかが起きたとしても、それほどヒトに触れまわったりはしない。私が本当に知られたくないと思うことは、彼らも言わないでいてくれる。
そしてゲルトは私の扱いかたも、私が今どんな状態かも、おそらくわかってくれている。今私は、彼の前でしか泣けない。ゲルトと同じクラスなら、少しは救いがあったのに。
彼は慰めるように私の背中をやさしく叩いた。
「ダヴィデが一緒だから平気だって」
「見事にクラス、バラバラだもんな」セテが言った。「オレらのB組はそうでもないけど。ダヴィデがいるからまだマシなものの、ベラにとっちゃ、ある意味罰みたいなもんだ」
確かに罰だ、と思った。そう考えれば、自業自得ではあるけれど。
ゲルトから身体を離すと、私はセテにもハグをした。
「これから誰に嫌がらせすればいいの?」
彼は苦笑ってハグを返す。「リスト見たか? トルベンもD組だぞ」
私はきょとんとした。彼と身体を離してトルベンへと視線をうつす。 「まじで」
「最悪だろ」トルベンが不愛想に言った。「先公に頼んで、セテと替わりたい」
ゲルトと替わると、チャーミアンと同じクラスになってしまう。彼は去年、修学旅行のさなか、彼女に告白されて断った。
「そんなわがままが通用するわけない」と、カルロ。
「ってことで、球技大会はサボるわ」私はイヴァンに言った。
「マジで? 言っとくけど、トルベンもわりと強いぞ?」
ヤーゴが小声で言い添える。「やる気出せばな」
「A組とB組は弱小の予感」セテがつぶやいた。「哀しすぎる」
ダヴィデが笑う。「実質三年だけで言えば、C組対D組っぽいよな」
「だべ? けどベラがやる気ないとなったら、C組の勝ち上がりは確定くさい」
ゲルトが私に言う。「勝ったらケーキ食えるぞ。いや、今年もケーキなのかは知らんけど」褒美のことを言っている。
「私はそんなものより、ビールのほうが──」
ベルが鳴った。朝のHRがはじまる。
「ダヴィデ、トルベン」ゲルトが言う。「なんかうざくなったら、とりあえず手刀かましていいから。今はやり返す気力もないから、いくらでもやれる」私のことを言っている。
悪びれることなくセテがつけ足す。「気絶させない程度に、思いっきりやってやれ」
彼らはそれぞれの教室へと戻っていった。
笑える。担任は、去年と同じゲルハラだった。
笑える。ゲルハラはこちらが言いだす前に、席替えをするのかと訊いてきた。
結果、私は窓際のいちばんうしろの席に着いた。右隣にダヴィデが、そのうしろの席にトルベンがいて、カルメーラは私の前の席に、その右隣、ダヴィデの前の席にサビナが来た。私やトルベンのように身長が高いと、後方席を確保しやすくなる。
加えて私からは今、全身からとんでもない量の不機嫌オーラが放出されているらしく、私に睨まれるとなにをされるかわからないと理解しているクラスメイトたちは、私の勝手な行動に口を出すことすらしなかった。
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始業式が終わったあと、三年D組の教室。二時限目がはじまる前の休憩時間、サビナのほうを向いて座ったカルメーラが私に声をかけた。
「春休み、アニタがぶーたれてたよ。ぜんぜん電話に出てくれないし、メールも返してくれないって」
視線を窓のほうに向けたまま、私は無愛想に応じる。「あいつ、昨日わざわざ泊まりにきやがった。朝っぱらからマジうるさいの」
「あー、ペトラから聞いた。アニタ、逆ギレ状態なんだって」
「ベッド半分取られるのよ。逆ギレしたいのはこっち」
「え、まさかシングル?」ダヴィデが私に訊いた。
「さすがにそれは寝れない。ダブルだっつの」
「ならいいじゃん。ダブルベッドはもともと二人用だろ」
「なに言ってんの。ダブルベッドでひとりで寝るのがいいんじゃない。片側にプレーヤー置いてね、もう片側に灰皿置いて寝るの」
「灰皿ひっくり返さねえの? それ」
「私は寝相がいいのでね」
「うそだろ」トルベンが口をはさむ。「お前、すげえ寝相悪そうなイメージがある」
「アニタのほうが寝相悪い。気づいたら私のブランケット、ぶん取ってたりするんだもん。自分のは床に落としてたりする」
カルメーラも遠い目をしてつぶやく。「アニタと一緒にペトラの家に泊まった時、雑魚寝したけど、夜中に蹴られた」
「マジで?」ダヴィデが言う。「まさにベラがそれやると思ってた」
「っつーかこいつ、起きてても蹴りだろ」と、トルベン。
私は彼に答えた。「だいじょうぶ。二年になってからは誰も蹴ってない」
「一年の時は蹴ったのかよ」
「蹴った。超うざい奴が、超うざいことして。だから蹴り入れてしりもちつかせて、ついでに足で腹踏みつけて脅しかけてやった」ハヌルを。
「え、マジで?」ダヴィデが訊き返す。「初耳だわ」
「言ってないもん。アニタもゲルトたちも知らない」
彼はにやついた。「おもろい話聞いた。放課後、さっそく報告してやろ」
もう時効だと思う。「お好きにどうぞ」