○ Self Sacrifice
ビールは冷蔵庫にあるから、飲みたければ飲んでいいと、ルキアノスやアドニスから言われていた。エウラリアとルキのお姉さん以外、つまりお父さんとお祖父さんに見つかれば小言を言われるかもしれないけれど、二人は夜十時すぎまで帰ってこないから大丈夫、ということらしい。
パティオから家へと入り、リビングとゲスト用バスルームにはさまれたヌックを抜けると、白と淡いベージュカラーでまとめられたキッチンが現れる。L字で囲うようシンクと脇に置かれた冷蔵庫たちが、長方形のスペースを作るように設置されている。リビング側はカウンターになっていて、それをさらに通り抜ければダイニングに行ける。
キッチンの冷蔵庫からビール瓶を取り出すと、蓋を開けて一気に喉に流し込んだ。
今はもう、まずいとは思わない。時々おいしいと思うものの、どちらかというと、ワインのほうがよかったりもする。もともと炭酸があまり好きではないからだ。私はビールを飲む時、味わうなどということをしない。ただアルコールを摂取するために飲んでるという感覚だ。
球技大会の件で生徒指導主事のボダルト教諭と話してからは、寝る前や朝の眠気覚ましのため、あたりまえにビールを飲むというのはどうにかやめた。だが週に一度、祖母との食事の時に酒を飲むというのは変わっていないし、今でも時々、ひとりでビールを飲むことがある。疲れたり、イライラすると飲んでしまう。あと、ものすごくムカつく夢をみた時とか。
もう一度、ビールを喉に流し込む。
ほとんど空になったビール瓶を勢いよくシンクに置いた私の後頭部に、バスタオルを肩にかけたアドニスが背後から、軽く手刀をかました。
「お前、雰囲気悪くすんの得意すぎ」
私は無愛想に答えた。「はいはいすみませんでした」
「サビナはゼインが見てるから」冷蔵庫を開けてなにかを取り出しながら、ルキアノスが言った。「たぶん平気だけど」
右隣でナイルがシンクにもたれた。こちらもシンクに身体をあずける。
「だってイライラする」と言って、残りのビールを飲み干した。「エデがどうだとかカーリナがどうだとか、いちいち他人を言い訳にしてばっかり。気遣って利用されて、自分の意見は一切言わない。うざい」
ルキアノスから瓶ビールを受け取りながら、アドニスが苦笑う。
「まあオレらが一緒に遊んだ時も、そんな気配はあったな。エデがリーダー的、カーリナがサブリーダー的なのかな、みたいな」
「そう、そんな感じ。私に声かけてくるのはいつもサビナ。リーズたちがいてもいなくても。つき添いみたいなのかな。少なくとも一年の時は、もうちょっと自分を出す奴だったと思うんだけど。気づいたら、どんどん引っ込み思案になってるっていうか」
「もしかしなくても」ビール瓶片手にナイルが口をはさむ。「仲悪いわけ?」
「半端なく」と、私は憎しみを込めて答えた。
「それでよくあの娘がくること、イヤだって言わなかったな。お前の性格考えたら、絶対イヤだって言いそうなのに」
「面倒だとは思ったけど、どうでもいい。拒否するのも変だし。アドニスの考えてることもわかるし」
「仲よくないってのは知ってたんだけどな」アドニスが言った。「半端なく失敗の予感が」
ルキアノスも瓶ビールを飲んでいる。「けど、どっちにしてもベラが面倒になるってのは同じだもん。それをわかっててイヤだとは言わなかった。なにげに自己犠牲欲が激しいからな。それに悪役にまわろうと、相手が間違ってると思ったら、空気悪くしてでも言いたいことははっきり言うし」
「しかもきっつい言葉くれる」アドニスは遠い目をした。「こいつの標的になったら、並の神経じゃ耐えられねえ。けど正論すぎて、悩んでんのがアホらしくもなる」
その言葉で、ナイルは思いついたような顔をした。
「もしかして、去年からやたらお前が性格悪くなったのって、ベラの影響?」
彼は苦笑った。「そー。こいつがあまりに自由すぎて、なんか小さくなってる自分がアホらしくなって」
アドニスは、周りにあまり本音を言わない人間だったらしい。それで人間関係が悪化することがあったからだ。クロい部分を出して誰かとの仲が悪くなったり相手が離れていくのを気にしていた。なので私は、クロをベースにすればと言った。彼はいいヒトぶるのをやめた。私の前ではいつもクロかったので、違いなどほとんどわからないけれど。
ルキアノスがつけたす。「ベラは変なんだよ。本音隠して悩んでる人間がキライ。遣わなきゃいけないだろうところで気遣わないのに、変なところで気遣う。で、自分は本音を隠す。自己犠牲の固まりみたい。けど半端なく自己中だったりもする。根堀り葉堀り詮索されるのがキライだけど、言わなくていいことまで言ってくる時がある。短気だけど、自分の悪口言われてても気にしない。けどそれほど仲良くなくても、誰かが悪口言われたりなんかの被害に合ったら、容赦なく怒る。やられてるのがどうでもいい相手で、やらかしてるのが大事な友達だろうと怒る」
ナイルは首をかしげていた。「わけわかんない」
「けどおもしろい」アドニスはシンクに座った。「こいつと同じ学校の奴らは、さぞかし楽しいだろうよ」にやつき顔でこちらを見る。「いろんな意味で」
キスとか復讐とか。「むしろ私は同情するわ」
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少しすると、ゲストルームのほうから黒いTシャツを着たゼインが現れた。
「どうにか泣きやんだ」と彼が言う。「けどもう帰るわ。サビナはわりと気まずいだろうから」
「送るんか」
アドニスが訊くと、彼はにやりとした。「いや、家に連れていく」
とっさにルキアノスとナイルが耳を塞いだ。二人してリビングへと向かう。
だがアドニスはにやついた。「お、とうとう?」
「たぶんな」こちらに言う。「こっちも悪いんだわ。まえにつきあってた女と、かなり早い段階でそうなって。別れたあとで、手出すのが早すぎだとかなんだとか、かなり悪評振りまかれて。サビナはたぶん経験ないし、じゃあいつになったらいいんだよとか思ってて、けっきょく手出せないまま。むこうもダチと遊ぶの、多かったし」
よくわからないうちによくわからないままつきあい、その日のうちに済ませた私は、いったいなんなんだろう。
「ベラがなに言ったかは聞いたんか。エデとカーリナのこととか」
アドニスの質問に、ゼインが声を潜めて答える。「だいたいのことは聞いた。ぜんぶ図星だって」さらに声を絞る。「リーズとイトコだってのはびびったけど」
ゼインたちにナンパされた時、私はリーズとニコラと一緒にいた。あはは。
ちなみに彼ら、リーズとニコラがどこかの施設に入ったというのは、アドニスとルキから聞いて知っている。
もうひとつどうでもいい話。私が春休みに会った、ゼインとナイルと一緒に私たちをナンパした相手は、アドニスが嫌っている相手だった。アドニスの差し金だとも知らず、残念顔の女と三股をかけている。この情報は数ヶ月前のものなので、今はどうだか知らないが。
「オレらもびびった」アドニスが言った。「けっきょく黙ったまんま?」
「今さら言えねえよ。話がややこしくなる。だから」こちらに向かって手を合わせる。「とりあえず黙ってて」
「それはいいけど」
「んじゃ、サビナは怒ってはないわけだ」
再びアドニスが訊くと、彼はけろりと答えた。
「ぜんぜん。むしろ泣いてすっきりしたとか言ってる。エデたちともちゃんと話して、デートの時間も増やすって」
アドニスは笑った。「けっきょくベラの自己犠牲で解決だな。ナイルには言わないよう言っといてやる。早く行かねえと、イチャつく時間がなくなるぞ」
「だな。ゲストルームからそのまま裏通って出るわ。帰りは送るからご心配なく」私に言い、彼は手を振った。「またな、ベラ」
なんだかよくわからない。「バイ」
その後こちらは四人で再びプールに行って少し遊び、夕方四時頃にルキの部屋に戻って、今度は四人での勉強がはじまった。彼らも期末試験を控えている。
夕方六時頃ルキの家を出て、ナイルも一緒に四人で夕食を食べたあと、私はタクシーを呼び寄せて家へと帰った。
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翌朝、テストの日。
D組の教室に入ろうとしていると、廊下でカルメーラと話をしていたサビナに呼び止められ、隣の空き教室に入った。
「ごめんね、昨日」うしろ手で戸をしめた私に彼女が言う。「なんか気まずくて、なんにも言わずに帰っちゃって」
そんなことはどうでもいい。こいつは、今日がテストだとわかっているのか。お前が平気でもこちらが平気ではない。
「いいよ、気にしてない」私は答えた。「ゼインが帰るって言いにきたし」
「ああ、うん──」言葉を選んでいるらしく、ほんの少し間をおいてから続けた。「なんて言えばいいかわかんないから、先にゼインと約束しといて、誘われたら断ることにする」
なんの報告なのだろう。「そ」
気まずそうに切りだす。「でね、ゼインが、夏休みに入ったら、ナイルはわかんないけど、また昨日のメンバーで遊ぼうって言ってんの。って言っても、ルキの家でプールとかゲームしてとかで──他の男と目の前で話されてもそんなに気にしないし、あたしがいいならって」
あまり笑えないが、いてもいなくても、私にはなんの影響もない。
「好きにすればいいと思う。あんたがいいなら」
彼女はほっとした。「そっか」だがまたも一度視線をそらすと、探るような表情をこちらに向けた。「──ゼインたちと会ったのって、ほんとに昨日がはじめて?」
「は?」
「や、違うの。変なこと考えてるとかじゃなくて、そうじゃないんだけど──なんかベラもナイルも、初対面とは思えないほど馴染んでた? し──昨日帰ってから気づいたんだけど、その、夏休みにみんなでって話してた時、ベラは気まずさなんて感じるタイプじゃないだろうし、みたいなことを──」
あのバカ。
「なんか、初対面とは思えない口ぶりだったから」と、彼女は言い添えた。
他人が掘った穴を埋める苦労を、ゼインはわかっているのか。「アドニスやルキからなんか聞いたんじゃないの」曖昧に答えて戸口へと向かう。「私は初対面だからって遠慮する人間じゃないからね」